2003.3
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高松の教会で会った人の話 ここの教会は奥さんが牧師でご主人が助け手でした。ご主人は長年クリーニング屋をしておられましたが、今はほぼ引退ということでした。 牧師のお世話でアパートに入り、病院の清掃という仕事も与えられました。そして、今は主を喜んで、教会生活をしておられます。 彼は、中島さんというのですが、毎朝教会の早朝礼拝に出て、それから病院の仕事へと向かいますが、その時に自転車に乗りながら必ず歌う歌があるというので、是非歌ってくださいと頼みました。 「音痴だから…」といいながらも彼は目をつぶり歌ってくれました。 「主は今、生きておられる 我がうちにおられる すべては主のみ手にあり 明日も生きよう 主がおられる」 確かに少し音程は外れていましたが、心からの主への信仰がにじみ出ているすばらしい讃美でした。聞く私達の目に涙が浮かびました。
吉永小百合が「キューポラのある街」という映画の中で、自転車に乗りながら、「北風吹きぬく寒い朝でも 心一つで暖かくなる…」という歌を歌っていたシーンが私の心の中で、彼の姿とだぶりました。 吉永小百合(ちなみに確か私と同じ年)が若かったときはそれはそれは可愛かったのです。中島さんの自転車姿は彼女と比べると、外見の美しさは劣るかもしれません。でも彼の心はイエス様の愛で一杯に満たされて、喜びであふれているのです。それは変わりやすい人間の愛、喜びではなくて、永遠に変わらないイエス様の愛です。こんなにすばらしい事が他にあるでしょうか。 この教会ではそのあとつずいて二人のホームレスの方が救われました。今、日本中でホームレスの方が増えていると聞きますが、高松も例外ではないようです。8年間の祈りを主は確かに聞いていてくださったという最初のしるしとしてこの事がおこりました。 主がこれからも大きな救いの業を次々に起こしてくださることをこの牧師は信じています。ハレルヤ! |
2002.8.
暑中お見舞い申し上げます。
オレゴンの夏はご存知のとうり、とても過ごしやすいさわやかな日々です。
我が家の畑にはズキニ、いんげん、きゅうりがなり始め, 収穫するときはとっても幸せ。
といっても雑草の中の畑で、ささやかなものです。
そのむかし馬場純平という方が家に下宿しておられたとき、トマトを栽培してくださり、
おおきなトマトが沢山とれました。
「純平トマト」と呼んで、みんなで賞味しました。 その時に「トマトは寝せて植えるのだ」と教えてもらいました。
根の部分だけではなくその上の茎の部分まで、全体を少し寝せるようにして土にうめると、その茎からも根がでて、
しっかりと根をはり、丈夫なトマトができるというわけ.…なのだそうです。
さて、マウンテンパーク便りの夏号が届いた頃とおもいます。
私はそのなかで「六歩ごとのいけにえ」という事を書かせていただきました。
そのあとすぐに7月18日のインターネット朝日新聞で次のような記事が目にとまりました。
「ソウル北方にある北漢山国立公園のトンネル貫通計画に反対している仏教僧ら約70人が
18日、計画変更を訴え、3歩すすんでは、ひざまずいて礼拝する「三歩一拝」で行進した。
猛暑のなか、7時間以上かけて約3キロ離れた総本山の寺までつずけた。」
なるほど、というか、なんというか、似ているなとおもいました。勿論仏教におけるその意味とか
由来とかは全く知りませんので、外面的なことだけですが。私達クリスチャンはこういうような他宗教の儀式、
慣習を聞くとき、なにか意味のない馬鹿げたことのように見てしまうことが多いのではないでしょうか。
でも、クリスチャンが失ってしまったなにかを、それらの中に発見する事があるように思えるのです。
日本に行ったとき、ある神社で、新車のお払いをしているところを目撃しました。
自動車の前で夫婦らしい人が神妙に頭をたれ、神官がお払いをしている姿は、
まさに漫画の一場面のようだとその時は思ってしまいました。 でも今はそうは思いません
。私達はイエスさまの血潮を家族にも車にも霊的にふりかけることによって、
悪しきものから守っていただけることを学んだからです。
聖歌425番に「力ある主イエスの血、うけよ、今うけよ。」とあるように、
私達も真に力のあるイエス様の血潮を毎日うけたいものです。
それでは今日はこの辺で。 暑さに負けずに主を讃美しましょう!