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8月23日(火)【4日目】太原

■天龍山石窟

 薄暗い曇り空の下、天龍山石窟に向けて出発。ときどき、激しい雨足が車窓を叩きつける。「私は雨の中でガイドしたことないんだから、絶対晴れるよ」と于さんは強気だが、我々はひそかに「今日は“山”だからなあ・・・」と思っている。我々の「高いところに行くと悪天候になる」というジンクスは、今のところ、崩れる気配がない。

 車は、勾配のきつい山の斜面をひたすら上がっていく。山頂近くまで上がって、徒歩で下りながら石窟を見るのが、定番コースのようだ。現地に到着すると、なんとか傘なしでも外を歩ける状態だった。于さん、えらい! しかし、深い霧がかかって、眺望は絶望的。雨男の池浦さんと、晴れ男の于さんの戦い(?)は、どうやら引き分けというところか。


小雨に煙る天龍山石窟の楼閣。

 「天龍山石窟」の名前は、日本人には、なじみ深いものだ。大正7年(1918)、関野貞の踏査によって、世界に紹介された石窟で、東京国立博物館、根津美術館、大阪市立博物館など、各地の美術館・博物館で、仏頭など、その請来品を見ることができる。しかし、日本と欧米諸国の探検隊によって、名品は、現地から、根こそぎ持ち去られてしまった。

 天龍山石窟の中心に位置する楼閣には、左右に文殊・普賢を従えた巨大な十一面観音立像が残されているが、古い写真を見ると、いずれも頭部がない。現在は、頭部が復元されているが、いっそ、「強奪」の結果を、そのまま残しても良かったのではないかと思う。

■山中の遭遇

 山頂付近の石窟を見終えて、山道を下っていくと、ボソボソと日本語の話し声が聞こえてきた。2人組の男性が、別の道を下ってくるところだった。もう1人、付き添っているのは、上下グレーのジャージ姿で、ズボンの裾を少しまくり、スニーカーを履き、お茶の瓶を片手にぶらさげた貧相なおじさんである。”日曜日のお父さん”が、寝巻のまま、ちょっと表に出てみた、という雰囲気だった。

 このお父さんと、ガイドの于さんは、どちらからともなく挨拶を交わすと、連れ立って話し込んでいる。ガイド仲間なのかしら?と思って見ていると、しばらくして振り向いた于さんが、「山西省博物館の館長さん」だと言う。ひえ〜。ちなみに、館長に案内されていた男性2人組は、上野の東京文化財研究所からの来客だったらしい。

 于さんの話によれば、昨年、日本の書道団体が、山西省博物館で展覧会を行い、そのレセプション・パーティで、自分は司会をしたので、館長の顔を覚えていたと言う。「今年も同じ催しがあるのに、なぜ君はこんなところにいるのか」と、館長に聞かれたのだそうだ。そこで「えっ!?」と菅野さんが驚く。その書道団体というのは、まさしく菅野さんが所属するもの。ということは、昨年、レセプションに出席した菅野さんのお友だちは、于さんに会っているはず・・・。偶然が偶然を呼ぶ、山中の奇遇であった。

■晋祠、山西博物院

 山を下りた頃から、雨は本降りになり、晋祠は、さすがに頑固な于さんも傘を差しての観光となった。

 市内に戻り、博物館に向かう。山西省の博物館は、従来、市内の孔子廟と道教寺院の建物を、第一部・第二部として利用していたが、最近、汾河の川岸に、巨大な新館が建設された。中国では大規模な博物館に限って“博物院”の名称を使うが、山西博物院は、故宮(北京)、上海、南京、河南に続く5つ目の博物院だという。

 しかし、于さんの話では、我々の到着する1週間ほど前、大雨で汾河が氾濫し、太原の町は大混乱に陥ったという。川岸の博物館も地下に水が流れ込み、当分、開館の目途が立たないということだ。博物館の駐車場に車を止めて、于さんが交渉に向かったが、やはり入館は不可。外観の写真を撮って、引き上げるしかなかった。山西省の文物を誇りとする、太原出身の于さんも、残念でたまらない様子。我々は、これでまた、いつか、山西省に来なければならないことになってしまった。なかなか中国の旅は終わらない。

 そのあと、旧・山西省博物館を見学。菅野さんの団体の書道展は、この第二部(道教寺院)で開かれていたはずだが、前日で終了し、まさに会場撤去の最中だった。残っていた垂れ幕の前で記念写真を撮って、おしまい。まあ、それでも、大洪水の影響もなく、書道展は予定どおり開催されたと聞いて、菅野さんも一安心。


8月24日(水)【5日目】太原〜平遥

■喬家大院、平遥

 太原から、再び南下を開始。鞏俐(コン・リー)主演の映画『紅夢』(原題『大紅灯籠高高掛』)のロケ地として有名な、喬家大院を見学。平日というのに、何組もの団体客がひしめき合い、ものすごい混雑である。


紅い提灯が艶かしい、喬家大院。

 そして、平遥古城に到着。ここは、街を取り囲む城壁が、奇跡的に残っており、明清時代の城址の姿を伝えている。一見、映画のセットのような街だ。古城の前で、周遊チケットを買ったあと、近隣の古刹、鎮国寺、双林寺を見てまわる。中国の寺にしてはめずらしく、建築にも仏像にも、あまり修復の手が加わっていないのが嬉しい。つっかえ棒の丸太で支えられた堂于、雨ざらしの壁画など、このまま朽ちていくのは心配だが、それでもいいような気がする。

 再び城内に戻り、輪タクに分乗して、日昇昌記(中国票号博物館)、孔子廟、城隍廟などをまわる。以前より、英語の看板や、観光客相手の商売が増えたような気もするが、あまり大きな変化はないようだ。


平遥古城名物の輪タク。

 山西省には、中国に現存する唐宋以前の建築物の7割が集まっている。なぜ、こんなふうに古建築が残ったかというと、于さんによれば、「山西省が貧乏だったからだよ」とのこと。確かに、江南のように豊かな地方では、金持ちが、寺院や住宅・庭園の築造・修復を繰り返したから、古いものは残っていないのだ。

 夕食も城内の観光レストランで食べることにしたので、輪タク観光を終えたあとは、しばらく徒歩で城内を散策する。レストランで休憩の于さんに代わり、輪タクの親方が付き添ってきて、ときどき、カタコトの日本語で、漆工芸など、高級品の土産店に我々を誘導しようとするが、功を奏しない。ふと、菅野さんが、じっと道端を見つめていたかと思うと、おもむろに磚(せん)、つまり焼きレンガを拾い上げ、嬉しそうに手提げ袋にしまい込んだ。東京に持って帰って、作品の素材にするためである。親方は目を丸くして見ていた。こんな日本人、初めてだろうね〜。

 夕食後は、再び輪タクに乗り、城外のホテルまで送ってもらった。旧城内の裏通りは、街灯らしい街灯もなく、日が落ちると真っ暗になってしまう。昔と変わらぬ暮らしぶりを見て、安心していいものか、ちょっと複雑な思いだった。

 なお、この日のホテルは、一見、瀟洒な高級家具を揃えたように見えて、実はハリボテ並み。テレビ・冷蔵庫があるのに、電気が通ってなかったり。石川さん・池浦さんの部屋では、お風呂のお湯が出ないので、フロントを呼んだところ、その場で大改修工事が始まってしまったとか。


8月25日(木)【6日目】平遥〜洛陽

■河南省まで

 今日で山西省とはお別れ。函谷関を経由して、河南省の洛陽まで走る。午前中は、車に乗りっぱなしの長旅である。

 これに先立つ4日目のこと、ガイドの于さんから、我々に「クレーム」の申し入れがあった。このツアー、数年前から、我々は、当初の予約金の中に昼食・夕食代を含めないスタイルを取っている。と言っても、だいたいは、現地でガイドさんが案内してくれるお店に文句を言ったことはないし、トラブルもなかった。

 しかし、于さんは、こういうスタイルは初めてだと言う。初日、自分と運転手の昼食・夕食代は、出してくれないかという申し出が、団長の石川さんにあったらしいが、結局、その件はうやむやになって、于さんがずっと運転手さんの食事代を払っていた。中国では、団体用の定食コースを用意しているレストランに入ると、運転手とガイドの食事は、自動的に付いてくるらしい。これがあるとないとでは、ガイド商売の収支に大きな違いが出るわけだ。しかも、一品料理の調理は、コースに比べて時間がかかる。そこで、少なくとも昼食は、団体客用のコースにしてほしいというのが「クレーム」の1つ目。

 それと、我々が、あまり于さんに積極的に話しかけないので、喋りたがりの于さんは、業を煮やしていたらしい。「もっと私を信用して、何でも聞いてほしい」というのが「クレーム」の2つ目。

 そんなこともあったので、この日、長旅の車中では、石川さんが気をつかって、さかんに于さんに会話の水を向ける(さすが、渉外係長!)。

 その結果、学生時代、「そばに図書館があったから勉強できたんだよ」という于さんの波乱の半生記から、山西省を牛耳る石炭会社の横暴・非道ぶり、共産党幹部のゴシップ、河南人の悪口など、いろいろな話を聞かせてもらった。個人的に、いちばん興味深かったのは、貴州で発見された石に「中国共産党亡」という文字が刻まれていたという話。ホントらしい。

■函谷関、千唐志斎

 黄河を渡り、河南省に入る。函谷関には、「鶏鳴狗盗」の故事にちなんで、大きなニワトリの像があり、小さなポケットにコインを投げ入れると、ニワトリを鳴かせることができる。女性3人が挑戦したが、中村さんも江川も失敗したあと、菅野さんが見事成功!「吉祥如意(何でも思いどおり) 」のお墨付きをもらった。

 洛陽の手前、新安県にある千唐志斎は、唐代の墓誌を中心に、西晋・北魏から清、民国に至る1400点以上の墓誌・石刻を、タイルのように建物の壁に塗りこめて展示している。もと、張鈁という人の個人コレクションだそうだ。


千唐志斎。無数の墓誌に埋められた壁。

 観光地としては、まだ一般的でないため、何度も通行人に道を聞き、迷いながらの到着だった。建物と庭園はなぜか洋風。時間と場所の感覚が失われて、異空間に迷い込んだような、不思議な浮遊感を味わうことができる。


8月26日(金)【7日目】洛陽〜登封

■龍門石窟、白楽天の墓

 今日から、河南省のローカルガイドさんが加わる。山西人らしく、気性の荒い于さんとは対照的に、万事穏やかで優しい雰囲気の女性。車中の話し相手ができた于さんは、ちょっとご機嫌。

 まず、山西省の雲崗と並び、中国三大石窟に数えられる龍門へ。日本人には、こちらのほうが人気が高いと思うが、私見では、奉先寺洞の三尊は、容貌が端麗過ぎて、仏像としての魅力に欠けると思う。今回のメンバーは、いずれもここは2度目あるいは3度目だったので、ちょっと趣向を変えて、対岸にある白楽天の墓を訪ねてもらうことにする(それにしても、龍門石窟はショートカットし過ぎ!)。

 「白楽天は山西省太原の人です」と、同郷の誇りを主張する于さん。しかし、洛陽のガイドさんは「そうだったかしら?」と疑問顔。碑文によれば、白氏は太原の出である、とは書いてあるが、白楽天が太原生まれであるとは書いていなかったので、この勝負、引き分け。

 三国志の英雄・関羽を祀った関林では、見学の間に、記念のハンコを彫ってもらう。画数の少ない私の名前を、なかなかカッコよく彫ってくれた。洛陽市博物館、古墓博物館は、時間をたっぷり取ってもらって堪能。夕刻、嵩山のふもとの登封市に到着した。


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