家族旅行  蹈鞴の里
          
島根県飯石郡吉田村に行く
        2002.06.22(土)
        
        
往:ANA813便羽田11:10−
           復:ANA820便米子20:10−

      
 
                
            吉田村:鉄の字が迎える
              
              
      人類が月にいった時、木の棒をつついて畑に種まきをしていた人々が
      いました。鉄を知ったか、知らなかったかで人間の行動は大きく変わりました。
      果てしない好奇心、欲望、闘争心、鉄はそれらをすべて可能にしました。
      日本がアジアでこれほど飛躍できたのも、良質の砂鉄、豊かな
      森林をはぐくむ温帯モンスーンの気候が豊富な鉄を供給出来たからではないでしょうか。

      その日本の鉄の供給源、山陰で往時の様子が偲ばれるという菅谷山内を訪ねました。
      菅谷山内というのは製鉄業者が仕事に従事し、生活するところで、およそ5平方キロあり、
      分かりやすくいうと一つのミニ国家を形成していたそうです。
      中心は ”高殿”と呼ばれるたたら製鉄が行われた所で、全国で唯一ここだけに残っています。
                              
                            
                    高殿(江戸時代末)
      萱葺きの屋根です。いくら屋根を高くしたといっても、三日三晩に渡って
      火をガンガン焚いたのですから、火事とは縁がきれなかったそうです。
      この建物は唯一残った歴史の証人です。
      
脇から見た高殿
                                 

 
村下坂:村下にのみ通行が許された
 ムラゲときくと朝鮮の言葉では?と思われます。
 鉄の渡来との関係があるのでは?

村下屋敷

元小屋(事務所だった)


ケラを粉砕した小屋(水車を使った)



金屋子神化粧の池
                                   (たたらの神様:金屋子神は女神様でした)
                                   思っていたよりチャチイかった。


 
       展望台から菅谷山内を望む                高殿より村下屋敷を見る


  

 

        道に沿った山内の家並みは山内生活伝承館のある高台から見ると往時が偲ばれます。
        でも近くで見るとある家は瓦葺で二階家になっていたりで、確実にたたらの
        世界は過去になっていました。

        ここに来る前に ”鉄の歴史博物館”で昭和45年に作られたたたら製鉄の映画を
        見てきました。最後となってしまった村下の指揮で炉が作られ、砂鉄からケラが
        つくられる様子が丁寧に記録されていました。
        村下というのはたたら製鉄の技師長ともいうべき人で、その技術は一子相伝で、
        ケラが出来るかどうかは彼の腕一つにかかっていて、非常に権威があったようです
        (例えば高殿の中では村下のみ下駄をはいたとか、村下しか通ることが許されない
         村下坂がある)。またその技術は非常に秘密主義でこれが最後となるであろう
        記録映画の撮影の際も公開を拒んだくらいだそうです。
        この ”鉄の歴史博物館”の玄関前には、昭和45年の映画製作時に出来たケラが
        展示されていました。
                           
    ケラ       最後の村下                                

“鉄の歴史博物館”から見た街並み
  

   
   往時を偲ばせる、 田部長右衛門家の蔵群。つきあたりがお屋敷。
   往時、蔵の中には玉鋼が山のように積まれていた。
   私が吉田に行ってみたいと思ったのは、歴史の上では過去となりつつある
   日本一の山持ちの方がどのようにお住まいになっておられるか・・・
   見てみたかったのです

        以前新聞で田部家のお嬢さんが資料館の学芸員さんになっている話しを
        読みましたが、
        この吉田村の町おこしの中心となっているたたら製鉄の歴史的保存は
        当然田部長右衛門家が中心になって行われていると思われます。
        実際に二十世紀初めまで稼動していて、その後急激に過去の遺産と
        なってしまった、各種の施設をみていると、それを守る文化的意義を
        心から感じました。

     吉田村からの帰途、亀嵩という駅の駅舎の蕎麦屋に寄りました。蹈鞴の里では
     何も食べるものがなくてお腹ペコペコだったのです。
     あまり期待はしていなかったのですが、美味しかったです!
     私達が知っている蕎麦とは違って蕎麦湯に蕎麦が浸かっていて、汁は好みにおうじて
     かけて食べるのです。蕎麦本来の風味があって本当に美味しかったです。
     またここは松本清張の ”砂の器”の舞台になった所だそうで、何枚か
     写真が飾ってありました。そういえば・・・亀嵩という変わった名前、読んだような気もします。
     すっかり忘れていました。
     店でお手伝いをしていた男の子が少年時代の主人公のような気がしてきました。

     帰り道、 ”和鋼博物館”に寄りました。
     時間が過ぎていて、記念写真だけ撮ってきました。
     前回来た時に寄りましたが、ここは絶対にお勧めのところです。
     

     車に乗っていて気になったことがあります。
     たいして交通量のない道路なのに、ゆるいカーブを直線にする道路工事が何ヶ所も
     行われていました。長野県の田中康夫知事のダム問題と同じことなのでしょうが、
     地方では公共土木工事にしか経済の活性化は図られないのでしょうか?
     日本列島改造論で突き進んできた日本の根本的な構造改革が必要なようです。
       

      同行者がHPにいち早く載せています。
      こちらの方がよく分かるので併せてご覧になって下さい。
        http://www7.plala.or.jp/sh_kiku/yonago.htm