三猿士


 

 10月27日(土) 晴れ

   朝、YHを出発。
   レースに参加するべく宇都宮に向かった、
   チャリダー2人に別れを告げ、
   逆方向、東照宮方面に向かう。

   朝早いにもかかわらず、
   既に、多くの観光客たちが訪れていた。
   まずは、輪王寺大猷院へ。
   祖父家康を尊敬していた家光は、
   死後も家康公にお仕えするという遺言を残し、
   この大猷院を創建する。
   中の本尊まで拝むことができました。


   続いてニ荒山神社。
   これは、霊峰男体山を御神体として奉祀された神社。
   創建は奈良時代で、男体山頂に奥宮がある。
   ちなみに、「ふたらやま」と読む。
   右は楼門。

  


   いよいよ東照宮に向かう。
   今まで、土曜にしては人が少ないなぁと思っていたら、
   皆、ここにいたようだ。
   突然、現れた人、人、人の波である。
   これほどの人を見たのは、鶴岡八幡宮以来だ。
   五重塔の横を抜け、いくつかの階段を上ると、
   何とかっていう建物が見えてくる。
   名前は忘れた。
   そこにいたのは、何匹ものサル。
   と言っても、本物ではない彫り物のサルだ。
   有名な見ザル、言わザル、聞かザルである。
   一般に、この三匹しかいないように思われているが、
   彼らは、大勢の中の三匹にしか過ぎない。
   一番左には、ボスザルもちゃんといるのである。

   さらに奥へ進み、陽明門をくぐる。
   この後、奥宮まで行くには別料金になっていた。
   すでに、1000円払っているというのに、
   さらに500円も取る気か!!
   と、激昂してはみるものの、ここを通らなければ、
   例の、左甚五郎の傑作を見ることはできない。
   泣く泣く追加料金を払い、猫を探す。
   小っちぇ〜! よー見な、分からへんやん!!
   というぐらい、小さかった。
   しかも、大量の観光客のため、
   ほんの数秒しか、立ち止まって見ることができなかった。
   とりあえず、奥宮までひたすら階段を上り切る。
   何だか、階段を上ってばっかりの旅である。

  

  


   最後に向かうは三仏堂。
   中に入って、しばらく進むと、
   どっかの団体が、狭い通路で立ち止まっていたので、
   それを抜いていくことができなかった。
   ちょうどいいんで、そこに混じって、
   ガイドの話を聞きながら、ゆっくり行くことにした。
   各干支によって、守護する神が違っているようで、
   我が辰年は、普賢菩薩だそうです。
   何だか、普賢菩薩を祀っているところは、
   日本でも珍しく、貴重なんだと言っていました。


   さて、ここで日光を後にし、今市に戻る。
   ここは、あの二宮金次郎が最期を迎えた地である。
   幼い頃、背中に薪を背負って本を読んでいた、
   というエピソードは、みんな知ってると思うけど、
   実際、大人になった彼が何をしたのかは、
   あんまり、知られてへんのちゃう?

   二宮尊徳(金次郎)
    幕末の農政家で、相模の農民出身。
    節約・貯蓄を中心とする報徳仕法により、
    下野の農村復興に尽力する。
    1853年には、今市に報徳役所を設置し、
    日光神領の復興に全精力を注いだ。
    こういった彼の活動は、
    報徳運動として、彼の死後も続けられている。

  


   今市から119号線を走り宇都宮へ。
   前から、宇都宮に住む友人に電話をしているのだが、
   なぜだか、つながらない。
   昨日、遂に「おかけになった電話は・・・」となっていた。
   まぁ、10月は忙しいみたいなことは、言ってたからね。
   友人と連絡を取るのを諦め、とりあえず腹が減った。
   宇都宮と言えば、もっちろんギョーザ!!
   駅前の地図で見つけた宇都宮餃子館。
   すんごいな! どんだけメニューがあんねん!!
   野菜餃子、椎茸餃子、シソ餃子にフカヒレ餃子。
   キムチ餃子、激辛餃子にチーズ餃子!?
   結局、注文したのはランチセット900円。
   焼き餃子と水餃子が5つずつに、
   揚げ餃子が3つ、スープ餃子が2つ。
   計、15個の餃子を一度に頂きました。
   おいしかったです、ごちそうさま。
   是非、もう一度、来たいところです。

   何か、他に見るところがないみたいなので、
   宇都宮を後にし、栃木市へ向かう。
   再び、国道4号線を走っていると、
   訳の分からない渋滞に巻き込まれた。
   原因は、前方をゆっくりと進む賑やかな一行である。
   見ると、菊水祭と銘打つ幟が立っていた。
   一度、追い抜いてしまったのだが、
   もう一度、引き返してゆっくり見ることにする。
   豪華な馬車や山車が、大名行列よろしく街中を練り歩く。
   その誰もが、平安貴族のような出で立ちをしている。
   烏帽子をかぶり、衣冠・束帯を身に付ける彼らの姿は、
   優雅であり、勇ましくも見えた。
   何だか、自分も参加したい気分になってきたのは、
   それを見ていた誰もが、感じたことであろう。

  


   栃木市に向かう途中、国分寺町というところに、
   下野風土記の丘というのがあった。
   天平の丘公園というのに行ってみる。
   ここには、万葉の道や奥の細道などと称し、
   万葉集に収められた歌や、芭蕉の俳句などが、
   短冊に書かれ、各木の枝に結び付けられていた。
   さらに奥の方へ進むと、紫式部の墓があるという。
   今度は、各木にそれぞれ「紫の上」「匂宮」「朧月夜」など、
   「源氏物語」に由来する名前が付けられていた。
   しかし、「光源氏」という名は見つけられなかった。
   紫式部の墓というのは、あくまで言い伝えに過ぎず、
   この辺りの地名を、
   「紫」と呼ぶことから来ているのではないか、と言われている。
   右は読めますか?
   有名な、百人一首の式部の歌です。

     めぐり会ひて 見しやそれとも わかぬ間に

           雲がくれにし 夜半の月かな

  


   栃木市に着いた。
   ここは、蔵の町で有名なようだ。
   ・・・また?
   町中の観光案内所に行き、安いところを紹介してもらう。
   ビジネス旅館に決定。
   この辺って、全然YHがないね。