前「父さんよ」に続き、いや、それにもまして全然まとまらないと思う。でも、これも自分の為に書くとするよ。。。。

おかんが迎えにきてから私はおかんと何日かだけ一緒に暮らした。やっぱり吉祥寺で。でもおかんの収入で生活費を払い私を育てるのは難しかったんだろうねぇ。夕飯は二人してデパートの地下食の試食だったらしい。(←これは後になっておかんに聞いた。結構劇的なショックを受けた。。。)小さな小さなアパートの一室で、小さな小さな古いお風呂におかんが入っていた。「ゆきも入る?」と言われて「うん」とは言ってみたものの、そんな余裕は無かった。なんだかとってもすまない気になったのを覚えている。

その後私はじぃちゃんばぁちゃんに預けられた。そしておかんはほぼ毎週末遊びに来た。私はおかんが遊びに来る1/100ぐらいの割合でおかんのアパートに遊びに行った。

じぃちゃんは昔西○電鉄に勤めていて、萩山にある寮の寮長さんをやっていた。その間じぃちゃんばぁちゃんはそこに住んでいたので、私もそこに住むことになった。もちろんいるのは駅員さん、駅長さんなどの独身男ども。じぃちゃんばぁちゃんが忙しければ手当たり次第に話し掛けて遊んでもらった。もうその頃は母親がいない、父親がいないと言う事に慣れていたと言うか、そういうものなんだと思っていた。

寮は思いっきり線路沿いだった。うるさい(笑)。でも裏に廻れば芝生で覆われた、子供の私には充分すぎるほど広々とした庭があった。大きな池で鯉が泳ぎ、綿の木、花柳、もちろん普通の木などがあり、芋虫やバッタや尺取虫やカブトムシなんかを捕まえてよく遊んでいたものだ。雪が降れば雪だるまや雪ウサギを作り、出来が良ければ冷蔵庫に入れてくれとせがんだ(笑)。父さんのところにいた時は父さんの兄さんの子供が私と近い歳で、一緒に遊んでたらしいけど(全然覚えてない)、この寮にいた時は、さすがに誰も遊び相手がいなかった(笑)。だから話し掛けるのも自分。一人で遊びながらブツブツ言ってたよ(笑)。

じぃちゃんは動物が好きでさ。たくさんのインコを飼っていて、よく遊んでいたっけ。初めてのハムスターを買ってもらったのもその頃だったな。寒い寒い冬に、凍えて硬くなって、死んじゃったかと思ったんだよね。ワンワン泣きながらずっと抱きかかえて暖めて。そしたら生き返ったんだよ。ばぁちゃんとおかんは、「冬眠してただけだよ」と人の喜びをぶち壊す事を言いやがったが(って言うかハムスターって冬眠するの???)、私は今でも、暖めたから生き返ったのだと思っている。

何十匹もいるインコの中で、一番お気に入りだったインコが死んだ。穴を掘り、埋めてあげた。でも何ヶ月かたった頃また会いたくなって、お墓掘り返したんだよ、私(笑)。でもそこにはもういなかった。じぃちゃんになんでいなくなったのかを聞いたら「飛んでったんだよ」と言った。「生きてたの!?じゃぁ土の中で苦しかったろうね。かわいそうに」今になってようやく、「飛んでった」の意味がわかる。

「人間の死」を始めて目の当たりにしたのもこの寮だった。線路沿いのこの寮。よく電車から飛び降り自殺する奴がいたんだよ。まったく持って良い迷惑だ(死ぬのは勝手だけど、他人に迷惑かけすぎ)。だって、寮の庭に向かって飛び降りるんだぜ。ある夕方に、やっぱり庭に飛び降りてきた男の人がいて。私がお気に入りにしてたキンカンの木の周りは一面血だらけだった。その木には芋虫がいて、私はアゲハ蝶になるのを心待ちにしていたんだ。なのに、血だらけ。どす黒い水溜りのようなものが一面にあって、ばぁちゃんからは「こっちに来ちゃ駄目!!見ちゃ駄目よ!!」と追い払われた。でも見えちゃったもんね。でもそれを理解する事はもちろん出来なかった。血の池。そしてグチャグチャになった人の動かない体。それだけだった。 「キンカンの木は大丈夫なの?いもむしは平気だった?」じぃちゃんに聞いても「あぁ。もう寝なさい」の一言だけだった。そしてその次の日目がさめたら、その動かない体もキンカンの木も無かった。

補助無しの自転車に乗れるようになったのも、ここだった。じぃちゃんとおかんと練習したんだ。なんか、ひとこぎひとこぎするたびに二人が大喜びなのを見てもうちょっと頑張ろうと思ったんだよね。そういえばキャンディーキャンディーのピンクの自転車だったな(笑)。

 

ある日おかんのアパートに泊まりに行ったとき、夜になって男がやってきた。おかんと玄関先で話をしている。かと思えば入り口でおかんは泣き崩れていた。「ママだいじょうぶ?」と言いながら私はその男に殺意を抱いた。とまではいかないが(笑)、子供ながらにとても怒っていた。そんな奴に「ゆき、コーラもってこい」と命令された。「何で?」怒りながら聞き返せば、おかんの為だと言う。なるほど。私は1リットルボトルを抱えておかんにそのまま差し出した(笑)。「コップがいるだろう」と更なる命令。この頃には本当に目に見えてぶちぎれてたと思う。なぜならおかんが「いいのよ、いらない、いらない」と繰り返して私の頭を泣きながら撫でていたから。

その夜おかんはプロポーズされて、そのうれし泣きだったんだろうな。男が帰った後「ゆきはパパが欲しい?」と聞かれた。私には、「パパ=本当の父さん」でしかありえなかった為に、おかんもそのつもりで聞いてきたのだと思って「うん」と言った。が、違ったらしい; 

その後は私はいいように使われた。小学校に上がる前ぐらいになって、二人は一緒にすむアパートを探していた。私も一緒について廻ってた。あるアパートを見てた時おかんに「元春くん(その男)にパパになってって頼んでごらん」と言われた。「何でゆきがそんな事言わなくちゃならないの?」「良いから言ってごらんって」「ママが言えば良いじゃん」「良いからっ!!!」正直に言って、全然言いたくなかった。子供心に全く納得いってなかった。本当の父親じゃない人になんでそんな事を言わなくちゃならないのか、理解できなかった。他人が父親になれるって事もわからなかった。なって欲しいとも思わなかった。

「パパになって」と言った私はとっても不服な顔をしていたと思う(笑)。

あの時、意地でも「本当のパパじゃないからやだ」と言い張っていたなら。。。とたまに思う。

そう、この男が現在の私のトラウマ的存在の人間だ。幼稚園のバスの中で「ゆきちゃんのお父さんは何歳なの?」と聞かれて「16さい」と答えてみんなに馬鹿にされた。「そんな訳無いじゃない。ゆきちゃんそれじゃぁパパが10歳の時の子なの?」と。すごく恥ずかしかった。家に帰っておかんに「おかしい。って笑われた」と言ったら、慌てて「26だよ、馬鹿ねぇ」と言った。そう、この男、実はおかんの10個下=私の10個上だった。のに、離婚するまでずっと誤魔化してやがった。

何をそこまで守りたかったのか良くわからん。明らかに違うってわかりきってる事なのに。なぜ俺がお前の親父だと、本当の血の繋がった親父だと言い張ったのか、まったくわからん。血が繋がって無くても、育ての親こそが本当の親だと言ってみた方が良かったんじゃないのかね。と思う。どうして素直に家族としての関係を、真実を基に築き上げようとしなかったのだろうか。それさえ出来ていたら、今ごろ殺意を抱くほどの嫌悪感を、私はもたずにいれたかも知れない。

 

とにかく、ここから私の人生は、母親があり、父親があり、カタチ的には“家族”と言うものに再度落ち着く事になると同時に、人生の暗黒期が始まった(笑)。

あ"−。この男の話が出てきた時点でこのページ削除したくなってきた;けどせっかく書いたしな;え?元春がこのページ見つけないか気にならないのかって?読みたきゃ読めばって感じです。奴も私が殺したいぐらい嫌ってるの知ってるし(爆)。