今を生きてこそ


 

 10月25日(木) 晴れ

   ホテルを出て、まずは鶴ヶ城へ。
   っていうか、鶴ヶ城って名前は初めて聞く。
   キン肉マンでは、会津若松城って言ってたよな。
   フェニックスとビッグボディが戦ったとこね。

   で、実際に行ってみると、答えは簡単だった。
   14世紀、会津領主の葦名氏が、
   東黒川館を築いたのが、この城の始まり。
   後、16世紀終わり、
   ここに、7層の本格的な天守閣を築いた、
   蒲生氏郷が「鶴ヶ城」と命名した。
   しかし、近世になり、
   城名は、所在する市名を冠するということが一般化し、
   当城も若松城と呼ばれるようになった。
   国や県指定の重要文化財としては、
   この名前で登録されているらしい。
   さらに、市名が「若松市」から、
   「会津若松市」に変更されたことで、
   会津若松城という名前が登場したというわけだ。
   歴史って、面白いね。

  


   また、ここには「荒城の月」の歌碑があった。
   作詞者の土井晩翠の話によると、
   旧ニ高時代に、荒れ果てたこの城を仰ぎ見て、
   作詞のきっかけを得たということらしい。
   「♪は〜るこ〜おろ〜の〜・・・」って奴やね。


   さて、城を後にし、飯盛山へ向かう。
   御存知、白虎隊自刃の地である。
   白虎隊とは、10代の少年のみで組織された、
   旧幕府の軍隊のこと。
   軍の統率を取るためには、
   同年代の者同士で編隊した方が良いと考えたのだ。
   この上には青龍隊、朱雀隊、玄武隊がある。

   大野ヶ原において、新政府軍に敗退した白虎隊は、
   洞門を抜け、一時、飯盛山に退却する。
   既に、隊長たちとはぐれていた彼らの数は20名。
   この時、彼らは城から白煙が立ち込めているのを目撃。
   「もはや、これまで」と思った彼らは、
   この地で、自刃することを決意する。
   これが、20人の中で唯一、命を取りとめた、
   飯沼貞吉によって、後世に伝えられ、
   悲劇のヒーローとして、現代によみがえったのである。

   でもね、当時の武士の世情は知らないけどね、
   赤穂浪士と言い、白虎隊と言い、
   主君のために、自ら命を絶つことが美徳とされる考え方は、
   いかがなもんかって思うけどね。
   結局、今、我々にとっての彼らの存在っていうのは、
   ドラマの中の登場人物でしかないわけだ。
   それが、ほんの100年ちょっと前に、
   現実に日本で起こったことだとは、誰も認識していない。
   さもなくば、これらは決して感動すべき話ではないからだ。
   だからこそ、時代劇好きのおじちゃん、おばちゃんたちは、
   岡田有希子の時も、尾崎豊の時も、
   そして X-JAPAN のhide の時も、
   後追い自殺する若者たちを、バカ呼ばわりしてきたのだ。
   自らの汚職が露見した代議士、
   大物高校生の獲得に失敗したプロ野球のスカウト、
   生徒のいじめを止められなかった教師。
   彼らが、自分の犯したミスを償うために、
   自らの命を絶ったとしても、
   誰もカッコイイなんて思わないだろう。
   それは、我々が「物語の中の死」と「現実の死」とを、
   無意識の内に、区別しているからに他ならないのだ。   

   しかし、昨今、この「自ら命を絶つ」という行為が、
   以前に比べ、急増しているという。
   折りしも、「生きるのに疲れた」中学生2人が、
   共に自殺を図るという、
   僕に言わせれば「アホ」みたいなニュースが、
   世の中を賑わせている時である。
   「自らの命を絶つ」ことと、「他人の命を奪う」こととは、
   同罪だと、僕は考えている。
   どちらも、一つの尊い命を奪うことに変わりはない。
   ところが、古来より、
   「自己犠牲」の精神が美徳とされてきた日本では、
   時、すでに武士の魂など失われたこの現代において、
   あまりにも「死」と「感動」を、
   リンクさせすぎたのではないだろうか。

   「死」に対する涙は、果たして「感動」の涙であろうか。
   自閉症の兄が実は、自分の幼い頃のヒーローだと分かり、
   心を通い合わすことができた時。
   南極に置き去りにされた犬たちが、皆、力尽きていく中で、
   わずか2匹でも、生き残っていたことが判明した時。
   煮え切らない男が、自らの決意を確かめるため、
   女に「世界中の誰よりも愛しています」と告白した時。
   人々は、そこに「感動」の涙を流すだろう。
   そこには「死」というマイナス要素はない。
   「感動」とは、ポジティブな感情にこそ現れるものだ。
   「死」に対する涙は、決して「感動」の涙ではない。
   それは「悲しみ」の涙にすぎないのだ。
   この2つの涙を混同してしまった時、そこに悲劇はおきた。
   それをドラマの中だけに留めておけばよかった。
   しかし、現実はそうはいかなかった。

   世知辛い世の中に、生き詰まりを感じ、
   対人関係に疲れ果てた時、
   人は、自らの「死」を美化し、
   自らを、社会に抹殺された悲劇のヒーローと化す。
   ところが、周りの人間はともかく、
   そのニュースをテレビで見ただけの人間にとっては、
   「かわいそう」そして「バカなことを・・・」と、
   ポツリと呟くのみである。
   そして30分も経てば、そのことは、
   きれいさっぱり、頭から消えてしまっているのだ。
   もちろん、その現実と自らの妄想とのギャップを知る術は、
   当の本人には、もはやない。
   こうして、一人の自己満足的悲劇のヒーローが誕生し、
   同時に世の中から、忘れ去られていくのである。
   三島の命を賭した叫びですら、
   それをリアルタイムで知らない我々にとっては、
   歴史上の一出来事として、処理されてしまっているのだから。

   三島の死を感動的なものにするためには、
   それは現実であってはならない。
   物語として体系化することが必要なのだ。
   そうして作られたのが、
   赤穂浪士であり、白虎隊なのである。
   しかし、いくら日本人の根底に、
   「自己犠牲」の精神が根付いているからといって、
   それを現実の世界に持ち込むことが、
   正当化されるような世の中であってはならない。
   「死」は、決して「美徳」ではない。
   これこそが、今、大人たちが若い世代に、
   伝えていかなければならないことではないだろうか。
   ・・・と言ってもね。
   当の大人たちが、リストラぐらいで死んでしまっていたら、
   世話ないわって感じやけどね。

   何か、話が逸れてしまったようだが、
   左は白虎隊のお墓。
   右は彼らに対して、松平容保が詠んだ弔歌。

     幾人の 涙は石に そそぐとも

        その名は世々に 朽じとぞ思う

  


   飯盛山を後にし、続いては白河へ。
   おなじみ、松平定信である。

     白河の 清きに魚も 住みかねて

            にごる田沼の 水ぞ恋しき

   っていうのは、誰でも聞いたことあるよね。
   ここには、先日行った勿来の関、念珠の関と共に、
   奥州三大関所と呼ばれる白河の関がある。
   駅から少々離れているので、先に見に行く。
   古くから、みちのくの関門として歴史にその名を刻み、
   また文学の世界では、歌枕として多くの古歌に詠まれた場所。

     便りあらば いかで都へ つけやらむ

       今日白川の 関はこえぬと      平兼盛

     都をば 霞とともに 立ちしかど

       秋風ぞ吹く 白河の関         能因法師

     秋風に 草木の露を はらわせて

       君がこゆれば 関守もなし      梶原景季

  


   残念ながら、ここにもYHはない。
   駅前で適当にビジホを探す。
   1件目、ツインしか開いていない。
   2件目で開いていた。
   どうも、この近辺は宿を取るのが大変なようだ。
   明日から週末に入るということで、
   今から、明日の宿を予約しておくことにする。
   日光近辺のYHに電話。
   1件目、明日も明後日も予約がいっぱい。
   2件目で開いていた。
   というわけで、明日、日光に向かいます。