1999年 2月22日(月)
今日は出発の日だ。朝5時半起きで7時に関西空港に向かった。関空にはたくさんの人がいた。でもマレーシア航空で行く人たちの顔をみて日本人なのに何故か皆アラブ系の顔をしていることに驚いた。母国にさよならを告げいざ出発と飛行機に乗り、席に座るとどこからともなく異様なにおいがぷ〜んと漂ってきた。いそいで自分の体を確認したが自分ではなかった。隣の奴だ!!そのにおいといったら汗だくのTシャツをロッカーに放置していたような臭いだ。その異様な臭いのせいで楽しみにしていた機内食のチキンもまずかった。
飛行機に揺られ6時間半、こんだけかかったのに日本との時差は約1時間だけ。そうこうしているうちにマレーシアに着いた。ここは私が思っていたよりも都会で空港も広く、案の定方向音痴の私は空港で迷ってしまった。知らない国で迷子になるとこれほどまでに不安になるのか?見る人すべて私をあざ笑うかのように見えた。片言の英語でなんとか入国審査までたどり着き晴れてマレーシアに入国。しかしどこに行くとも決めてなく空港前でこれからのことを考えていると「アジー」と名乗る男が話し掛けてきた。安くていいホテルに連れて行ってくれるらしくその男の言うままに私はついて行った。今思えばなんでついていったのか、怪しまなかったのか・・・?と思うが多分、寂しさに押しつぶされそうだったのであろう。アジーは私をちゃんとホテルまで連れて行ってくれ明日も迎えに来るといって立ち去っていった。ホテルは綺麗でおばちゃんも親切で近くの屋台に行きマレーシアの家庭料理を満喫して寝ることした。明日は朝7時にミャンマーに出発だ〜!
2月23日(火)
今日ミャンマー入りした。ミャンマーの首都ヤンゴンの空港を降りてすぐに2人のミャンマー人にタクシーの勧誘をされた。無茶苦茶しつこいのでとうとう折れてしまいそのままタクシーに乗ってしまった。NOと言える日本人になりたい・・。とりあえずスーレーパゴダに行ってみたがそこいあったのは金色に輝くパゴダ。ここはヤンゴンのへそと呼ばれ、街の中心でもある。タクシーのガイドのウーというオヤジがこと細かく英語で説明してくれた。英語がまったくわからない私は合図知を打つのが精一杯であった。そのあと川沿いにあるボウタタウンパゴダに行き腹が減ったので昼飯を食うことにした。ウーにいきつけの飯屋につれて行ってもらいチキンコーン、ポテトフィッシュ(油ぎとぎと)、ライスを注文してみた。味はそんなにまずくなくぺろりと平らげた。まだミャンマーの物価を把握してなかった私だがこれだけ食べて500チャット。安いのだ!腹がいっぱいになりチャウッタッヂーパゴダに行き大きな大仏を拝見した。奈良の大仏ぐらい、いやそれ以上に大きい大仏でその大きさに驚いているとウーがこれの数倍の大きさの大仏があるんだと得意げな顔で笑った。日が暮れてきてホテルに戻るとウーが涙目で明日もガイドさせてくれと依頼してきた。今のところウーはいい奴なのでいいよと言うといきなり30ドルだせ!と迫ってきた。さっきまでのやさしい目ではなくぎらぎらした目で私を睨みつけてきた。やっぱりこれか・・。と思いながらディスカウントを試みたが全然聞く耳を持たず30ドルの一点張り。なんだか怖くなってしまいトイレといって部屋に閉じこもりウーから逃げようとした。何回か部屋の前まで来てごじゃごじゃ言っていたがあきらめて帰っていった。自分の臆病さがつくづく嫌になってきた。旅の出だしがこうなのでだんだん悲しくなってきて日本に帰りたいとさえ思ってしまった。明日はいいことがあるようにと祈りながら寝ることにした・・。
2月24日(水)
つかまった!やられた〜!うかつにも宿を出たときにウーにつかまってしまった。「GOOD MORNING!」恐ろしく笑顔だった。しかしウーは私に「バゴーに行く?行くんなら連れて行ってやる、もちろんノーマネーだ」と予想とは違った答えが帰ってきた。信じていいものかと思ったが私は信じてみることにした。まず4つの顔のある仏像があるチャィプーン、つぎにミャンマー最大の仏像があるシュエタ−リャウンパゴダを訪れた。相変わらずでかさには驚かされるばかりだ。明日はチャイティーヨ−パゴダに行くのでその山の麓の町キンプンにあるGEST HOUSEと言うゲストハウスに泊まることにした。そこはまさに時間の流れがすごくゆっくりでまるで時間が止まってるような感じがするのである。風景もまた時代がさかのぼったという感じですこし変な気分がした。その時間のなかで宿の主人が出してくれたお茶(中国茶のようにさっぱりとしたお茶)をすすりつつウーの話を聞いた。ウーは高校で英語を習ったらしく英語はぺらぺらである。私も中学、高校、大学と英語を勉強してきたがウーの言ってることの3分の1ぐらいしか理解できない始末である。なさけない・・。ウーは金がなく大学にいけず生活のためタクシードライバーの道を選んだらしい。ここミャンマーでは小さな子供はほとんどなにかしら働いている。昼に行った寺院でも子供達が必死で絵葉書を売ろうとしてくる。自分が幼いころ、親にあれ買ってくれ、これ買ってくれとせがんでいたのが少し恥ずかしく思えた。それと同時に日本に生まれてよかった〜とも思えた。日本は恵まれた国で、そこで育った私は多分日本でしか生きられない軟弱な体になってしまったのだろう。ここの宿は水しかなく、たるに入った水をばしゃばしゃとかぶるまさにオールドスタイルな風呂?にはいり明日に備え寝ることにした。
2月25日(木)
朝5時起床。ウーと一緒にパンとコーヒーを食べいざチャイティーヨ−パゴダへ。行きはトラックバスに乗りガタンゴトンとそのパゴダの麓に到着し、そこから徒歩で鬼のような山登り。とてつもなくすごい坂で加えて真上から照りつける35度の太陽の日差し・・・。死を感じた。何とか頂上にたどり着くとそこには金色の岩に小さなパゴダがちょこんと乗っているきらびやかなパゴダがあった。なんか太った王様が金色の冠をかぶっているようだ。金粉をはる作業をお手伝いできるらしく早速やってみたがなかなか面白く何枚も何枚もはっていると作業員から駄目だしがでた。何枚か金粉をくすね、昼頃にキンプン村に帰ってきた。そのままウーの車に乗り込みカムバックヤンゴン!帰る途中、エアコン無しの車の中、窓を開けているとはいえその強烈な日差しが肌をじりじりと焦がしていった。途中、遅い昼飯を食べることにしたがここら辺は何故かカレーが多くミャンマーに着いてから何度目であろうカレーをまた食べることにした。しかし今回は手を使って食べることに挑戦してみた。ウーからその食べ方を教わり、徐々にミャンマー人になっていく私。約5時間、車に揺られやっとヤンゴンに戻ってきた。最初ヤンゴンに来たときは右も左もわからなかったが、キンプンから帰ってきて何故かすごく安心できるような、また故郷にでも帰ったような感じを受けた。ウーとの別れの時をむかえ少し寂しかった。あんだけ最初はやな奴で、彼に怯えていたのに別れとなると何故か寂しくなった・・。また一人かぁ〜。手を振りながら去っていくウーを見つめながらウーにとっては私はただの「金を持っている日本人の客の一人」にしかすぎなかったんだろうなぁ〜と思いつつもすごくウーを美化してしまう。ウーはいい奴だったんだと・・。こんなに一人になるのが嫌なら一人旅なんてするんじゃなかったと思った。しかし来てしまったからにはなんか自分にとって良かったと思えることを見つけて帰ろう!と一人そんなことを考えながら宿で夜を過ごした。あとミャンマーに来てから一つ疑問がある。ミャンマーには多くの物乞いがいるが私はその物乞いに金をやったことがない。これはどうだろうか?優しい人、できた人ならここで物乞い達に金をやるのでしょうか?やらないことはいけないことなのか?これが最近できた唯一の疑問です。
2月26日(金)
腹の調子が少し変だ?チフス?赤痢?下痢オンリー人間に生まれ変わってしまった。まぁそんな調子で朝は動く気にもなれず宿で12時頃までだらだらしていた。宿の綺麗なおねーさんはすごくいい人で私のおなかを気遣ってこの宿周辺の安らげる場所を教えてくれたのでそのねーさんの言う湖に行ってみることにした。歩いて15分くらいでカンドーヂー湖に着いた。木がたくさん生えていてその木の下はこの上なく心地よかった。私の荒んだ下痢オンリーの腹を癒してくれるにはもってこいの場所だと思い早速昼寝をした。いま泊まっている宿には窓がなく全然風の通りがないのですごくむしむししているのでこの木陰はすごく快適だった。ふと目をやると私の周りにはミャンマー人のカプッル達が怪しげに絡み合っていた。まだ午後1時だぜ!と思いながらもついついそいつらの行動をちらちら見てしまう自分が悲しかった・・。
3時くらいまでそこで昼寝をして宿に戻った。宿に戻るとなんとその綺麗なねーさんがコーラを出してくれた。金取られるのかな?と思ったがね−さんの親切であった。旅をはじめて人の親切を疑うようになっている自分が少し寂しい気もするが、疑わないといつかひどい目に会うかもし知れないのでこれは仕方がない。おね−さんに別れを告げ近くのバス停まで歩き、バスに乗りヤンゴン郊外のバスターミナルまで行くことにした。何故って、次の目的地第二の都市「マンダレー」に行くためである。バスターミナルに着き、マンダレー行きのバスのチケットを買いバス待ちをしていた。このバスは夜行バスであり、「旅と言えば夜行でしょ」という変なこだわり?があって一回でいいから乗ってみたかった。沢木耕太郎に少しでもいいから近づきたかった、ただそれだけです・・・。来たバスは案外豪華でエアコンなんかがついていた。2000チャットなり。バスは出発し、6時間くらい乗ると夕食タイムで下ろされこれまたカレーをむさぼり、食って一息つく間に乗れ!と言われまたバス移動が再開した。途中でトイレ休憩みたいなのがあったのでせっかくだからしておこうと降りるとそこはだだっぴろい原っぱ・・・・。男達はそこらでジョー、女の人たちは少し離れて何故か一列に並びジョー・・。ワイルド!トイレも終わり、夜もふけてきて「さぁそろそろ寝よう」と心地よい眠りに落ちようとしていたらティータイムでバスは止まり人がどかどかと出て行く。最初の1回目は私も付き合いコーヒーとビスケットを食べた。食べ終え「さぁ今度こそ寝よう!」と思っているとまたティータイム。結局、何回かティータイムはあったらしく、あまり眠れぬまま朝4時半に朝食を食べることになった。もちろんチキンカレー・・・。うんざり・・。それからもバスは走り朝9時ようやく14時間の旅に幕を閉じるべくマンダレーに到着。
PS.マンダレー鬼暑い!空気悪っ!!
2月27日(土)
今日はこの旅始まって以来の日本人に会った。しかもいっきに4人。1人はK君。この人は日本で言う人力車?みたいな「サイカー」という乗り物をこよなく愛する21歳。あとはすごく旅行好きの変わり者、S君。この人とはこの先、すこし旅行を共にすることになります。そして残りの2人は2年前旅行で会ったのがきっかけで付き合い始めたI君、K子。K子はすごく気が強く私が一人旅がはじめてなのを心のそこからバカにした。彼女はもう就職が決まっていて、なんと婦人警官になるらしい。まぁお似合いですな。
マンダレーに着き、トラックバスに乗り「ナイロンホテル」というゲストハウスに着いきそこに泊まることにした。部屋はわりかし綺麗であるが相変わらず窓がなかった。でも、すごく場所がよく宿の目の前に大好きなアイスクリーム屋があり、これからはご飯を食べたあとはここでデザートタイムを取ろうと計画をたてた。昼3時くらいにこの近くにエーヤワディー川が流れているということを聞きさっそく見に行くことにした。方向音痴の私は距離にして3キロくらいの道をひたすら迷い、結局着いたのが5時くらいであった。夕暮れを背に川沿いを行き交う人々や、その川で水浴びをしている人々を眺めることにした。
のどが渇いたのでコーラを買って飲んでいるとドリフがやってきた。高木ぶーだ!!こんなところにまさか・・??と思うほどそっくりだった。ぶーさんはそっと近寄り、チョコンと私の横に座りなにやら訳のわからない言葉を発しどこかにいったかと思うと手に「さとうきびジュース」をもってまた私の横に座った。そして何も言わず「さとうきびジュース」を手渡してきた。微妙な色をしたこのジュースは明らかにまずいと言わんばかりであった。しかし勇気を出して飲んでみるとこれが以外にうまかった!!甘からず、苦からず・・。このあとぶーさんの理解不能な言葉を延々と聞き日が暮れていたので、ぶーさんに別れを告げ宿に帰ることにした。さっき迷った道をまた迷って帰るほどバカじゃない私は「サイカー」に乗って帰ることにした。乗ったサイカーの運転手はボボという若いミャンマー人のおっさんだった。嘘か真か知らないが彼は病気もちで、オヤジは船で死んで、家族全員まともにご飯を食べてないらしい。彼は英語が上手で彼の言うことが良くわかり嘘と思いながらもどんどん可愛そうになってしまった。気持ちがブルーになってしまった。今日は飲もうと思い、宿の向かいのバーのようなところで飲んでいると日本人の4人が飲んでいて一緒に飲むことにした。久々の日本語に心も晴れ、いい気持ちで酔えた。部屋に帰りふとボボのことを思いだし、これまたブルーになってしまった。なぜこんなにボボが心に残るのかわからないがすこし後味悪かった。