ヨーロッパ、と言っても私が訪れたのは、旧東欧諸国とオーストリアでポーランドからトルコ共和国まで縦横断する旅だった。なぜこんなルートを選んだのか今考えて見ると不思議だがおそらく、金銭的な理由とイスラム色がみたい、ということだった(意味不明)。このたびは4度目の旅で、それまで中国にしか行っていなかったので、違う文明をみたいという理由と、中東諸国へいきたいという衝動が以前からあった。だから、中東なら中東でトルコから入って、中央アジア、南アジア、アラビア半島を目指そうとも思ったが、なぜかやめた。だったら、物価の低い東欧とトルコと二兎を追う形になった。かつてのオスマントルコの中心世界だったとはいえ、現在のトルコ共和国はヨーロッパ的な要素がふんだんに入り込みなかなかもとになるものがみえてこない。
 ―――文明と文明の境界線はどこか―――
という疑問もこの地域を選んだ理由の一つにあたる。文化のグラデーションが手に取る様に分かる地域だ。まず最初に私はモスクワを経由し、
ポーランドの首都 ワルシャワへ入った。これが私のヨーロッパ発体験だった。そこから一回北上し、リトアニアにでも行こうかと思ったが南下しポーランドの京都 クラコフへ。クラコフのエクスカーションでかの有名な オシフィエンティム(アウシュビッツ)へゆける。セピア写真がそうで、いきなりこんな写真でゴメンナサイ。
  
  かなり重い雰囲気になってからひとたび夜行列車で
チェコの首都 プラハへ。実はこの夜行列車が国境初越だった。写真はあの有名なモルダウ河。プラハで一気にハイになってから南下してバドワイザーの発祥地、ピルスナ―発祥地である チェスキー・ブディヨヴィゼで孤独にビールを飲んで、町ごと世界遺産になっている チェスキー・クルムロフへ向かった。この町は私の中でかなり住んでみたい町のひとつで、もうもうもうもうほんとにいいよ。

  クルムロフからはバスで
オーストリアのリンズを経由し、首都 ウィーンへ。ここはやたらと物価が高く、日本とさしてかわらない。ヨーロッパの経済事情というのは本当に不思議で、つい何百キロと離れていない隣国へ来ただけで、倍以上物価が違う。チェコ、ハンガリー、ポーランドがEUに近じか加盟するということだが、それは無理というものだとあのとき思った。要するに、オーストリアに私のような貧乏人は長居できないということで、早くこの国を出なければいけない。だが、オーストリアは周知の様に海のない中継国家で、次にどこに行こうかと悩んだ。そのままハンガリーへ入ろうかとも思ったが、その南に旧ユーゴスラヴィア諸国が有る。あの瞬間私は、――海へ出たい――と思ったらしい。そういうことで、多少の不安はあったが、アドリア海へ出てみようという衝動に駆られた。それにユーゴ諸国には以前から興味を持っていた。ただ、戦争が終って間も無い、ボスニアとミロシェビッチのいるユーゴにだけは行くまいと誓っていた。

  ということで、
スロヴェニアの首都 リュヴリャーナへ。私はなんだか勢いに乗っていた。そのままイタリアにでも行こうかと思ったが、金もないので、東に向かうことにした。

  スロヴェニアは他に見るものもないので、隣国
クロエイシィアの首都 ザグレヴへ入った。私はどきどきしていた。92年の独立戦争で廃墟になった町だ。そこから夜行バスで一気に南下し、魅惑のアドリア海に面する港町 スプリットに到着したが、朝の4時くらいについて真っ暗だったからちょっと怖かった。明るくなると最高にぴかぴかの町だったけど。私はさらに南下した。アドリア海の真珠といわれる ドヴロヴニクへ行った。魔女の宅急便の舞台にもなった世界遺産に登録されている町で、もうもうもうもうもう本当に最高!!だけど、このまちも独立戦争のときにユーゴ連邦軍に砲撃されており、所々に傷跡が残っている。

  こんなところまできてどうやってトルコまで行こうかとかなり悩んだが、ベオグラード経由でルーマニアに抜けるのはちょっと自分でも危険すぎる(後々考えるとミロシェビッチ時代のユーゴを経験するのもよかったかも)と思ったので、行く予定のない
ボスニア・ヘルツェゴビ
の首都 サラエボへ行くことになった。この町は本当に思い出深いところで、リンクで見て欲しい。84年にサラエボ冬季オリンピックが開催されたグラウンドは、墓場になっている!第1次世界大戦の勃発はこのまちの橋の上で、オーストリア皇太子が暗殺されたのは周知の通りだ。また、非常にイスラム色が強い町でもある。

  次の目的地は、
ハンガリの首都 ブダペストだ。サラエボからベオグラード行きは却下だったので、とすれば、一度ザグレヴに戻ってから、そこからハンガリーに入るのは、時間的に非効率だったので、いっきに飛行機を使うことにした。列車だと2日かかるところをわずか2時間半でついてしまった。少々財布を叩いたが。
  ブダペストは大きな町で、あの旧市街地からドナウ河が開ける瞬間がたまらない。この瞬間はどこかプラハのヴルタヴァ河に似ており、町の重厚さはウィーンに似ていなくもない。どちらかというと、私はウィーンよりもこのブダペストの町が好きだ。ただ、共産党の支配期間が長かったせいか、全般的に暗く、治安も宜しくない。なんせにせ警官に出会った。
  ブダベストから南へホッローケーという少数民族が暮らす町へ行こうかと思ったが、東に位置する エゲールというワインの町へ行った。ハンガリーといえばワイン。他にトカイという世界的に有名な町があるが遠いのでやめた。

  そこからすぐにルーマニアに入ろうと思ったが、すぐ北に
スロヴァキアがある。私は苦労して、スロヴァキアの東に位置する プレショフにたどり着き、エクスカーションで スピシュスキー・カピュトラスピシュスキー城へ向かった。すばらしい。自分があんなところにいったとはいまだにちょっと信じがたい。

  プレショフから一気に
ルーマニアに入る。これは中々の長旅だった。まず訪れたのは、ルーマニアの中心部に位置するドラキュラ城で有名な ブラショフで、ここからエクスカーションで、中世の面影をそのまま残す シギショアラへ向かった。ビエルタンへも行こうかと思ったが、行き方が分からず、やめた。なにせシギショアラもこれから行くスチャバも地図も何も持っておらず、地元の人に聞いたり、簡略化された地図を写し写ししながら何とかやっていた。
  ブラショフから スチャバへの列車の旅は困難を極めた。あのときの苦しみと焦燥、不安と緊張は今も鮮明に覚えていて、おそらく生涯忘れないだろう。スチャバはすでにロシア国境に近く、町自身には特別何もないが、周辺に世界遺産に登録された教会が散在している。詳細はリンクで。世界広といえども、こういう教会はここにしかなく、 五つの修道院と呼ばれている。
  もうそろそろこんなところでくすぶっている暇はないという焦りが出始めて、いよいよ私は南下し始める。私はある都会への所属意識に対する安心感を求めて、首都 ブカレストへ入った。しかし、期待は裏切られ、たった1日も滞在することなく、ここを後にする。

  行き先はもちろん
ブルガリア首都 ソフィアを訪れ、そのエクスカーションで、ブルガリア教会の総本山である リラの僧院で修行しようと思ったが、やっぱり観光客が多くてだめだった。東へ・・・
   プロブディフは不思議な町だ。ベネズエラのカラカスから
プエルト・ラ・クルスに行ったときと同じ感覚を受けた。ソフィアは治安が悪く、食事をするときでもバックを盗まれるかと気を使っていたほどだったが、プロブディフ打って変わって観光が盛んで、明るく、プエルト同様だ。
  
  プロブディフからいよいよ
トルコ共和国へはいる。私は一気に イスタンブール行きの切符を買った。夜行列車に乗り、明日の朝にはついている。感動の瞬間だった。ポーランドに入ったとき、トルコまでたどり着けるとは思っていなかった・・・ヨーロッパからアジアへ入る瞬間だ。
  このイスタンブールはあらゆる意味であらゆる物が凝縮された都市だ。イスタンに着いて私はなんだか安心しきってしまった。数日滞在し、トルコ中央部にある カッパドキアに向かった。カッパドキアとは地域名であり、訪れたところはギョレメ、ネヴシェヒルという岩に囲まれた非常に乾いた町だ。
  「トルコで一番綺麗な海はどこだ」という私の質問に対し、あるトルコ人が「 アンタルヤに行け」と言った。地中海にたたずむこの町はなんとすばらしいのだろう。こんなに「青い」町は初めてだった。この町は離れるのに苦労した。食事といい、寝床といい、銀行も近いし、スーパーも近いし、日本人もいるし、毎日すぐ地中海で泳げるし、もう居心地が良すぎて、なかなか動けなかった。ここをはなれればまた移動だのなんだのしんどくなる。
  ようやく腰を上げて行ったのが、アンタルヤから再度内陸部に入ったところの パムッカレだ。全てが石灰でできたこの谷は夜になると、ゲレンデのようだ。また、この谷の頂上奥には、クレオパトラの温泉がある。
  このパムッカレにはまいった。パムッカレ自体は良かったのだが、最悪だったのがホテルだった。一泊160円という安すぎた布団に寝て、朝起きたら・・・
  パムッカレから今度は エフェスで遺跡を見、エーゲ海の クシャダスという港町へ出た。ここでもまた泳いで、その夜、イスタンブール行きの夜行バスに乗った。
   帰国もモスクワ経由だったため、イスタンのロシア領事館でトランジットを取ろうと思ったが、時間が無く駄目だった。さあ、これで旅も思って久し振りに日本だ、と思った矢先、飛行機の中で自分の身体に異変が起こった。最初は飛行機に酔ったのかと思ったが、おかしい。その後も吐きつづけた。4時間かかって、モスクワに着き、外の空気を吸えばすぐ治るかと思ったが、飛行機の到着が遅れていたため、ダッシュで次の飛行機へ乗りついたため、休む暇もなく、乗ったとたんまた吐き、トイレに入ったまま離陸した。
  それからのストーリーはリンクをみてほしい。とにかく無事死なずに日本へ帰国し、今回の旅を終えた。