インド人
       コルカタの街角を昼間っからヒマそうにほっつき歩く男。
       ヒンズースクワットが何かわからなかった本場インド人。
       路上床屋でサッパリした後15分も鏡を見ていたオシャレさん。



インド人。インドを知らない人は「ターバン巻いてるのがインド人」と考える。

インドを少し知る人は、ターバン巻いてるのはスィク教徒だけで、大多数のインド人はヒンドゥー教徒だと考える。

もう一歩踏み込んだ人は、ターバン巻いてるスィク教徒は、インド人の中でも信用できるタイプの人が多く、仕事も

確かだが愛想は悪いと考え、ターバンはその目印となる。



ターバンはスィク教徒がその信条から髪を切らず、しかしダラっと長髪を引きずるのもみっともないんで髪を編み、

それを包んで頭にのっけたものだ。少年は髪がまだ長くないので小さいターバンを頭に載せ、中年ともなると重そう

に感じるほど大きなターバンに膨れる。

スィク教はイスラムとヒンドゥーの融和を提唱し、身分差別に反対する。タバコも酒もご法度だが肉の摂取は

自由だ。軍人・警察官・タクシー運転手・洋裁店などで多く見かける。



例えばタクシーやオートリクシャーに乗るとき、数台の車が連なって一斉に客引きが始まるとする。その中で客引き

に出てこず、車の中でジッと待ってる男がいる。また、客引きに出るも、なんだか控えめで熱心さがない男がいる。

ターバンの男だ。客引きを華麗に無視して、控えめなのかやる気がないのかわからない男の後ろに乗り込む。

行き先を告げると適正な料金を言い、特に不満はない。そして男は黙って車を走らせる。道は間違えない。

わからない場合は念入りに聞いてくるか、他のドライバーに聞く。そして無事に到着し、言った通りの料金を受け取る

と、また黙って走り去って行く。



例えば洋裁店。混迷のバザールの中、スーツやワイシャツをディスプレイした小奇麗な店がある。そこにはターバン

の男がいる。日本語が達者な男もたまにいるが、決して「ミルダケヤスイ」などとは言わない。黙ってカウンターに

座り、こちらを値踏みする。そして客として適当だと思うとやや微笑む。これでもかとばかりに商品を並べたりせず、

こちらの要求を注意深く聞いている。ワイシャツが欲しいと告げると、極端に高くもなく安くもない、こちらのサイフに

見合った商品がいくつか取り出される。どれも質がよい。縫製に信用が置けないインドにあって、ボタンの取りつけ

具合を確認せずに服を買える。更に各種カードも使え、詐欺に発展する心配はない。




少々褒めすぎだし、ターバンの男が全部そうではないが、大体においてこんな印象だ。バンコクのサイアムにある

ノボテル(高級ホテル)の1階に、やはりターバン男の洋服店がある。そして評判がよい。日本の高級なインド料理店

(ディナーの予算5000円以上)の従業員もターバンだ。一度制服なのか訊ねたら、全員スィクだと言っていた。


後日確認した所、各種(牛・豚)肉料理を扱うためヒンドゥーやムスリムのインド人は使いにくいんだそうだ。



デリーの街角で、地方からやってきたらしい女の子数人が道に迷っていた。道行く人は多いのに、近くの人には声を

かけず、だいぶ離れた漏れのベンチにやってきた。漏れの隣にはターバンの男。そして女の子はターバン男に

道を訊ねる。明らかに選んで声をかけていた。





デリーのメインバザールで野菜を売るオッサン。乞食ではない。
一見無学で「野菜売り一筋ぃ〜60年〜♪」なカンジだが、これを撮った
デジカメ(携帯のカメラだが)の画像を見て「これ何ピクセル?」
と聞いてきた。恐るべしインド人。侮るなかれインド人。凄いぞインド人。






インド訪問中、もちろんインド女性にも声はかけた。15年前来た時、あんまりインド人女性が固くて辟易した

だったが、やはり今回も芳しい結果にはならなかった。街を歩いているのは殆ど男ばかり。店員も女性は少ない。

そしてやっと見つけた若いインド人女性も、なぜだか「感じさせない」のだ。中国の田舎とか韓国の田舎でも

そういう経験はあったが、インドはそれ以上に感じさせない。性欲がひっこむ。煩悩が起こらない。

さすがニルヴァーナに一番近い国だ。


インドのTVで見るのは白人ハーフのインド人ばかり。確かにこっちは多少感じさせるが、番組では歌ってるか

踊ってるかいじめられてるか宗教を語っているかのどれかなので、やはりあまり感じない。世界3大美人に数え

られるインド女性は大抵このハーフ系だ。



化粧は濃くはないが、そのかわり鼻・耳ピアスや額にワンポイント。服は大抵サリー。色黒の顔から目と歯だけが

クッキリ見えてくる。日本のバカメイク女子高生にも萎えるが、こっちも相当難易度が高い。

そして中年オバハンの大半がデブ。サリーのスキマから、見たくない肉がハミ出す

悪口ばかり書いてるが、もちろん美人もいるのはいる。ただ、街に女性が少なくて出会う機会がないだけだ。



インテリ美人インド女子大生と話す機会があった。彼女は漏れと話す前に、他の日本人パッカーと話してたの

だが、見下ろすような態度でアリアリとバカにしてる様子が伝わってきた。相手のパッカー青年は、漏れよりは

英語を喋れるんだが、アメリカ英語に慣れ親しんでる漏れら日本人にとっては、イギリス式英語表現は聞き慣れ

ない。また、話題が政治経済・世界情勢・宗教自然科学と幅広く、フツーの日本人大学生の兄ちゃんは普段

話さないような内容。これに彼は戸惑っていた。




そして彼女の視線が漏れに向けられた。今度はこっちに来た。ヤだな〜と思いつつも、一応挨拶に答えた漏れ。

しかし漏れも三十路の男。女子大生にナメられるのは下半身だけにしときたい。漏れが一生懸命質問に答え、

逆に聞き返し、あらん限りのインテリジェンスとウィズダムを総動員して、最後には彼女が苦手とするコンピューター

系の話を大展開するにあたって、ついに彼女からいくらかの尊敬を勝ち得た。そして彼女は言った。



「今まで色んな日本人と話してきて、こんな教養のない国民がなんで成功してるのか不思議だった」

「英語もロクに話せない大学生ばかりで、日本の学校はレベルが低いのだと思ってた」

「特に日本人の女の子、アレは本当のバカね。まるで小学生。幼稚で話しにならないわ」

「でも、そんな日本人ばかりじゃないと知って安心したし、疑問も解けた」



このような感想に、漏れは厳しく答えた。


「もし仮に君が日本に留学したとする。最初にぶつかるのは日本語だ。日本語は話すのは簡単だが、書くのは

難しいぞ。普段使う文字だけで1000種類以上。君は何年で覚える事ができるかな?日本人の識字率は100%

と言っていい。つまり君がバカにしてる日本人の女の子も、そのくらい当たり前に書けるんだよ。

まあ日本の女の子には子供っぽいのが可愛いという風潮があって、一見バカに見えるかもしれないけどな。


更に、高等な学術書はほとんど日本語訳される。だから日本の大学生は英語の本を読む必要があまりないんだよ。

英語で論文書くのは研究生以上だけ。

それに日本人が英語不得意なのは国内で英語を使う機会がないからで、教育自体はちゃんと行われている。慣れ

れば日本人はすぐに英語を話せるようになるだろう。で、君たちインド人の英語だけど、ひどい発音で聞き取れない。

ネイティブスピーカーにはなんとか聞き取れるかもしれないけど、そうじゃない人には聞き取れないね。

車を「カール」とか発音してる人に英語が下手とか言われたくないよ。


難しい話を君とすることができないからって、それが無教養だということにはならないよ。英語で話せないだけだ。

日本語でなら哲学でも文学でも語れる人は大勢いる。


日本をバカにするには、君はまだ日本を知らなさ過ぎる。欧米に頼らないでも維持できる独特の現代文化があるって

事を知ったほうがいいよ。話はそれからだ。」



まあ拙い英語ではあるが、そんな内容の説教をカマしてみた。



この言葉に、若い彼女はだいぶショックを受けたみたいで、しばらく俯いて黙っていた。異文化を理解するのは

難しい。そして独立を守ってこれなかった国の人は、等しく欧米コンプレックスがある。更に階級社会で育った

者には、日本式社会主義は謎の政治なのだ。インドも変な国だが、日本も相当変わった国だ。正反対といっても

いいくらい違う国。日本人がインドで受けるカルチャーショックと同等のものを、インド人も日本で受けるわけだ。






本文とは全く関係ないゴアの少女。マユを剃りたくなる衝動を抑える
のが精一杯だ。アンジュナに来る外国人を待ち構え、シーツやTシャツ
をRs3000で売ろうとする。以前その値段で買った人がいたのだろう。




上の写真で一瞬、中曽根元首相のインド隠し子かと思った方もおられるだろうが、それはともかく、インド人を訪れて

最初に面食らうのがインド人。「問題ない」といいながら問題だらけであり、まあそのくらいの事は外国ではよくあるん

だけど、その問題のレベルが他国のそれよりかなり深刻でも「問題ない」だったり、ウソや詐欺が芸術的に洗練され

ていて、もう騙すことよりウソの芸術性を追求してるんじゃないかと感心するような脚色ぶり。信心深いくせに、それは

それとしてアコギな商売に精を出すインド人にとって、神の目はフシアナなのか。



この宗教密集地帯のインドで、漏れはますます合理的科学的思想の正しさを痛感した。だが、科学的な考え方に

忠実ならば、漏れらは非常に限られた能力しか持ち得ない進化途中のサルの仲間である。大いなる存在に祈りを

捧げようが存在の実存を疑って検証しようが、そんな事は些細な差でしかない。実際、近代西洋心理学者が発見

したような事は、古代宗教の瞑想やヨーガなどで既に語られていた事を、言い方を変えたものが殆どだ。


真実は一つで、それを見る角度が違うだけ。一方の角度だけで真実を見たような事を言うのは滑稽だ。そうして

人間心理を全角度から徹底検証したとしても、全部わかったら絶対、人生がつまらなくなるに決まっている。

トリックやCGによって、どんな映画のシーンを見ても大して驚かなくなったように。






「正しい」よりも「面白い」ほうが大事な事もある。それをインド人に見てしまう漏れだった。












つづく