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8月21日(土)【3日日】南京〜揚州

■南京博物院、中華門

 南京博物院は、工芸品、装飾品など、芸術性が高く(どちらかというと女性好みで)南方の豊かさを感じさせる名品が多かった。

南院京博物院随一の名品 個人的にイチ押しの名品


 石川さんは「広陵王璽」の金印(福岡で発見された「漢倭奴国王」と同一工房の作と推定されるもの)を見たがっていたが、現在は展示していないという。残念がっていたら、売店の売り子さんが燦然と輝くイミテーションを持ってきてくれたが、拝見するだけに留める。

 南京政府が経営するというツアー客向けレストランで昼食。自称雇われマネージャーのおじさんが印材の売り込みに現れ、熱心なセールストークを展開したが、まだ旅も始まったばかりなので、一同、財布の紐が固い。

■揚州(博物館、大明寺、痩西湖など)

 車で揚州に到着。まず、博物館を目指し、例によって運転手さんが町の人に聞きまわっているが、なかなか場所が分からない様子。と、「好(ハオ)、好(ハオ)」とか何とか言いながら、初老の男性が車に乗り込んできた。「このひとは地元のかたですが、博物館まで案内してもらうことにしました」とガイドさんが説明する。中国ではよくあることなので驚かない(栗林さんはびっくりしたかな)。

 次第に空が暗くなり、雨が激しくなる中、揚州博物館と大明寺(鑑真和上ゆかりの寺)を見学。しかし、痩西湖公園では、屋根の下から一歩も動けなくなってしまった。公園の前には、何故か露店のぬいぐるみ屋さんが並んでいたが、雨にしおれたぬいぐるみをリヤカーに積み上げて、引き揚げていく姿が可笑しかった。



■花姑娘(ホワグーニャン)、菱の実

 夕方、雨のあがった市の中心部に戻る。繁華街の車道に取り残されたような古代の石塔を見たあと、道端に籠を下ろした売り子さんに目がとまる。籠の中身はどう見てもホオズキである。中国では「花姑娘(ホワグーニャン)」と呼んで、食用にすると言う。日本のホオズキのように赤くなく、むしろ黄色い。さっそく栗林さんが買ってみて、みんなで試食。

 「おもしろいね」「プチトマトみたい」などと言い合っているところに荷車が止まった。荷台には、黒っぽい三角形の植物(?)が大量に積まれている。わらわらと集まってきた人々は、荷車の引き手のおじさんと何やら話しながら、積荷に手を伸ばして、口に運び、味見をしている様子。

 我々もどさくさまぎれに横から手を出し、1つ2ついただいてみる(売り物のはずなんだけど)。外側は硬いが、蒸してあって、味は栗のようだ。菅野さんが「ああ、これ、菱(ひし)の実だわ」と思い当たる。女性陣の行動を離れて見ていた石川さんと池浦さんにも進呈すると「えっ、誰もお金払ってないの?!」と呆れられる。

 夕食前に、これも繁華街の四つ辻に残る四望亭と文昌閣を見にいく。夕食は本場の揚州チャーハンを味わい、地元産の「茉莉花ビール」で乾杯。

文昌閣三変化。次第に灯りが点る。


8月22日(日)【4日日】揚州〜鎮江

■揚州(隋煬帝陵、唐城遺址、文峰塔、プハティン墓園など)

 朝から土砂降りの雨。隋の煬帝陵は、一度は観光開発に手をつけたものの、途中で投げ出した気配があって、わびしかった(管理人室だけは賭けトランプで盛り上がっていたが)。

 ふと後ろを見ると、専用車の運転手の頼(ライ)さんが、興味深そうに我々と同じ方向を眺めている。これまでこういう運転手さんはいなかったのだが、我々の行き先がよほど珍しいのか、実は歴史ファンなのか、頼さんは、ときどき一緒に着いて来て、自分のデジカメで熱心に写真を撮っていた。

 プハティン墓園は元から明清時代の古い墓地で、異国に客死したイスラム教徒たちがひっそりと眠っている。大運河によって世界に門戸を開いた国際都市、揚州の明るさを際立たせる陰翳のようだ。リービ英雄さんの近著『我的中国』を思い出す。

 このほか、博物館になっている唐城遺址を見学。揚州のランドマーク文峰塔は、工事中で登楼を果たせず、ちょっと残念。

■鎮江(金山寺、焦山、北固山)

 午後はフェリーで長江を渡り、鎮江へ。相変わらず雨が降り続く。味噌で有名な金山寺では、塔に登って眺望を楽しむ。

 連絡船で長江の中洲にある焦山へ渡る。島全体が観光名所になっており、安芸の宮島みたいなものだ。見どころは碑林。米芾だの蘇東坡だの、著名人の碑刻が並ぶ長い回廊を見てまわり、最大の見もの「(エイ)鶴銘」を探す。これは書聖・王羲之が書いたとか、雷鳴とともに山から落ちてきたとか、鶴が翅で撫ぜると文字が現れたとか、謎めいた伝説を持つ碑刻である。どうやら、奥の中庭にしつらえた楼閣に飾られているらしかったが、鍵を持った管理人がいないということで開けてもらえなかった。

■宋街(西津古渡街)ほか

 この日も夕方には雨があがり、傘をたたんで、北固山(呉の孫権の城跡)を散策。あとは「宋街」の観光である。最近、中国の観光地は、どこでも明清街とか宋街とか名づけた復古調のショッピングストリートを作って人を集めている。鎮江の宋街もどうせそんなものだろうと思っていた。

 ところが、車を下りて「はーい。こちらです」と案内されたのは、なんでもない上り坂。商売気のない骨董屋が1軒開いているだけのさびれた細道である。しばらく進むと、舗装が石畳(レンガ敷き)に変わり、両側にも重厚なレンガ造りの建築が現れる。道にかぶさるアーケードのように白塔が立っているのが珍しい。これがつまり、宋代以降の町並みの名残りなのだ。

 予想外の光景に呆然としながら、さらに進むと、道は下り坂になり、今度は史跡でも何でもない下町の路地に迷い込んでしまった。道端に椅子を持ち出して夕涼みするおばあちゃん、立ったまま食事中のおじさん、道を挟んで家の中からお向かいと会話をしているおばさんなど、他人の生活をのぞくようで申し訳ないと思いながら、おもしろくて足が止まらない。でも、きっと、ここも近いうちに、復古調の「宋街」になってしまうんだろうなあ。

元代の白塔 宋街というより清末の雰囲気


 最後にもう1ヶ所、鎮江市博物館を予定に入れていたのだが、大規模な改修工事中で参観はできず。団長の石川さんが苦笑いして言うには、「そういえば、この夏、上野松坂屋の『中国歴代王朝展』に鎮江市博物館の文物が出ていて、やけにいいものが来ているなあと思った」由。



8月23日(月)【5日日】鎮江〜無錫〜蘇州

■鎮江の市場

 目が覚めると、久しぶりの青空。朝はあちこち歩き回った末に、体育館のような屋内市場を発見。野菜、肉、魚、加工品など食材は何でも売っている。白いアヒルの姿が江南らしい。豆製品(豆腐、湯葉、がんもどきの類)と、キムチのような漬物が豊富なことに目を見張った。ネットでざっくりまとめられた固まりがカエルの集団だったのにはびっくりした。

豆腐そのほか
あまりアップにしたくない食用ガエル

■天下第一泉

 石川さんの提案で、キャンセルになった鎮江市博物館の代わりに、鎮江の名勝の1つ「天下第一泉」に連れていってほしいと申し入れ、了承してもらう。ところが、着いてみると、入場券が馬鹿高い(60元くらい。博物館ならこの4分の1程度か)。実は、隣の金山寺と共通入場券だったらしいが、日付が変わっているので、昨日の半券は使えない。中国の経済システムから考えて、差額はローカルガイドの馬さんの持ち出しになるに違いない。ちょっと申し訳ないが、馬さんとはここでお別れ。

■無錫(太湖遊覧、ほか)

 太湖のほとり、無錫に到着する。湖畔の洒落たレストラン(逗子マリーナみたい)で昼食。最初の昼食で「高価なものは食べない」態度をアピールして以来、ガイドの馬さんが注文するのは、ほとんど野菜か豆腐料理だった。さすがに辛くなって、「マオさん、肉料理も注文してください!」とお願いする。地元産「太湖水ビール」で乾杯。

 太湖の遊覧船は我々だけの貸切り。よく晴れて、向かい風が気持ちよかった。我々の中国ツアーは、高山は苦手だが(雨に遭うことが多い)、水の上では比較的天気に恵まれるように思う。

 江南は古代から水運によって開けた地域である。太湖の上を、砂利や鉄くずを積んだ船が、まるで見えない水上の道があるかのように、隊列を成して行き交っている。夫婦で操っている船が多い。だいたい、舳先に陣取ったおかみさんが、進行方向の状況を確認しながら、機関室の旦那に指示を出している。堂々とした立ち姿が「カッコいい〜」と一同ほれぼれする。

 船を下りて「天下第二泉」のある錫恵公園を見学、そのまま、蘇州に向かう。

■蘇州着

 「天に天堂あり、地に蘇杭(蘇州と杭州)あり」とうたわれた蘇州は、江南観光のハイライトである。しかし、今や昔日の面影はないと聞いていたから、あまり期待はしないようにしていた。

 高速道路を下り、一般道路を旧市街に向かうが、実際、豊かでこぎれいな地方小都市という感じである。観光地らしく、日本語や英語の看板が目立つ。大通りを少し歩くとコンビニが何軒も頻出する(中国資本の「可的」というチェーン店多し)。

 レストランを探して繁華街に出ると、財布のゆるい観光客をあてこんだ高級海鮮「鮑とフカヒレ」のお店が多い。そこをマオさんの努力で、できるだけリーズナブルなお店を探してもらう。ただし、飲みものについてはちょっと贅沢になって、ビールの本数が増え、さらに黄酒(紹興酒)が加わった。



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