筆者と韓国音楽の出会い
高校生のとき学校の図書館にあった韓国を丸々特集したグラビア雑誌にひきつけられた時からはじまった韓国への興味は、ちょうどそのときミュージックマガジンの韓国ロック特集読んでいっそう爆発したのででした。87年のことです。その特集記事を書いたのはディープコリアの湯浅学さんなのですが、その特集には当時の韓国を代表するロックグループが多数紹介されていました。私はその記事を読んでものすごく聴きたくなり、その雑誌に韓国ロックのレコードを売っているお店の広告をみつけすぐさまお小遣いを持ってそのお店のあるアメリカ村まで行きました。そのとき買ったレコードがソンゴルメの2集、当時韓国語も勉強し始めていた筆者は曲の中に知っている単語がチョロット出てきただけでもすごく感動し、学校で英語の授業もあるくせにこういうことで語学の楽しさに目覚めたのでした。それから韓国のラジオ放送も聞くようになると一気に韓国音楽に対する関心や、カセットテープも増えていきました。
世界的な反戦ブーム。60年から70年は韓国もフォークソング主流だったが・・・
ベトナム戦争が起こると世界的に反戦ムードが高まりヒッピーブームとフォークソングブームになった。日本もそうだが韓国もやはりフォークソングブームが到来した。しかし韓国のフォークソングブームは労働者運動と関係も深かった。韓国のフォークソングの最高傑作と言われる”朝露”は労働者運動の現場や学生運動の現場にはなくてはならない団結歌となっていた。しかしニューミュージックのフォーク系もいいアーチストがたくさん誕生した。ソンチャンシクのツインフォリオ、チョドンジンなど、のちにヘバラギ、ハンマウムと80年代前半までフォークソングブームは続く。チューヨンピルは80年から彼独自のスタイルにとらわれない作品を我物顔で発表していく。この後”ナミ”という欧米ポップス張りの曲をハスキーボイスで軽く歌い上げる歌手の登場もこの時期の韓国歌謡の特徴である。
大学歌謡際
80年代韓国はグループサウンドブームだった。特に大学生を中心としたバンドが多かった。さまざまなスタイルを持ったバンドが登場した、ソンゴルメ、ポンニムドゥル、ドゥルクックァ、タソソンカラッ、これらはすべて個性的でどれも楽曲がすばらしかった。彼らのほとんどは大学歌謡際などの大きな新人の登竜門的イベントから入賞してきたグループである。しかし同時にカフェ音楽ブームでもあった、アイドルのような歌手にも女子中高生に人気はあったが、女子高生がよくたむろしてわいわいやっていたDJブースのあるコーヒーショップ(いまはほとんどないかも)で人気の高かったイムンセやカンインウオンのようなニューミュージック系も人気があった。イムンセがDJを勤めたMBCピョリピンアヌンパメとKBSのパムリジュンクデエゲは中高生にものすごく人気のあったラジオ番組であった。この時代日本の深夜ラジオ放送は主にゲラ笑いネタに走る番組が多かったが、お隣韓国ではしっとりとした歌をかけDJが甘い声で詩を朗読したりよい話の手紙を読んだり、独特なムードの中かかる曲もまたムードのある歌謡曲や洋楽だった。
90年代前半、空前のポップバラードブーム到来!
90年代の前半は韓国歌謡界にとってバラード曲全盛のときだった。そのブームは実は80年代後半から始まっている。87年の大ヒット曲イジョンソクのサランハギエに始まりチョハムンのイバムルタシハンボン、チェホソプのセウォリガミョン、これらの曲は3週4週1位を勝ち抜いた名曲である、特に韓国は秋にバラードがヒットすると言うジンクスがこの時期あった。これらの曲が火付け役となり、そのあとの歌手たちの出すアルバムはほとんどA面一曲目からバラード、いう感じの物が多く続いた。そして90年代、そこに彗星のごとく登場した歌手が、シンスンフンやイスンファンであった、めがねをかけ知的な雰囲気でバラードをさらりと歌う姿は一つのトレンドになった。また一方、80年代終わりに活動したソバンチャなどはなりを潜めていった。またアンダーグラウンド歌謡界では早くからバラードブームでもあった80年後半に登場したユジェハ、そして90年ごろからキムヒョンチョルなどが頭角をあらわしたのである。彼の音楽はその後の韓国音楽をかえていったのである。

次回へ続く