8月23日(土)【2日目】二日酔いの心配なきにしもあらずだったが、翌朝はスッキリ早起き。焼酎は残らなくていい。海岸を目指して散歩に出る。ホテル周辺は閑散とした雰囲気だったが、チャガルチ市場と呼ばれる海鮮市場に到着すると、そこだけは別世界のように活気に満ちていた。市場の入口には、新鮮な朝陽を浴びて、豚の頭がころがっていた(ガイドの宋さんの話では、豚の頭はお祝い事にかかせない縁起物である由)。あとは海産物を並べた小さな店が文字どおり軒を連ねている。悠然とタライをかついだおばちゃんたちのダミ声には迫力があった。 釜山をあとに専用バスで北上する。通度寺(トンドサ)に立ち寄ると、木魚の音と読経の声が響いている。若いお坊さんが銀色の飯碗を両手に高く捧げ持ち、灰色の衣を翻しながら、早足で境内を行きつ戻りつしている。昼のお供物を差し上げる時間なのだろう。韓国のお寺はどこも日本に比べて信仰の現役度が高い。ちなみにこの通度寺は、みうらじゅんといとうせいこうの見仏コンビも訪れている。このツアー、『韓見仏記』の足跡とかなり重複しており、「カラフル&ポップな四天王」「韓国の仏像って絵が先なんだよ」など、彼らの観察が実に正鵠を射ていることを確認する楽しみがありました。 昼食を高速道路のサービスエリアで簡単に済ませ、さらに北上。安東(アンドン)の河回村(ハフェマウル)に到着した。ここは両班(ヤンバン)と呼ばれる士族階級の村が野外博物館のようにまるごと保存されている。野外の円形劇場では、伝統的な仮面劇の公演が始まろうとしていた。これは、道端で小用する芸妓に色目をつかう坊主など、猥雑でストレートな滑稽を主題とした農民の娯楽。言わば田楽である。何番目かの演目で、貧乏な機織りの老婆が登場し、天を仰いで独白。と、老婆は石川さんの前に直行し、木椀を差し出して喜捨を乞うポーズ(客席で一番のお大尽に見えたのか?)。苦笑してやり過ごしたが、韓国人の観客は慣れたもので、俳優と即興の掛け合いに応じ、踊りの輪に引っ張り出されても楽しんでいる。 仮面劇のあとは村内を散策。土塀の間を曲がりくねって続く道、ぶった切りの丸太をそのまま柱にした家など、庶民の家は曲線の美しさが際立つ。文禄の役に活躍した柳成龍(ユ・ソンリュン)、柳雲龍の宗家は、上流士族らしく、ひときわ整然とした門構えである。土産物屋や民宿を経営している家もあるので、中には興醒めの商業主義の看板もあるのかも知れないが、ハングルが読めないのが幸いして、無文字の村に来た気分を楽しめた。 バスに戻り、西に傾く太陽に急かされながら、山道を分け入って屏山書院に向かう。書院とは儒学者の私塾である。今回訪ねた「嶺南の三大書院」は、いずれも風光明媚な山中(そして必ず河畔)にあったが、中でも屏山書院が私のお気に入りだった。滔々と流れる大河に面し、風の吹き抜けていく楼閣が、川床のようで気持ちいい。ここに寝転んで、一日、本でも読んでいたいと思う。 安東市内に戻り、「カリフォルニアホテル」という、名前も造りも少々あやしいホテルに到着。夕食はフグ料理とのこと。こんな内陸で?と奇妙な感じがしたが、韓国では海鮮料理がご馳走の基本らしい。名産の安東焼酎で盛り上がる。 「味はどうですか?」と心配して我々のテーブルに寄って来た鄭さん。車中や観光地での説明は宋さん、食事などの手配は鄭さんの受け持ちらしい。鄭さんは日本語の理解力・表現力も十分で、普通の日本人ツアーのガイドには何ら遜色ないと思う。しかし、我々の依頼したコースがあまりにマニアックだったため、「自信がない」と上司に相談。1都市から2人のガイドが付くことは普通考えられないが、鄭さんの所属する旅行社は、敢えて宋さんの同行を願い出たのである。 宋さんが「名人ガイド」であることは、この1日で我々もすっかり納得していた。朝鮮史や日本史はもちろん、正確な知識を記憶から自在に引き出し、政財界の裏話から実際に見聞したお客さんのおもしろエピソードまで、硬軟とりまぜた話芸は無形文化財の域に達している。しかも、75歳にして、現状に満足せず、これから修士号を取って後進を指導する側に立ちたいという目標も持っているという。 ツアーガイドは個人営業が基本なので、ひとり立ちしてしまうと同業者の仕事を見聞できる機会は滅多にない。そのため、今回、鄭さんは、宋さんのガイドぶりを徹底的に観察し記録するという重大な使命を帯びていた。宋さんが話し始めると、鄭さんはすかさず小型録音機をオンにして、我々以上の熱心さで宋さんの横にピタリと着く。「今回の録音を待っている後輩がたくさんいるんです」とのこと。とは言え、宋さんのパワーには早くも押され気味の様子で「絶対、言っちゃだめですよ」と念を押し、「先輩、朝の5時に起きるんですよ〜」と愚痴をこぼしていた。最後は「これも修行です」とあきらめ顔。
|