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『アッカチュ・バッカチュ』とは
『ガラクタだけれど捨てられない物』
以前、よく小学校や中学校でインドを紹介するボランティアに参加していた。子どもたちの質問でわりと多かったのがことばについてで、『ヒンディー語で「いただきます」は何と言うのですか』と何度か聞かれた。本で調べたり、まわりのインド人たちに聞いたりしたところによると、『シュリ ガネーシュ キージエ』と言う。ガネーシュはシヴァ神の息子。一説では、父親がうっかり頭を切り落としてしまい、たまたまいた象の頭を代わりに付けられてしまったというなんとも可哀想な神さまだ。この象頭の神さまは物事の始まりや、学問を司ると言われ、とても人気がある。いろいろな場面でモチーフとして用いられることが多いので、ヒンドゥー教の神々の中でも有名な存在だ。
ところが、私はずいぶんと長いことインドに通い続けているのだけれど、食事の前に『シュリ ガネーシュ キージエ』と言ってから食事を始める家族、もしくは個人に出会ったことがない。本当に一度もない。それどころか、家族が揃ってテーブルに着いて食事をする光景に巡り会うことさえとても希なことなのだ。
『いただきます』に相当する言葉があるのに、誰もそれを使わない。大きな謎だ。みな声に出さず、心の中で神と対話しているのだろうか?
ちなみに、普通インドの家庭では子どもたちが最初に食事をとる。子どもは神様なので、一番優先されるのだそうだ。その次が男たち。そして最後が女たち。私は末息子の嫁なので、最後のそのまた最後(笑)。
インドでは『バフー(嫁)』は何かと制約が多くて、仕事は多いわ自由は無いわ…。余所の男性と話しなどしようものなら、血相を変えた家族の者に無理矢理引っ張って連れ戻されたりする。それでも私は異邦人なので何かと特典があり、儀式などで本来『デオラニ(末息子の嫁。なんとこんな単語が存在するのだ!)』がやるべき仕事を免除され、長男の嫁によく『これは本当はあなたの仕事なのよ』と愚痴られる。そんな時は言葉が理解できないふりができるので摩擦が生じることもなく、平和に暮らしている。
そう言えば、『ダンニャワード(ありがとう)』も『マーフ キージエ(ごめんなさい)』も、誰かが言ってるのは聞いたことないなぁ。
インド暦5月の1ヶ月間、インドの聖地は巡礼たちで活気づく。ある年のこの月、私たちは果敢にも、『ボールバン』と呼ばれるシヴァ神への巡礼の旅に挑戦した。
私たちのスタートはUP州のスルタンガンジという街。そこでガンジス河の水を汲み、その容器を天秤棒の前後に付けて運び、ババダームのシヴァテンプルに奉納する。全行程は105qで、それを裸足で歩き切るのというもの。日中3時間程は強烈な日射しを避けるため木陰で休憩するため、4日〜1週間の旅となる。
前夜叔母が『シャクティ』を与えてくれるというメヘンディを足と手に描いてくれ、早朝彼女の作ったお弁当を持って、この初めての体験に心弾ませて出発した。
しかし、身を清めるためガンジス川の濁流に頭まで漬けられた時、ある予感がかすかに脳裏をよぎり、何キロもいかないうちに唇は『水戸黄門』のテーマを口ずさみ始め、そして日が沈む頃には後悔で背中が重かった。でも、ひとたび巡礼の旅に踏み込んだら後戻りはできない。なにせ、肩に食い込むこの水は神のものなのだから。
旅には、ルールが沢山あった。巡礼の衣装は黄色かオレンジ色。『聖なる水』の容器を決して地面に触れさせてはいけない。化粧品、石鹸、シャンプーの類は一切使わない。櫛もだめ。革製品を身につけてはいけない。肉食の禁止、私語の禁止…等々。特に、動物との接触、排泄、うたた寝の後は、冷水シャワーで身を清めるまで、巡礼の列に戻ることは許されない。
地平線まで続く赤土の大地、木々の濃い緑、煉瓦造りの廃墟に絡みつく蔓草。長閑に草をはむ牛や山羊。どこまでも青い空。前方には炎天下のマリーゴールドのような黄色い衣装の行列。目眩がしそうなほどの夏の光…。時には軽い苛立ちを感じながらも、歩いて行くうちに『神々が双六に興じているみたいだ』などど不謹慎なことを考える余裕も生まれてきた。私など、無数にある黄色い駒の一つ。
ある日は山の上で夜を迎え、見上げた星たちがあまりに大きく美しいので、足の裏にできた水ぶくれの痛さをしばし忘れた。
32キロ歩いて前後不覚なほどクタクタだったある夜のこと。あろうことか、当時2歳の息子が到着しているか確認するのも待たず、宿に着くなり土間に薄いシーツを敷いただけの寝床で深い眠りに落ちてしまった。子どものこととなると滑稽なほどに心配性な私なのに!
同行の叔母にその話をすると、「悩むことさえできない程の疲労、それもバガヴァン・キ・クリパー(神の恩寵)なのよ」と微笑んだ。
この沈黙の巡礼は後から思うと、心に残る、学ぶことの多い旅だった。途上、いろいろ哲学したものだ。「疲労も神の恩寵」と言った叔母のことばや「旅の荷物は少ない方が良い(人生という旅もまたしかり)」という発見には、目から鱗が落ちるような思いがした。
だが、しかし、日焼けしたすっぴんの顔で、しかも梳れないためすっかりレゲエ状態での記念撮影だけはやめておくべきだった…。けっこうコワイ。
大好きなネパールとインド。その決定的な違いは現地の人が見知らぬ相手に対して微笑みかけるか否かだと、最初にインドからネパール入りしたときに思った。足の指に力を入れて立っていなくては押し倒されそうなインドとは違い、これでも隣国かと思うほど、そして、そのまま前のめりにこけてしまいそうなほど、ネパールはソフトな国に思われた。(あくまでも比較の問題ネ。)
その後、シッキムやダージリンなどネパール・チベット系住民の多い地方を旅したが、生粋のインド系インド人(?)に比べれば我がモンゴリアンは微笑む頻度が断然高い。
インド人は見知らぬ人に微笑みかけたりはまずしない。初めてインドを訪れる人は、某インド航空会社の客室乗務員やホテルの従業員、いたいけな子どもから商店オヤジさんに至るまで、「なんでこんなに無愛想なんだ?!」と怪訝に思うほどだ。
もしも観光地の街角で「ハ〜イ、日本人?」なんて笑顔で近づいてくるヤツがいたら、あなたは確実にカモにされそうになっていると思って間違いない。(日本語堪能な人には要注意!)
しかし、最近はアメリカ資本のファーストフード店が多数進出しているので、例外もある。例えばマクドナルドやピザハットの店員たちはとても明るくフレンドリー。(『マニュアル通り』なのだろうか?)彼らは実によく笑うし、もの凄く早口の英語で食事の感想などを求めてくるので、こちらが慌ててしまうほどだ。
インド人が無愛想だと言っても、それはあくまでも見知らぬ人に対してのこと。親しくなれば、驚くほどステキな笑顔を見せてくれるのは言うまでもない。
インドの習慣で、「左手で食事をしない」「肌を露出しない(腹は○だが、胸は×)」などは良く知られるところで、初めてインドを旅行する人たちなどは予め注意を促される。インドでしばらく暮らしていると、その他にも、生活の中にあまりにもたくさんのルールがあることに気付く。『〜曜日に××してはいけない』(例えば、『月曜日にはひげを剃ってはいけない』)という形式は無数にあるし、『〜曜日に××しなさい』(例えば、『土曜日にはお粥を食べなさい』)という形式のものもこれまた無数にある。
初めのうちは、ロシア民謡の『1週間』を地で行っているようで、興味をそそられ、♪テュリ・テュリ・テュララ〜♪と鼻歌交じりで楽しめるのだけれど、あまりにも信仰篤いインド人家庭に1週間も滞在して『あれをしろ」『これはするな』と言われ続けていると、『もうやめて!』と叫びだしたくなる。
『ジューターを避ける』というのもそんなルールの一つ。ジューターとは穢れ(けがれ)のことで、履き物、人が口を付けた食器、食べかけの食品、客の前に一度出された菓子など、生理中の女性、眠り、死、犬や猫、糞尿(ただし牛のは別)などなど。祭りやプージャなどの特定の行事には、それぞれ特定のタブーがある。また、ベジタリアンにとっては肉・魚・卵やそれを食する人間も汚れているし、ベジタリアンでなくても、祭りの日などには肉・魚・卵は穢れになる。
調理中に味見をすると料理が『ジューターになる』との理由から、味見は絶対に御法度という家庭もよく見かける。もちろん、そんなお宅で食事をご馳走になると、時々、塩を入れ忘れたカレーなどに遭遇することがある。
毎年夏休みになると、子どもたちを連れて40日ほどインドで暮らす。ホテル暮らしなら問題ないが、親戚や友人の家に長期滞在するときに一番困るのが子どもたちの食事。日本式食生活に慣れきったわが子たちにとって、普通のインド人家庭で暮らすのは、ただ単に『スパイスが口に合わない』というだけではない。
最近のインドには欧米のファーストフードチェーンなども進出していて、外食で肉類を口にする人たちは以前に比べて増えているように思う。しかし、家庭ではベジタリアンが圧倒的。チキンやマトンを食する家でも、台所に肉類を持ち込める家は僅かだ。この場合は、ベランダや屋外に専用のレンジとガスボンベを用意し、専用の鍋と専用の調味料で調理し、専用の食器で食べ、汚れた食器は所定の位置に置く。食器を置く場所がトイレの中でも驚いてはいけない。水を飲んだコップさえ台所に持ち帰ることができないほど徹底している家庭に滞在して四苦八苦したことがある。要するに、ベジタリアンは穢れを受けてはいけないのだ。
インドの台所はとても神聖な場所。プージャガル(祈とう室)が併設されている場合が多い。そして、神聖な台所の中でも、『冷蔵庫』は最も神聖な場所だ。したがって、肉・魚・卵(ノンベジ食材)を保管するなど、以ての外なのだ。肉を台所に持ち込めるような進歩的(?)な家庭でも、ノンベジ食材を冷蔵庫に保管することはまずない。じゃあ、インドの中流以上の家庭にはくまなく普及している感のあるあの大型冷蔵庫の中身は何だろう?飲み水だけ、という家庭も珍しくない(笑)。
家主の好意でノンベジ食材を調理可能だとしても、灼熱のインドでは冷蔵庫に入れることを拒否された肉や卵はあっという間に無惨な姿に変わってしまう。そんなわけで、ホネの髄まで『ノンベジ』な我が子たちは、外食するのに適当な店の探せない地方の一般家庭に滞在すると、たちまち飢餓状態になってしまうのだ。
(注:レストラン、ホテルなどでは冷蔵庫を本来の意味で使っていると思いますので、旅行される方はご心配なく。)
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