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3日目 2001/08/10 FRI

 いまさら言うのもなんだが、僕の英語力はほとんど中学生並かそれ以下である。
 対してまみさんは一応帰国子女(小学生のときに一年間、カンサスに住んでいた)で、仕事の関係上海外とメールでやり取りしたり、 ロンドンやドイツまで出張に行ったりするぐらいの英語力。
 そのまみさんから「寝言が英語だった」と指摘された。恐ろしくベタな発音で「アイ・ウォント・トゥ……」と呟いていたそうだ。かっちょわりぃ。
 ともあれ、時差ボケはすっかり解消したようだ。昨夜遅くに雨が降ったものの空は気持ちよく晴れ渡っていたので、中庭にて朝食をとることにした。
 ほどよい甘さのマフィンを頬張っているとラピュタがやってきた。しかし人見知りしない猫だね、こいつ。 片方の耳にはケンカで出来たらしい切込みがあるし、元気もいいようである。

 今日はTaosの観光。 今回の旅行は車を使ってのぶらり旅なのだけど、 これだけは「Santa Fe Japan」のツアーを申し込んである。 ニューメキシコ州唯一の日本人スタッフによるツーリスト会社で、今回の旅行プランを組むにあたりお世話になったところだ。 現地在住の日本人ガイド・Kさんのジープに乗り、タオスへ出発。
 最初に寄ったのはChimayoの村だ。サンタフェのプエブロ風住宅は都市部だけあってコンクリ造りに土壁風の仕上げを施した建築が主流となっているが、 山中にあるチマヨの村では、アドビを組んだ壁に藁クズ入りの土を塗った昔ながらの建物がまだまだ頑張っていて、いい感じにひなびている。
 Sancturio de Chimayo(El Santuario de Chimayoとも)という古い教会を見学。 よく見ると微妙に傾いた個所があったりする、大雑把でのんびりした印象のある佇まいだ。 1816年に建てられたこのサントゥリオ・デ・チマヨには、塗れば万病に効く「奇跡の砂」の湧く部屋があり、 ご利益を授かった人たちの松葉杖などが壁に飾られていた。
 もう一つ、チマヨにはインディアン系ファッションの定番である Ortega'sの本店がある。 この村は元々、スペイン人が羊を持ち込んだことによって、織物産業で栄えたところなのだ。
 現在活躍しているのは7代目と8代目。丁度7代目の親父さんが仕事をしていたので、機織の様子を見せてもらうことができた。 さすが職人というか、デザイン画などはまったく使っておらず、全ての織物パターンが頭に入っているのだという。 日本では数万円するオルテガのベストも、ここでは軒並み150ドル未満。しかも本店だけあって、全て本家本元の手織り。
 ここで買わなきゃバチがあたるってことで、小さ目のラグと、まみさんのお父さんへのお土産として緑色のベストを購入した。

サントゥリオ・デ・チマヨ。
いい意味で適当な造りの、心和む佇まい。
オルテガ本店。
「八代目」のアオリが誇らしげである。

 次の行き先はRanchos De Taos。名所はSan Fransico De Asisという、 Georgia O'keefeの絵に描かれたことで有名になった教会である。
 このあたりから天候がよくなり、抜けるような青空をバックに「南西部で最も美しい教会」の佇まいを楽しむことができた。

サンフランシスコ・デ・アシス。
オキーフが描いたのはこの教会の背面である。
訪れるならやはり晴れの日。一日中眺めていたい。

 続いてランチョ・デ・タオスから6マイルほど北東のTaos Puebloへ。
 ここは写真撮影に関する規制が厳しく、デジカメだと許可が下りないことも多いので、使い捨てカメラで撮影することにした。
 なぜ規制のある集落が多いのか。ネイティブの人々が居住地を聖地として大切にしているケースが多いってのも理由の一つなのだが、 もっと根本的な理由として「オレたちゃここで生活してんだよ。無遠慮に写真撮りまくられたんじゃたまんねえや」って心情があったりする。
 僕は鎌倉生まれの鎌倉育ち。観光地の住人だったから、共感してしまうんだよな、その気持ち。マナーの悪い観光客って、ほんと迷惑なんだよ。 Kさんの話じゃ「せっかくだから生活風景を見せてくれ」と、 普通の住民が普通の住居で普通に飯食ったりしてるトコを「見物」したがる観光客も少なくないらしいのだが、そりゃ酷すぎるだろう。 年越し蕎麦食いながら紅白観てるトコへ「ニッポンジンのオショーガツ観たいデス。モチつかないんデスカ?」と上がりこまれたらどう思うよ、日本人。
 てなわけでマナーを守って集落内を散策。タオス・プエブロで最も見ごたえがあるのは「北の家」だ。 ネイティブの居住地では北と南に集落を分けることが多く、ここタオス・プエブロ内では、小川を挟んで南北二箇所に建つ集合住宅のうち、 「北の家」が世界遺産に指定されている。 「北の家」にはタオスでも力のあるクランが住んでいて、その佇まいはほとんど砦と言ってもよい。
 実際、砦として機能していた歴史があるのだ。現在では一階部分の住居にもドアがついているが、かつては壁に立てかけたハシゴを昇り、 天井から中に入る造りになっていて、外敵が攻め込んできた際はハシゴを外すことによって侵入を防いだのだという。

「北の家」全景。右は絵葉書からの取り込み。
およそ1000年かけて増築・巨大化した集合住宅に、今でも人が住んでいる。

 村の入口にはOriginal San Geronimo Chapelという、廃墟と化した教会が残されている。 村内にはもう一つ同名の新しい教会(といっても1850年築)があるのだが、オリジナルは1619年築のこちら。
 かつてタオスの民と合衆国軍の間で紛争が起きた際、焼き討ちに遭い、立てこもった女性や子ども、老人が大勢死んだ教会である。 悲惨な歴史を忘れないためのモニュメントとなっているのだ。
 焼け落ちた鐘楼の下には、無数の十字架。
 こちらの風習では棺桶を使わず、遺体はブランケットにくるんで土葬する。 土へ還れば墓標は用済みとなり、その上から新たな遺体を埋め、新たな墓標を立てるそうだ。 したがってこの十字架たちも、過去の戦乱で亡くなった住民のものではない。しかし青空の下立ち並ぶ質素な十字架の群れには、見る者を黙らせる力があった。
 ところで実はまみさん、これが2回目のタオス・プエブロ訪問である。といっても前回来たのはかれこれ20年ほど前。 親父さんの海外赴任で1年ほど米国に住んでいたとき、観光に訪れたそうだ。
 「子どもの頃の話だから、来たのがタオスだったかどうかあやふやなんだけど」と言ってはいたが、 帰国後お母さんに確認したところ、確かにここであったとのこと。 当時は写真撮影が一切禁止で、観光客相手の土産物商売もほとんどやっていなかったらしい。 現在では住居の一階部分が軒並み土産物屋を営んでいて、プエブロ・インディアン独特の窯焼きパンなんかも売っていた。
 ちなみに、お祭りのときなどに焼くトラディショナルなパンとは別物である。 軒先で売っているのは普段の生活で食べる、コーン以外に小麦粉も使った、菓子パン風のやつだ。 僕らも一つ、ブルーベリージャムを挟んだ手作りパンを食べてみた。甘さ控えめでふわっとした、パイのような食感。美味い。
 カラっと晴れた空の下、パンを食いながら散策を続ける。 それにしたってプエブロ・インディアンの集落は犬が多い。 スペイン人が持ち込んでから番犬として飼うようになったとのことで、どの犬も首輪を着けておらず、 気ままにうろついているのが印象的だった。

左:今も墓地として利用されている、旧ジェロニモ教会。
右:犬はどこの集落でも飼っている。犬種は様々で、中〜大型犬が多い。

 タオス・プエブロの集落を出たところで昼食。Kさんになにを食べたいか訊かれ、 「量が殺人的でないところを」とリクエストしたのだが、「それは無理です」と即座に却下された。 ……どうして太平洋戦争に負けたのか、解ったような気がする。
 「でもまあ、ネイティブの人たちは米国でも小食なほうですよ」とのことなので、集落の近くにあるインディアン・フードの食堂に案内してもらった。 メニューはやっぱりメキシカン系で、挽肉と豆、チリ、そしてコーンが主な食材。
 チリにはレッドとグリーンがあって、大抵のメキシカン料理では「このメニューにはこのチリ」というのが決まっているのだけれど、 ニューメキシコでは好みに合わせて好きなほうを選ぶのが普通である。他の州では違うそうだ。 レッドとグリーンを半々に盛ったヤツを「クリスマス」と呼ぶのもニューメキシコだけ。 サンタフェに入ってから毎日チリ系の飯を食っているのだが、まったく飽きない。量はともかくとして味付けは思いっきり僕の好み。
 食事後、ルイボス・ティーに似た味のするインディアン・ティーを飲みながら地図を広げ、 Kさんから今後のオススメ移動ルートとその他の観光スポットを教えてもらう。 グランドキャニオンからギャロップまでの道程がほとんど移動だけになってしまうところだったので、この情報は役に立った。

 タオス・プエブロから西へ進み、Rio Grande Gorge Bridgeへ。 リオ・グランデ川に架かる、地上までの高さおよそ200メートルの橋だ。 「グランドキャニオンの前菜ってことで」とKさん。まみさんは高所恐怖症なのでビビりまくっている。  現在ではこのゴージ・ブリッジによって峡谷の向こうへ行き来できるようになっているが、馬で旅してた連中は途方に暮れたことだろう。 セージとシダーのブッシュに覆われた平原を延々と進んでたら、いきなり世界の果てみたいな地割れが。笑うしかない。 ここでバンジー・ジャンプやらかすヤツ、やっぱいるんだろうな。
 続いてTaosの街へ。タオス・プエブロとは別の都市である。 ここも土産物商売で賑わっているのだが、なんというかこう、品揃えの「熱海度」が非常に高い。 目玉がダイヤ風のガラス玉になってるガイコツキーホルダーとかペナントなんかは売っていないものの、微妙に熱海っぽい匂いが……。 Kさんにそれを告げたところ、「でしょ〜?」と大笑いしていた。 とはいっても探せばいいモノは見付かるもので、ココペリ(フルートを吹く神様で、豊作と幸運をもたらしてくれる)の砂絵を購入。
 旅行中ほぼ全ての土産屋で砂絵を見かけることになったのだが、ナバホ族っぽいワイルドなデザインのものが主流となっている中、 今回買ったようなポップで素朴な暖かみのある絵柄は極めて少数だった。いい買い物をしたもんだと満足し、タオスを後にする。

ゴージ・ブリッジからの展望。
車を降りて徒歩で渡った。

 サンタフェに戻る道中、Kさんから面白い話を聞いた。
 以前、日本のTV番組で「木村拓哉、インディアンになる」みたいな紀行モノが放映されたのだが、 ナバホ族の連中はキムタクを仲間に入れる条件として「我々はセージの葉を魔除けの御香に使っている。 ナバホの仲間に入りたければ荒野へ行き、セージを採ってこい」と言ったそうだ。 しかしそう告げるナバホの足元に、思いっきりセージが茂っていたのである。
 っつうかこのあたりの土地は、荒野以外全てセージとシダーのブッシュに覆われているのだ。 周囲を見渡すと地平線の果てまで、セージとシダーがセーターの毛玉みたいに茂っている。 荒野をさまよい、死ぬような思いでセージを手に入れたキムタクの立場は……。
 僕的には、「やらせ」ではなくキムタクがからかわれたのだと考えたほうが笑える。「やきそばパン買ってこい」みたいなノリで。キムタク、パシリ。

 ラティエンダ前にてKさんと別れ、夕暮時のサンタフェ市街へ。聖フランシスコ大聖堂前の広場で、ヴィンテージ&カスタム・カーの集会が行われていた。 公園周りの道路にぎっしりと、シボレーやムスタング、キャデラックなどが並んでいるのだ。胸が躍るね、やっぱ男の子だし。
 アメ車だけでなく、前後を切り詰めたフォルクス・ワーゲンのミニバスなど、こだわりまくった車が勢ぞろいしている。 中でも目を引いたのは、車体いっぱいに貝殻をデコレーションした凶悪にド派手なヤツだ。 うわ、すげえなコレ。ユリ・ゲラーはロールス・ロイスの車体全面を曲がったスプーンでデコレーションしているそうだが、それと比べたって引けをとらない。 こりゃ僕らも青のヒュンダイなんかじゃなく、星条旗カラーのサンダーバードとか頭悪そうでイカしてるヤツに乗りゃよかったわ。
 公園前の店に入り、車を眺めながら夕食。その後ラティエンダに戻る。3泊目の今日は部屋替えがあったのでRomero Roomに移動。 Montoya Roomより若干狭いがこの部屋も調度のセンスがよく、ゆったり眠ることができた。

渋めのモノから走り屋仕様まで車種は様々。ちょっとしたお祭である。ものすごいコトになってる車も。

まみの一言 −アメリカ人の栄養観−

 アメリカ人は本当に野菜を食べません。 アジアの料理がヘルシーだとブームになったり、ここ数年はずいぶん変わっているようだけれど、旅行中に食事をした店は、どこも野菜が不足がちでした。 っていうかアメリカ人、食い過ぎだよ。マクドナルドでさえ、日本よりかなり量が多いんだもの。 飲み物はタダみたいに安くて、何度でもお代わりを持って来てくれる店が多いし。
 そういえば昔、アメリカ滞在中にお泊まりをさせてもらった家では、朝食がお父さんの焼くホットケーキ、牛乳、オレンジジュース、 それにビタミン剤という、すごいメニューでした。
 ビタミン剤はかなり豊富に売られているし、心筋梗塞の予防にアスピリンを飲み続けている人も多いらしいです。 でも、全般に食べ物の物価が安いアメリカでも、ビタミン剤などのサプリメントは日本とほぼ同じくらいの価格帯。 肉中心でどの料理にも油が必ず入っているような食事を、優に2人分食べてビタミン剤を飲んだりジョギングに励んだりするくらいなら、 野菜中心で腹八分目っていう食事をしておく方がずっと体にいいのに。 健康オタクとしてはかなり気になることがもう一つあって、アメリカの太っちょさんは、例外なく内臓脂肪型の肥満が多いです。 これじゃあ、成人病にもなるし早死にもするよ。健康への関心はそれなりに高いはずなのになあ。


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