スペインのABC・・・・

むうこがスペインでの生活で経験したあんなことこんなことを思いつくまま書いてみました

 

asma

 アンダルシアの海辺の町カディスに住んでいた時、Asma(ぜんそく)みたいな症状が出始めた。呼吸が苦しくて、歩いただけではあはあ言って、50Mも歩くと休まずにはいられないほどだった。こんなことは生まれてはじめてだったので何でなのか分からなかった。一緒に住んでいたスペイン人のインマおばさんは「病院へ一緒に行こう」と見かねて言ってくれた。「asmaかも知れないからね」とおばちゃんは言い、一緒にバスに乗って病院に行った。診察の手続きのときだけはおばちゃんは一緒にいてくれて、その後おばちゃんは用事があるので帰り、一人病院にいる事となった。名前を呼ばれ、看護婦さんに酸素マスクをつけてもらい、しばらくじっとしていた。「これで楽になるわよ」と看護婦さんは言った。「この後血液を採取するから」と言われ、私はなんとなく「この後は注射するのかあ・・」などと思いつつ、酸素マスクを付けながらぼうっと座っていると、カ−テンでしきられた場所から叫び声がする。「痛い!」という声だった。「大丈夫だから」「痛いわよ!」そんなやり取りが聞こえる。なんだなんだ???そのうち女の子が泣きそうな顔でカ−テンから出てきた。開いた瞬間ちらっとカ−テンの奥を見ると看護婦が注射器を持っているのが見えた。女の子は腕を痛そうにさすっている。「おいおい・・まじかよ」と思ってびくびくしていると、また名前を呼ばれた。カ−テンのほうへ来いというジェスチャ−をする看護婦。覚悟を決めてカ−テンの奥へ。看護婦さんは、「んじゃ注射するよ〜」と気楽に言って腕をひもみたいなので縛り始めた。「あ、あの。さっき女の子が悲鳴を上げてませんでした?」恐る恐る聞くと、看護婦は「今はベテランの看護婦がみんないないのよ〜。私研修中なのよね」と笑って言った・・・・・ひ、ひえ〜、笑って言うなよ!「ちょっと痛いかもしれないけど我慢してね」・・・ちょ、ちょっとなのか、本当に。ぶすっ、と注射器の針が腕に刺さった。「いて!」心で泣いた・・痛かった〜。その後、数日間腕が真っ青になっていたのは本当の話しです・・・・・。

 

Bicicleta

 私はBicicleta(自転車)に乗るのが、子供の頃から今でも大好きだ。スペインでも自転車を買った私は、土日になると自転車に乗ってグラナダの近くの村などへサイクリングに行った。スペインでは、大きな都市でも郊外になるとすぐに荒地やオリ−ブ畑などが姿を現わす。そしてずっとその風景が続き、しばらくして次の町が見えてくる。私はオリ−ブ畑の囲まれた道を自転車で走るのが大好きだった。日本人など見た事もないような小さな町に行って町人と交流するのが大好きだった。大抵見なれぬアジア人を見るとおじいちゃんなどが興味津々によって来てくれる。スペイン語が話せると分かったら、もう離してくれない。ずっと色んな話しをしてくる。「一緒にご飯を食べよう」とか言ってくる人もいる。そういうときは自分もお腹が空いていればご一緒させてもらう。グラナダ郊外にはそれは素敵な風景が広がっている。alhama de Granadaに行く道などはとても素晴らしくて大好きだ。

 

Cadiz

  スペインにいた最後の2ヶ月ほど私は、CADIZという町に住んでいた。地図で言えば、左下、ポルトガルに近い場所にCADIZはある。大西洋に突き出したような、海辺の町だ。CADIZはフェニキア人が大昔に作った町といわれている。だから、他のスペインの都市よりも歴史が古い。昔は、GADIRという名前の町だったらしい。だから、今でもCADIZの人のことを、GADITANO(A)と呼ぶ。GADITANOたちは、そんな自分たちの故郷をとても誇りに思っている。フランコが支配していた時、カディスには反フランコの政権があったとカディスの先生は言っていた。「カディスには『自由』『リベラル』という強い空気が流れているんだよ」と。地方の普通の町なのに、不思議・・・と思った。CADIZは一応カディス県の県庁所在地だけど、実は人口17万人くらいの小さな地方都市だ。近くのJEREZ DE LA FRONTERAという町の方がもっと大きい。カディス市自体にはあまり仕事が無いようで、周りの町(ヘレスとか)に仕事に行く人が多いんだと一緒に住んでいたインマおばちゃんは言っていた。失業率も他の町と比べて高いとか。私にとって、CADIZは不思議な空気が流れている町だった。どうしてと説明するのは難しいけど、他の地中海沿いの町のように、すごい観光地化されていなくて、時がとってものんびり流れる感じがしたりとか、イスラムの影響を受けて、教会がモスクっぽかったりとか、地理的にもすごく端っこだし、海を見ていると「ここは大西洋なんだ・・」なんてじ〜んときたりとか、そういった事が他の町とちょっと違うなと思わせたのかもしれない(良く分からないけど)。カディス大学で、私はDELEの試験を受けたのだけど、聴解の試験中にいきなりカディス大学の学生が間違えて教室に入って来たりとか、さすがスペイン、いい加減な感じで驚いた。いっしょに受けた人は10人もいなかった。さすが小さな町。サラマンカとかマドリッドとかだとこうはいかないだろうなあ。

 

cine

スペインではCine(映画)がすごく安く見られる。町にもよるがグラナダ、サラマンカ、カディスの中ではカディスが一番安く、普通は350円くらい、安い日は250円くらいだった。だから映画はしょっちゅう見ていた。スペインでは字幕ではなく、外国の映画も吹き替えにするので、聞き取りの練習にはとってもいい。夕方に映画館に行くと結構がらがらな事が多く、夜は人でごったがえしていた・・・じゃあ混雑を避けて夕方に行けば良いのにと思うのだが、みんな夜までは家にいて夜に町に繰り出すのが好きなのだ。夕方2人で行ったときは私たちしかいない時もあった。いなければいないで逆になんだか恐い。そのときは途中から隣りの席にいきなりおじさんが座ってきて(他はがらんがらんなのに)、おじさんは映画でなく私の方をずっと見ていた(恐)。「プリティ−・ブライド(英語タイトル「runaway bride」。スペイン語タイトルは「novia a la fuga(逃亡の花嫁)」を見に行ったのをスペイン語の先生に伝えようと思って「novia al fuego(炎の花嫁?)と言ってしまったら大爆笑されてしまった・・・・・。ちなみに私の姉がスペインに遊びに来た時に、私はBARのおやじさんに「Cenicero(セニセ−ロ=灰皿)ください」と言うつもりが「Senicienta(セニシエンタ=シンデレラ)ください」と言ってしまった経験もあります・・・・・。

 

Despejar

 スペインの南部・中部は天気がと〜っても良い。雨は滅多に降らないので、毎日が洗濯日和となる。とにかく毎日毎日晴れ渡っている(Despejar)ので、雨の多い北部や中部のヨ−ロッパから大勢の観光客が太陽を求めてやってくる。晴れる日の少ない国から来る人にとっては、日本人には理解できないほど太陽に固執する。通っていた学校にもたくさんのドイツ人やらイギリス人がいたけど、彼らは授業の合間にも小さな中庭でせっせと太陽の光を享受していた。1度、私が学校から家に帰る途中、同じ学校に通う1人のスコットランド人の女の子と会い、彼女は「太陽はどこなの?」と言いながら日なたに移動していたこともあった。ちなみにアンダルシアの内陸は夏は45℃を越す日もある。そんな日はみんな昼間は家で大人しくしているので、外に出ているのは観光客ばかりということにもなる。私はグラナダに行ったばかりの頃、すごく暑い日の日中に1人で外を歩いていたら、いつのまにか誰もいない小道に出てしまい変質者に追いかけられた事もある。・・・ので、みなさんも暑い日の日中は要注意です。

 

Escuela

 私のスペイン生活の大部分はEscuela(エスクエラ=学校)だった。月曜から金曜まで毎日学校に行くのが楽しみで楽しみで、もうホントばかみたいに毎日喜んで通っていた。学校が好きだった一番の理由は、学校の先生たちが本当に人間的に素敵な人ばかりだったからだ。世界で一番笑い声が大きいんじゃないかという程笑い上戸で笑い声の大きいルイサ。いつもおやじギャグばかり言ってるハビエル。とっても可愛いのにとっても優しいサラ。「ところてん」の正体が気になって仕方ないクリスティ−ナ。お喋り大好きで授業中も自分の話しをしてしまうイネス。そして、今まで出会ってきた中で誰よりも優しくしてくれたインマ。みんなすごく明るくて陽気で、そんな先生たちとの毎日は最高に楽しかった。それでも、いくら底抜けに明るそうに見えても、突然真面目な顔で悩みを話しだしたりした時もあって、「やっぱりあんなに陽気だけど、悩みもあるんだなあ。それでもあんなに明るくいられるパワ−はすごいなあ。スペイン人にとっては明るく楽しく日々を過ごすということが本当に大切に思われてるんだなあ。」なんて思ったりもしました。

 

Fiesta

 スペイン人はFiesta(フィエスタ=祭り)が大好き。いつも楽しいことを探しているような彼らにとって、祭りは無条件に楽しめるものみたいだった。いつもは知的な(?)先生たちも、、祭りに行くと人が変わってはしゃぎまくっていた。グラナダには有名な祭りが残念ながらなかったが、5月に毎年祭りがあって、その時は踊る踊る、しゃべるしゃべる、笑う笑う、食べる食べる・・・・・普段よりさらにハイ・テンションなグラナダの人達。観光客の人達はそんな楽しそうな地元人を見て、楽しそうに笑っている。たまたま、Feria(フェリア=セビリヤの有名な春祭り)の時にセビリヤに行ったら、ものすごい人達で、あまりの人の多さにしゃべり声が遠くまで「ゴ−ッ」っていう音となって聞こえてきたほどだった(本当です)。スペイン人の遊ぶことへの飽くなき探求心というか、執念はすさまじいものがあった。例えば、人によるのはもちろんだけど、私がサラマンカにいた時に住んでいたアパ−トの大家の娘の友達の女の子のお姉さん(しつこ!!)は、毎日月から日まで夜中じゅうすっと遊んで毎日朝2時間ぐらいの睡眠で会社に行くという話しだった・・・そういえば、カディスにいた時に一緒に住んでいたインマおばちゃんも16の男の子がいたけど、金・土は夜に必ず待ちに繰り出していたし、その息子もそうだったなあ。結局スペイン人はFiestaでなくとも、騒ぐのに関係ないのかな、という感じです。

 

Granada

 Granada(グラナダ)の町をちょっとばかり紹介させてください。Granadaはスペインの中では、観光であまりに有名な町ですが、実は小さな地方都市に過ぎません。人口も30万弱なんです。AVEというスペイン版新幹線も通っていないし、面積自体も決して広くはありません。Granadaが有名なのは、なんと言っても、あの、Alhambra(アルハンブラ。スペイン語ではアランブラです)宮殿があるからです。アルハンブラにはもう5回ぐらい行きましたが、やっぱり夏に行くのが良いと思います。すごく暑いですが、だからこそよけいアラブの香りが余計にしますし、やっぱり花々が咲き乱れて庭なんかは夏が一番綺麗です。学校の先生は「アルハンブラは世界で2番目に観光客が多いところなんだ」と誇らしげに言ってました。ちなみに1位はニュ−ヨ−クのどこかでした(忘れちゃった・・)。アルハンブラ、サクロモンテ、アルバイシン等の旧市街は古い街並みが残っていますが、実際グラナダの町全体は新しい地区がほとんどで、もしかしたら、古い街並みばかりの町を想像して行かれた方には「えっ?」と思うかもしれません。でも、グラナダの良さはそれだけじゃありません。例えば、ガルシア・ロルカ公園は中心地からは少し離れていますが、広くて花がたくさん咲いている素敵な公園ですし、中心を離れると街並みが砂っぽいというか、荒地っぽくなってきて、そういう荒涼とした景色ファンにはたまらない(?)かもしれませんし、おいしいバルが多いし、安全だし、なにより物価が安いです。同じスペインでも物価は結構違うもので、特に北部のバスク地方は高いそうです(行ったことはありませんが)。そういえば、バスク近くのパンプロ−ナに行った時は確かに物価の高さを感じました。また、マドリッドやバルセロナなどの大都市も当然高いですし、比較的北より南の方が安いです。地元人曰く「グラナダはスペインの都市一物価が安い都市だ」らしく、たしかにそれはあってるかも・・・なんて思いました。カディスは映画は安かったですが、インタ−ネットカフェは高く、グラナダはぶっちぎりでどの町より安い買ったです(1時間100円くらい)。バルのコ−ヒ−とか食べ物もグラナダが一番安く感じました。ちなみに、Granadaとはスペイン語で「ザクロ」の意味です。安全かどうかについては、私は安全な町だと思います。少なくとも、マドリッドとは比べ様のないほど、です。個人的にはセビリヤ、コルドバよりも安全だと思います。人口が一番少ないということもありますが。グラナダ周辺の小さな町でオススメは、Monte frio、 Illora、 Alhama de Granada等です。みなさん、行ってみてくださいね。

 

★Holandeses

私はスペインに滞在中、何度か引越しをした。その何回か変わったPISO(スペインのアパ−ト)の中で、最も長く住んでいたのはグラナダのManuel de falla通りというところに面していたPISOだった。そのPISOではたくさんの人達と一緒に住んだ。ドイツ人、オランダ人、オランダ人、オランダ人・・・・・そう、私は入れ替わりの激しい学校のPISOでもHolandeses(オランダ人)と住むことが断然多かった。私の通っていた学校ではオランダ人が多かったので、それは仕方のないことなのだが、なんでかそれにしてもやけにオランダ人に囲まれた生活を送っていた。おかげでオランダ語も覚えてしまった。しかも、「セロハンテ−プ」とか「鍵」とかどうでもいい言葉を。サスキアは面白いオランダ人の女の子だった。彼女の友達がアパ−トに遊びに来ていると、整理されていない私の部屋をいきなり開けてはあわてる私を見て笑っていた・・・おいおい。それから、ドイツ人のブリッタは学校でクリスマスパ‐ティ‐があった時に「最もクレイジ−な学生賞」を獲得していた・・・本当はいい子なんですがね。それにしても、オランダ人、背が高すぎ。私も日本人の女の子にしては背は高い方だけど(168cm)、彼らは地中からみよ〜んと生えてるみたいで、女の子だって180ちかくあるし、男は更にでかくて、2メ−トル級もいたぐらいだ。一緒に立って話していると首が疲れる(本当です)。

 

★INMA

 私がスペインで出会ったたくさんの素敵な人達の中でも、最も優しくて、最も素敵な人だったのがグラナダで出会ったINMA(インマ)という先生だった。本当の名前はInmaculada(インマクラ−ダ)だけど、みんなインマと呼ぶ。意味は「純潔」とかそういう意味だけど、本人は自分でそれをネタにして笑っていた。「私が純潔だって〜、うっはっはっ」という具合に。インマはパワフルで、いつもエンジン全開で、下ネタ大好きな人だ。笑うのが好きで、楽しいことが大好き。私がスペインで、おちこぼれながらも、頑張れたのはインマのおかげ。他のどの先生よりも出来ない私を心配してくれて、こりずに面倒を見てくれた人。インマとは月に一度のクラス替えにもかかわらず、なぜかいつも会話か文法の授業のどちらかで当たっていた。こんなに同じクラスにしょっちゅうなる先生は他にいなかったから、学校で一番親しい先生になっていった。他のクラスメ−トがみんなヨ−ロッパ人という状況は日本人には結構大変だ。彼らは私たちよりずっと簡単にスペイン語をマスタ‐してしまう。彼らの国の言葉と少なからず似ているからだ。読解の授業では私はいつも彼らの読むスピ−ドにはついていけず、1人でずっと始めの方を読んでいたりしていたが、インマは授業を進めながらも、そっと私のことも気にかけてくれて、無言で指で「今ここをやっているよ」と指してくれたりした。私が精神的に弱っていた時にそっと洋服をプレゼントしてくれたり、学校をやめてべつの学校に行ってからも、たまにグラナダに帰ると、いつも家に連れてってくれて、ご飯をご馳走してくれた。スペインから日本に帰る時には、家に3日間ぐらい泊めてくれて、私にはなんてお礼を言ったらいいか分からなかった。なんでここまで優しくしてくれるのか私には分からなかったけど、自分にはグラナダに最高の友達であり先生がいることだけは確かだ。「私たちは一生の先生と生徒よ」とインマは言った。そして、「あなたほど深く付き合えた生徒はいなかった」とも言ってくれた。嬉しかった。別れる時、インマは「私は見送りにバスタ−ミナルまで行かないわよ。泣いちゃって、いい見世物になるからね」と言った。だから、家でお別れした。お互いに涙が止まらなかった。「必ず戻るって約束するよ」インマは黙ってうなずいた。インマのことは語り尽くせないけど、本当に素敵な人。ただし、下ネタ大大大好き(笑)。

 

★Javier

 Javier(ハビエル)は、スペインの男性の名前の一つ。名前の種類はそう多くは無いので、嫌でもJoseやMariaがそこら中にいる。Javierという名前の先生も学校には2人いた。1人はJavier-bajo(低いハビエル)、1人はJavier-alto(高いハビエル)と呼ばれ区別されていた。日本人の間では「ちびハビ」「でかハビ」と愛称をつけて(?)区別されていたが・・・・・・。おやじギャグ連発のちびハビは、特に日本人にギャグって笑わすのが好きだった。良く見ればけっこうハンサムなのだが、その性格からか(失礼)二枚目キャラではない。やっぱり下ネタが大好きで、同僚の先生たちを下ネタで大笑いさせ笑い死にさせる寸前のところをよく見かけた。でかハビはク−ルな感じで、スペイン人にしては無口な方。・・・と思ったら、バスク出身らしい。やっぱり。アンダルシア人らしさがあまりない。でも、優しい人なのです。背もかなり高い。やっぱりバスク人って、同じスペイン人でもかなり違うものなんですねえ・・。

 

★Kanji

 スペインで良く見かけたファッションが、Kanji(漢字)でなにかが書いてある服だった。彼らにとってはどんな意味だか分からないから、絵みたいに見えてお洒落ということなのだろうが、結構日本人から見ると笑える物もあった。例えば、すその片方に「天秤座」と刺繍してあるズボン。胸のところに「平乳道」と書いてあるTシャツ。そのTシャツを着ていた女の子には、「これどういう意味なの?」と聞かれ、正直に答えて良いものか迷ったが、教えてあげたらとっても恥ずかしがっていた。「でも、大丈夫!町の人はみんな意味が分からないから」と言ったら、「だってさっき中華レストランに行っちゃったのよ〜!!」・・・って(笑)。店の人達は・・・きっとみんな笑っていたかもなあ。

 

★Local

 スペインでは、何度か小旅行をしたけど、そのほとんどはLOCAL(ロ−カル=地方)への旅だった。そう、私は生粋の田舎好き。サラマンカに住んでいた時代に行った田舎は、Ciudad Rodrigo。小さな町だけど、砦の上から眺める景色は抜群だ。ポルトガルにもかなり近い。カディス時代に行った田舎は、ARCOS DE LA FRONTERA、VEJER DE LA FRONTERA, BARBATE, CONIL DE LA FRONTERA等。アルコスやベヘ−ルはもうすでに有名だけど、コニルやバルバ−テもなかなか素敵な町だ。・・・というより、スペインの田舎はすべて素敵かもしれない。どの村も、似ているようでそれぞれがそれぞれの独特の味わいがある。グラナダ時代は、周辺の小さな村へ自転車でたくさん行った。 ALHAMA DE GRANADA, MALA, LANJARON, CAPIREILA, CHIMENEAS, MONTE FRIO, ILLORA, PINOS PUENTE, SANTA FE, FUENTE BAQUEROS, ATARFE・・・・・・。FUENTE BAQUEROSは、ガルシア・ロルカが生まれた村。ロルカの博物館がある。他には牛乳工場があるぐらいでなにもなかったけど・・。LANJARONはシエラ・ネバダの村で、清水の産地してして有名。SANTA FE にはグラナダ空港があり、ATARFEには仲の良い先生が住んでいたので、1度実家に遊びに行かせてもらった。CHIMENEASは特に有名でもなんでもないけど、周りの広大なオリ−ブ畑の風景が好き。ALHAMA DE GRANADA, MONTE FRIO, ILLORA等は現地ではなかなか有名な観光の村だ。

 

★MUSICA

 スペイン人も音楽は大好き。CD屋ではたくさんのラテン音楽が売られていたけど、中でも人気があったMUSICA(音楽)は、ALEJANDRO DANZ(アレッハンドロ・サンツ)、ESTOPA(エストパ)、SHAKIRA(シャキ−ラ)、KETAMA(ケタマ)、MANA(マナ)、LAURA PAUSINI(ラウラ・パウシニ)、MIGUEL BOSE(ミゲル・ボセ)・・・・・もしかしたら、自分の趣味に偏ってるかもしれませんが、こんな感じです。ESTOPAのボ−カル・・かっこいいっす。私は、1度カディスでPRESUNTOS IMPLICADOS(プレスントス・インプリカ−ドス)という女性ボ−カルと男性2人(ドリカムみたいな感じです)のコンサ−トに行くことができた。ボ−カルの歌が上手くて、びっくりした。観客たちは、アンコ−ルをするのに、足で地面をリズミカルに叩いていた。ドン・ドン・ドン♪(始めのドンにアクセント)・・と。スペインでは有名な彼らのステ−ジも、一番安い席だったため500PTSで見ることが出来た。すごい!!

 

★Nacionalidad

 スペイン人のNacionalidad(国民性)はどんな感じだろうか?とにかく人なつっこい。そして、外国人に対して開放的だ。道を歩いていて、どう見てもアジア人の私に、「このあたりで映画館ある?」と聞いてくるスペイン人。他にわんさかとスペイン人は歩いているのに・・だ。たまたま「どこに映画館あるのかな?」と思った時に私と目が合った。だから、私にたずねた・・それだけのことなのだろう。公園のベンチで休んでいると、他にくさるほど座るベンチはあるのに、わざわざ私のとなりに座ってきて話しかけてくれるおじいさん。バルでTVのイスラエルのテロのニュ−スを見ながらご飯を食べていると、傍によってきて「世の中ひどい事だらけだけど、カディスはいいぞ。本当に安全だからな。カディスはな・・・」と、カディスについて熱く語り出すおっさん。自分の生まれ育った町が大好きなのは普通にある事だけど、その好きさ加減がすごい。自分の故郷を語る時の彼らの口調は熱いし、止まらない。そして、彼らの愛情表現もすごい。恋人に対しては当然のこと、家族や友達に対してもいろんな言葉を使って愛情表現をする。例えば「HOLA,CHIQUITA(オラ チキ‐タ=やあ、おちびちゃん)」とか「HASTA LUEGO、GUAPPISIMA(アスタ・ルエゴ グアッピシマ=またね、かわいこちゃん)」とか。これは別に男性から女性に対してだけではなく、女性から女性もあるし、女性から男性もある。それから、自分より年下の人に対しては、初対面でも「HIJA(イッハ=娘)」や「HIJO(イッホ=息子)」と呼びかけたりもする。初対面なのにいきなり「娘」と呼びかけるおばちゃんは日本にはいない。ただ、この場合は愛情表現の一つとして使っているので、直接その語の持つ意味としては使っていないのだけど。また、日本人だとくさくて言いにくい事も平気で言う。「私の愛するおちびちゃん」とか、「子豚ちゃん」とか「お気に入りの小ちゃな私の生徒」・・・とか、とにかく人を呼ぶのも、いろんなバリエ−ションがある。かと言って、口だけで言ってるのかといえばそうでもない。スペイン人は人を愛そうという気持ちが本当に強いんだと思う。愛することにすごく価値を置いているのだと思う、日本人が周りの人の気持ちをくんで細やかな気を配る事に価値を置くように。これは、私が思うだけか分からないけど、スペインの人は、日本人より認める人間の性格の範囲が広いと思った。日本では変わっていると言われ避けられるような人でもスペインでは変わってるヤツと思われ(あるいはみんな変わっているから変わっているなんて思われないで)、そして受け入れられる気がする。良い意味でのんびりしていて、心が大らかな気がした。自分も迷惑かけるからあんたもかけていいよ・・はスペイン人。自分も迷惑かけないからあんたもかけないでね・・・は日本人に多くいるパタ−ンかなあ。ただし、日本人の持つ、控えめな優しさは私は良い面だと思う。他の国にはあまりない、良い面だと思う。特にスペイン人にはないかなあ(笑)。

 

★OPORTO

スペインに住んでいた間、2回に分けて隣りの国ポルトガルに旅行した。初めは、グラナダに住んでいた時で1999年12月のクリスマスシ−ズン。2度目は、サラマンカに住んでいた時で2000年8月。いくつか訪れた町の中で一番気に入ったのがOPORTOだ。現地語だとOPORTOらしいけど、英語だとPORTOになるようだ。ポルトには、サラマンカから直通バスが出ていた。それに乗って何時間かで到着。グラナダの学校の先生に「ポルトはすごくいいわよ」と聞いていたので、かなり期待して行ってみたけど、本当に素晴らしい町だった。大きな川が流れる町で、リスボンといい、セビリヤといい、ブダペストといい、私は大きな川が流れる町を好きになる傾向にあるみたい。リスボンも良かったけど、川沿いの風景がポルトの方が好きだった。着いてさっそく宿を探し、一軒の安いホステルに泊まった。すごく古い建物で、ちょっとしたドラキュラ屋敷(失礼!)みたいだった。教会に行ったり、市場に行ったり、株式市場みたいな所にも行った。中心地ではスペイン語を話すおじいさんと出会い、20分くらいずっとお話しした後、おじいさんの強い押しで一緒にご飯を食べに行った。おじいさんお勧めのお店だった。おじいさんは仕事で日本にも来たことがあるらしく、日本語もほんの片言を話した。「新幹線に乗りました」とたどたどしいながらも日本語で言った。「ポルトはいいだろう?」おじいさんが好きな質問の一つはこれ。自分の住む町を「好きか?」と聞いてくる。なにもおじいさんだけじゃないけど、おじいさんは特にこの質問が多い気がする。ここで「いいえ」と答える人っているのかなあ?でも、本当に好きだったから「好きです」って答えたけど。でも、ポルトの魅力ってなんだろう?私がいいなあって感じたのは、裏道の風景とかこのお城の風景とかそういうのではなくって、町全体の風景が見える場所から見下ろした時の風景だった。川が流れていて、橋がかかっていて、そこを列車が走っていて、屋根の色はみんなオレンジがかっていて、そしてその中でも高くそびえる教会の塔が見えたりして・・・そういう全ての風景がなんかすごく良かった。それは、スペインで見る風景とは違ったものだった。また行ってみたいな、ポルト。

 

★Policia

 私は、スペインでPolicia(ポリシア=警察)に何度かお世話になった。別に、何か盗まれた訳でも、盗んだ訳でもないのだが、ただ単に Tarjeta de estudiante(学生用の外国人登録カ−ド)の申請でComisaria(警察署)に何度か足を運んだ時にお世話になったのだ。いや、お世話になったと言えるのか?私が出会った警察署の係のおばちゃんは相当対応が冷たく、スペイン語力が乏しかった私は、訳もわからず何度か警察署に行ったり来たりしなければならなかった。「何の書類が足りないのか」と聞いても「学校で聞け」と言われてしまい、学校で聞いてみたら「知らない」「分からない」と言われてしまった。でも、学校の先生は本当に親切だったので、いろいろと聞いてくれたりもしてくれた。警察やら役人がえばる国は発展途上の国に多いが、スペインでも少なからずそういう一面がるように感じた。もちろん、優しい警察官だってたくさんいるだろうし、日本にだってこういう一面はあるのだけど。私が一番お世話になったインマ先生の弟、カルロスは半年ほど前に警察になったばかりだが、私の記憶にあるカルロスはとっても優しくて好青年だった。カルロスだったら、市民の味方の警察官になってくれることだろう。

 

★Sacromonte

 グラナダにはSacromonte(サクロモンテ)という地区がある。そこは中心地からは北に外れた所で、山のほうにはGitano(ヒタ−ノ=ジプシ−)たちが多く住んでいるところだ。1度、私は台湾人の女の子と日本人2人の女の子とそこに行った時、道に迷ってどんどん山奥の方に行ってしまい、 Gitanoたちの住む洞窟の地区に入り込んでしまった。すると、どこからか「ドンドコ・ドンドコ」という太鼓の音とともに、強い口調の罵声が・・・・・。良く見ると谷の向こう側に集落(洞窟)があり、Gitanoたちが洞窟から出て来て集まって何かを叫んでいる。ひ、ひえ〜!こわいよ〜!!その時は「Vaya(行ってください。丁寧な命令)!と彼らが叫んでいるように聞こえ、随分丁寧な表現だなあなどと思いながらも、私たちは真っ青になって逃げた。後で聞いてみたら「それはパジャと言ってたのよ。よそ者って意味よ」ということだった・・・ああ〜恐かった〜。

 

Te con leche

   私はスペインではよくTe con leche(テ−・コン・レチェ=ミルクティ−)を飲んでいた。CAFE(カフェ−)があまり好きではないので、温かい物が飲みたい時はどうしてもこれになる。値段はBAR(バル)によって変わるけど大体100〜150PTSぐらいだった。私の通っていた学校のそばにはCARACOL(カラコル=かたつむり)というBARがあり、お洒落な内装で一見高そうだが、実はとても安い店だ。スペインにはいかにも大衆食堂っぽい、古くて小さなBARもあれば、すごく大きくて内装もお洒落で値段も高いだろうなあと思わせるBARもある・・・が、値段は実は変わらなかったりする。じゃあみんなお洒落な店のほうへ行くんじゃないかと思うかもしれないが、古い店には古くからの顧客がいたりして、ちゃんと客は入っているのだ。顔なじみのおやじさんなどが「BUENA!」と言って店に入って来るのはよく見かける光景だ。スペイン人はTe con lecheよりCAFEを飲む人の方が多いので、「Te con lecheください」と言っても間違えてCafe con leche(ミルク入りコ−ヒ−)を持ってこられる時もある。店がガヤガヤとうるさい時などは、大きな声ではっきり注文しないと間違えられる可能性が高い。

 

★UTOPIA

 なんだか無理やりタイトルをUTOPIA(ユ−トピア)にしてしまった・・・ネ、ネタが尽きてきたか?ユ−トピアといえば理想郷・・・では、自分にとっての理想郷はどの町だろうか?なんて、無理やり話しをこじつけて、今回は私のお気に入りの町INスペイン、ベスト10と行きましょう!バモス!!

好きな町(大きな町編)

1. グラナダ・・・えこひいきもいいとこ。でも好き。

2. カディス・・・やっぱり住んでたので、ひいきになってしまうのです・・。

3. バルセロナ・・・すごく魅力的な町だと思う。芸術の香りがプンプンするし(なんてセンスも何も無い私です)、地中           海沿いだから、海があって天気も温暖!

4. サンチアゴ・デ・コンポステ−ラ・・・雨の似合う町。旅情を誘う町。カテドラルは圧巻。巡礼で行ったから余計に                       好きになったのかも。

5. セビリヤ・・・情熱の町。南国的風景がとても好き。見所もたくさん。大きな公園もあるし。

6. サラゴサ・・・緑も多いし、特にピラ−ル大聖堂の辺りの風景が好き。

7. トレド・・・三方を川に囲まれて、という特殊な地理的条件のおかげで本当に魅力的な観光地になっていると思う。

8. コルドバ・・・グラナダのアルハンブラ!とかセビリヤのカテドラル!みたいなすごい有名な場所は無いけど、で         も、好き。夏暑過ぎるところも「アンダルシアだぜ!」って感じでなんだかいけてます。

9. ブルゴス・・・大きな川が流れていて、大きな川ファンの私にはすごい魅力的でした。カテドラルもいい感じです。

10. マラガ・・・あまりリゾ−トは好きではないのだけど、何度か行ったら好きになりました。

 

好きな町(小さな町編)

1. オルベラ・・・可愛い小学生達&おばあちゃん達との出会い(スペインの思い出を参照ください)が今も心に残っ         て、文句無くナンバ−ワン!です。白い家の街並みも綺麗だった〜。

2. マラ・・・マラのラにアクセントのある町。でも、本当はマラの町というより、グラナダからマラに行く町が好きなん      です、はい。グラナダから出発してオリ−ブ畑に囲まれたまっすぐな道を進むと見えてくる町なんです。      自転車で良く行きました。

3. ロンダ・・・ロンダを小さい町に入れていいのか?ま、いいや。大きくはないし。観光客が多いのだけど、やっぱり        ロンダの橋は素敵です。ラファエルじいさんのことも忘れられない(スペインの思い出を参照ください)

4. セブレ−ロ・・・巡礼の旅でもっとも過酷な道中にあった峠の村。それだけに忘れがたい。家が、すごい独特な           建築様式で、ケルト文化の影響を受けているとか聞きました。車とかで普通に行ったら、特に大           したことのない村かも。

5. ベヘ−ル・・・ベヘ−ル・デ・ラ・フロンテ−ラ。カディスからバスで2時間くらいだろうか。白い村としても有名。シ          エスタ中に町を散策していた時、すごい町中が静かで、時がのんびり流れるのを感じた。

6. グアディクス・・・グラナダからバスで1時間ほど。洞窟住居で有名な町。スペインに行ったばかりの時に、初めて           近場の町に旅行に行ったのがここだった。ミニ・グランドキャニオンみたいな風景に感動したあ。

7. コンスエグラ・・・ドンキホ−テの風車で有名な町。風車のある丘まで上がると見える、雄大な赤茶けた景色が心            に残っています。あの丘に立った時の風が気持ち良かったこと!

8. シウダ−ド・ロドリゴ・・・サラマンカからバスで1時間弱くらい。城壁に囲まれた小さな田舎町。もうほとんどポルト                ガルに近い。特にこれといった名所はないかもしれないけど、砦の上から見た景色が良                かったなあ。

9. フォンセバドン・・・ここも巡礼の時に通過した峠の村。石を積み重ねた家の建て方。すごくひなびた感じで、廃             墟みたいな家もあった。多分宿とかないんだろうけど、もしあったら一晩泊まって村中を探索             してみたいなと思った。名前の響きもなんかかっこいい!

10. テルエル・・・サラゴサへ行く時にちょっと寄っただけなんですが、なんか気に入りました。今度はもっとじっくり          行ってみたい。アラゴンとかあっちの方は、本当に知らない所がほとんどなので、開拓してみたい          なあ。

 

★ultimo dia

 スペイン最後の日(ultimo dia)のことは、1年半以上経った今でもはっきりと覚えている。最後に住んだカディスを発ち、グラナダへと向かった。日本に帰る前に最後にグラナダに帰ろう、そうずっと決めていた。実を言うと、グラナダに帰ることをつらいとも感じていた。なぜなら、本当に仲良くなった人たちとお別れに行くということだからだ。永遠の別れではないが、数年間は会えなくなる。それがすごく悲しかった。インマが、前に「日本に帰る前は家に泊まりに来てもいいんだからね。遠慮しないで何日でも好きなだけ居て良いんだから。」と言ってくれてたのでインマの家に泊まらせてもらうことになった。迷惑じゃないかと思ってそうに言ったら、「うん、すごい迷惑。でもしょうがないでしょ?他に方法がないんだから」とわざと私が気を使わないように毒舌ジョ−クを言ってくれた。グラナダの母校に行くと、なつかしい先生たちの姿があった。久しぶりに会えて嬉しかったけど、やっぱり悲しさの方が強かった。校長先生も、ハビエルも、ルイサも、サラも、イネスも、アデラも、そしてインマとも再会を喜んだ。「mikiko(本名)、DELE受けたの?知らなかったよ。どうだった?」とサラが言った。「うん、結構良く出来たと思うよ」「緊張しなかった?」「ううん、全然」「信じられない!」いつものようにからかってきてくれる。「あ、でも試験の運営がすごくいい加減だった、いかにもスペイン人だった(笑)。リスニングの試験の途中でいきなりカディス大学の学生が教室に入って来たり、外でうるさかったり」「へ〜、desordenada(無頓着な)なmikikoがそんなこと言えるんだ〜、へ〜」サラは笑って言った。私も笑った。「今日のmikikoはすごく幸せそうに見えるよ」「本当?本当はすごく悲しいんだけど、それを隠してるんだよ。実は、夜は枕を涙で濡らしてるんだよ(笑)」幸せそうに見えるのかあ・・・再会できて嬉しいのは確かだけど。その後、インマが仕事が終わって玄関の方に出てきた。「インマ」と声をかけた。すごく嬉しそうな顔を返してくれた。そしてインマの車でインマの家に一緒に向かった。グラナダには3日間滞在した。インマと夜にいろいろ話した。その時、「どうしてインマはそんなに特別に私に接してくれるの?」と私はたずねた。ずっと前から聞きたかった事だった。インマはメチャクチャ親切にしてくれたけど、どうしてだかはっきりとした理由がずっと分からなかった。こういうチャンスもないと思ったので思いきって聞いてみた。「だってmikikoは長いことグラナダにいたし、いつも同じクラスに当たってたし・・・でも、どうしてかと言うと、一番の理由は私たちが心に同じものを持っていると感じるからよ。一見の性格は全然違うけど、でも実はすごく良く似たもの同士なのよ。よく合う要素をお互いの心に持っているの。mikikoもそう思うでしょ?」私は頷いた。「mikikoほど深く付き合えた生徒は今まで誰もいなかった」・・・私も同じ事を感じていた。これほど深く付き合えた先生、良くしてくれた先生はいなかったって。「スペインに残ってよ。スペインで旦那様を早く見つけて」とインマは笑って言った。私は、インマになにか最後にプレゼントをしたいと考えていた。でも、何をあげたら喜ぶかなあ。「インマ、インマって何が好き?」と私は聞いた。その質問は直接過ぎてインマにはすぐその意図がばれてしまった。「nada(何も)」・・・そう言えば縫ぐるみが大好きだったと私は思い出した。「熊とか犬とかゾウとか何が好き?」「熊も犬もゾウもみんな嫌いなの」「・・・じゃあ、色は?青とか赤とか黄色とか・・・」「青も赤も黄色もみんな嫌い。・・・いい、mikiko。プレゼントなんて絶対買っちゃ駄目よ。気にしなくて良いんだからね」質問下手な私は簡単にばれて、インマに釘を刺されてしまった。そうは言っても、やっぱりなにか気持ちを表したかったので、ショッピングセンタ−へ行って可愛い熊のぬいぐるみを買った。そして、最後の日、朝からインマは本人が潔癖症と言う通りにせっせと掃除を始めていた。今日が最後なんだ・・・。バスの出発時間は昼間だった。ここには午前中いっぱいしかいられないんだ。あと何時間で別れがやって来るんだろうか・・。インマは特に変わった様子も見せずに掃除を続けている。でもきっと心の中は私と一緒なんだろうなあと思った。インマと一緒に住んでいたyoshikoちゃんが「インマ、インマはバスタ−ミナルまで見送りに行くの?」と聞いた。「行かないわ。行けない。行ったら、泣いちゃっていい見世物になるからね」私はこの言葉にグッと来た。そして、インマの家を去る30分前、私はインマに熊の縫ぐるみを渡した。「いろいりありがとうね」「mikiko・・・私、mikikoに何て言ったっけ?」インマはふざけて私を睨む真似をした。「プレゼントなんて要らないって・・」「・・・ありがとう」インマは優しい顔で言った。私は黙って首を振った。そして最後の記念にみんなで写真を取った。出発時間まであと10分。私は最後にゆっくりと話し出した。やっぱりこれは、これだけは伝えなくちゃと思って。「インマ・・・いろいろ本当にありがとう」その瞬間、あふれんばかりの涙が込み上げてきた。それは止めようがない涙で、ぽろぽろと私の頬をつたってこぼれた。インマは本当に優しい顔でぎゅっと抱きしめて頭をなでてくれた。そして出発の時間が来てしまい、私たちは別の部屋にある私の荷物をとりに移動した。そこで私は「インマ・・インマほど私に優しくしてくれた人はいないよ。インマほど感謝してる人はいないよ」と心の言葉を伝えた。その瞬間今度はインマの方が、わっと泣き出してしまった。インマの泣いた顔を初めて見た。いつもパワフルなインマの涙。「インマには・・・」と言うと、「もうそれ以上言わなくていいから・・」とかすれる声で私の口に手を当てた。涙でくしゃくしゃな顔だった。そして、私は玄関を出た。振りかえって、「きっと帰って来るからね。約束するよ。誓うよ」・・インマは黙ってうなずいた。それは、私の一生忘れられないグラナダ最後の日。スペイン最後の日。自分のこれからの長い人生でこんなにも素敵な感動的な経験ができるだろうか、分からない。でも、必ずまた帰りたい。約束を果たすためにも。

 

★Viaje

 私がスペインで驚いたことの一つが、「スペイン人がviaje(ビアッヘ=旅行)があまりすきではないこと」であった。旅行好きで有名なドイツ人、アメリカ人、日本人等にとってはびっくりするくらい、旅行経験のあるスペイン人が少ない。例えば、グラナダの学校の先生たちの中で、マドリッドに行ったことのない先生も数人いた。バスで5時間半の距離だし、たった2000PTSで行けてしまうのに・・・だ。バルセロナともなると、行ったことのある方が少なくなる。また、アンダルシアを出たことのない先生もいて、その先生は列車に1度も乗ったこともない(!)。海外旅行ともなると、全部で15人くらいの先生がいたけど、ポルトガルに1度行ったと言う先生と、フランスで数ヶ月留学していたと言う先生と、アイルランドに数ヶ月留学していたと言う先生ぐらいだった。学校の先生でさえこれなのだから、普通の人達はもっと行っていないのだろう。他のスペイン人の友達に聞いてみたけど、やっぱり海外に行ったことのある人は1人か2人だった。しかも、ポルトガル。「旅行は好きじゃないの?」と聞いてみたら、「嫌いではないけど、ちょっと家を離れると淋しくてすぐ帰って来たくなっちゃうんだよね。」「家に家族といてのんびり過ごすのが好きなんだ。」とかそんな返答が多かった。日本人の間では多い一人旅も、彼らにとっては信じられないようで「なんで一人で旅行をするの?だって美しいものを見て感動した時に、誰にその感動を伝えればいいの!!?」ってびっくりされたりもした。ただし、自分からわざわざ行こうとはしなくても、行ける話しがあるとすれば別のようで、1度、学校の先生たちの研修旅行がサラマンカであるらしく、1人の先生なんかは「どうしよう〜。初めて北に行くのよ〜。どきどきしちゃう〜!」とはしゃぎまくっていた。んで、研修旅行が金、土、日とあったらしく、月曜日に会ったときにみんなそろって声が枯れて、すごい疲れ果てた顔をしていた。「どうしたの?」と聞いてみたら、「みんな嬉しくって一睡もしてないのよ〜。行きと帰りのバスの中でもカラオケ大会をやってきて、もう声も出ないの〜」とがらがら声で言った・・・・・。