モスクワ紀行


ンドレイ・ニコラエヴィッチ・コルモゴロフ(1903/4/25-1987/10/20)は20世紀を代表する偉大な数学者の一人である。
 
2003年6月16日〜21日、彼の生誕100年を記念してモスクワ大学で開催された国際会議「コルモゴロフと現代数学」(http://kolmogorov-100.mi.ras.ru/)に出席してきた。

主催はロシア科学アカデミーとモスクワ大学であり、後援は前述の両主催者の他に、IMU(国際数学連合)、EMS(ヨーロッパ数学会)、NFS(全米科学財団)、UNESCO-ROSTE (ユネスコ-科学技術ヨーロッパ局)、CMI(プロバンス大学数学情報センター(フランス・マルセイユ))、RFBR(ロシア基礎研究財団)、OOO"CMT"(どこの何という組織なのか全然わからない)、MEZHTOPENERGOBANK(モスクワにある開発系の銀行と思われる)、加えてマイクロソフト、ボーイングなどの大企業も名を連ねている。

今まで様々な会議に参加してきたが、これほど仰々しいのは初めてであり、行く前から少し浮かれ気味であったことは否めない。

主に確率論で知られるコルモゴロフの業績はじつに多岐に亘っており、私が専門とする天体力学の分野でも大きく貢献した。

この国際会議のために世界?カ国から1000人以上の数学者が集い、研究交流をはかったのである。

中には著名な数学者も多く、ミーハーの私には楽しいイベントであった。

ちなみに先年バルセロナでお世話になったシモ先生にもお目にかかれた。

彼は招待されて講演するのであるから、押しかけて講演する私とは雲泥の違いがあるが、なぜか同じホテルに宿泊し、さらに会議の参加登録料は私の倍払わされていたのである。

おそらく招待されたこと自体を名誉と考えているのであろう(とでも考えなきゃやってられない、と思うのは私だけかな)、私とて申し込んだ研究発表が採択されたのは嬉しかった(にしても1週間前というのは遅すぎる)。

残念なことには、帰国便の関係で彼の講演を聞くことができなかったことである。

また、私の業界での超ビッグネームのV.I.アーノルド大先生の講演がロシア語で行われたことも残念なことがらのひとつであった。

大先生いわく、私の話はいたるところで英訳されているから今日はロシア語で話す、とのことで、当然内容はさっぱり理解できなかったのだが(たぶん日本語で聞いても理解できないと思うので、内容がわからなかった言い訳ができた分だけ有り難かったと言うべきか)、その凄まじいとしか形容のしようがないエネルギッシュな講演には数百人の聴衆は圧倒されっぱなしであった。

私の先入観では、大先生は1950年代ごろから活躍されていたはずだから、かなりお年を召していらっしゃるはず、だったので、若々しい姿には感銘を覚えた。

会議自体は、コルモゴロフの守備範囲の広さを反映してか、6つの分科会(1:力学系とエルゴード理論、2:関数論と関数解析、3:確率論と数理統計、4:数理論理と複雑性理論、5: 乱流と流体力学、6:幾何学とトポロジー)からなり、各分科会が2つの並行セッションからなる、つまり12セッション同時進行という大規模な構成である。

私も2日目の6月17日(火)18:30より20分を頂き、第1分科会で自分の研究発表を行ってきた。

使用言語は英語で、場数だけは踏んできたから、難なくこなせても良さそうなものなのだが相変わらず「改心のプレゼン」には至らないのは、準備の時間が不足していたことを割り引いても実に情けない。

会議での最大の収穫は、私の発表内容に関してシモ先生からたくさんのアドバイスを頂いたことである。


て、モスクワでは研究交流活動ばかりしていたわけではない。国際会議といえば、エクスカーションがつきものである。

辞書を引けば遠足と示されているが、今回の会議では、歓迎パーティ・バンケット・クレムリンの見学・モスクワの市内観光・ボリショイバレエ「ジゼル」・トレチャコフ美術館見学が用意されていた。当然全部参加したい。

だが、市内観光は聞きたかった講演と重なってダメ、ジゼルは私の講演と重なってダメ、トレチャコフとバンケットは私の帰国と重なってダメ、結局歓迎パーティとクレムリン見学に参加できた。

MSU-OMOTE 歓迎パーティでは色々な国の人とおしゃべりできたのが楽しかった。

スイスから来たという男が、「おれはエーテーハーから来たんだぞ」と威張っているのでそれはカーゲーベーの親類かと思ったが、あとからチューリッヒ工科大学のことと気がついて恥ずかしくなった。

アインシュタインの出身校だから大抵の人は知ってるものなのだろう。

でもよく考えてみたら、威張ってる方もつまらん男だ。

意外とウォッカというものはうまいというのが発見だった(結局それだけか)。

クレムリンとグレムリンは似ているが非なるものである。

当たり前のことだが、先日この件でもめたので、一応、断っておく。

クレムリンが形成されたのは1000年ほど昔のことで、城壁と言うような意味らしい。

この城壁は修理を繰り返しながら拡大してきた。

ソ連時代はソ連政府の中枢の代名詞として知られていたが、現在でも政治の中枢が城壁内に置かれている。

ただし、ソ連崩壊後は一般公開されるようになり、大統領官邸や大統領官房局などを除いて自由に見学できるようになった。

写真撮影も原則として自由だ。

おもな見所は4つの教会、武器庫、さらに武器庫の中に併設されているダイヤモンド庫であろう。

教会はオーソドックス(正教)様式で屋根にはイスラム寺院のようにタマネギが乗っている。

一つ一つの建物の大きさは小さい。

それにしても、クレムリン内は歩いて20分ほどで一周できる広さだから、教会が4つも必要とは思えないのだが、機能が異なっているらしい。

1、クリスマスやイースターなどの大イベント用。2、結婚式用。3、洗礼用。4、葬式用。なのだそうだ。

内部は彫刻などの装飾はなく、壁面や柱はフレスコ画の宗教画で埋め尽くされている。

ガイドの人(英語ぺらぺらのロシア美人)によると、天井に描かれているのは天上界、床に描かれているのは人間界、天井を支えている柱は実は天上界と人間界を結ぶ働きを表しているので天使が描かれているんだそうだ。

また、壁面には聖書の名場面が描かれている、といった具合だ。

なんでもオーソドックスでは聖母マリアは死ぬことになっているらしくて、カトリックやプロテスタントと異なっているらしく見学者との間で議論になっていたが、そんな細かい事情には疎いアジア人たちは(私とか香港人とか)、そんなこたぁどうでもいいよねぇ、とうんざりしていた。

武器庫には、その名の通り武器が納められているのだが、西洋式甲冑であるとか、ナポレオンの大砲だとか、古くて価値のあるものが多数陳列されている。

帝政時代の馬車などもあって、豪華絢爛たる王宮生活を想像できる。

見学が始まってから、ここまで約4時間が経っており、ろくに休憩も無いので誰もがかなり疲れていたのだが、最後にダイヤモンド庫を訪れた。

まず、原石のダイヤが山積みになっているのである。

そして、美しく加工された装飾用のダイヤもたくさんある。

その他に、エメラルド・サファイア・ルビー・アメジスト・アクアマリンなどがため息が出て酸欠で倒れそうなほどにある。

もし女性を同伴してモスクワを旅しようと考えている方がいらっしゃれば、ダイヤモンド庫だけは避けた方がよいと思われる。

さらなる出費が、それも夥しい額の出費が要求されることになるのは不可避であるからだ。


MSU-URA った5日間の旅とは思えないほど充実した内容であったが、最後に一つだけ記録しておきたいことがある。宿泊施設の貧しさである。

シモ先生に言わせれば、10年前に比べれば格段の進歩らしいが、到着した日に泊まったホテルで「今月はお湯が出ません、あしからず」の掲示にはまいった。

2日目からお湯の出るホテルに変更したが、貧しさには変わりなかった。

特に朝食のオートミールには悲しくなった。

同宿のロサンジェルスから来たというお父さん(教会の親睦旅行だそうだ)も言っていたが、飛行機が一番快適だった。

豊かさボケした日本人には是非行ってもらいたい都市の一つではないだろうか。





[写真のキャプション]
(1)モスクワ大学正面をバックに私の写真。
(2)モスクワ大学裏面。このタワーが30階建て。両翼は11階建てという巨大なビルは、モスクワでも最大のスターリン様式(らしい)の建築だそうだ。このビルはモスクワ市中央を見下ろす丘の上に立っているので市内からでも大学がよく見える。