学校の講談
10月28日(日) めっちゃ雨
朝、どうも雲行きが怪しい。
とりあえず、山本有三記念館に行く。
ここは、彼が生まれ、
そして、晩年を過ごした家である。
芥川龍之介や菊池寛らと交流を持ち、
雑誌「新思潮」に作品を載せるようになる。
自分に正直に生きた作家であり、
「山本有三は無駄のない創作をした」と言われている。
「路傍の石」「真実一路」などが有名。
ちなみに、僕は読んだことありません。
奥に進むと近龍寺があり、そこには有三の墓があった。
記念館を出ると、既に雨が降っていた。
天気予報では、昼から雨やって言うてたのに・・・。
とりあえず、足利の方面に向かう。
途中、佐野市で田中正造の旧宅を見つけた。
足尾銅山鉱毒事件
栃木県足尾銅山の精錬所から流出する鉱毒が、
渡良瀬川沿岸の田畑に被害を与え、社会問題化する。
1900年、大挙して押し寄せた被害農民が、
群馬県川俣で官憲によって弾圧される。
これが、世に言う川俣事件である。
1901年、遂に田中正造が天皇直訴に踏み切る。
しかし、足の弱い正造はつまずいて転び、
警官に取り押さえられ、果たせられなかったという。
1907年、谷中村を廃村とし、
遊水池を設置することで決着が着く。
まずは、家の向かいにある正造の墓を見る。
雨がひどいので、隣のお寺の境内に荷物を置かせてもらい、
というか、勝手に置いて、旧宅の中へ入る。
中には、既に2人の客が来ており、
地元ボランティアのおばちゃんの説明を受けていた。
そこに僕も加わり、4人で見て廻ることになった。
一つ一つの部屋から、庭にあった蔵、
飾ってある直訴状や写真まで、
大変丁寧に、また楽しく説明して頂きました。
おばちゃんの口癖なんだろうか。
「正造先生のこういうところに、私は感動して、
ボランティアをやろうと思ったんですよね」。
これほどまでに、一人の人間を尊敬できるというのも、
また、幸せなことではないだろうか。
そのまま県道を走り、足利市に向かう。
ここにあるのは足利学校。
日本最古の学校である。
と、その前に、
隣に太平記館ってのがあったので行ってみる。
以前、雨は降り続いている。
駐車場のおっちゃんが荷物を預かってくれたので、
身軽な状態で見学することが出来た。
ここは、以前NHKの大河ドラマでやっていた、
「太平記」の記念館である。
真田広之や柳葉敏郎が、
実際に使用した鎧や兜が展示されていた。
と言っても、僕はドラマは見ていなかった。
歴史は好きやねんけど、
大河ドラマは、あんまり見ようとは思わない。
何でやろう?
原付をそのままにして、足利学校の方に行く。
入館料は一般400円。
ところが、何と「本日に限り無料」という立て札が・・・。
訳分かんないままに、
一応、受付で無料であることを確認し、中に入る。
本当に、本日限りらしい。
ラッキー!!
足利学校の創建については、諸説残されている。
奈良時代の国学の遺制説、
平安時代の小野篁創建説、
鎌倉時代の足利義兼創建説など。
室町時代に上杉憲実が再興したことで有名となり、
戦国時代には「坂東の大学」と呼ばれるようになった。
学校門をくぐり図書館、孔子廟を見た後、
いよいよ建物に入ろうとすると、何だか様子がおかしい。
やたらとザワザワして、
妙に、忙しそうに駈けずり廻っている人もいる。
やたらと目立つ「関係者以外立ち入り禁止」の立て札。
ちょっと待て!
もしかして、メインの部分が「立ち入り禁止」になってへんか?
建物は大きく、庠主(学校長)の書斎である書院、
学生の講義などが行われる方丈、
そして、学校の台所である庫裡(くり)と、3つに分かれている。
どうやら書院、方丈には入れないようだ。
隙間から覗き見ると、
何か、偉そうなおっちゃんが講義をやっている。
どうも、無料の原因もこの辺にあるのかもしれない。
庫裡には、狩野派の美術品が展示されていた。
結局、見られたのはこれだけだった。
その後、学校を出て、
街中に飾ってある、足利尊氏の像を見に行く。
足利氏は、源義家の孫義康が下野国足利荘に土着した豪族。
尊氏は、言うまでもなく、
室町幕府の初代将軍である。
こんなにひっそりとした場所に、
これほど、立派な像が立てられているのが、
ちょっと、意外な感じがする。
武力によって、天皇すらも打倒し天下を極めた男は、
雨に濡れた、その瞳の奥で、
一体、何を訴えかけているのだろうか。
その後、近くの鑁阿(ばんな)寺に行く。
この頃には、既に雨が止んでいたのでラッキーだ。
鎌倉時代、足利義兼によって建立され、
後に、室町時代に尊氏父祖宅となる。
こんな難しい漢字も、
ちゃんと、パソコンに入っています。
すごいね、コンピュータって・・・。
今日は、近くのビジネスホテルに泊まりました。