明治維新をつくりあげた人々(9)
9時間目 10/20 1校時 「伊藤博文」
説明1 大久保利通は,民衆を犠牲にしてまで強い国造りをめざしました。それは,大久保利通が,世界の様子をよく知っていたからです。
実は,廃藩置県を行った翌年,大久保利通は1年半以上世界最強のイギリスそしてアメリカ,フランス,ベルギー,ロシアなどのヨーロッパ諸国を訪問しています。そこで,どうしてこれらの国が栄えているのかをその目で見てきたのです。
この大久保利通が暗殺されたあと,政府の中心になったのは,伊藤博文でした。伊藤博文も大久保利通といっしょにヨーロッパやアメリカを訪れています。
(資料1配布)
発問1 この人たちは西欧使節団と呼ばれました。かれらの目的は,1つは進んだ西欧を見てくること,そしてもう一つは条約改正です。
治外法権が認められないことと関税自主権がない不平等条約を改正しようとしたのです。(不平等の意味を少し解説)
アメリカに行って条約改正をすすめようとしましたが,( )と( ) がないからだめだと断られました。いったい何だと思いますか。
・武力 ・お金 ・財産 ・軍事力
説明2 答えは,憲法と国会です。
そこで,伊藤博文は憲法を勉強するために外国に1年半行きました。特にドイツで憲法を学んだのです。
さらに日本の「古事記」や「日本書紀」を勉強し,ヨーロッパやアメリカのまねでない日本人のための憲法を作ろうと考えました。
発問2 そして,伊藤博文は井上毅(こわし),伊東巳代治(みよじ),金子堅太郎(けんたろう)といっしょに別荘(神奈川県,夏島)に泊まり込み,朝から晩まで討論し憲法作成に取り組みました。
では,いったいどれくらいの期間泊まり込んだのでしょう。
・3年 ・10年 ・1ヶ月 ・3ヶ月 ・2週間
説明3 答えは,1年間です。(資料2配布「伊藤博文と明治憲法」人物学習でつくる歴史学習P103)教師が読む。
発問3 この憲法をヨーロッパ人はどう評価したでしょう。
資料3配布(TOSS向山型社会bP7「伊藤博文と明治憲法」P8)
説明4 このようにこの憲法は当時の強い国,ヨーロッパの国やアメリカに高く評価さ れたのです。
指示1 「大日本帝国憲法」の条文を読みなさい。
発問4 特徴を一言で言いなさい。
・天皇中心
発問5 作ったねらいは何ですか
・天皇中心の国づくり
説明5 しかし,薩摩藩と長州藩出身者が中心の明治政府のやり方に反対した人々もいました。
板垣退助や大隈重信です。
彼らは,みんなの意見を聞くために国会を開設するべきだと要求しました。これを自由民権運動といいます。
そして,1911年に国会が開設さえることになりました。
(時間がなくなり,解説のみになってしまった。)
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