2000.06.10―11
往:羽田ANA19便ー伊丹
復:新幹線京都駅19:30頃ー
泊:奈良ホテル
えっ、いつもと違うと思いませんか?
そうです、すごいドジをしました。
往きが伊丹空港でしたので、帰りも伊丹と、チケットを見もしなかったのです。
そうしたら、何と関空で取っていたのです。
奈良市内が渋滞で伊丹に着いたのが、5時半過ぎでした。
そこで間違いに気ずき関空をキャンセルして、伊丹のキャンセル待ちにしましたが
もらった番号が59、60.
これはもう乗れないと思いましたが、まぁ、待つだけ待ってみようと・・・
6時ギリギリの頃、”59番のお客様”の声。
”あき子は明日、会社があるのだから、乗っていきなさい!”
”お母さんこそ、疲れているのだから、乗っていって!!”
”お客様、お早く願います!!!”
結局、あき子が地上スタッフの人に連れられて駆けていき、閉まったゲートを、
開けてもらい18:00を少々オーバーした便で帰りました。
私はそれからバスで京都に出て、新幹線に乗りました。
席に着いて荷物を直していたら、奈良で買っておいた゛柿の葉寿司”とペットボトルのお茶が
入っています。
あき子はあのドサクサの最中にちゃんと私の弁当を入れておいてくれたんだ(^^)(ウルウル)
山辺の道が先になりましたが、10日の日は室生寺に行きました。
伊丹からバスで天理にいきそこからJRで桜井に出て、そこから近鉄で室生寺口へ。
そこからまたバスで室生寺へ。

35年も前に来た時とは当たり前ですけれど、大いに変わっていました。
”ディスカバージャパン”の功罪です。
辺鄙な所で、本数の少ないバスを待つのがとてもたいへんでした。
人里はなれた竜神の棲む処・・・そんなイメージがピッタリだったような処でした。
すっかり観光地化されて景色も明るくなっていました。昔のままがよいというのではなくて、
観光地とはこういうものです・・・というように日本全国何処もかしこも一律化されてしまった
ことが残念です。
あの可愛い五重塔は先年の台風のおり被害を受け、修復中で、青いビニールシートに
覆われていました。杉の大木も何本も倒れていました。
それと天理市は凄いです。電車が街に近ずくにつれて、大きな建物が増えてきて
それがみんな、お寺の屋根みたいで、屋根の下はストンと長方形で・・・
天理教の信者さんの宿坊なのです、それも各県ごとに宿坊が決まっているのでは
ないでしょうか。街全体が大きな宿坊という感じでした。
伊丹からバスに乗ると生駒の山を越えて間もなく平城京の復元された朱雀門が
目に入ってきます。
”あぁ、奈良にきたんだな・・・”と、心がふるえました。
奈良時代の人もきっと心がふるえたと思います。
次の日はいよいよ山辺の道です!
全部は無理なので、まず環濠集落へ。

近鉄 てくてくまっぷ 10
近鉄は歴史地区を走っているだけに、ハイキングマップはとても充実しています。
”てくてくまっぷ”シリーズは100くらいあるのではないでしょうか?
近在の方は全部集めて、完走したらいかがでしょうか!羨ましいです。
私達ははじめに菅生(かよう)町環濠集落に行きました。
当然山辺の道を通ってです。このような細い道が延々2000年近く人々に
よって歩き続けられたことに感動しました。
環濠集落は中世、夜盗から村を護るために村の周囲に堀を巡らしたものです。
堀のある部分は古墳の堀がそのまま使われていて、
さすが゛大和”です。
面白かったのはこの辺では古墳のテッペンまで耕されて、畑になったり
柿木が植えられていました。歴史的に大事でない古墳なのでしょうが、それほど
いっぱいあるということでしょう。
さすが”大和”です。
現在では堀の一部は埋めたてられて児童公園になったり、モータープールに
なっていました。
この環濠集落もたくさんあったのでしょうが、完全な形では菅生と竹之内だけになって
しまったようです。文化財指定下では住んでいる人もたいへんだと思います。
改築の時は勿論、道幅も狭くて車社会の現代では住み難くそうです。
なによりも常に観光客が絶えず侵入します。
そして観光客の私は、素晴らしい景観に感動しました!

環濠集落の後は道を戻り、長岳寺へ。
ここでは重文に指定されているお部屋でそうめんを頂きました。
薄口のだし醤油の汁が、絶品でした。
帰ってからこの味にはまり込みました。
その後、崇神天皇陵、黒塚古墳を通り帰途につきました。
山辺の道は高校の頃から憧れていました。いつか完走したいものです。