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3月4日(月)
最近にしては早く目が醒めた。7時だった。

仕事もボチボチであった。解析の細かくて重い、そして見通しの立たない計算は、とりあえず敬遠して、

より本質的な問題に取り組んだが、新しい視点に気が付いた。決して楽ではないが、進んでいけそうな気がする。

なんとなく先週よりは情況が好転してきている。

でも、きっとまた間違いなんだろうな。

いつもそうだった。

私はかなり厚かましい精神の持ち主であると思っているけど、最近ちょっとね、だめですね。



3月5日(火)
で、やっぱり間違いを見つけた。思ったとおりだ。オマケにずっと前にやった計算の間違いも見つけた。

まぁしかし、訂正するのはいいことだろう、うん。
 

色々と気違いじみたケースの可能性が行く手を阻んでいる。

さすがにN体問題はこれまで300年もの間、多くの天才達の挑戦を退けて屍の山を築いてきただけのことはある。

私みたいな、へなチョコポン太郎が目指すのはおかど違い。

え〜い、研究なんか止めちゃえ!

そうだ、残り半年でスペイン語を完全にマスターして帰ろう。

これなら根気でなんとかなるだろう。

今月中にスペイン語の単語1万とイディオム6000を覚えれば来月にはペラペラだ。だから1日あたり

単語300とイディオム200、、、1時間に付き単語30とイディオム20、、、2分で単語1個、3分でイディオム1個、、、んー。

無理はやめよう。

ここに、スペイン語の文章を毎日一つ書こう(すごい後退)。

Ayer, vi a un jabali cerca del Tibidabo.
昨日ティビダボの近くで猪に会った。

La senyora cerca de mi ha dicho que esta acostumbrado a las personas.
私の近くにいた女性がそれは人馴れしていると言った。

実は、これは昨日作った文章。Teressaさんに添削してもらった。じゃ、今日の分ね。

Recientemente, no como nada para cena.
最近、私は夕食をとらない。

これは半分うそね。あまり食べないのは事実だけど、お茶飲んだりビール飲んだりしてる。食べる日もあるし。



3月6日(水)
某K高専のY氏からメールが来た。

日記を読んだ、研究をしているそうじゃないか、お前らしくもない、負けてられない、おれもやるぞ、

(原文はもうちょっと丁寧)という内容だった。お前らしくないというくだりにはちょっと悲しくなってしまった。

昨日、もう研究はやめたと宣言したが、撤回しよう。なんだかいいタイミングで人の闘争心を書きたてるメールが来るものだ。

とはいっても、闘争心だけで研究をしているわけじゃない、というか、どちらかと言うと闘争心は補助的なものなので

ちっとも捗るわけではない。

それで、今日は決意した。勇気ある撤退をする。単なる負け犬の遠吠えとも言えるが、あえて言わない。

仮定を強める。すんごく強める。ちぃさぁ〜い、ちぃさぁ〜い問題に置き換えるのである。micro problemだ。(泣き)

それだって研修期間中にできるかどうかわからない、というのが撤退の理由だ。

しかしだ、考えてみ給え。

敵は本能寺にある。もし自軍が坂本にあれば攻め入ろう。しかし坂本どころではない安土でもない。択捉ぐらいにあるのだ。

さすがにブエノス・アイレスとまでは言わない。

そしたら初めからスペイン語の修得だけにかけてましたよ、それからフラメンコ修行ね。

問題を提起すると言うことの重要性だけを訴えようかなと。

いろいろ考えたんですが、どうしても微分方程式の積分可能性の問題を避けて通れないんですな。

いきなり専門用語ですみません。これはすんごく難しい。

山で言えばモンブランにすっぱだかで登るようなモンです。(たとえがあたってないような気がするけど、そのくらい難しい)

だから、択捉からすっぱだかでモンブランを登ってから本能寺に行くような感じなので諦めた、というわけです。

あ〜あ。
 

今日の表現だ。

Comi fresa que habia comprado en el corte ingres
エル・コルテ・イングレスで買った苺を食べた。



3月7日(木)
今日の仕事は、ああっ、ううぅ、うほぉん。



つらいねっ



何にも書きたくない日もあるよ。

今日の表現だ。

He ido de comida para almuerzo a solas
お昼は一人で食べに行った。


3月8日(金)
ひねもす書を読みて暮らす。

エイブラハム、マースデンの書なり。

書名を Foundation of Mechanics 「力学の基礎」という。750ページに亘る大著なり。

一般位相より説き起こし、多様体の一般論を経た後に、解析力学の王道をたどり三体問題へと導く書なり。

本格的な数学書ゆえ、書物と相組みするというよりは、己を征するがごとし。すなわち、

数行進んでは居眠り、数行進んでは居眠る。

されど、のちに数ページ進むを知る。

日は暮れ、夜も更け、されど読みし量1%に及ばず。
 
 

今日の表現だ。

Estoy leyendo un libro poco a poco.
少しずつ本を読んでいます。


3月9日(土)
バルセロナに来てから初めて美術館に行った。

しかも3つ。

1) Museu Nacional d'art de Catalunya カタルーニャ美術館

2) Fundacio Joan Miro ミロ美術館

3) Museu Picasso ピカソ美術館
 

1)は13,14世紀の美術を集めたものだ。この時代のはだいたいパッとしないので、はっきりいってつまらない。

ただ、よくこんなものが残っていたなと感心する。たとえばロマネスク美術のコーナーでは古い教会の壁画が

復元されていたりする。これなどは美術史の研究者のしかも、その時代の専門家しか分からないんじゃないかと

思うが、日本に置き換えて考えてみると13,14世紀で残っているものは権力周辺のものばかりで、

一地方の美術品が残っていて、しかもかなりの規模で収集されていることはないと思う。

友人に美術史家がいるから聞いてみたい。
 

2)は、ミロ自身が300点ほどを寄贈して出来た美術館らしい。

ミロはガウディと並ぶ、バルセロナが生んだ天才と言われている。

バルセロナにきたらガウディの建築とミロの絵画を見なくちゃね。

で、感想だが、気に入った、というか、すごく共感してしまった。

何の説明も読まなかったけど、ミロが感じて描きたかったことが、手に取るように分かった。勘違いの可能性が高いが。

私はミロの生まれ変わりだと思う。たぶん違うけど。

でも、でも、でも、聞いて、聞いて、聞いて。

本当によくわかったんだ。

前からミロの描く絵は、私の子供の頃に描いた絵にそっくり(たぶん逆ね)だと思ってたんだけど、

今日見た作品は、

これはミロのお気に入りだ、とか、これは投げやりになったな、とか、このときは随分悩んだねとか、わかっちゃう。

ミロの絵は抽象画だけど、モチーフは殆んど人物だ。人物ばかり書いている。自画像もあった。

何の説明も読んでないよ、でも、たぶん当たりだ。

あとね、ミロは自然の造形に対して敬意を抱いていた。だから絵の具をカンバスに投げつけたんだと思う。

飛沫は、アトリエでの唯一の自然現象だと考えたんだよ。

いくつもカンバスを無駄にして、気に入ったのを作品にしたんだ。

それにシシオドシみたいなのもあった。ピカソのゲルニカの前でミロがそのシシオドシと一緒に満足そうな

顔をして写真に写ってた。ミロはピカソを尊敬していたんだよ。だって、

ピカソ美術館で私もピカソの凄さがわかったから。
 

3)は旧市街の真中にある。あまり治安がいいとはいえない場所らしいが、勢いで行ってしまった。

ピカソはスペイン南部アンダルシアのマラガ出身だがバルセロナに引っ越して、美術学校に通った。
 

ここには、ピカソの少年時代からの絵が展示してある。

少年時代の絵は実に正統的な技術で描かれている。その描写の巧みさは少年とは思えない。怪物だ。

写真のような感じではない。大きな筆づかいなのに、的確に対象を描写しているのである。

そして驚くべきことは、そこには確かに内面も描かれていると言うことだ。それも並ではない深さで。

おそらく誰でも人に出会ったときに第一印象を受けるだろう。その人の性格とかについて。

話をしなくても伝わってくる何かが有る。

それが絵に表現されているのだ。その人がそこにいて呼吸をしているようだ。

そのあと、色々な絵を描いているのだが、今まで知らなかったけど

ゴッホのようなタッチの作品、ユトリロのような風景画、セザンヌのような静物画、

セザンヌが晩年こだわったサント・ビクトワールのような山を描いた風景画(色合いも似ている)、

コローのような風景画。実に様々な手法を用いて絵を描いている。

一人の人間が、これほど多くの作家達の手法を短い時間の間に実験してしまうなど、考えられないことだ。

そしておそらくピカソはすべて知り尽くしてしまったんだ。すべての手法の限界を。

そして、いかなる手法をもってもピカソが感じたことを表現できないもどかしさに苦しめられたんだろう。

もう、この辺は単なる空想、妄想の世界、次の日の記録に飛んじゃってください。私は勝手に書きつづける。

だから、ピカソは抽象画を描かざるを得なかったんだ。

だって、そこにしか可能性は残されていなかったんだもん。

セザンヌみたいなアホな考えは馬鹿にしてたよ。絶対。でも一応セザンヌの手法を試してみたんだ。

セザンヌはあらゆる存在から魂を無視してた。でもピカソは魂を描きたかったんだ。

セザンヌのキュビズムとピカソのキュビズムが決定的に異なる点だ。

ピカソはとことん人にこだわった。ずっとずっと人を書きつづけたんじゃないかな。

ピカソは人が好きだったんだよ。だからゲルニカも描いた。

ゲルニカはスペインのどっかの町だ。1937年にドイツの空爆を受けて一般市民が大量死した。

たぶんすんごく怒っていたんだろうね、でもピカソには絵を描くしか出来ない。だから描いた。

ミロは、ピカソのそんなところを尊敬していたんだ。一人の画家が社会と関わるその有り方を。

そして人を描くことにこだわった点でピカソに共感した。

ミロもやっぱり人好きだったんだ。
 
 

今日の表現だ。

Hoy he ido a tres museos. Todos estan muy bienos y impresionantes.
今日は美術館3つ回った。いずれも素晴らしく感動的だった。(意訳?)



3月10日(日)
久しぶりに進展をみた。

以前、このページにも書いたことがあるが、ある関数の単調性が示せないとぼやいていた

これがどうしても必要なことではないのだが、十分条件なので、示せればいいなと思っていた。

実際、いままで、いくつかのケースではうまくいっていた。

ところが、全く違うアプローチで解決する方法に気がついたのである。

それも、結構一般性のある方法(常微分方程式の基本定理を使う)なので、

かなり多くのケースがこの手法で片付くことが期待される。

たぶん、Simo先生に相談したら、そんなん当り前、普通だって笑われると思う。

なぜなら、そんなにオリジナルな方法ではないからだ。

じゃぁ、どうしてさっさとSimo先生に相談しないのかって疑問に思う読者もあろう。

一応、猫にも猫の額があるように、似非数学者にもそれなりのプライドがあるのだ。
 

さて、今日の一日を記録しておくと、

朝寝坊と洗濯はいつもの日曜日どおり。

本を読んだり(これが今日の進展につながった)、パソコンで遊んだりした。

散歩に出かけて先週たどり着けなかったフィゲーラス邸に行った。中には入れなかった。

同じく先週見つけられなかった(たぶんこれは記録なし)サンタ・テレサ学院も発見。

これも中には入れなかった。どちらも門が閉まっていたのである。塀の外から拝ませていただいた。

散歩の帰りにSJの近くのTuro公園で一服。Claraを飲んだ。最近気に入っている飲み物だ。

フランスではパナシェと言った。ビールとレモネードを混ぜたもの。やや甘いが、軽くてさっぱりしている。

そういえば、今日はろくな食事を取らなかった。

夜も、ワインにナッツにオリーブ(うまいのを見つけたんだ)。十分まともかな?
 

おっと忘れるところだった、今日の表現。

Un amigo mio de Japon vendra a Madrid manyana. Nosotros vamos a encontrar a Madrid en el sabado proximo.
明日日本から私の友人がマドリードに来ます。次の土曜日に私達はマドリードで会うつもりです。


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