宮城県・涌谷町


    黄金山神社

 ● 続日本紀 より、

45代・聖武天皇   天平二十一年天平勝宝元年(749)

二月二十二日 陸奥国からはじめて黄金を貢進した。

 夏四月一日 天皇は東大寺に行幸し、盧舎那仏の前殿に出御。天皇は勅して左大臣・橘宿禰諸兄(モロエ)を遣わして大仏に次のように述べさせた。
『三宝(ほとけ)の奴としてお仕え申し上げている天皇の大命(おおみこと)として、盧舎那仏像の御前に申し上げよう、と仰せられます。この大倭国では天地の開闢以来、黄金は他国より献上することはあっても、この国にはないものと思っていたところ、統治している国内の東方の陸奥国の国守である、従五位上・百済王敬福(くだらのこにきしけいふく)が、管内の小田郡に黄金が出ましたと申し献上してきました。これを聞いて天皇は驚き喜び貴んで思われるに、これは盧舎那仏がお恵み下さり、祝福して頂いた物であると思い、受け賜わり恐(かしこ)まっていただき、百官の役人たちを率いて礼拝してお仕えすることを、口に出すのも恐れ多い三宝御前に、かしこまりかしこまって申し上げますと申します。』

従五位上・百済王敬福に従三位を授けられた。
四月十四日 天平二十一年を「天平感宝元年」とした。






大伴家持歌碑
 ● 『万葉集』巻18の大伴家持の長歌・短歌

陸奥国(みちのくのくに)より金(くがね)を出だせる詔書(みことのり)を賀(ことほ)く歌一首。

 葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らしめしける すめろきの 神の命の 御代重ね 天の日継と知らし来る 君の御代御代 敷きませる 四方(よも)の国には 山河を 広み厚みと たてまつる 御調(みつき)宝は 数へ得ず 尽くしもかねつ 然れども 我が大王の 諸人(もろひと)を 誘(いざな)ひ賜ひ 善きことを 始め賜ひて 金(くがね)かも たのしけくあらむ と思ほして 下悩ますに鶏(とり)が鳴く 東(あづま)の国の 陸奥(みちのく)の 小田なる山に 金ありと 奏(まう)し賜へれ 御心を 明らめ賜ひ ・・・・・・・・・

 『天皇の御代栄えむと 東なるみちのく山に 金花咲く』
(すめろぎのみよさかえむと あずまなる みちのくやまに くがねはなさく)
  


 

 柿本人麻呂 歌碑

 「東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えて かへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ」




  何故か?柿本人麻呂の歌碑が。









  


 「天平ろまん館」
   涌谷町涌谷黄金山1−3
   電話:0229−43−2100

  『金山の歴史。砂金採り体験ができる。』