10月19日〜30日まで、親父の仕事について、北から南へ出張してきました。
おおまかな日程
19日 厦門―大連 大連泊
20日 朝工場の社長と会ったあと、空港で親父と合流 大連―丹東 丹東泊
21日 現地の日本の人と長城、朝鮮との国境などを観光した後、仕事の話 丹東泊
22日 丹東―鳳城 検品、商談 夜偉い人たちと食事 鳳城泊
23日 建設中の工場や、高速道路を見学した後、鳳城―丹東 丹東―上海 上海泊
24日 外灘、東方明珠、豫園などを見学 取引先の会社へ 外国系の大型デパートを見学 上海泊
25日 朝また違う外国系の大型デパートを見学したあと上海―杭州 すぐに杭州―徳清 徳清泊
26日 取引先の会社へいって工場見学 検品 徳清―杭州 杭州泊
27日 雨のなか西湖を散歩したあと杭州―厦門
28日 取引先の会社へ検品、商談
29日 予定外の工場へ
30日 朝商談後、親父帰国
訪れた場所 大連、丹東、鳳城、上海、杭州、徳清、厦門、同安
夕方6時ころ上海浦東(プートン)空港到着。
親父の日本での取引先の会社の上海支店の黒田さんという方がわざわざ迎えにきてくれた。
この人は福島の方で、田舎っぽい兄ちゃんって感じでめっちゃいい人。
結局この方との直接的な仕事の用事はなかったのですが、上海での2日間を十分すぎるほど世話していただきました。
ちなみにこの黒田さんは上海に来て5年くらいで、自学で中国語を勉強したみたいで、決して流暢とはいえないが、しっかりと意思の疎通ができてます。
しかも上海には「上海語」があって、混ざってるらしいです。
本人いわく「意思が通じればいい」とのこと。
ホテルへ向かう高速の中で、いろいろ話をして、上海のことをいろいろ話しました。
上海は変化が非常に頻繁で、3ヶ月もたてばガラッと変わってしまうこともあるらしい。
ふつうだと「このへん数年前は不便だったんだけどねぇ...」ってのが、
「このへん『数ヶ月前』は不便だったんだけどねぇ...」みたいな感じ。
たとえば道路とかバイパスとかを建設すると決まったら、すぐに用地の手配がはじまって着工されるみたい。
用地の手配とかは、日本だとすぐに住民運動が始まってしまって、まったく進まないでしょう。
上海では日本と違って、都市の発達が最重視されてるのでしょう。
上海では都市の変化だけでなく流行の流れも速いらしい。
厦門では日本の流行がけっこう何年か遅れて入ってきたりするのが、上海ではほぼ同時らしい。
流行についていくのも大変みたい。
カラオケに日本の歌とかいっぱいあるみたいなので、うらやましい。
30分ほど道に迷ってやっとのことでホテルにつくと、黒田さんのパートナーである黄さんが迎えてくれた。
この黄さんも日本への留学経験があって、日本語はとてもうまい。
しかもけっこうな男前で、黒田さんは何かにつけて「黄は日本でいい思いしてるから…」と、なんか含みのある冗談を連発してた。
そのあとホテルからちょっとはなれたちょ〜でっかい有名なレストランへ。
ちょっと詳しく覚えてないが、このレストラン外人さんが開いたらしく、でっかい建物に1階2階と席がたくさんあって、単純計算で1ヶ月の売上がかるく数億にのぼるらしい。
かなり有名らしいからもしかすると旅行で行ったことある人がいるかも。
ここではかなりいっぱい話をしました。

一番右が黒田さんで、左が黄さん
食事のあとバイパスを通ってホテルへ向かう途中、上海で一番高級なマンション地帯を眺める。
ここには「趙薇(ザオウェイ)」という有名な女優が住んでいて、ここのガードをしてるのはすべて170だか180cm以上の女性で、馬に乗って見回りしてるらしい。
でも黒田さんは、それはただのファッションであり、馬に乗ってても役立たないだろうっていってた。
確かに泥棒追っかけるのに馬で追っかけたら、細い道に逃げられたり、方向転換されたらあっさり逃げられちゃうだろうしね。
黒田さんは話し好きで頭が切れて、なかなか的をついた冗談を次々といってくる。
口ぐせは「酒とタバコは大好きだけど仕事は嫌い。女性は好きだけど縁がない」、
「遠い地に行くのがいやで福島にとどまったのに、まさか上海へ行くことになるなんて」
「おれの仕事は黄にはさせられないひどいのばっかり」etc...
もう決まり文句って感じね。
ホテルに戻った後はすぐ寝ました。
この日はマジでいろんなところをたくさんまわりました。
外灘―東方明珠―黒田さんの会社―飯―豫園―ISETAN―飯ってな感じです。
まず黒田さんの案内で外灘(ワイタン)へ行く。
外灘ってとこは、新開発地区みたいです。
昔のヨーロッパの立派な建物がたくさん残っていて、でっかい豪華なのはほとんどが銀行になってる。
特に上海浦東開発銀行の中は、宮殿みたいになってて、めちゃめちゃ豪華らしい。
一般人は入れないのだが、何億円レベルのものであふれてるらしい。
電球一つでも何万円もするらしい。
で、このあたりから川をはさんだ向かいには、世界中の大企業の看板がずらりと並んでて、世界有数の大都市であることを改めて思い知らされる。
この広告もオークションみたいな感じで権利を手に入れて、ひとつの看板で年間何億円もかかるらしい。
そのあと東方明珠っていうでっかいタワーへ行く。
この丸い部分までのぼることができて、確か上の部分で363mだったと思う。
エレベーターは7m/sの高速で、内臓が変な感じになってしまいます。
ちょうど同時にご年配のツアー団体がいたので、心の中で大丈夫かなぁとか思ってました。
そうそう、その中の2人のおばちゃんがなんか「外人がいるわよ」みたいな目つきでめっちゃじろじろうちらを見ながら「どこ人かしら」みたいなこといってたので、日本人ですっていったらなんかいきなりすげぇうれしそうな顔して「うちの娘が今仙台にいるの」って話し掛けてきて、「日本はどうなの?危なくない?仕事は大変なの?」とかいろいろ聞いてきたので、けっこう話し込んでしまいました。
やっぱり親は子供のことが心配でたまらないんでしょうね。
こういう出会いってすごい大好きです。

こっからの景色はすごくよかったです
このあと黒田さんの会社に行ったあと、日本食屋に行く。
店に入ると日本人の若者4人がいて、留学生かなぁとか思って、一人で勝手に親近感を感じてました。
カレーとかカツ丼とかがあって、味もなかなかよかったです。
この時間帯日本から親父への電話がかかりまくって、落ち着けなかった。
ここで黒田さんが仕事があるとのことで案内を黄さんと交替して、黄さんの案内で豫園へ行く。
この豫園っていうところ自分ははじめて聞いたのですけど、かなり有名なところらしいですね。
ここは日本でいう京都みたいな感じでのところで、古いお寺風の建物がいっぱいあります。
でも京都と違ってかなり商業化されてて、ほぼ全部お店になってます。

ここでルイ・ヴィトンが安かったので、土産として買おうかと思ったんですけど、なんと値切りに失敗してしまいました。
何ヶ所かで値段を聞いたり交渉したあと、一番安いところへ行って買おうと思ったら、2回目は相手にしてもらえなかった。
さっき買わなかったくせにまた来やがったって感じで、どうやら怒らせてしまったらしい。
その店はかなり安かったので、ちょっと残念でした。
ちょっと買い物をした後、小龍包(ショーロンポー)で一番有名という「南翔饅頭店」で小龍包をたべる。
確かにおいしかったが、値段も高く、店員の態度が悪かった。
黄さんがいうには、すごく有名になったから、黙っててもお客が来るので、態度が悪いらしい。
ちなみに親父はずっと作り方の実演を見ていた。
おそらく日本で作るのではないかとはっきりと予想がついた。
そのあと飯にはちょっと早いということで、ISETANへ行く。
基本的に日本と変わらないが、やはり店員は多い。
ここでBOSS7が売ってたので2本購入。
8元(120円位)だから日本と同じくらい。
買い物後飯へ。
この飯ではとにかく話しまくった。
仕事のこととか、世界情勢のこととか、中国のこととか、とにかく長くて3時間くらい途切れることなく話してた。
その中で特に興味を引かれたのは、「次の市場」についてだった。
一般的に今一番の市場は中国であり、その後はベトナムあたりの東南アジアといわれていると思う。
で、黒田さんたちの話では、次はインドであるという。
つい何ヶ月か前、インドでの携帯電話の商売の権利の落札みたいのがあったみたいなのだが、その12,3個の会社の中で、日本でその権利を獲得したのはNTTの1社だけだったらしい。
黒田さんはこれは日本の大きなミスであるといっていた。
世界第2位の人口を誇るインドに携帯電話が普及し始めれば、その収益は莫大なものになるはずであり、そのシェアに大きく踏み込むことのできなかったことは、将来日本にとって痛手になるであろうといっていた。
これは企業レベルの問題ではなく、国の政策として扱ってもいいくらいのレベルであるとも言っていた。
確かにいわれてみればそうかも。
ちなみに大半はアメリカで、その他はヨーロッパ諸国らしい。
やっぱり先が見えてて、それを実行できる力があったといえるのかも。
飯のあと日本の歌があるということでカラオケに行った。
でもみんな疲れてたので、おれが「ここではない、どこかへ」を歌ったところで、すぐ切り上げました。
ちなみにこの夜親父が酔っ払って、おれの服を洗いまくってしまいました...。
しかも乾かんから着れないし、半乾きのままにしておいたからくさくなってしまってたまらんかった。
かなり疲れた1日でした。
この日は朝から「METRO」と「カルフール」っていう外国系のデパートをみた後、日本料理屋でラーメン食って、電車に乗って杭州へ向かいました。
ちなみに「上海南駅」から乗ったんですが、「上海南駅」っていうからどれだけ立派な駅かと思ったら、古しいおんぼろの駅でした。
どうやら立派なのは「上海駅」だけらしい。
確かにえらい人たちは電車使わんからとりあえず中心の駅だけ立派にしとけばいいのかも。
黒田さんと黄さんにはほんとにお世話になりました。
感謝感謝。
杭州につくと、2人の男性の方が出迎えてくれて、車でホテルへ。
社長さんは忙しくてこれないから、通訳の陳さんと運転手の人が来てくれた。
この陳さん、なんとおれと同い年。
この年で通訳としてバリバリやってて、なんか自分が甘えてるように思えてしまって、思わずちょっと尊敬してしまった。
ホントは直接検品に行く予定だったが、予想以上に遅くなってしまい、次の日に。
この日は鍋食ってすぐ寝ました。
朝8時に出発して工場へ。
なんとそこには工場らしからぬ立派な建物の事務所が。
工場の設備もかなり整っていて、今までみたことのないハイレベルの工場。
かなり業績が良いのだろう。
まず事務室で社長さんたちとお話をした後、工場見学へ。
ちなみに陳さんは社長さんと親父が話をしてる間、紙とペンを持ってしっかり勉強してました。
おれも見習わねば。
この事務室の隣にある工場は、本工場みたいなもので、ほかにも十数か所に工場があるらしい。
ということで検品のためその中のひとつの工場へ行くことに。
その前に飯。
ここでこの社長さんの成功の源を発見。
日本と取引するにあたっての考え方である。
この社長さんの考え方は、日本の考え方に限りなく近く、「お客様第一」、「品質はあくまで日本からの基準に応える」、「お客様からのクレームはすべてうちの責任」といったような感じで、見事なほどである。
実際検品にいってみると工場も良く、品質も良い。
この成功もうなずける。
ただここの欠点は値段が高いのだ。
設備にお金をかけてるし、いい品質を作ってるからなのだが。
ちなみに逆を言ってみれば、普通のところは値段は安いが、設備も品質もあくまでその値段なりのレベルなのだ。
安心して取引できそうな、おれとしてもうれしい工場である。
検品が終わると違う工場へ見学にいったりして、もう夕方になったのでホテルのあたりに戻って食事。
この席でも親父は酔っ払って、帰りにはウェイトレスに分けわからん中国語はなしたりしてた。

この右の人が陳さん
飯のあと観光地として有名な「西湖」を散歩。
ボートとか、食い物売りの人たちにいっぱい声をかけられてうざかった。
このへんはこっちの良くないところである。
観光地では、場所はいいのだが、そこで商売してる人たちがうざいのだ。
せっかくのきれいな観光地なのだから、この辺の管理をしっかりしてもらいたいものだ。
そのあと陳さんたちと別れてホテルへ。
長かった出張もすべての仕事を終え、最後の日を西湖でゆったり過ごそう。
と思ってたら朝から雨。
がっかりである。
でもこのままホテルの中にいたまま帰るのではなんかもったいないから半ば意地でボートに乗る。
しかし小雨ちらつく霧がかった湖というのもなかなかいいものである。
1時間ほどゆったりとボートに揺られたあとお土産を買いに。
ところが何もいいものが見当たらん。
仕方ないからそのまま飯食って空港へ。
なかなか立派な空港から厦門へ。
やっぱり厦門に戻ってくるといいものである。
このあと厦門に帰ってくると厦門での取引先の人が迎えにきてくれて一緒に食事へ。
28,29日はゆっくりする予定だったのだが、親父の希望で工場行ったりして結局忙しかった。
なかなか中身の濃い充実した出張でした。
30日午前取引先の会社へ行って商談したあと、うちに帰ってきて親父の荷物の整理。
ここで親父のバックから「衣服圧縮袋」出現。
まさに遅れてきたヒーローである(ちょっと違うかな?)。
かなり早めに空港に着くと、荷物の重量オーバーのため、荷物の積み替えをするハメに。
もし早めに着いてなかったらと思うとゾッとしてしまう。
ねっ、えんどーさん!
とにかく移動が多くて疲れました。
でもいろいろといい経験になったと思います。
やっぱり中国はでかいです。
いいところもいっぱいあります。
もしだれか遊びに来る機会があったらぜひきてください。
僕がツアーより面白い経験へと案内しましょう!
はぁ〜、つかれた。