マルタ共和国はイタリアのシチリア島の南に位置する島国で、欧州文化とイスラム文化が混在している国である。淡路島の3分の2程度の大きさで、土地が瘠せていて緑がほとんどない。断水が年に5回くらいと多いらしく、滞在中に1回遭遇してしまった。とにかく水がないので、大きなミネラルウオーターを買って洗顔や歯磨きを行った。もう慣れているのか、平然としているマルタ人を見て、私は驚きを隠せなかった。

   マルタの主な見所は世界遺産にも登録されている首都ヴァレッタ。ここはマルタ騎士団が要塞都市として築き上げた計画都市なので、五十の目になっている。全体的には緻密色で坂が多い。そして世界的に有名な「マルタのヴィーナス」「眠れる乙女」など、数々の考古学的に貴重な遺物を展示してある国立考古学博物館や、マルタ騎士団時代の兵器を展示してある兵器庫などの見所がたくさんあった。そこからバスで20分程行くと、青の洞窟(マルタヴァージョン)がある。ここで小さなボートに乗り、洞窟の中に入ると「地中海の輝く青」を見ることができる。かなり揺れるので酔う人は注意。その他エジプトのピラミッドと同時代に建設された神殿など、歴史のロマンに浸るには絶好の国である。今からここでの25日間の日記を紹介していこうと思う。

Aug 17, 2002

早朝3時、私は目覚しが鳴る前に目が覚めた。急いで支度をし、始発の小田急で新宿まで向かい、成田エキスプレスに乗り込んだ。

成田空港第一ターミナルに着いたのは7時半。手早くチェックインを済ませ、ゲートへと向かった。早すぎたせいかゲートには誰もいなかったので、近くの免税店をブラブラした。だが結局何も買わなかった。8時50分、やっと搭乗が始まった。初めてのアリタリア航空、期待して乗り込んだが思ったより汚い、というより今まで乗った飛行機の中で一番汚い!壁にヒビが入っているし、椅子は軋むし最悪である。

12時間後、ローマ・フィウミチーノ空港に到着。1時間くらいしてようやく荷物が出てきた。そしてタクシーに乗り場を探すが、白タクがしつこく誘ってくるので列車で行くことに。空港駅へは歩く歩道ですぐだった。ローマ オスティエンセ駅まで切符を買い、列車に乗り込んだ。やがてローマの景色が見えてくる。何故か、やたらと変な形をした木が多いのに気付いた。木の上の部分にしか葉が生えてないのである。

やがてオスティエンセ駅に到着。スーツケースを重そうに担いで階段を下がっていったら、後ろにいた男が運んでくれた。さすが欧米男!女性の扱い方が成っている。お礼を言い、ホテルまで向かう・だが地図を持っていてもいまいち場所がわからない。近くにいた老婆がバスを教えてくれたが、方向が違っていた。3時間程うろうろして、しょうがないからタクシーを使うことに。最初からこうすれば良かったのだ。

ホテル・ピラミッドは想像以上に凄かった。どう凄かったかと説明すると・・・・。まずトイレとシャワーが同じ部屋に。だから朝トイレに行くとき、濡れた床の上を通らなければならない。そしてカーテン。レールが壊れているのか、全部閉まらない。これでは隣から丸見えである。このように一つ星付いているわりには非常に気を遣って宿泊するハメになった。

Aug 18, 2002

翌朝7時、ホテルをチェックアウトする際、預けていたパスポートがないと言われた。私の頭の中は真っ白になり、もっと探してくれ、と懇願したらボックスの隅にあるではないか。まったく昨日といい今日といい迷惑なホテルである。

また変人がうろついているオスティエンセ駅まで荷物を転がし、空港までのチケットを買った。今度はバカでかいチケットを渡され、またあの重い荷物を担いで階段を上った。今度は周りに誰もいなかったので一人で担いだ。手にマメができた上、筋肉痛になってしまった。

空港に着き、アリタリア航空マルタ行きの飛行機をモニターで探したが、まだ載っていない。しばらくうろついて、モニターを覗くと312カウンターと確認。そこへ行くとアルジェリアのアルジェ行きのカウンターになっているではないか!私は訳がわからなくなり、インフォメーションにセンターに聞いた。だがわからないと言う。彼女たちは何のためにそこにいるのか。とりあえず違うカウンターへ行ったら普通にチェックインできた。どうしてこういい加減なのか。急いで出国し、走ってゲートへ向かった。調度搭乗しているところで間に合った。飛行機に乗り込み、朝から飲み食いしていないことに気づいた。空港内で買ってくれば良かった、と悔やんでると機内食が出てきた。これこそ天の恵みである。

一時間くらいするとマルタ本島が見えてきた。飛行機の中からマルタ全体を見渡せるということは、よっぽど小さいんだな、と実感。機内から降りると、ものすごい日差しがじりじりと肌を焼いてくる。帰国する頃になったらどうなってるんだろう・・・

両替をして荷物を受け取り、ようやく空港を出た。語学学校の看板が見えたのでそこに行ってパンフレットを貰った。そしてランボーに出てきそうなゴツイ運転手がいるミニバスに乗り、それぞれのホームステイ先、ホテルに立ち寄った。途中、私はものすごい光景を目の当たりにした。無数の白やパステル色の箱状の家が密集しているのである。少しエキゾチックに感じられた。

私が辿り着いたのはマルタのごく普通の家だった。家の前まで行くと巨漢の中年女性がドアを開けて待っていた。ランボーは私のスーツケースを彼女に渡すと、すぐさまいなくなってしまった。家の中に入ると、独特な匂い(いや、臭い)がした。バンコクの家みたいな、少し生臭いようなカビの臭い・・・・。それに慣れるのに数日かかった。そして学校までの行き方を教わり、荷物をすべて整理した。疲れてなかったので外へ出ることにした。

周りが白い建物だらけのせいか、すごく眩しい。グラサンは必須アイテム!地図を見ながら歩いたら、しばらくしてマックや映画館が見えてきた。ここが語学学校のあるサン・ジュリアンという街だ。しばらくうろついていると、"ジャパーン!""トヨータ!"と車の中から叫んでくる連中がいた。非常にうるさい。そしてアジア人は珍しいせいか、みんなじろじろ見てくる。こんなところで4週間も暮らせるのだろうかと不安になった。6時に夕飯だというので5時半に家に戻った。夕飯は硬い肉にレタスとトマトのサラダにフライドポテトだった。もちろん食べきれないのでポテトと肉の半分を残した。

しばらくしたらルームメイトが帰ってきた。今まで海に行っていたのだそうで、ものすごく日焼けしている。彼女は24歳のハンガリー人の女の子で今年大学院を卒業したそうだ。彼女に今夜友達と出かけるけど一緒に行かない?と言われたので、友達を作るチャンスだと思い、付いていくことにした。

待ち合わせ場所に現れたのは3人のイタリア人の女の子。みんな20前後だとは思えない顔立ち(笑)みんなでピザを食べに行ったが、私は既に夕飯を食べていたので水だけ飲んでいた。みんな変な英語しゃべるけど、すっごくおしゃべり!恥じらいって捨ててもいいんだなと感じた。レストランを出てしばらくぶらぶらして家路についた。さすがに疲れたのでそのままベッドで寝てしまった。

Aug 22, 2002

朝9時頃のバスでヴァレッタへと向かった。9時を過ぎているというのにサラリーマンでごった返している。私以上にみんな時間にルーズなのだろうか。

取りあえず一番下にあるエルモ砦に行こうと歩き出した。だが閉まっていて、隣のマルタエクスペリエンスは開いていた。上映時間まで20分程あったので、隣にある治療院に立ち寄ることにする。ここは昔、オスマントルコと戦ったとき負傷した兵士たちが運ばれた病院である。当時のヨーロッパでは最高の医療を施していたそうだ。実在した場所で、うまく再現されている。

まず学生でも1LMを支払わなければならなかった。しぶしぶお金を出すと、地下に向かう階段があり、そこを恐る恐る降りていく・・・「ぎゃーーーーーーーーーーーーーーー!」出た!!!死神のようなお爺さんが前かがみに座っているではないか!(蝋人形)私は一瞬腰を抜かしそうになった。でも気を取り直してどんどん中へと入っていった。また出た!今度は傷付いた兵士が血みどろになって倒れているではないか!周りに誰もいないし、地下だし、天井低いし、暗いし・・・。死ぬかと思った。もっと行くと薄暗い洞窟のような部屋が続いている。もうギブアップ・・・。結局引き返してしまった。

マルタエクスペリエンスの時間がきた。私は気を取り直して参加することにした。ここは映画館のようになっていて、各席にイヤホンが取り付けられている。ダイヤルで使用言語を決め、マルタを体験するというものだ。もちろん私は日本語を選んだ。とにかく内容は素晴らしいものだった。マルタの地形が形成された頃から現在まで、細かく説明されている。ものすごくマルタの事を知ることができたので、まずここでマルタの情報を仕入れてから、見所へ行くともっと楽しめると思う。

そしてヴァレッタのカフェでキノコとクリームのまずーいパスタを食べ、(塩味がない)国立考古学博物館へと向かった。ここは、かの有名な「マルタのヴィーナス」、「眠れる美女」が展示されている。本物はものすごく小さいもので、綺麗にライトアップされていた。

その次に国立美術館へと向かった。もう20分で閉館だと言われ、慌てて見ることとなった。時代順になっていて、マルタ騎士団長の肖像画やキリスト教関係の絵画まで、素晴らしい作品が山ほどあったが、ゆっくり見られなかったのが残念である。

Aug 25, 2002

朝10時頃にBlue Grottoという青の洞窟を訪れた。バスから降りると一面に水平線!やっぱり地中海はきれいだ。10分程歩いたらボート乗り場があった。私は料金を支払い、激しく揺れるボートに乗った。波はそんなに高くないが、とにかく揺れるのである。しばらく行くと洞窟が見えてきた。カメラの準備をすると、後ろにいた乗り組み員がスタンダップ!と叫び、私のお腹を触りはじめた。これは明らかに痴漢である。でもここで抵抗すると海に投げ出されるかもしれない。泳げない私は、こんなところで死ぬものかと歯を食いしばって耐えた。やがてもう一つの洞窟が現れ、ここで「青」が海の中に見えた。乗組員曰く、午前中に来て正解だったらしい。そして幾つかの洞窟を見て、ブルーグロット観光は終わった。

そして次は遺跡を見に行った。これらは、あのストーンヘンジより古いらしい遺跡である。そこにいたオヤジたちはマニアックな日本語を話し掛けてきた。「おおきに!」や「おはーよぉ」とか・・。しかもそこにいた背の低いオヤジは、昔の中国の国民服の帽子をかぶり、その上に日よけらしき小さなカラフルなパラソルを立てていた。かなり笑える光景だったので、私は彼を見た瞬間大笑いしてしまった。その人は私が中国人だったと思ったらしく、「チャイナチャイナハットー!」と、はしゃいで自分の帽子を指して喜んでいた。そして肝心の遺跡は石が積み上げられただけのもので、歴史のロマンも何もなかった。ピラミッドみたいに字でも書いていてくれればもっと楽しかったのに。私みたいなのは遺跡見る資格なんてないのかもしれない。

そして次にヴァレッタに戻り、エッグバーガーを食べてゴールデンベイへ行った。今日こそ泳げる!って張り切って行ったのに、そこにはたくさんの人が・・・。しかも海の中はタイのコーラル島と比べてそんなにキレイではない。絶望感でいっぱいになりながらビーチを後にした。ものすごく疲れ、帰りにサブウェイで夕飯を買い、ファミリーに見つからないように部屋で食べた。

Aug 26, 2002

今日は憧れのカタコンベを求めにラバトとイムディーナへ。非常に暑かったので動きが非常に鈍かった。イムディーナは丘の上に建つ、マルタで一番古い中世の街である。

まずイムディーナを見学。暑いので何も見る気にならないし、日曜だから見所はすべて閉まっている。取りあえず外に出て、カタコンベに行くことにした。だが、いくら歩いても辿り着かない。途中で地図を広げ、しばらく行くとカタコンベに辿り着いた。だが、両方とも既に閉館している。ここに来た意味がないじゃないか。

しょうがないから帰ることにした。だが、中世の街は迷路のようになっているので道がわからない。一時間くらい自分の方向感覚を信じて歩いたが、いつまで経ってもバス停が見つからない。カタコンベに呪われたのだろうか・・・。その辺で喋っている老婆と中年男性に声をかけ、バス停の場所を教えてもらうことにした。幸いなことに、その老婆と中年男性は車で同じ方向へ行くという。反対方向に向かっていたらしく、歩いたら1時間はかかると言うので車に乗せてもらうことにした。マルタ人に初めて感動した。二人ともものすごくいい人で、降りるまでおしゃべりが尽きなかった。

そしてサン・ジュリアンに帰るバスに乗った。バスを降りるときにイタリア人らしき団体から名前と電話番号が綴られた紙を渡されたが、タイプではないので、もらっても電話しないことにした。

Aug 29, 2002

今日は14時半から、マータとコミノ島へ行く約束をしていたので、約束通りに学校の前で待機。(2限サボリ)5分程して彼女が謝りながら到着。私たちは645番のバスに乗ってコミノ島へのフェリー乗り場に向かった。所要40分。ボロバスに揺られながら荒野と美しい海という、ミスマッチな光景を眺めながら。

乗り場に到着すると誰もいない。彼女が前来たときはチケット売りがいたという。私たちはしょうがなく次のフェリー乗り場に行こうとするが、なかなかバスが来ない。冗談でヒッチハイクしようかー!って親指を差し出してみた。すると調度車が来て、しかも止まったではないか。美女二人がいるからこそできることなのね☆止まってくれた彼はマルタ人で、隣のフェリー乗り場まで乗せてってくれた。私たちは大笑い。本当にこんなことできるなんて!!

そして乗り場へ行っても誰もいないし、船もない。どういうことかとガードマンに聞いたら、もう30分したら船が来るというので待つことにした。やがて小さい船が到着。だが、もうこれが最終便だと言う。私たちが暗い顔をすると、船長が、ずっと船に乗って見るだけでいいんだったらいいよ!と。しかもタダ!!!私たちは喜んで船に乗った。

船はすごく揺れた。でも下を見ると魚が泳いでいるのがわかる。こんなに透き通った海を見たのは初めてだ。船の先端に立ってタイタニックごっこをして、梯子で上に上がったら、また気持ちいい。地中海の柔らかい風がたくさん吹いてくる。ものすごく揺れ、きゃあきゃあ言いながらコミノ島に到着。船が止まっている間、船長が魚たちにパンをあげていた。私たちはエメラルドグリーンの海を眺めたり、写真を撮ったりしていた。そしたらいきなりマータが水着姿に!そして船の2階からダイブ!一瞬の出来事だった。そしてびしょびしょになって登場。本当、泳げてうらやましい。そしてプラムの丸かじりをして船は出発!今度はコミノからの客も乗っていた。そして青の洞窟(コミノヴァージョン)を通って、船着き場に到着。タダでこんな経験させてくれるなんて、他に絶対ない!超ラッキーな日!

そしてバスに乗車。ドリトスを食べながら、メキシコ料理はおいしいよね!と話していると、今日の夕飯はメキシコ料理に決定。スリーマのメキシコ料理屋へ。そこで私たちはナチョス頼んだが、チーズがヨーロッパ風なので本場っぽくない。チェダーチーズはないのか!?でもサワークリームとアボカドはいけたので良しとしよう。

そしてジェラートを食べて帰宅。心底楽しめた日であった。

Sep 15, 2002

 今日はいよいよ帰国の日!私は数日前に起こった断水か嘘だと思えるかのように溢れ出る水でシャワーを浴び、支度をした。すぐに朝食を摂りに行き、いつものトーストを、最後くらいいいだろうと、もう1枚請求。結局カトリーナとダラダラ喋りながら1時間くらいかけて食べた。

彼女はビーチに行ってしまうということで、その後すぐに写真撮影。そしてポストカードをくれた。私はお土産用のお菓子をスーパーまで買いに行き、思い荷物を下げながら帰ってきた。チーズとサワークリームのスナック、キャンディー、コーンフレークバーを7個ずつ購入。結構な量だった。それからすぐにパッキングを実行。思ったように荷物が入らない!私はスーツケースの上に乗り、無理矢理閉めることとなる。

14時半に来るはずの空港送迎バスがいくらたっても来ない。やはり最後まで時間にルーズな国だ。もうこれ以上待たせられると飛行機に乗り遅れてしまうので、マザーがバスの電話番号を聞いてきた。それを教えてすぐにバスが来た。本当に腹立たしい。運転手はまたランボーだった。彼は29キロのスーツケースをひょいっと持ち上げ、さっさとバスに乗り込んだ。それからいくつかの家を回り、空港へ。その間すごいスピードで走るものだから髪が縺れまくり!

20分後にルア国際空港に到着。すぐにアリタリア航空ミラノ行きにチェックイン。荷物が重かったので、重量を測るとき後ろにいた男性が持ち上げてくれた。やはりマナーが成っている。それから長蛇の列に並び、出国審査。しばらくして搭乗開始!歩いて飛行機に乗った。

今回のアリタリアは前より新しい機材で、中もきれいたった。機内食はターキーとチーズをはさんだまずいパンと、それよりでかいアプリコットパイ。何故こんなにデザートがでかいんだろう…当然全部食べられるわけもなく、甘いものがあまり好きではない私はパイを残した。

2時間ほどしてミラノ、マルペンサ空港に到着。トランジットの手続きをして、アリタリア&日本航空共同運航便のゲートへ向かった。搭乗まであと2時間あったので、当然ゲートには人がいない。私はその辺の売店をうろうろし、イタリア語の雑誌、地図、煙草を購入。家に電話をかけようと国際テレカを買ったが、かけ方がわからなくて苦労した。でも結局つながって一安心!

30分前にゲートへと向かった。どっから集まったの?ってくらい、なぜかそこは日本人だらけ!しかもずっとヨーロッパ&アラブ系を見ていたので、彼らの背の低さと足の短さに仰天!それに日本へ向かうイタリア人はいないのか!?というくらい日本人だらけであった。

機材は日本航空だった。乗務員も主に日本航空の者で、アリタリア美男子は2人だけ!ガッカリ!日本の航空会社特有の客室乗務員がサービスするので不快だった。もっとさばさばして欲しいのに、彼女らは笑顔を作ってるっていうか…私は好きではない。

機内食は、しょっぱいパスタとチキン、エビの前菜、そしてエクレアとパン。さっきまずいパンを食べたので、あまり食べることができなかった。パスタだけ完食。それからいきなり電気を消され、外の星がたくさん見えた。空の上にいるからかは分からないが、オリオン座が地上で見るより身近に感じられた。他の星もたくさん見えて、まるでディズニーの世界!私はしばらくうっとり・・・☆そのうち深い眠りについた。

 いきなり機内の電気がつき、私は目が覚めてしまった。外はもう明るくなっている。いきなりホットケーキ、フルーツ、ヨーグルトの機内食が出てきた。起きたばっかりだし食欲なかったのでヨーグルトだけを食べた。しばらくすると、乾いた山や川が見えてきた。リアルタイム地図を見ると、ハバロフスク上空だった。ロシアかぁ…としばらく見入り、やがて海が見えてきた。あと2時間のフライトだ。

 新東京国際空港に着いたのは到着地現地時間16時10分。入国審査をし、ラゲージを受け取り出口へ。母親が空港まで迎えに来ると言っていたのでしばらく探したが、どこにもいない。もしや…と思い、もう一つの出口へ。やっぱりいた。すぐに和食を食べたいと普段言えない我侭を尽き通し、寿司屋へ。思いっきり1ヶ月ぶりの和食を堪能し、成田エキスプレスと小田急線を乗り継いで帰宅。思ったより全然疲れてなくて、土産話していたら真夜中に!自然と眠くなったので就寝。ここで私のマルタ旅行記は終了!


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