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〜挑戦者たち〜
そして、彼らは最終目的地「下関」についた。
時刻はすでに午後5時をすぎていた。
維新挙兵の地/功山寺



回天義挙の碑/高杉晋作像
1864年12月15日夜半、雪の功山寺を訪れた高杉晋作は、三条実美ら五卿に挨拶を行い。萩藩の幕府へ弱腰の俗論派へ宣戦布告した。
「今から長州男子の肝っ玉をお目にかけます。」
雪景色の中、赤い小具足姿で彼は歴史の表舞台へ登場していった。
この挙兵に従ったのは遊撃隊の石川小五郎、高橋熊太郎、力士隊の伊藤俊輔(博文)、馬関滞在中の佐世八十郎(前原一誠)ら
総勢は84名のみであったが、新地会所襲撃に成功。三田尻(防府)へ行き、長州藩軍艦三隻を奪い、その後奇兵隊などが加勢し、2000名の戦闘部隊となって、大田絵堂の戦いに勝利した。この勝利により長州藩の政権は再度、正義派(倒幕派)が握り、倒幕の中心的藩となりついに明治維新を成し遂げたのである。まさに回天の地である。
万骨塔

昭和八年(一九三三)十月、当地に「長門尊攘堂」を創設した桂弥一が、日本各地から石を取り寄せて建設した慰霊塔で、有名・無名の勤王の士を、当時の府県毎に祀っていた。なお、名称は「一将功成って万骨枯る」に由来する。
乃木さん通り

下関の長府は日露戦争で第3軍を率いて活躍!?した乃木希典が十歳の時父とともに帰郷し、十六歳で萩に従学するまで、私塾集童場において学ぶなど、過ごした土地である。
乃木神社

乃木夫妻像

大正9年(1920)に復元された旧乃木邸そばに創建された乃木神社は、祭神は乃木希典であり何故か学問の神様だったりする(学習院の学長たったから?)。昭和37年(1962)五十年式年祭を期に静子夫人も合祀した。
旧乃木邸

現在保存されている乃木旧邸は大正三年(1914)、乃木記念会がそのゆかりの地に、忠実に復元したものである。家屋の造りは、六畳と三畳の二間、押入、それに二坪の土間という極めて質素な生活をしのばせている。六畳の間に相対して置かれている父、母、そして少年からなる三体の等身大木彫座像は、乃木大将の甥にあたり、明治から大正にかけて活躍した著名な彫刻家長谷川栄作の制作によるもので、乃木少年が、父親から訓話を受けている場面が、見事に表現されていた。
乃木宝物館



なんと入場料はお気持ちの分でいい。赤ナポは5円、きゃみは払わなかった。中には軍服や家族の写真、希典直筆の豪快な書(笑)などが陳列してあった。
そして、この地を最後に彼らの旅も終わりを迎えようとしていたのだった。
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