オーストラリアにやって来た訳。
気がつけば、5年以上もこの国に住んでいる。 あっと言う間といえば、あっと言う間だし、長かったといえば、そんな気もする。
もともとは、96年の2月“ワーキングホリデー”というビザで来豪。 4年弱働いた会社をやめ、1年間の滞在予定でやってきた。 本当はアメリカに行きたかったのだが、留学できるほどお金がたまらなかった。 それもそのはず、お金を貯めると豪語していたが、私の性格からして欲望を押さえられるはずもなく、年に1回は海外旅行をしてたし、連休となれば近場の温泉等に泊りがけで行ったりしていたので、両親ですら、海外に留学したいとの私の言葉を真に受けることもなく、ただの戯言と聞き流していた。
そもそも、どうして海外で生活をしたいと思ったのかといえば、日本で働いている時、英語が必要な部署に配属されたのがきっかけだった。 はっきり言って、英語が苦手であった私がなぜこの部署に配属されたのかは、いまだに疑問ではあるが、配属されてしまったのだから仕方がない。 高校生の頃の成績表をみても、英語の成績は10段階評価の5より上に上がった記憶がない私は、外人から電話がかかってくると、速攻先輩にまわしていた。
それも、新入社員のうちはよかった。 ところが入社して1年が経ち、私に後輩ができてしまった。 上司にもいい加減、慣れてくれと懇願されてしまう始末。 確かにこのままではまずいと、新宿の某英会話教室に通い始めたのである。 行ってみると、最初はなかなか楽しく、週に2回くらいのペースで通いはじめた。 なんとなく効果が表れはじめ、外人からの電話が怖くなくなっていた。 このままいったら、英ペラになっちゃうんじゃないの?などと調子づいていたりしたが、落とし穴が待っていた。 そう、私は根っからの“なまけもの”だったのだ。
だいたい、どうして新宿の英会話教室に通っているのか、後から考えれば無理のある話で、会社は新橋、家は神奈川県のF市。 普段JRを通勤で使っていたので英会話教室に行って帰宅するには、新橋−新宿−品川−自宅の最寄駅というルートで帰らなければならなかった。 だから、クラスが9時半に終わるとすると家に帰るのが11時を過ぎてしまうのだ。 仕事が終わってそのまま家に帰るとすると新橋から乗り換えなしで電車1本で帰れる。 そんな気持ちが私のなまけ心を刺激するようになると、新宿の英会話教室への気持ちはどんどん遠のいていった。 しかも私の通っていた英会話教室は予約制で、都合のいい時に行けるというのがウリだったが、1度予約をのがすと、どんどん足が遠のくという弱点もあった。 でも、それはなまけものの私だからこそ弱点となったのだろう。
そして、もう一度よく考えてみた。 なぜジェネラルマネージャーもスーパーバイザーも英語がはなせるのか…? そうだ、GMはシカゴに4年、SVはハワイに17年も住んでいたんだ! これは、行ってしまえばいいのだ!という結論にたどり着いた。 ところがアメリカ、アメリカと思っていた私の貯蓄は、アメリカに行くにはかなり心細かった。 しかし、思い立ったら吉日なのであと1年のばすこともしたくなかった。 そこに“ワーキングホリデー”という制度の情報を得た。
なんとこの制度は、働いてもいいとのこと。 条件はあるけど、働けるのなら都合がいいではないか。 そして、この制度があった国は当時、3カ国。 「オーストラリア」「ニュージーランド」「カナダ」。 そして私はカナダとニュージーは寒そうという理由だけで消去し、オーストラリアという国を選んだ。
…ちゃんと下調べをすべきだった。 シドニーも冬はやっぱり寒かった。 とほほ。 でも、今もなお、ここにいるということは、案外相性がよかったのかなあと思ったりもして、正解だったと思うことにしている。
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