終章 予告
序章から4章に至るまで私は、我が友ディオニュソスとの、今までの付き合いについて書き綴った。しかし、彼との友人付き合いは現在も「続いて」いて、今後も「続いて」ゆく。終章にも関わらず「予告」と記したのはつまり、私と彼との付き合いは終わることがなく、未来があるからだ。この章で私は、現在の、そして未来の彼との付き合いについて記し、この論文の結びとしたい。
実存主義への歩み
実存主義とは、いかに人間らしく生きるか、どういう生き方が望ましいか、を考える姿勢、自分の在りかたについての哲学のことだ。辞書的な定義としては「人間の本質ではなく個的実在を哲学の中心に置く哲学的立場の総称。科学的な方法によらず、人間の自由と責任とを強調し、悟性的認識には不信をもち、実存(現実に存在すること。実在。Existence 広辞苑より)は孤独・不安・絶望につきまとわれていると考えるのがその一般的特色。(広辞苑より)」とある。さて、私は今、この実存主義について知るため、高校生の頃読んだカミュを読み返し、サルトルやニーチェ、キルケゴールを読み始めている。なぜか。
私はこれまでディオニュソスに、できるだけ注意深く耳を傾けてきた。そして目を凝らして彼らを見つめてきた。「孤独を共有せよ」「一体感を持て」「場を生み出せ」「人生に熱狂せよ」「リスペクトを持て」「自らの身体をもって生きる喜びを語れ」――たくさんのメッセージがそこにはあった。
「実存主義を理解しない限り、若者は前に進めません。それは我々が前進していった時のステップで、今の若者はまだそこまで行ってません。彼らはサルトルもカミュも読んでません。薄暗い行き詰まりを知らない。しかしサイケデリックはそこから始まっているんです。そこでアシッドをやって、何か他のものが見える、遠いけどなんとか行ってみよう、と思うのです。実存主義を通らない限り、きちっとした基盤はできません。アシッドをやるだけではダメなんです。初めてドラッグをやると、幻覚を見る人が大勢います。話し合ってみると、みんな同じものを見ているのです。フロイトのバスルームの夢から作り上げているのではありません。これは我々にあばかれた事柄であって、解釈の仕方を知らなければそれまでです。サイケデリックのイメージはメッセージなのです。」
http://www.moto.co.jp/cover/MWS/chronicle/THIS/Ken.html
1995年 キージーインタビュー
「許しと忍耐と助けと抱きしめること、そして目を見つめて『良い一日を過ごせよ』ということ。お互いを愛すればすべてはうまくいきます。」
http://www.moto.co.jp/cover/MWS/chronicle/THIS/Ken.html
1995年 キージーインタビューより、ヒッピーの古い物言いについて
「大事なことは、われわれがそうやって内部の世界により充実した生の空間を広げようとしたことである。マリファナを吸って買い物をし、マリファナを吸って映画に行く――とすべてが一変して世界が生まれ変わって見えるのだ。この陶酔の中で束の間ではあるが政治活動の緊張がほどけ、ベトナム戦争から逃れ、希望にも恐怖にも苦悩にも思い惑わされることがなくなった。ノンポリも活動家と共通するものを発見した。それは美的な生き方、生きるが為の生き方であり、それが手の届くところにあるように思われた。マリファナは心の中にユートピアを築いた。これを精神的探求と呼ぶことができるのか。呼びたければ呼んでもいいだろう。あるいは究極の笑いとも、またその両方に呼んで結構だ。いずれにせよ、マリファナのおかげでわれわれは一層感覚を研ぎ澄ました。」
トッド・ギトリン「アメリカ60年代」彩流社 1993年 P286
「ヤクを打て、マリファナを吸え、スピードを呑め、その他どんなドラッグでも試すがいい。顔を隈取れ、舞台を飾れ、すべてを変えて宇宙統一を追及せよ。大いなる突破口をこじ開ける為にギアを整えよ。しかし何が起ころうとも、かつて抱いたボヘミアンのビジョンは捨てるな。悟りを求めてあらゆる手だてを尽くせ。バスに乗るか、しからずんば降りるかだ。」
メリー・プランクスターズについて語るトム・ウルフの言葉より
トッド・ギトリン「アメリカ60年代」彩流社 1993年 P293
「いいかね、諸君、われわれにはあらゆることがすばらしく、世の中のことは何もくよくよすることはない。本当にくよくよすることは何もないとおれたちが理解することはどういう意味をもつのかを悟らねばならないよ。おれは間違っているかい?」
ジャック・ケルアック「路上」河出書房新社 1983年 P192
「ぼくはほかならないサル・パラダイスにすぎず、幸せで、真実の心の持主で、うっとりと陶酔したアメリカの黒人たちと世界を交換できればいいがと願いながら、この真っ暗な闇の中、このこたえきれないほど心地良い夜の中を悲しくふらついている男なのだ。」
ジャック・ケルアック「路上」河出書房新社 1983年 P258
「ぼくが望んでいたのはまず戸外で眠ったり、雨風をしのいだり、料理をしたりするのに必要な装具を1つ残らず取り揃えて、つまり背中の上にそっくり載せて運べる、立派な台所と寝室を手に入れて、どこかへ旅に出かけ、完全な孤独を見出し、自分の心の、完全な空無のさ中をのぞき込み、いかなる種類の考えに対しても全く中立不偏の立場を取りながら生きることだった。また、ぼくに試みられる、唯一の、積極的な行為として生きとし生けるものことごとくのためにお祈りをするつもりだった。」
ジャック・ケルアック「禅ヒッピー」太陽選書 1975年 P159
「なあ君たち、地球はフレッシュな惑星なんだ、何もくよくよすることなんかないじゃないか!」
ジャック・ケルアック「禅ヒッピー」太陽選書 1975年 P160
世界は聖なるかな!魂は聖なるかな!皮膚は聖なるかな!鼻は聖なるかな!
舌、陰茎、尻の穴は聖なるかな!
すべての物質は聖なるかな!すべての人間は聖なるかな!
すべての場所は聖なるかな!
すべての日は聖なるかな!だれもが天使である!
アレン・ギンズバーグ 「吠える」より
Get your motor runnin’
Head out on the highway
Lookin’ for adventure
In whatever comes our way
Yeah God I’m gonna make it happen
Take the world in a love embrace
Fire all of the guns at once
And explode into space
SteppenWolf 「Born to be wild」より
All he wanted
Was to be free
And that’s the way
It turned out to be
Flow, river, flow
Let your waters wash down
Take me from this road
To some other town
Go, river, go
Past a shady tree
Flow, river, flow
Flow to the sea
Flow river flow
Flow to the sea
BobDylan 「Ballad of easy rider」より
「資本主義というものには、いつも葛藤する。例えば、グローバリゼーション、と呼ばれているものは、蓋を開けてみれば、社会へのシート(座席)を手に入れるべく、あくせく働いている人達だけのものだ。そのほかの人達、つまりは無職の人達、病気の人達、年配の人達、そういう人達は、ナッシングだ。彼らは『金を産まない』ってだけの理由でそこに参加させてもらえない。さて、僕が自分の子供に、こんな生活を望むかって?冗談じゃない。僕が望んでいるのは、強い社会(勿論、『自由』に基づいた)的絆に結ばれた生活だ。そして平和的選択による生活だ。」
バグスー・コミューン スワンの言葉より
「Hey!Who’s DJ?」
サンペドロ・コミューンより
「革命だよ。俺は、革命を起こしたいんだ。」
サンペドロ・コミューン ジャスティスの言葉より
「俺はただ、ここで暮らしたいってだけで、他に何も要らない」
サンペドロ・コミューン ジョージの言葉より
「どこにいても自由でありたい」
ウティラ・コミューン チャーリーの言葉より
「俺だって理解できないよ。お前らと同じだ。俺だって奴が好きだ。」
ウティラ・コミューン ヨハンの言葉より
「思考を自由にする。そして選択する。自分の運命は自分で構築する。そうすれば、リアルな『この』世界は、他のどの世界とも同様に、ユートピアになりうる」
ウティラ・コミューン アーロン(スイス)の言葉より
「自分を圧迫したくないし、他人も圧迫したくない。」
ウティラ・コミューン Fの言葉より
キージーも言っているように、ディオニュソスは実存主義を知るところから始まる。そもそも、ケルアックが使った「ディオニュソス的」という言葉自体も、実存主義を提唱するニーチェによる造語なのだ。
私は今、カミュを読み、サルトルを読み、ニーチェを読み、キルケゴールを読む。更に、人間らしく生きるとはどういうことかを考え、自身がどう在りたいかを考え、自分自身の存在を創造する。存在することへのイニシアチブを握る。ディオニュソスに耳を傾け、目を見張り続ける。自身が何に縛られてきたか、何に縛られているか、そこからどうやって自由になれたか、そこからどうすれば自由になれるかを考え、それについて語る。目に見える全てのものに敬意をはらう。日常に驚き続ける。そして私は、勇気と自信のもと、この世界に生きる喜びを全身にまとい、生涯を生き貫くことを誓う。
我が友ディオニュソスに捧ぐ。