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祭神:上毛野君田道命・かみつけののきみたみち)
仁徳天皇の勅命をうけた上毛野君田道命は、蝦夷征討の途中戦死し、葬られた所が南部鹿角郡猿賀野(秋田県鹿角市)であったという。その後、洪水で白馬に乗った田道の霊がこの地に流れついた。
807(大同二)年、坂上田村麻呂が蝦夷との戦いで苦戦していた時、田道の霊に導かれて勝利に至った。「深沙宮・しんじゃぐう」として祀ったという伝承がある。 |
「猿賀神社縁起」 : (図説・青森県の歴史 河出書房新社 刊 より)
蝦夷に破れた上毛野君田道将軍の霊が、欽明天皇二十八年の洪水に際して白馬に乗って猿賀の地に流れ着いたという伝説が記されている。 坂上田村麻呂伝説などと同じく後世の仮託であろう。 |
日本書紀 仁徳天皇五十五年
蝦夷が叛いた。田道を遣わして討たせた。しかし、蝦夷のために破られて、伊峙(いじ)の水門(みと)(石巻か?)で死んだ。従者が田道の手に巻いていた玉をとって、その妻に与えた。妻はそれを抱いて縊死した。時の人はこれを聞いて悲しんだ。この後また蝦夷が襲って人民を掠(かす)めた。そして田道の墓を掘った。すると大蛇がいて、目を怒らして墓から出て喰いついた。 |
日本書紀 欽明天皇二十八年
国々に大水が出て、飢える者多く、人が人を喰うことがあった。近くの郡の穀物を運んで、救い合うこともした。 |