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『16歳の最後の思い出』
私の最初の入院に一つ上のごっちゃん、一つ下のたっちゃんが居た。 その一つ下のたっちゃんと再会したのは、私が高校二年生の時でした。 『16歳の思い出って何ですか?』 たっちゃんの16歳、最後の思い出は、私達とした10分間のトランプでした。 私は高校二年生の時、病院の6人部屋にいました。 そして、その部屋を向かいの個室から時々こちらを見ている子がいた。 たまに視線が合い、手を振ることもありました。 ある日の午後、私達がトランプをしていると、その子が個室から出てきた。 点滴棒2本。そこには5つの点滴と機械が付いていて、 顔や腕、至るところに包帯を巻いていた。 その後ろからは看護師3人と医者が付いてくる。 その姿は、誰がどう見てもその子が危険な状態であることを明白に物語っていた。 それでも私達とトランプをするという。 私はその子の声に聞き覚えがあった。 おばちゃんにも見覚えがあった。 顔にまで包帯をしていて分からないかったが その子は私が最初に入院した時にいた、一つ下のたっちゃんだった。 まさかこんな形で再会するなんて、夢にも思わなかった。 さすがに動揺した。 そして、状況も大体把握できた。 でも、感情は言葉にも表情にも表さないよう努力した。 相手の不安や心配を煽るよなことはしない、これは病人としての鉄則だ。 それから10分くらいトランプをしただろうか。 ベットで安静にする時間になり、部屋に帰るように言われたたっちゃんは、 まるで幼稚園児のように駄々をこねながら病室へ戻っていった。 そして、2時間後、おばちゃんは私のベットの横に立って言った。 『ありがとう。最後にいい思い出ができました。』 まだ16歳でした。 さっきまで一緒に、ついさっきまで一緒に私達とトランプをしていた。 人の命は儚いものです。 たっちゃんは、私達とトランプをしたのを最後の思い出に逝きました。 いつも隣のベットにいたのに、黙って逝ってしまったごっちゃんと同じように...。 結局、二人とも何も言わずに逝ってしまった。 病気になって初めての病気の友人、私はその最後を見送った。 私は何もできなかった。何もしてあげられなかった。 その時の私に何ができたわけでもないし、何ができたとも思わない。 しかし、私の中に残った事実は、最後に彼らのそばにいた友人であることと、 その彼らのために私は何もできなかったこと。 このことは一生忘れることはできないだろう。 『16歳の思い出って何ですか?』 たっちゃんの16歳、最後の思い出は、私達とした10分間のトランプでした。 あなたは16歳の時、何をしていましたか? 笑っていましたか?泣いていましたか? たっちゃんやあの子達は、もう二度と笑うことも泣くこともありません。 これからいろいろとやれること、やりたいことがいっぱいあったはずです。 たっちゃんを含め、あの頃、私の周りで死んでいく子供達の多くは白血病でした。 もしもあの時に骨髄バンク、さい帯血バンクがあったなら、 彼らは『今』を生きているかもしれません。 しかし、今現在、骨髄バンクやさい帯血バンクがあるにもかかわらず 登録する人の数が少なく、移植が受けられないのも現状です。 臓器移植に関しては『臓器提供意思カード』に対する関心が低く、 そのカードを持っていても記入漏れにより移植できなかったりします。 その他にも多くの問題が立ちふさがるでしょう。 しかし、一番大きな問題は、その絶対数が少ないこと。 その数が増えれば、骨髄移植や臓器移植しなければ助からない人々の 生きる確率が上がります。 このHPを見ている人々のほとんどが骨髄バンクやさい帯血バンク、 臓器提供意思カードに登録やその意思を示していないでしょう。 しかし、どちらも『はいわかりました』と簡単にできるものではありません。 それなりの負担やリスクを強いるものです。 このような身体となった私にはいずれも難しいでしょう。 そんな私は無理にお願いできる立場でもないと思います。 しかし、あなたの意思で助かる命もあるのかもしれません。 この機会にもう少しドナー登録について考えて頂ければうれしく思います。 『16歳の思い出って何ですか?』 あなたの意思が誰かの明日の思い出を作るかもしれません。 |