@グァテマラ サンペドロ・ラ・ラグーナ(3)
「なるほど、お前の英語やスペイン語は拙いものかもしれない。だけどお前の『言葉』はexcellentだ。何故なら私はすごく感動したからだ。」
私がサンペドロで、米国人の「家族」達と暮らしていた時、そこでの共通言語は当然のことながら、私が使い慣れた日本語では無かった。次々と飛び交うノン・ネイティブ言語による会話。私はそれを聞き取って理解するだけで精一杯だった。
伝えたいことは山のようにあった。日々、変わらずそこに居て、私を楽しませてくれる、安心させてくれる、暖かく包み込んでくれる、そんな彼らに伝えたい「ありがとう」と「幸せだ」がそこには山積みだった。
ある日、テキサスの「父」と2人で話をしていた。
彼は私の外国語がどれだけ拙いものかをよくよく理解していたから、非常にゆっくりと喋り、そして注意深く私の言葉に耳を傾けてくれていた。私はその時までに伝えきれなかった山積みの思いを必死で言葉に換えた。彼はその拙い言葉一つ一つに、非常に真剣に耳を傾けてくれた。そして、彼は私にそう言ってくれた。
自身の大切な人々に対して、「伝えたいこと」があれば、その全てを可能な限り「言葉」に置き換えて「伝える」ということ、これを美学の一つとして、私は信じて貫いてきた。彼の一言は私に、この美学を今後も貫き続けるだけの勇気を与えてくれた。