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8月26日(月)(9)
予定通り、最後の週に0.25秒で達した。そして、この記事は人目に触れることがあるのであろうか、
なかろうか。まぁ、どっちでもよろしい。久しぶりに街に活気が戻ってきたような気がする。そろそろ、
バルセロナの夏休みもおしまいだ。大学にも人が帰ってきた。Simo先生もAngelさんも
サンクトペテルブルグに出張していたJoanCalresさんも出勤してきた。といっても彼らは授業以外には
何の拘束もないので出勤も出張もないのだろうけど。さぁ、あと1週間がんばるぞ。
夜11時。某J国S市大のO氏が到着した。
それに先立って姉一行(姉×2+子×3)も到着しているはずだが、団体ツアーの送迎つきなので、
ホテルに電話する予定だった。いや、電話した。したが、フロントの女性は、分からない、という。
それで宿帳を読み上げてもらったけど、関係ない名前ばかりだ。仕方なく丁重にお礼を述べて諦めた、
ということ。まぁ、あしたエル・コルテ・イングレスで待ち合わせることになっているから、何とかなるだろう。
で、O氏のほうだが、タクシーでホテルに直行し、直ちに深夜の旧市街に繰り出した。といってもその辺の
バルでちょっと飲んだだけだが。O氏の宿泊する
ホテル
は旧市街の真中に位置しており、2つの美しい
カテドラルに挟まれた(といっても歩いて1,2分かかるが)絶好のロケーションにある。部屋の中を少し
見せてもらったが黒を基調とした直線的なデザインのインテリアで、はっきり言ってかっこいい。
値段も、87ユーロ(ダブルルームのシングルユース、朝食無し)は高くない。
ただ、治安があまり良くないので、旅馴れていない人にはお勧めできないと思う。
8月27日(火)(8)
昼、姉一行+O氏と合流する。LaFlautaで食事をして、聖家族教会へ。その後、あっちこちブラブラして、
夜は和食の店で食事。子供たちにはどうもスペイン料理は不評なのである。ところで、この和食の店で、
以前プールで会った中国人に再会した。実に奇遇である。その中国人はそこで働いているらしい。
それにしても、よくお互い覚えていたものだ。プールで交わした話は「お前中国人か」「いや日本人だ」
「じゃぁまたね」「あーバイバイ」。それだけ。しかも半年前。
8月28日(水)(7)
モンセラートに行く。朝、ホテルまで姉一行を迎えに行ったのだが、このホテルが街のはずれにあって、
遠いし分かりづらい。道に迷って、散歩中のおじさんやら日向ぼっこじゃなくて日陰ぼっこしている
おばさんやらに道を尋ねながらなんとかホテルに到着した。とにかく、彼らをひろってエスパーニャ広場に
向かう。ここでO氏と待ち合わせているのだ。で、無事O氏も拾うとFGCでモンセラートにGO!
すごくいいぃ天気である。景色が素晴らしい。とお〜くの方までよ〜く見える。きもちいいぃいぃいぃいぃ。
デジカメを持っていないので景色をお見せできないのが残念である。
しかし、デジカメ持参のO氏が近々Webページを開設すると約束してくれたので、そちらに期待されたい。
8月29日(木)(6)
姉たちもそろそろ街歩きに馴れてきたというので、11時にピカソ美術館の前のバルで待ち合わせることにした。
少し遅れていくと、すでにO氏が来ていた。カフェ・コン・イエロを飲んだりクララを飲んだりして1時間半ほど
待ったが、姉たちは現れない。これはなにかあったのかと思ってあたりを歩き回ってみたりホテルに電話を
掛けてみたが行方不明だ。どうしたものかとO氏と話し合っている目の前を姉たちが通過した。やっと捕まえた
と思って、どうしんだと尋ねると、買い物で遅くなったとのこと。いきなりスペイン時間を体得しているご一行に
思わず脱帽である。とりあえず昼食を取って美術館を皮切りにあっちこっち散策して買い物してバルで休憩。
休憩が長引いて、そのままそのバルで夕食。そして解散。いやはや疲れました。姉たちは明日の飛行機で
帰国の予定だ。天気はよかったが私にとっては嵐のようだった。
8月30日(金)(5)
O氏には申し訳ないが、今日は案内は休ませて貰った。ひとりで、勝手にどこかに行ってくださいと、
放り出したというわけ。まぁ何とかなるでしょ。それに実は仕事の方も今いい調子なのである。
天文台ニュースの原稿の校正依頼も来ている。色々言い訳をつけて仕事をすることにした。
8月31日(土)(4)
朝、カタルーニャ広場でO氏と待ち合わせ、9時過ぎの電車でフランス国境に近いヌリア谷を目指した。
途中で降りる駅を間違えたりしたが、駅前のバルでのんびりしながら4時間半かけて到着した。ヌリア谷は
ピレネーの懐深いリゾートで景色だけでなく気候もいい、というか凄く寒い。ここは海抜2000メートルは
ある高地なのだ。こんなところまで電車だけで来られるのは驚きだ。早速、駅前の売店で上着を買うことにした。
深緑色したトレーナーを着て散歩に出かける。冬ならスキーを担いで乗るであろうゴンドラに乗る。なぜかタダだ。
ゴンドラを降りると、連なるピレネーの山々が眼前に広がってくる。おそらく1000メートルはあろうかとういう落差に
刻まれた岩肌は自然の造形美の極致か。対照的に放牧されている牛や馬たちののどかなること。空気が美味い。
天国(テンゴクね、テンクニじゃなくて)が実在するのであれば、きっとこんなところに違いない(ちなみに中途半端な
地獄なら知っている)。大体、海抜2000メートルもあるのに谷と命名されている事実から景色を想像してみたまえ。
一昨昨日のモンセラートなんか赤ん坊みたいなもんだ。
おやじ二人、感動に酔いしれた1日であった。
なお、ヌリア谷についての口外は一切これを禁じることがカタルーニャ州法に定められています。読んだら、忘れてね。
9月1日(日)(3)
今日はO氏滞在最終日。晩御飯の約束だけして、自由行動してもらうことにした。
そろそろ、ここのオフィスも店じまいしなきゃんらんのでね。とりあえず、アップロードしよう。
9月2日(月)(2)
MAiA最終日である。小包を2つ某J国に送った。あわせて23キロで261ユーロ、3万円相当だ。安くないぞ。
結論から言うと持って来た荷物が多すぎた。仕方がない。次はもっと効率的にできるだろう。というか、次はあるのか?
そう言えば、来る時はもっと荷物が多かったような気がするが、どうなってるんだ?
さらばじゃ、バルセロナ大学。
MAiAの皆さんに別れを告げる。Simo先生も、また来なさいと言ってくれる。お世辞でも嬉しい。
学生のQuimさんは、告ぎ来たときはホテルが見つからなかったらうちに泊まっていけと住所をくれた。
行きつけの店のHeiderbergのオヤジにも挨拶した。残念ながら細川隆一郎似のオヤジは非番だった。
なんだか泣けてきたよ。
9月3日(火)(1)
飛行機に乗るのである。ところが、搭乗は40分遅れ。出発は1時間遅れ。フランクフルトに到着したが、
乗り継ぎ便はすでに出発していた。だいたい、ここの空港は広すぎるのだ。ヒースローほどではないが、
飛行機乗り換えるのに電車に乗らなきゃいけない。仕方ないからチケットカウンターで代わりの便を
割り当ててもらった。格安航空券だったら、この辺は怪しいところだ。つまり、そんな飛行機を選んだお前が悪い。
次の便のチケットを買ってくれ、となる。実際、チケットカウンターでは私と同じように乗り遅れたと見られる人たちが
交渉していたが、カウンターの社員は全く冷たい対応だった。幸い、私の場合は、格安ではない(というか
かなり高い)ので、代替便を用意してくれたが、それにしても7時間待ちとなった。フランクフルトで7時間というのは
実に中途半端だ。どうせなら、1週間飛行機がないとか言ってくれれば、ドイツ観光でもするところなのに。
あるいは2時間待ちなら、ビールでも飲んでいるうちに過ぎてしまう。多少、小腹が減ったこともあって、
レストランに入ってみた。ドイツだから、ソーセージにビールかなとも思ったが、ハンバーガーを食べてみる
ことにした。結論。バルセロナのHeiderbergのほうが全然うまい。月とすっぽん、あるいはそれ以上の差がある。
9月4日(水)(0)
某J国に到着するのである。約22時間という旅行時間は、なかなか疲れさせてくれた。
以上で、この日記も終了することになる。だが、せっかくなので、続けてWebページの更新は
続けていこうかナと考えているところである。