夢の都−開封
開封の菊祭り
昔から開封では菊を栽培したり、鑑賞したりする風習があった。菊は
開封の市の花と指定されて、毎年の10月28ひから11月の28日にかけて、丸一カ月間菊祭りを行う。この時期になると、開封の至る所で菊がみえ、菊の世界のように思わせる。100種以上20万株あまりの菊が市内の公園や道端に飾られて、各地からのお客さんを迎えている。菊祭りと同時に舞踊会、民間遊戯、地方軽食、土産の展示即売等もお行われる。
開封の提灯祭り
開封の元宵節(旧暦の一月十五日)提灯祭りは千年もの伝統を持っている。まだ冷たそうな明月を眺め、いろんな形の提灯や灯篭を持ち、にぎやかな人込みの中で見たり見られたりする。現在は殆ど中に電球を外側に「孫悟空や竜、干支等の動物の模様もよく見える。いろいろな造型になっている。
東京禹王廟縁日
寺参りは開封の昔からの伝統で、年に一回東京禹王廟で行われる縁日は伝統民間文化のイベントである。縁日の間、民間祭りの他に獅子舞、太鼓、陸上船、竹馬、チャルメラ競技、預劇、京劇等豊富多彩な民間芸術の出し物が出され、観光記念品の展示即売が行われる。毎年の4月18日から5月8日まで開催。
闘鶏
闘鶏は中国では西周時代からもすでにあったもので、当時は上流社会の間で流行していた。前漢時代や6朝時代になると民間でも展開するようになった。「史記」の中に闘鶏について書いてある。唐の時代になると、玄宗帝が闘鶏が大好きで、宮にも鶏の訓練所や闘鶏所を設けていた。
宋の時代になると、「嶺外代答」や「爾雅翼」などがの闘鶏についての書籍がすでにあった。
明の以後になると、闘鶏の慣習はすでに海外に伝わっていた。
闘鶏は鶏の選択や飼育、管理、訓練には一連の厳しい方法がある。まず、鶏の選択は純種の血統でなければなりません。また、体の大きいものではないと使えません。毛のいろは上半身は黒、下半身は白のほうが最も理想的なものである。餌には混合飼料と動物蛋白飼料や青菜等いつも冷たい冷や水を飲ませる。鶏が大きくなるうちにいろいろ訓練を受けさせなければならない。
闘鶏を鑑賞することも大変面白い。闘鶏のルールはいろいろあるが、ます、試合に参加する鶏の大きさ、高さ、体重、年齢も相当するものでなければならない。普通は土台の上に白い布で囲まれ、双方の鶏の持ち主と公証人しか壇上にあがることができない。闘鶏は正に肉と血の戦いで鶏のプロレスといえるだろう。
凧あげ
かいふうでは昔からも凧上げをする習慣がある。毎年の三月になると、春風に吹かれて、各種の凧が空を高く飛んでいろのがよく見える。
中国は凧のふるさとで、中国の北方では紙鳶といい、春秋時代からすでにあり、いままで2000年以上の歴史がある。「韓非子外諸説左」の中には「墨子が木で鳶を作り、三年間かけてやっと成功し、空を一日飛べば、失敗をした。」記載がある。
あとの歴代には凧についての書籍や等がたくさんある。「清明上河図」という名画にも凧上げの姿が見える。
現在の開封も昔の凧の作り方より、もっと多くの形のものが作ることができ、鷹、鶴、燕、蝶々、蝉、魚、蜻蛉、龍等のものを生き生きと作り、春の空に賑やかさを。
盤鼓
開封の盤鼓は太鼓とも言い、また太平鼓とも呼ばれる。中国の中原地方の人々が大好きな民間芸術の一つである。開封の盤鼓の拍子が激しく、勢い強く、音色が特別で、正月や記念行事のある時に踊りながら、太鼓をたたき、開封の人々の豪放の性格を太鼓で感じられる。
太鼓は北宋時代からすでに早まり、当時の都には太鼓を教える所もあった。近代に入ると、雨乞い等の民俗活動にしたがって、盤鼓はその仲間入りになり、最も重要な役割を果たしていた。民間人の話によれば、雨乞いには太鼓をもっと響き、天上の神様や稲妻様、地下に龍王様、地蔵様を感動させるためにたたかなければ、雨が降ることができない。
開封の盤鼓が民間舞踊として重要な存在である。
夜店
開封の夜店は後漢時代からすでに始まり、唐の時代からは「夜市」と呼ばれるようになった。北宋時代の宋の太祖が当時の開封府に「京城の夜店なら三鼓(翌日の4時ごろ)以来禁じてはならん」と命令をした。
現在、夜店の中では一番有名なのは鼓楼夜店である。毎日のように退勤時間になると、四方八方から手押し車で決まった場所に集まり、営業が始まる。家族連れや恋人同士、お友達等がみんなここに集まり、料理を楽しんでいる。夜店には、一番多いのはいろんな地方の味、ラーメンや餃子はもちろん、貼り餃子、削り面、羊肉の串焼き、ニクマン、甘酒、ワンタン等100種以上のものがある。料理の作り方としては、炒め、蒸す、似る、から揚げ、焼く等の方法がある。
観光客なら開封の夜店を絶対見逃すことができないものとして、スケジュールに盛り込むのである。