プロジェクト
reXsifu5
〜挑戦者たち〜
雨は降る降る人馬はぬれる
越すに越されぬ田原坂
山に屍 河に血流る
肥薩の天地 秋さびし
激突・田原坂!!




田原坂は西南戦争の最大の激戦地である。西郷隆盛率いる薩摩軍と明治政府の官軍がこの地で激突。戦いは明治10年3月4日〜3月20日までの17日間行なわれ、両軍の死者は合せて6500人にのぼったのであった。
西郷隆盛とおてもやん?

田原坂でも発見した顔出しパネル!もちろん速攻で顔出す二人・・・。しかし何故西郷の相方がおてもやん?鹿児島のピカピカの一年生といい、なんで西郷のパートナーは意味不明なのだろう?
弾痕の家

合計10万の将兵が参加し、死傷者は3万5000名を数えた田原坂の激闘を物語っているこの「弾痕の家」。と言うより蔵でしょこれ?まぁ細かい突っ込みはおいといて、薩軍にとっての難関は官軍の圧倒的な火力であった。
薩軍野砲

山砲

官軍野砲

田原坂で使用された火砲は、官軍の大砲109門・薩軍の大砲60門。これら弾丸の雨あられの中でも薩摩の抜刀隊は官軍にとって恐怖のまとであった。
火事場のクソ力


田原坂の戦いでは官軍は一日に32万発の小銃弾を使ったと言われている。そんな中をこの巨大な縁台を背負い逃げ延びた老婆がいたという。人間やる気になればなんでもできるのである!?できるのか?
右手に血刀 左手に手綱
馬上ゆたかな 美少年

この美少年像は、田原坂の戦いで亡くなった少年兵士の総称と言われる。だが一説には、薩軍の首脳の一人である村田新八の長男岩熊がモデルになっているともいわれる。
植木天満宮

田原坂の前哨戦「向坂の戦い」のとき乃木希典少佐率いる官軍と熊本より進出していた薩軍が激突した場所がここ、植木天満宮である。この戦いにおいて乃木率いる官軍は敗退、乃木連隊は連隊旗を奪われてしまった。連隊旗を失ったことに気が付いた乃木は「我若し軍旗を失わん乎、何の顔色ありて天下の人に見えんや。」と嘆き何度も自決しようとした。ここで死んでいてくれたほうが、この後の日本にとっては・・・。まあ彼の評価はいまだに賛否両論ですから。
バシ君撤退

5時をとっくに過ぎた時点でやっと田原坂の探索を終了した彼らは、明日仕事のあるバシ君を博多駅まで猛スピードで送り届けにいった。初めて走る西の大都会福岡市。迷い迷ってやっとついた時には、最後の新幹線の出発間際であった。
残った二人は博多ラーメンを探しに博多を彷徨ったが、結局博多で薩摩ラーメンを食し、次の宿「太宰府」に向かったのであった。
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