父さんの話をする=私の幼少期から今までを語らなくてはならなくなる。しかし、する価値は、私にとってはあると思う。これは自分の為に書くとする。これ読む人、もしかしたら他のページと被ってる事あるかもしれない。ごめんね。

私は二人が二十歳の時の子供だ。出来ちゃった結婚か?とおかんに聞いたら違うわよ。と爆笑していた。欲しくて出来た子か。それは良かった、良かった。

私の実の父さんは、ミュージシャンだった。私が3歳の時かな?両親は離婚した。だから、3人での思い出はあまり無い。

覚えてる事。父さんの演奏を見に行って「パパー!!!」と叫んだらおかんに「しーっ!!パパって言っちゃ駄目!」と口を抑えられた事。父さんとおかんと二人の友達と一緒に海に行った事、川でバーベキューした事。それから吉祥寺の古いマンションに住んでて。二人が大喧嘩をした時におかんが出てったんだよね。それで、その後、父さんに連れられて吉祥寺のデパートをしらみつぶしに探して歩いた。はぐれたので。。。。と、店内放送をしてもらったり、父さんは一生懸命探してた。諦めてうちに帰ったら、おかんが台所で夕飯作ってたんだよ(笑)。「何だーママ探したんだよー!デパートでママいませんか?って言ってもらったんだよ。パパ良かったね。ママ見つかったね」

その後すぐだと思う。父さんに連れられて、父さんの実家に行った(現在は父さんもそこでばぁちゃんと一緒に住んでいる)。おかんはいなかった。庭には白樺が立ち、モグラの穴があり、小さな私にはその庭が全てで、それだけで満足だった。何でおかんがいないのかとかあまり考えてなかったのかな。何度かばぁちゃんにママどこ?と聞いていたのは覚えてるけど。さほど寂しい思いをしてはいなかったと思う。幸せだな。

ミュージシャンたる者家にはほとんどいなかった気がする。いつもじぃちゃんばぁちゃんと一緒だった思い出ばかりだ。じぃちゃんに手を引かれて散歩によく行ってたっけ。家には映写機があって、海外から取り寄せたらしきディーズニーのような(でも違うと思う)アニメーションの映画を飽きもせずに何度も見せてもらった。

それでも、父さんとの思い出、多少はある。父さんがラジコンを新しいのを手に入れた時、「ゆきもやりたい!」と駄々をこねて壁にぶつけた事がある。その時、怒らなかったんだよ、父さん。それがなんだか、子供心に寂しかったのを覚えてる。なんかとっても他人行儀のような感じで。

父さんは車、ビートルを持っていた。運転する父さんの横の席で、正面に大きな大きなオレンジ色の太陽が沈んでいくのをみながら「すごいね、パパすごいね!」と驚いていたのを思い出す。

父さんの兄さんは中央線沿いのとある駅傍に雑貨店を開いていた。今でもあるんだけどね。当時、その店に「まことちゃん」のマグカップが売っていた。中にね、ちっちゃいマキグソが付いてるの。それが凄くかわいく見えて「これが欲しい」って駄々をこねたけど、結局かってもらえなかった(笑)。(って言うかそんな小さな時から「ぐゎしっ!!」とか言ってた私って一体。。。;)

そんなある日、おかんが迎えに来たんだよ。「まま−−−−!!」と駆け寄る私に「ゆき、ママといっしょに来る?」と聞くおかん。間髪入れずに「うん!」と答えた私。 じぃちゃん、ばぁちゃん、「後生な!!せっかくここまで面倒見てきたのに!あの苦労はなんだったのっ!!」と絶対思ったはず。でも言い訳させてもらうと、「だって又みんなで一緒に住むのかと思ったんだもん!まさかもう会えなくなるなんて思わなかったんだもん−−−−!!」そう、そのまま私に二度と会うことなく、じぃちゃんは天に召された。

あのままおかんを選ばず父さんを選んでいたら、金持ち家族の中でホクホクしてたんだろうなぁ。と思うと残念でならない(笑)。なんて。でも今まで起こった全ての選択があってこそ今があるんだから、そういうことは言ってはいかんな。(ちなみにおかんが迎えに来たからと言っておかんとその後一緒にいたかと言ったら、それは又別の話である。それは又後ほど)

小学5年生の頃(かな?)、父さんから電話があった。「覚えてるか?」と言われた。私はもちろん覚えていたけど、おかんの2人目の親父が、私の父さんの話をすると激怒して、私は何度も殴られていたから、この時もなんだかもう忘れてる振りをした方が良いんじゃないかという気になって、「うぅん。忘れた」と言った。電話を切った後で、おかんが「ショックだったみたいよ」と言った時、私の方がショック受けた。

現在父さんは某音楽会社の社長をやっている。小さいながらも、社員にウン千万円とネコババされながらも(笑)、お人よしで、友達を大切にしながら細々と今日まで続けてきている。おかんは父さんと私はそんなところがそっくりだと言って笑う。そして私はそれがとても嬉しい。

父さんとばぁちゃんに再開したのは、二十歳のときに、実に17年ぶりの事だった。なんか顔を見て、「あー、あんた、確実に私の親父だよ」と思った。激似(爆)。不思議だね、今までこの鼻が嫌い。唇が嫌い。なんて思ってたけど、父さんが同じそれを持ってるのを見て、なんだか嬉しくなって、「あー、これで良かった」と思ったんだ。そして、ばぁちゃんに「久しぶり」と言って私は抱きついた。それを見たおかんがたのばぁちゃんは涙ぐんでた。やめてくれよ、せっかく私は我慢してるんだから(笑)。父さんは「街ですれ違っててもわかんないなぁ。間違って口説いちゃうかもしれないなぁ(笑)」なんて、『あんたすけべ親父なんだね。。。;久々のご対面でなんだそりゃ(苦笑);』と思ったけど、それも父さんなりの嬉しさの表現だったのかもしれない。不器用な人だから。

昔私がお世話になってたからと言い、ばぁちゃんの友達のやっている喫茶店に連れてかれて「お久しぶりです」なんて言ったって覚えてないっつーの(笑)。「大きくなったなぁ!」なんて言われて、『当たり前だよ、もう17年だぜ!?』思っても言えないし(笑)。でもばぁちゃん、嬉しかったんだね、私に会えて。そう思ってくれるとはありがたい事だ。その後もとにかくいろんなところ連れてかれた。ただただばぁちゃんの顔の広さには頭が下がった(笑)。じぃちゃんのお墓にも行ったよ。生きてるじぃちゃんに会いたかったな。ま、後数十年の辛抱だ。あの世で会えるさ。

やっと一段楽して懐かしい家についた。あんなに広くて大きく見えた庭が、こんなにも小さかったなんて。白樺の木をペチペチ。と叩きながらちょっとしんみりしてしまった。

こんな事やあんな事を覚えてると話す私にみんな驚いた。おかんがたのばぁちゃんは「何でこの子は今まで何も言わなかったんだろうねぇ」と言って又も涙していた。でもそんな思い出話をする私を見て、父さんとばぁちゃんは嬉しそうだった。

そういえば一つ。おかんが、「あんたの名前は岡崎友紀(おくさまは18歳やった人)からとったのよ」と昔言っていて、『嘘だろー。芸能人の名前なんて。。。;もっとなんか、姓名判断で良かったからとかさぁ、じぃちゃんに付けられたとかそんなのじゃないの?』なんてかなり『嘘付きやがって』と思っていた事があって。父さんに聞いてみたんだ。「私の名前は何で“友紀”になったの?」と。父さんは軽くあー。と言うと「昔岡崎友紀って芸能人がいて。。。」私は『こいつら絶対なめてる。。。。』と思った(涙)。もっと真剣に考えてくれよ!!!でも真剣に考えた末がそれだったのだろうか。。。。だとしたら、やっぱりなめてると思う。。。;(ちなみにこんな人

父さんに会うのは久しぶりだけど、久しぶりじゃない気がした。「ゆき、冷蔵庫からビールもってこい」なんて言われるのも凄く照れて、でも嬉しかったりした。昔はガリガリだったのに、今ではビールの飲みすぎのせいか(とにかく飲む。あんたアル中かい!?ってほどに飲む。)恰幅の良い、いい親父と化している。でも、そんなところも好きだなぁ。と思った。ゆっくり話すところも、照れた笑いをしながらも、私の目をまっすぐ見て話してくれるところも、なんだかとてもとても嬉しかった。自分に似てるところも会話の端々に見て取れて、なんだかニコニコしてしまった。おかんが何でこの人と結婚したのかがわかった気がした。

疑問:ずっとずっとそばにいて、普通の家庭のように父さんと接していたとしても、こんな風に思えたのだろうか?

父さんはフィリピン人の嫁さんを、おかんと離婚してから15年ほどたってからもらった。現在その嫁さんと私の弟にあたる2人の男の子はフィリピンに帰国している。別居って奴だ。その時父さんは「お前の弟だよ」と言い、写真をくれた。「うわっ!似てる。。。;」と言った私に父さんは「そうなんだよー!特に2人目がゆきそっくりでなぁ!」と豪快に笑った。

 

その後父さんとばぁちゃんには1度しか会っていない。会いに来いとは言われるし、又会いたいとも思う。でもなんか照れくさいんだよ。今更会って子供ヅラするのが(笑)。もう会えたから満足とは全然思わないし、本当は一緒に住んで、又親子として父親という存在に思いっきり甘えたいと思う。でも、出来ないんだなぁ(笑)。照れる照れる(笑)。でもデートしたいな。父さんと、ポックリポックリ、公園でも歩きたいものだ。

ま、又そのうち会いに行くよ。その時は又娘として、よろしく頼むわ。ね、父さん。