レッドをオクトーバーに追え


 

 10月24日(水) 晴れ

   朝8時前、郡山を出て猪苗代方面に向かう。
   国道49号線を走る。
   しばらく山道を走ると、大きな湖が見えてきた。
   猪苗代湖だ。
   今まで、いくつの湖を見てきただろうか。
   関西に住んでいると、
   どうしても、琵琶湖以外の湖を見る機会がない。
   東日本は湖の宝庫だ。

  


   広大な猪苗代湖を横目に、野口英世記念館に行く。
   ここには、彼が1876年に生まれてから、
   上京するまでの19年間を過ごした家が保存されている。
   「志を得ざれば、再び此地を踏まず」
   これは、野口が上京する際に、
   家の柱に刻んだ決意文である。
   彼が医者を志したのは、幼い頃、囲炉裏に落ちて、
   手に大ケガを負ったことがきっかけ。
   この手を、ある医者によって治してもらった時、
   彼は、初めて医学に目覚めることになる。

   アメリカにおける、
   金と名誉のためだけの研究に疑問を感じた野口は、
   周囲の反対を押し切り、単身アフリカへ渡る。
   病気で苦しんでいる人たちを助けたい。
   彼らの力になってあげたい。
   そんな純粋な思いが、彼を突き動かしていたのだろう。
   「何でも成功さえすれば、立派な人間だと思っていた。
    しかし突然、私は悟った。
    人間は、技術だけでは役に立てない」。
   これは、以前「知ってるつもり」で紹介されていた、
   野口の著書に書かれていた言葉である。
   記念館には、これらのエピソードは紹介されていなかったが、
   ここにこそ、彼の真髄が表れていると僕は思う。
   現代の、医学を志す者たちに、
   彼の志が受け継がれていることを、
   切に願わずにはいられない・・・。

  


   その後、裏磐梯に向かう。
   そろそろ紅葉の季節。
   この辺りは、一番の見頃の時季であろう。
   ・・・と思っているのは、もちろん僕だけではなかった。
   平日だというのに、ものすごい人、人、人である。
   もちろん、おじいちゃん、おばあちゃんが多い。
   五色沼に行ってみるが、あまりにも人ばっかりなので、
   そのまま素通りする。
   ここに偶然、裏磐梯YHを発見。
   うん、覚えておこう。
   続いて、檜原湖。
   ここも人がいっぱいだったが、さすがに見ておく。
   水面に映える紅葉が、日の光を浴びて、
   いっそうに輝きを増す。
   でも、写真じゃ分かりにくいのが残念。
   ・・・っていうか、曇ってるね。


   ここから、さらに国道459号線を走る。
   両脇を紅一色に囲まれた景色が爽快である。
   冷たい風が頬を吹き抜ける。
   かなり寒い。
   山々は、やがて訪れる厳しい季節を前に、
   まるで最後の炎を灯すが如く、
   煌煌と照り映え、我々の目を楽しませてくれる。
   紅から白へ。
   歳も、徐々に終わりに近付き、
   彼らが衣替えをする時季も、もうそこまで来ているのだ。

  


   そのまま、山道を抜け喜多方へ。
   喜多方と言えば、もっちろんラーメン!!
   このために朝飯を抜いた。
   めっちゃ、腹減った〜!!
   ここに来るのは、実は2回目。
   大学生の時、ユースホステル部に入っていたのだが、
   その先輩らと一緒に来たことがある。
   その時行った店は、どこだったか覚えていない。
   が、めっちゃ美味かったというのは覚えている。
   駅に行くと、「老麺会まっぷ」なるものがあった。
   見ると、あるわあるわのラーメン屋。
   原付で5分とかからない狭い地域に、
   何と、全部で61軒もの店が紹介されていた。
   はっきり言って、どこに行ったらいいか分からない。
   で、駅に一番近い店に行く。
   結構、有名なところみたいで、
   ガッツ石松の写真とかが飾ってあった。
   でも、この人も僕と同じ理由で、
   この店を選んだんちゃうか、と思う。
   元祖ラーメンを食べる。
   めっちゃめちゃ、うまかった!!

   喜多方っていうと、ラーメンのイメージしかないけど、
   蔵の町としても有名みたいやね。
   ただ、確かに蔵造りの建物はあったけど、
   そこにアーケードが作られていたり、
   また結構、点在していたりで、
   立山で同じものを見てきた僕には、
   比べると、イマイチという感が否めないのは残念だ。

   さて、いよいよ会津へ向かう。
   途中、畑の中にポツンとある郵便局に寄る。
   お金を下ろそうとしたのだが、何と機械がない。
   窓口で「お金、下ろしたいんですけど」と言うと、
   「じゃ、この紙に住所と名前を書いて」と言われた。
   今はATM が当たり前やからね。
   ちょっと、逆カルチャーショックでした。

   さて、会津若松市に到着。
   今日は、まだ宿が決まっていない。
   裏磐梯から喜多方に抜ける途中、
   道の駅で、会津にある2つのYHに電話をした。
   ところが片っぽは満室、もう一方はやってない。
   おいおいおい、満室はともかく、
   やってないって、どういうことやねん!

   時間も遅かったので、城は明日見ることにして、
   福島県立博物館を先に見に行く。
   会津と言えば白虎隊。
   というのは、もちろん幕末の話。
   ここでは、もう一人、
   福島県を語る上で、欠かせない人物を紹介します。

   三島通庸(みしま みちつね)
    1871年、新政府により廃藩置県が施行される。
    様々な紆余曲折を経て、福島県が誕生。
    この時、県令として中央から派遣されたのが、
    「鬼県令」「土木県令」などと呼ばれた三島通庸。
    会津三方道路の建設を強制的に執行し、
    以前からの圧政などもあって、自由民権運動と衝突。
    福島自由党の幹部、河野広中を弾圧する。
    これが世に言う福島事件である。
    彼は、後に栃木県令として、
    同様の事件、加波山事件を起こしている。
    しかし、福島県における彼の評価は、
    悪政を敷いたというより、
    西洋風の建築物を増設するなど、
    人々に、新しい時代が到来したことを、
    目に見えて納得させようとした政治家とされている。

   さて、駅に戻り、観光案内所に行く。
   聞くと、今日はどこもいっぱいだよと言われた。
   一応、宿マップをもらって適当に電話をする。
   2件目で、何とか空室ゲット。
   ちょっと高かったが、凍死するよりはマシということで、
   そこに泊まることにする。