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3月11日(月)
やっと来ましたよ。Oficina de Extranjeroから手紙が。そう、あの、人類最大の敵、外国人事務所ね。

なにやらスペイン語で3ページほどに亘って、手数料が必要だとか写真が必要(また?)だとか、

色々書いてあるようですが、要するに、登録証を渡すから取りに来い、という事らしい。

とうとう攻略だ、敵城も落城寸前だ(全然表現が当ってないような気もするが)、という気分ですな。ふむふむ。

感慨深いものがある。
 

さて、今日の仕事だが、また少し進展した。

先週、仮定を強めて小さな問題に取り組むと書いた。どうせ小さくするなら、とことん小さくしちゃえとばかりに

さらに仮定を強めたのである。それで、すこし道筋が見えてきた。

これが完成してから仮定を緩めようかな、という作戦なわけだ。
 

というわけで、今日は嬉しいことが2つあった。気分よし。

一方、このひと月ばかり相部屋だったTeressaさんがバルセロナを離れパリへと向かった。

一週間後には再びバルセロナに戻ってきて、すぐにリオに帰るらしい。

正直言うと、うっとうしいと思うときもあったけど、色々勉強させてもらった。どうもありがとうTeressaさん。
 

これだけは続けようと言う気になってきた。今日の表現だ。

La oficina de extranjeros es la mayor enemiga durante todo historia para personas del mundo.
外国人事務所は世界の人々にとって史上最大の敵である。



3月12日(火)
朝、銀行に行った。外国人登録証の手数料を銀行で前払いすることになっているからだ。

が、この書類は違う、と銀行員は却下するのである。お前、手先だろ。

思わずそんな毒が口からほとばしりそうになるのを押さえて、というか言っても通じないので、出直しだ。

で、改めて書類をよく読んでみれば、なるほど、私が間違っていた。まず必要事項を書き込んで、

コピーを2枚とる。書き込む内容に自信がなかったので学科の秘書に相談して確認する。OKだ。

再び、銀行へ。だが、

この分からず屋!

歌舞伎でこんな掛け声あったね。音羽屋!とかね。ひいきの役者が出てくるといいタイミングで声をかける。

そんなんじゃない。ぜんぜん違う。チョーむかむか。

彼らの頭の中にあるのはどうやら、一般申請者のことだ。私は例外。どうしてかと言うと、労働ビザなのだが

日本政府からお金を貰っている。バルセロナ大学には居候しているだけ。特殊労働なのだ。

だから、書類も違う。それだけのこと。

でも悲しいね。こっちも書類の内容を完全に把握していないし、反論するためのスペイン語を知らない。

だめだと言われると「そうかな」という気もしてくる。これは本来の弱気のせい。

再び秘書室に泣きこんでしまった。

秘書さんは結構やさしい女性だ。つい頼ってしまう自分が情けないが、分からないものは分からない。

彼女いわく、問題ない、銀行が理解していないだけだ。

しかも、明日一緒に行ってあげるよ、とまで言ってくれるではないか。

大変嬉しかった。が、同時に情けなくもあった。とりあえず約束した、明日あさ10時。しかし、どうしたものか。

あした10時になる前に自分で解決して、秘書室には「もう解決したよ」なんて笑顔で報告したいな。

一応、そのつもり。

まさか、手先が蔓延しているとは思わなかった。
 

研究のほうは、微妙に進展した。なんだか上記の件が頭の中をさまよっていて仕事に集中できなかった

と言い訳にならない言い訳を試みる自分がなおさら情けなくなってきた。
 

今日の表現にいこう。

La oficina de extranjeros es la mayor enemiga durante todo historia para personas del mundo.これは昨日も書いた。

La secretaria es muy buena persona porque ella me ayuda cada vez.
秘書はとてもいい人だ。なぜならいつも私を助けてくれる。



3月13日(水)
あさ、予定通り銀行へ行く。理由は昨日の記述を参照して頂きたい。

昨日は大学の近くの銀行に行ったが、今日はSJの並びの銀行に行った。

バルセロナには銀行が沢山支店を出している。大抵行員は5,6名の小さな支店ばかりだが沢山あるので便利である。

さて、労働居住許可書のための手数料を払いに来たことを伝えると、予定通り行員は、書類が違うと始まった。

ところが昨日と違うのは、今日の行員は英語が出来る。昨日の行員はスペイン語でまくし立てるだけだった。

そうなると、こちらも努力のし甲斐がある。いろいろと説明を試みると、ふ〜ん、そうなの?と言って上司に

相談しに消えた。戻ってくると、大丈夫よ、と。すぐにどこかに電話を掛けていたが、たぶんOficina de extranjerosに

確認していたのだろう。5.05ユーロを支払う。成功である。これは朝から気分がいいぞ。

銀行を後にすると、その足で写真屋に向かった。提出用の写真を撮ってもらうのである。前回もここで写真を撮ってもらった。

テニスのマッケンローが来たのよ、なんて自慢していたおばさんに写真をとってもらって4.96ユーロだ。

そのまま大学へ向かって予定通り約束の時間に秘書室に到着した。問題はなくなった(Hay no problema)と言うと、

秘書さんの話が始まった。彼女は9割ぐらいスペイン語で残りを英語で話してくれるので、スペイン語の勉強になる。

どうやら、大学に来る前に銀行によって事情を確認して来てくれたらしい。

結局、手間をかけてしまったのは同じことか。ちょっと寂しかった。まぁいいか。
 
 

さて、朝から気分がいいのは結構なことだが、私の悪い癖と言うべきか、気分が盛り上がって、仕事に集中できなくなる。

これが、研究が進展したと思った瞬間にもやってくるので始末が悪い。

結局、午前中は仕事にならなかった。
 

昼食後は、すこし落ち着いた。

問題を考える....................................................気が付いたら寝ていた。いかぁーん。

今日はセミナーがある。そうだ、私もそろそろ、自分の研究をまとめて報告しないといけない。

あせる。ひとのセミナーどころではない。
 

今度は気持ちのあせりから、仕事が手につかなくなってきた。日も暮れた。頭の中を、ヤバイ、という言葉だけが駆け巡る。
 

ちょっと待てよ。あせっていても、何も生まれない、当り前のことだが。その、当り前のことをつぶやきながら、

自分を落ち着かせることにに集中した。

とにかく、問題に取り組もう。考えるんだ。もう一度、簡単な例を確認しよう。
 

驚いた。
 

手が震えてきた。こんなに簡単なミスに気が付かなかったんだ。泣きたくなった。なんだったんだろう、この2ヶ月。

仕方ない。事実は認めよう。戦線後退だ。大後退。総退却することに決めた。
 

しかし、そうと決めたら、なにやら憑き物が落ちたように気が楽になった。論文の全面改訂も苦ではないような気がしてきた。

早速、書き直しを始める。

書き直し始めてみると、この2ヶ月で得たものが全て無駄ではなかったことも、わかった。要は視点の転換である。

急に論文になりそうな気がしてきた。もしかしたら今月中にメドが立つかもしれない。

すっかり疲れて、夜も更けたので帰宅する。
 

今日の表現だ。

Siempre pongo en orden los problemas.
私はいつも問題の整理をしています。



3月14日(木)
昨日準備した書類と写真を持って、警察に向かった。前にも書いたが、居住許可申請場所と受領場所は異なるのである。

場所はBarmes通りからちょっと奥に入ったところにある。SJから歩いて10分くらいのところだ。

入り口にいた警官に尋ねると、あっちだよ、教えてくれた。ここは誰も行列していない。ほほほほ。

中に入ると、結構大勢の人が待っていた、が、椅子もある。整理券を取って、空いているところに腰掛けた。

スペイン語の勉強をしながら、待つこと2時間、順番が来た。

書類を渡す、非常に順調だ。指紋を取られたりして、あまり好い気分はしないが、まぁよかろう。

ごくろう、さっさと許可証を呉れたまえ、なんて思って待っていると、ほほぅ、出てきたぞ、細長い紙が。

なにやら係官が説明してくれたが、スペイン語が聞き取れない。書きましょうか?と言うので、うむ、よろしく、と言うと

4月14日以降に交付するから****通りの**番地まで取りに来い、だって。
 

反省文:「私はスペインという国をなめてました。以後気をつけます」
 

大陸なんだな、ここは。時間の流れ方が違うよ。美容師のトモコさんに「帰るまでにもらえるかしら」なんて

言われたのを思い出した。もらえるかな?不安になってきた。言われた場所に行くと、また別の書類をもらって

これに記入して*月*日までに、**に持って来い、なんてのが、きっと、無限ループみたいに続くんだな、きっと。
 
 

大学は閉鎖されているらしいから、SJに帰る。街には警官がウヨウヨいる。きのうのJaumeさんの話では

ディアゴナル通りには高いフェンスが築かれるということだったが、まだ見当たらない。EUの首脳会議は

明日から始まるので、今夜、墨俣の一夜城みたいに作っちゃうのだろう。
 
 

SJに戻ってから、軽く昼食を取りながらスペイン語の勉強をしたり、ウェブでホテル探しをしたりする。

イースター週間に、グラナダに行く予定なのだが、まだホテルが見つからないのである。
 

今日の表現だ。

Me falto prudencia.
私はおっちょこちょいである。



3月15日(金)
今日からEUの首脳会議が始まる。街は厳戒態勢という話だったが、いつもより警察官が多く

多少車が少ない程度である。ディアゴナル通りに設置されると言う墨俣城も見当たらない。

たぶん、もっとはずれのほうなのだろう。

SJで仕事をしてもあまり進まないので大学に行ってみることにする。閉鎖されていると言っても、

私には入構許可証がある。えへん。

大学に着いてみると、、、、、、、、、なんと、普通だよ、見た目は。

中に入ってみると沢山のバックパッカーたちがたむろしている。やっぱり普通じゃなかった。

領事館からの手紙によると、EU首脳会議中はいろいろなデモがあるらしい。たとえば、

EUの統合に反対する人たちの抗議デモとかである。

彼らの主張はよく分からなかったけど、おそらく、その主張のために集まってきたのだろう。

感心したのは、そういう人たちのためにキャンパスを開放している大学の態度である。

これが日本の大学であれば、管理上の理由から、あるいは特定の主義主張に与しないという理由から

このような活動は許容しないのではないかと言うことだ。
 

オフィスに行ってみると、誰か来ているらしい気配がある。Simo先生である。おっとMiquelさんも来ていた。

アレレ、院生たちも来ているな。なんだ昨日も出勤すればよかった。

なぜなら今は論文執筆に本格的に着手したので、SJのノートPCで論文を書いても手間がかかる。

というのは、Windowsの改行コードとLinuxの改行コードは異なる、からである。

Windowsで編集したLaTeXファイルを大学のLinuxマシンにFTPしても、あとが厄介なのである。

改行コードを翻訳するソフトも存在するが、大学のLinuxにはインストールされてないし、

自分のノートPCにインストールするために捜してくるのも面倒くさいなぁと思っているわけだ。でも探してこようかな。
 

しばらく仕事をしてから8時頃、退勤。SJに戻る。

電話を掛けに行こう(マドリーに着いているはずのS氏@某K高専に)とすると、廊下で女性に声を掛けられた。

この前、日本人らしき女性を見かけたという話をここに書いたが、その人である。色々と話をしてみると、東京外大の

教官で資料収集のために来ていたが、あさってには帰国するのでSJで知り合いになった人を集めて簡単にパーティを

するということである。私はこの晩初めて話をしたのだったがまぁ、誘われたと言うことで、出てみることにした。

参加したのは、件の女性(名前は聞かなかったけど、後でメールを呉れると約束した)、ロシア人女性(ターニャさん)、

キューバ人男性、スペイン語圏男性。名前わかんない人ばっかり。なんかね、ターニャさん以外は話に夢中になっちゃって

私の名前だけは聞いといて「あぁ、マサか」てな感じで、じゃぁ次の話題だってばかりにがんがん話しをするわけ。

ターニャさんは英語とロシア語とドイツ語とフランス語を話すらしい。キューバ人(小錦似。ゆえに以下コニーと書こう)は

スペイン語と英語。もう一人の男性は、あぁ、博士課程の学生だって言ってたなぁ、彼はスペイン語だけ。それで日本人

女性はスペイン語と英語を、もちろん日本語も話す。なんでも2週間でカタルーニャ語をマスターしたとか

言ってた。信じられない。さすが外大教官。

で、話はいろいろ多岐に亘って、なんだかさっぱりわけがわからなかった。コニーがとにかくすごいおしゃべりで

ワシントンで働いていた時はナントカ美術館(名前忘れちゃったけど有名なところ)でガードマンをやってて

すごく気に入った絵があった、とか、マヨルカ島はカタルーニャ王室(というのがあるとは知らなかった)の出身地なので

マヨルカの人はそれを誇りにしているだとか、まぁ、色々、とりとめがない、といえばないのだが、楽しませていただいた。

私はあまり話せなかったね。コニーがすごすぎて。

まぁしかし、こういうときに上手に話ができるようになるといいですね。いや、下手でも、内容のある話をしたいね。

いや、なんだか疲れました。
 

今日の表現だ。

No volvere a hacer tales tonterias.
私は2度とそんな馬鹿なことはしません。



3月16日(土)
朝、食事をとって空港に向かう。今日は初めてのマドリー旅行だ。

バスと電車を乗り継いで空港に到着。Spanairの飛行機に乗ってバルセロナを出発、ほぼ予定通り

12:35マドリーに着いた。再びバスと電車を乗り継いでS氏の待つホテルに向かった。

S氏はホテルのロビーで待っていた。旧知に会うのは久しぶりだ。

S氏はコルドバで学会発表があった。それを終えて昨日マドリーについたというところ。

二人で町をブラブラしながら、とりとめのない話をした。山ほどした。彼は土産を買う必要がある、という

ことなので、まずエル・コルテ・イングレスに行き、つぎに個人商店を幾つかハシゴした。途中、カフェで

コーヒーを飲んだりビールを飲んだりしながら、夕方まで歩き回った。

しかし、とにかくマドリーというところは人が多い。スペインに来てこれほど沢山の人を見たのは

正月以来である。あのときだってパレードがあるからと言って、1箇所に人が集中していただけで、

マドリーの混雑振りは渋谷のセンター街を連想してもらったらよかろうと言う具合である。

みんな何してるんだろう。我々と同じかな?
 

夜、ふたりでJamon(ハモン)を食べに出かけることにした。ハモンとは生ハムのことである。スペイン特産らしい。

(そうそう、後日S氏宛にハモンを送る約束をしたので興味のある方はご一報ください。ついでに送りましょう)

S氏は生ハムが好物だそうだ。

ハモンの専門店は到る所にあり(バルセロナでも見かける)、その一つに入った。

ハモン一皿と、赤ワインのハーフボトル。あわせて34ユーロ。3800円かな。ハモンは大皿に盛られてきたので

高くないと思う。いや、S氏ははっきりと安いと言っていた。そしてなによりも、うまい、を連発していた。

私はあまり良く知らなかったのだが、つられて食べているうちにうまさが分かってきた。確かにうまい。

日本で食べる生ハムと全然ちがう。

まず見た目。

赤い。そして味。

あまり塩辛くない。旨みもたっぷり。ははは、私もハモンのファンになってしまった。あ〜あ、S氏のせいだ。
 

その後、ホテル。S氏の連れの中国人デュウさんも交えて再び酒盛りだ。

昼間買ったチーズ(S氏の趣味)とオリーブ(私の趣味)の鰯巻きを肴にワインとビールを飲む。

ワインがうまい、とS氏はご機嫌だ。
 

デュウさんとは英語で話した。彼はポスドクでC大に在籍しているのだが、日本語は出来ないからだ。

話題は二つ。日本と中国の経済と、中国語とスペイン語だ。

なんだか妙に盛り上がってしまって、夜1時ぐらいまで話してしまった。
 

きょうの表現は、

En Madrid hay mucha gente en todos partes.
マドリーでは到る所に人が沢山いる。



3月17日(日)
8時に朝食を取って、二人は空港へ向かった。私はすぐに国立プラド美術館に向かった。

この美術館はスペインが誇る古典名画の殿堂である。ゆえに作品たちはよく出張に出かけるらしくて

観たいなと思っていた作品はワシントンに行ってるよという掲示だけあった。ちょっとサミシイ。

で、プラド美術館の印象は、結論から言うとあまりよくない。

どうも私は古典絵画は苦手だ。

古典絵画と言うのは、ここではゴヤとかベラスケスのことで、これは正しくない表現かもしれないが、私としては

印象派よりも昔の絵画はみんな古典。ラスコーの壁画から18世紀までずうっと古典、みんな古典。

古典絵画は読み方がある。だから、読み方を勉強すればすごく面白いはずだ。本当は勉強したい。

でも人生は有限だ、まぁいいやこの話は長くなりそうだから割愛する。
 

それで、色々なテーマで描かれている古典絵画を読むのはしんどい。作家も多いし、作品も多いし、テーマも多い

ときたら、疲れないわけがなかろうという話だ。

ついでに観客も増えてきた。昨日、街で見かけた人が全員美術館の中にいる。

きっと、今ごろ街はもぬけの殻になっていることだろう。
 

こんなことはプラド美術館の責任ではないが、それでも、わたしとしてはピカソ美術館のほうが遥かに感動的だった。

ミロ美術館のほうは、感動というよりも、ただ楽しかった。
 

そして、最悪にショックだったことは、プラド美術館のすぐ近くの国立ソフィア王妃現代美術センターにピカソの

ゲルニカがあることに気づいたのが、マドリーを去ってからのことだったという事実だ。そんな間抜けな話があろうか。
 

無事にバルセロナに戻る。

比べてみると、私はバルセロナのほうが好きだなと感じた。何より道がスッキリしている。安心できる。
 

今日の表現だ。

Museo Nacional del Prado es el mas grande en Espanya, pero el favorito mio es Museu Picasso.
国立プラド美術館はスペインで最大だ。しかし私のお気に入りはピカソ美術館である。


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