李 朴太郎(34)は、どのような野郎か


*在日韓国人とよく勘違いされまつが、漏れは日本人ニ・・・です。



えっと、まず、ここにはハン板経由で来られている方が殆どで、ガイシュツではありますが一応プロフを書きまつ。


2chは3年ほど見ていますが、ハン板を知ったのは2年前くらいでつ。それまではラウンジやニュースでギャグを
書き込む程度だったのですが、とあるニューススレのリンクからハン板の存在を知りました。

さて、漏れは名古屋在住の日本人で、先祖は赤穂藩の流れを組む家系です。曾祖父さんは明治天皇の近衛隊に
所属し、今でも本家に行くと馬に乗った曾祖父さんの肖像画をみることができます。

現在、漏れは在日韓国人が経営する企業に勤めています。前職は不動産関係の会社だったのですが、これも在日
社長が経営してました。どちらもそれと知らずに入社しました。

漏れ個人は在日朝鮮・韓国人には特別の感情はないです。同僚に在日がたくさんいるのですが、友人もいれば嫌いな
奴もいます。社長に関しては、会社が親族経営なので社長一家の仲違いに職場を巻き込んだり、時折火病を発症
してわけのわからない人事命令を出す事にウンザリしています。社長は2世、会長が1世。この二人が仲が悪く、
いつも喧嘩しては機嫌が悪くなり、社長室がある総務部に戦慄を走らせています。経営は社長一家の利益が会社の
利益より優先されるために、一般企業には永遠になれない宿命を背負っています。
出世でも在日の人や社長の縁故がある人が優先されます。しかし無能な人を管理職にするために起こる弊害は
図り知れず、本当に利益を追求したいのかと小一時間問い詰めたくなる事もしばしば。
この会社もご多分に漏れず、駅前の一等地に社屋があります。どうやって入手したかは社史に載っておりません。

そんなわけで、漏れがハン板住民だと社内の人間にバレると非常に都合が悪いので、一部迷彩するために事実を
変えていますがご容赦下さい。

会社の愚痴はこの辺にして・・・・w


漏れは高校時代から左翼青年で、ロシア革命からの共産主義の本などを読み漁り、極左組織の集会などにも顔を
出したりしていました。しかし、その場にいる連中のあまりに稚拙な主義主張にゲンナリし、それまで左翼はインテリ
だと思っていたのですが、単に理想主義の近視眼的オナニーであるとの認識を持ちました。それまで意味もなく毛嫌い
していた日本神道や戦前の日本を見直そうと勉強をやり直し、その結果どちらの主張も一長一短だという結論に
至りました。かといって無責任なリベラルにもなれず、もう何を信じて生きればいいのか、青年の漏れは狂おしく悩み
ました。

20歳の時、ある本に出会い、インドにいけば何か掴めるかもしれないと考えました。でも漏れは宗教を意味もなく
毛嫌いしていましたので、毛嫌いする前に勉強しなければと思い図書館などで各宗教の基本を一通り勉強しました。
今考えると自習が好きな漏れでした。学校の授業などはロクに聞いてませんでしたが、自分で興味を持った事は
トコトン調べなければ気が済まない性格だったようです。

そんで、当時オウム真理教が有名になりつつあり、色んな宗教を訪れた(入信はしてないが)末、ついにオウム真理教
名古屋支部を訪問したのでした。

オウムに辿り着くまでには色々経緯がありました。仏教のルーツも神道のルーツの一部もヒンドゥー教が発祥となって
おり、さらに日本の死んだ仏教と違い、ヒンドゥーは今も生きた宗教としてインドで愛されている事に興味があったので
す。そしてヒンドゥーの本を片っ端から読みましたが、ヒンドゥーは非常に多彩で解釈もたくさんあり、どこを基本として
捉えればよいのか悩んでいました。そんなとき、本屋の片隅にオウムの本があったのでした。

一般的にはオウム真理教はテロ集団として認識されていますが、古代仏教やヒンドゥー教関連書籍の翻訳など、
今まで日本語で読めなかった本を読めるようにした功績は認めてもよいと思います。漏れも随分助けられました。
そして日本人がヒンドゥーを理解する足がかりとしてはもってこいの解説書だったのです。

そんで、もっと面白い本はないかと、名古屋支部の道場に行った漏れでしたが、案内役の女性信者のヒンドゥー
知識や理解は、ガッカリするほど浅く、これが幹部なら程度が知れるなと思いました。そこで本だけ買って修行体験
や入信は断り、パソコンも買わされそうになりましたがそれも断りました。麻原の宗教観は、途中までは非常に優れた
物だったのですが、教団経営に腐心するようになってからは被害妄想的になり、統合失調症そのものになっていきまし
た。瞑想修行(解脱)は失敗すると精神障害になります。彼は最終解脱者と名乗っていましたが、彼もまた失敗した
一人なのです。


オウム解説はこの辺にして・・・・w


ヒンドゥーのABCくらいは理解したんだが、それだけ〜じゃ困りますゥ〜ってなわけで、漏れは渡航費用を稼ぐため
に大学はサボりまくり、専らバイトバイトの毎日を送っていました。独自に論文を書いては教授に提出していたため、
なんとか卒業はできました。大学は論文を書く所。パブリックオアパーリッシュ作戦は成功したのでした。


さて在学中、バイト代もたんまり貯まった所でインド行きの航空券も手に入れ、とりあえずニューデリーに飛んだので
すが、その辺の話は「インド9億年の旅」に書きます。




大学に入る前、漏れは名古屋市内の進学校「K高校」に行っていたのだが、この進学は失敗だった。漏れは学校の
勉強などどうでもいい人間だったのだが、中学時代好きだった女の子がこの高校に行くと聞いてムリヤリ志望校を
そこにしたのな。(バカですなw)名古屋には学校群制度というのがあって、進学校は当時1群から15群まで、各々
二校が一組となって割り振られ、各群から志望を選択する。各群のどちらの学校になるかは決められないという、
生徒に何のメリットがあるのかサッパリわからない制度なのよ。だから例え合格しても、その女の子と同じ学校に
行ける確率は1/2。

んで、合格してみると肝心の彼女は別の学校。漏れはただ一人、大学受験しか興味がないような連中と一緒に侘しい
ハイスクールライフを送ることに。授業はロクに聞いてませんでしたが、テストの点だけはなぜか取れていたので、
授業中自習してても寝ててもマンガ読んでても、先生はひたすら無視してくれました。おかげで気楽に過ごせました。


そんな漏れは一人で自力で海外旅行をするという目標を立て、やっと生きがいを感じてました。このへんの事は
「香港サイバー」あたりに書きました。


でまあ、すっかり海外旅行が癖になった漏れですが、就職した後もヒマを見ては東南アジアを中心にアッチコッチと
短い旅行を繰り返しました。しかし最近は仕事が忙しくて休暇を取れません。同僚がリストラされまくって人員不足
なので、漏れが休むと同僚の仕事が二倍になってしまうのです。そんでも無理言って今年3月に韓国に行く予定
だったのですが、SARS騒ぎで会社から海外旅行を自粛せよとの通達があり、断念しました。


今後の漏れの旅行予定ですが、タイと香港を中継地として、東南アジア再探訪、再々探訪をして、それに飽きたら
中東やアフリカに今後の生涯をかけたいと思ってます。

なぜだか昔から、アメリカやヨーロッパなどの先進国に行きたいと思わない漏れですた。
ホントに、なんでだろう。


2004年近況

韓国資本の会社に務めていますたが、社長病死により経営利権のゴタゴタで、務めていた支店が閉鎖となり退職

しますた。現在再就職の準備中でつが、まもなく社会復帰しまつ。インドから帰って来て心身とも、爽やかとはいえない

複雑なリフレッシュをしますた。最近HPの更新が頻繁だったのは、失業中で暇だったからでつw


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