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reXsifu6
〜挑戦者たち〜
通りゃんせ通りゃんせ
ここは何処の細道じゃ
天神様の細道じゃ
嗚呼壮烈・岩屋城


岩屋城と言えば高橋鎮種(紹運)が島津の5万の兵に対して764名で籠城。2週間の激戦の後に城兵全員玉砕した城である。この時の島津の被害は戦死者3000名、負傷者1500名と言う大損害となり、さらにこの2週間の間に大友の下に秀吉の援軍が駆けつけ、島津はついに九州統一を果たせなかった。
高橋鎮種(紹運)は大友宗麟の配下の名将として有名な武将であり。立花道雪とのコンビは九州最強と謳われた。また父は「豊後の三老」吉弘鑑理、友人に「鬼道雪」こと立花道雪、そして息子は秀吉に「西国無双」と称賛された立花宗茂と戦国マニアには涎モノの面子である。
大野城


662年、百済救済のため朝鮮半島に出兵した日本軍は白村江(はくすきのえ)の戦いで唐・新羅軍に大敗した。翌年、敵の侵攻にそなえて防人と烽(のろし)を置き水城を築き、さらに665年には百済からの亡命貴族の指導により大野城・基肄城(きいじょう)・長門城(山口県)を築いた。
そしてこの大野城は大野山全体を城とする雄大な構えの朝鮮式山城で、山の稜線にそって土塁をめぐらし、谷には石垣を築き、その内側に倉庫等の建物を設け、大宰府が危急の場合逃げ込み長期間篭城防戦できるしくみになっていた。
太宰府天満宮

太宰府天満宮は菅原道真の墓所の上に社殿を造営した神社で、「学問の神」「至誠の神」として知られている。903年2月25日道真が亡くなり、その後遺骸を牛車に乗せて進んだところ、間もなくその牛が伏して動かなくなった。これは道真の心によるものであろうとその地に遺骸を葬った。京より追従していた門弟味酒安行が、905年ここに祠廟を創建。次いで左大臣藤原仲平が勅を奉じて大宰府に下って造営を進め、919年に社殿を建立した。
合格祈願をするきゃみさん

太宰府天満宮と言えば合格祈願。きゃみさんも資格試験合格のお祓いをうけたのであった。ちなみにきゃみさんにとって菅原道真はご先祖様にあたるのだが、子孫に対して贔屓にしてくれないのだろうか?
きゃみさんの先祖自慢コーナー(笑)
菅原道真の子孫、菅原知頼が美作守として1078年に京都から下向したとされており、その子孫に菅原満佐と言う人物がいる。母は、二階堂藤原維行の女、長じて知仁勇萬人に優れ、在地で朝臣となった。天福二甲午9月15日に赤松久範と佐用の地に戦い、討死。行年52才。死後、その亡骸は御本体は大神岩 (狼岩) として、鎮座し、頭は三穂明神。右手は梶並の右手明神。足は因州、智頭の河野明神として祭られ美作菅家党の基板を創る。
満佐公は別名 三穂太郎とも呼ばれており、巨人伝説として 「那岐山の頂上に腰をかけ、瀬戸内海で足を洗い、京の都まで三歩で行った」 と言う伝説も生まれ、有縁の地名も多く、残っており現世での壮大な夢とロマンを感じさせてくれる伝説が今日にまで残っておる、伝説の中心人物でもあるが、家系図からも歴史上の実在人物である。
菅原道真公より13代後の末裔にあたる満佐公は、各地でも三穂大明神として近村に神殿を建立して、崇め奉った形跡が今の世に名残りとして残っているが、これらを勧請して関東では三穂大明神。西京では荒関大明神として残っている。
鎮護サークルレキシフ


(困民党参謀本部より抜粋)
★★★伝承☆☆ (注)妄想率50ピコグラム
・鎮護サークル「レキシフ」の歩み
我がレキシフが聖武帝より鎮護サークルの詔を拝領して早、2万年の月日が過ぎた。勅命拝受の折の部長より数えて264代2万年の月日を経てクロマニヨン人と新人交替の混乱を乗り切り、鎮護サークル「レキシフ」の今があるのである。
聖武帝の勅命を抜粋しよう。
「レキシフは鎮護サークルたるべし。もって人権抑圧と財政破綻を旨とすべし。尚、女房たるもの鬚のあるべく候」
レキシフ2万年の歴史は戦いの歴史でもあった。
文永の役の折にはモンゴル・高麗兵の皆様の為に売○宿を提供し、信長の叡山焼き討ちの折には、率先して炊き出しを行い、あの忌まわしき終戦の折には玉音放送のレコードを破壊したことなど、レキシフの活躍には枚挙の暇がない。また、GHQ占領時代に米兵からガムやチョコレートを恵まれたことを記憶しておられる読者諸賢も多いかと思われるが、実はあれもレキシフの活動の一環だったのである。
この様に神と陛下に祝福されたサークル、それがレキシフなのである。
福犬

ラ、ラブリー!!でもなにこれ?こんなラブリーなものを節句に飾る地域あるんだ、、、。ちなみに犬福とはちがいますよ。こっちが本家でしょう。
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