第4章職業乞食の物語
この男の本名は誰も知らない、只乞食達は彼のことを”警督”と呼んでいる。 彼は自称西安生まれの西安育ちで、昔は西安の外れにある農村で民間教師をしていたそうである
(民間教師=教員免許は持っていないものの、農村では激度の教員不足で知識のある人間が教師を務めることがある。村から寄付金が少し貰える)。
彼の故郷は山に囲まれており、学校もなく文盲率が凄まじく高かったが、彼が北京の高校を中退し故郷に帰り、やることもなかったので村長に乞われて教師をやることにした。 彼が教師になってから村の識字率も上がり、皆に喜ばれ、一年もすれば彼は村の名物教師として村のみんなからの尊敬を集めるようになっていた。 給料は安かった物の村民から毎日食糧や肉を貰ったりして生活を何とか切り抜けていた、彼も聖人君主ではないから金も欲しい、あれも買いたいし、これも買いたい。 しかし金が無い、今は民間教師だが必ず公認教師になってやる!!
(公認教師=教員免許は持っていない物の国から寄付金がでる、民間教師の寄付金とは桁が違う)
彼はそんなささやかな夢を持っていた。 教師を始めて10年の月日が流れそれが夢ではなくなったのだ!!村長がある頼み事をしてきた、何でも隣村に赴任して欲しいとのことだ。 隣村にも学校が無く、隣村の村長が此処の村の村長を拝み倒し、どうしてもとの事で断り切れなかったらしい。 又自分が教師になってから此処の村から高校に入学した子供も出、その子が帰ってきて此処の村の教師になっても良いと言ってきているので後顧の憂いもない。 しかも隣村に行って数年すれば2つの村の村長が彼を公認教師に推薦してやるとも言っているので行くことにした。
着いてみて一番驚いたのは教師が居ないどころか、校長も居ない!!!仕方なく校長兼教師の二股生活が始まった。 死ぬほど大変だった・・・算数、理科、社会、体育を自分一人で教え、その後雑務、事務を自分でする。 公認教師になりたいのも一つはあったけれども、やはりやり甲斐があったからこそ自分はがんばれたのだと思う。 その後此の村で妻を娶った、隣の家のとても可愛くて優しい子だった。 彼女も教育を受けたことが無かったので、教師という職業を心の中から尊敬していた。 素晴らしい人生だった、優しい妻と可愛い生徒達に囲まれ至福の時だった。 又数年が経ち村長から後4年居て欲しいと頼まれ引き受けた。 何でも村長の娘も来年高校受験だそうで、自分が去ったら教師が居なくなるからとのことだ、又4年後には必ず推薦証を書くからと言うので残ることにした。
4年の月日が過ぎた・・・その間に娘も産まれた、3人家族なので食事もままならない・・・給料も安いので服も買えない、水飲み場も5qも離れているので自分が行くしかない・・・しかし公認教師になったらその苦労も全て消えて無くなる!!!なぜなら国が良い場所に住居を用意してくれるからだ!!!
公認教師になれる!!これが只唯一の希望だった・・・しかし何故か村長の娘が高校を卒業し、村に帰ってくると公認教師として村長が勝手に手続きをし、村長の娘が公認教師になった・・・問い詰めるために村長を訪ねても 「風邪で出られない」、「病気だ」 との理由で会おうとしない。 そんなこんなで一年が過ぎ、妻が又妊娠した。 公認教師になれないのならば娘が居てもしょうがない、娘はいつか居なくなる物だ、息子が欲しい!!!一人っ子政策違反なのは解ってはいたが、どうしても息子が欲しかったのだ・・・一寸すると今まで会おうともしなかった村長がやってきて 「お前のやっていることは国策違反だ、今すぐ堕胎手術を受けてこい!!さもないと公認教師の推薦状は絶対に書かんぞ!!」 20年近く民間教師をやってきて、未だに公認教師じゃない自分・・・公認教師は自分の夢だ・・・妻を説得して堕胎手術を受けさせた・・・妻は泣いて反対したが自分が無理矢理病院に連れて行き手術した、赤ん坊は男だった・・・
その後妻は精神に異常をきたしてしまった。 しかも手術の事後処理が悪かったせいか、身体に異常を来し歩くこともままならなくなり、寝たきりとなった。そのための治療費、入院費を借りるためにそこら中を駆けずり回った。 今までの教え子や、その家族、親戚、全てを回った。 しかしみんなの反応は冷たい物で金はほとんど集まらなかった・・・仕方なく自分の持ち物全て、豚、鶏などの家畜、そして家。彼は持っているの物全てを売り払い、何とか1500元を工面したがそれだけでは足りるはずもなく、数日したら病院を追い出されてしまった。
自分たちは仕方なく妻の実家に身を寄せ、妻の残りの人生を共に過ごすことにした。 妻はその日以降死ぬまで自分の実家から外に出ることはなかった・・・太陽の出る前から水を汲みに行き、その後朝食を作り、学校に行き、夜帰ってきて夕飯を作る。 この様な生活が4年ほど続いた後、もうそろそろ公認教師の推薦状を書いて貰えるかな? と思い村長の家に行って来いて見ると
「お前は政策違反したので、二度と推薦しない!!!」
と、全く話にならない答えが返ってきた。 堕胎手術したら推薦状は書く、と言ったじゃないか!!!と問いつめてもしらばっくれるばかりで全くの無視、挙げ句の果てには嫌なら教師も首にするぞ!!!と、脅迫されてしまった。
教師になって25年、送り出した学生の数200人、一日2毛の手当で頑張ってきた最後の報いがこれか・・・自殺も考えたが家に帰れば骨と皮ばかりになった妻と、まだ幼い娘2人・・・死ねない・・・一番上の姉を街に出し家政婦として働かせ、2番目の娘に妻の面倒を見させ、自分は北京に働きに行くことにした。
家を出、北京に着き、数日間仕事を探してようやく見つけた仕事が ”人力車引き” だった。 頑張って仕事をしていたが、給料日になっても給料が全く貰えない・・・社長に聞いてみると
「お前の部屋代と、食費で給料はチャラだ!!!」
騙された!!!と思っても、もう遅い・・・手元に金は一切無く、何処にも行けない、給料は貰えない・・・そんなこんなで2ヶ月ぐらい過ぎた頃、チャンスはやってきた!!!北京の外れまで客を送ったとき道端にいた男が
「それ(人力車)いくらで売る?」
と、聞いてきたのだ。 これはチャンスだとばかりに
「お前いくらで買う?」
と、聞いてみたら80元と言われたので、売り払い3ヶ月分の給料の代わりに売り払うことにした。 その男が金を貰う前に試し乗りをしたい、と言うので試し乗りをさせたらいきなり乗り逃げしようとしたので捕まえて揉み合っていたら、公安が来て 「どうしたんだ?」 と、聞いてきたので説明しようとするとこのこそ泥がいきなり 「泥棒です、お巡りさん」 なんて事を抜かして自分を泥棒呼ばわりしやがった。両方ともあいつが泥棒だ!!!と、言い張るのでとりあえず2人とも派出所に連れて行かれ、一切合切を喋らされ、車体番号から家のオーナーを呼びだし事はなきを終えたのだが、自分が人力車を売り飛ばそうとした事も知られ、その場で首になった。 しかも俺の荷物は全てハサミとハンマーでぐしゃぐしゃにされ・・・使える物は何もなくなり、自分の持ち物は今着ている服だけになってしまった。
そして残された道はただ一つ、 “乞食” だけだった。 最初は地下道で目を閉じ、まるで盲人の様に声の続くまで歌を歌ったり、足を服の仲に隠して身体障害者の真似をしたりして金を稼いでいたが、そのうち自分の知識の深さに感銘して色々な乞食達が自分の周りに集まりだしてきて、一つのグループとなった。 もうその頃から自分の仕事は乞食を組織化し、仕事を割り当て、上納金をピンハネをすることが主体となった。 自分は変わったと思う、今の自分は人間のくずだと思う。 家のシマに無断で入ってきた乞食には容赦はしない、子供だろうが、身体障害者だろうが、老人だろうが、許可無く物乞いをした奴には鉄拳制裁有るのみだ!!!
ある旧正月に実家に帰ったときに妻が死んだ、只唯一の慰みは今まで妻が見たこともないような大金を見せてやれたことだ。 家の地方の風習で旧正月の間は葬式をしてはならない事になっている、自分の妻は実に可哀想な人生だったと思う。 しかし許せないのは他の村民達である。今まであんなに面倒を見てやったのに、自分が苦難に遭うとみんな手のひら返したように無視したくせに、俺が北京で大もうけをしたと聞くと又擦り寄ってくる・・・心の底からこいつ等を殺したいと思った
妻が死に、娘を結婚させ、身寄りの無くなった自分はさっさと北京に帰り今まで温めていたアイデア “身体障害者乞食グループ” を設立させた、このアイデアは大当たりで身体障害者は他人の同情心を引きやすいから大儲けだった。 確かに非道い事もした、身よりの居ない子供乞食をさらってきて腕や、足を切り落とし無理矢理身体障害者に仕立て上げたこともした。
確かに俺は人間の屑かもしれない、乞食を酷使しその金でホテルに住み、女をはべらかしている。 しかしよく考えて欲しい、もし誰かが乞食達を管理しなければ乞食達は自由気儘に犯罪を犯すだろう。俺だって社会の役に立っているんだ。