パース日記

リオ登場
4月のパースはまだ日本でいう残暑って感じで、朝7時頃に到着したにもかかわらず既に気温は20度近くあり、パース国際空港はにいた人はみんな半袖だった。
国際空港っていっても極めて小さいパース空港なだけに、学校まで連れていってくれるガイドは直ぐにみつかった。空港にある程度生徒が集まったところで、送迎バスに乗り込み、学校までの約30分、俺はかなり緊張していた。そんな中、俺の斜め前に座っていた男こそ俺の最初のルームメイトのリオ(本名、リー、サンスウ)だった。
リオは韓国出身で既に英語はある程度話せるナイスガイだった。学校の前にある寮に到着した後、入寮の手続きを済ませ階段を上がってる時にレオと初の会話。何て言ってるのかはさっぱりわからなかったので取り敢えず "yes"とだけ言っておいた。部屋に荷物をおいて俺とレオとブラウニー(レオと同じく韓国出身、本名、リー、ヒュンギ ;注、レオと同姓だが兄弟ではない。韓国にはこの名前が多いらしい。)と供に市内観光に行った。レオもブラウニーも英語に関しては俺の1光年先をいっておりそんな二人を俺はかなり尊敬してたし、そんなレオとルームメイトになれた事をラッキーだと思ってた、、、その時は、、、


フランク、セドリック登場
レオ達と市内観光から帰ってきたのが10時位。部屋に戻ると誰かが2段ベットの下で寝ているのを発見した。(たぶん俺達が最初に来た時には既にいたと思うけど暗くて見えなかった。)それでその人に挨拶しなくてはと思ったんだけどベットから飛び出てる足の大きさに絶句した。それはありえない大きさだった。過去23年の俺の歴史の中でもベスト5に確実にエントリーされる物がそこにあった。俺がオーストラリアにきての発のカルチャーショックを味わってた時俺の頭上で何かが動いた。そこにはまたもや俺よりもデカイ人間が、しかもブーメランパンツ一枚で横になっていた。俺とリオに気づいた二人はおもむろにベットから起きあがり、俺達と握手。ビックフットの方は黒人系フランス人のフランク。ブーメランパンツはスイス人のセドリック。二人供とても親切に寮内を案内してくれた。でも俺より遥かにデカイ人(ちなみにレオも俺よりデカイ。) に囲まれちょっとビビッタ。(日本では俺は大きい方なのでそんな環境に直面した事がなかった。)その後、部屋に戻ってきて話合いの結果2つある2段ベットの内一つは上がリオ、下がフランク。もう一つを上がセドリック、下が俺と言う感じになった。でも正直言うと自分よりデカイ人が自分の上に寝られるのははっきりと恐かった。

初★登★校
パースに到着して2日後待ちに待った学校が始まった。初登校はさすがに緊張した。俺が教室に着いた時は既に20人位の生徒が席についており早速各々自己紹介、程なく先生と思われる人が教室にはいってきた。それから何か話初めたが何を言っているかはサッパリだった。でも先生が話している間俺はこれからの不安よりも「やってやるぜ!」って言う闘士で一杯だった。その後テストがあって、やはり何も出来なかった。そしてその後の面接、これはさすがに1対1なのでビビリまくった。はっきしいって何を話したか、さっぱり覚えてない。取り敢えず名前だけは何とか言った、、、、気がする。

リオの一日
さすがに一週間位生活を共にすると、相手の生活習慣も見えてくるわけで、、、でもレオの生活にはかなり驚かされた。レオは毎日晩酌をかかさないんだけど、彼の飲む量はハンパなかった。取り敢えずビール1ダースは軽く飲む。そんな量がどこに入いって行くのかはとても不思議だ。 ちなみに酒の種類にはこだわりはないらしい。そして俺を一番驚かせたのは一度開けたボトルはその日の内に飲み干さないといけないらしい。 どうやら韓国では一度開けたボトルをその日の内に閉めるのは自分の未来を閉めるのと同じらしい。(本当かよ!!)だからウィスキーボトルなんかを買ってきた時は最悪だった。明け方4時位まで外で飲んでたらしく俺が翌日起きた時、床で靴をはいたまま爆睡してるレオを見る事はしばしばだった。

ANZACの日の思い出
パースに来て2週間位たった。ここに来た当初は全くもって何も話せなかったけど。買物位はなんとか出来る様になった。まぁそんな中、ある週末、近くにあるキングスパークって所までジョギングしていた時すごい大きな平和集会に遭遇した。その時はそれがなんの集会だったかは知らなかったんだけど、後で先生の話からその日はANZAC(Australian and New Zealand Army Corps )って言う祝日で第一次大戦の1915年4月25日にANZAC軍(オーストラリアとニュ・ージー・ランド連合軍)がダーダネルス海峡の北にあるトルコが占領していたガリポリに上陸作戦を行って失敗し、多くの犠牲者が出たんだって、でもこれをきっかけにオーストラリアは1つにまとまり、オーストラリア人としての意識が出来たといわれているんだって。それでその日は各地で平和集会が開かれていたらしいんだけどそんな事は全く知らない俺は友達にもらった(闘魂)の文字のはいったTシャツをきてジョギングしてたわけ。まぁその平和集会は普通だったんだけど、帰りにヒッピーぽいおっさんに追いかけられたのは苦い思い出だ。まぁそんな日に(闘魂)なんて入いったTシャツ着て走ってたら喧嘩売ってる様なもんだよね。(OZが読めたらの話だけど)まぁその日以来祝日は何の祝日かを確かめる様になったよ。