パシュパティナートとボダナート


カトマンドゥ市内に戻り、「パシュパティナート」に行った。市内から東に約5kmの位置にある。到着するなり、今まで嗅いだことの無い不思議な匂いがしてきた。川沿いに歩いていくにしたがって、その匂いはますます強くなり、少々気分が悪くなった。実はここは火葬場であり、外で火葬するため煙が辺りに漂っているのであった。左の写真、川の向こう岸の人が集まっているところ、既に火葬のための木が組み上げられ、その上に亡くなった方が乗せられていた。初めて見る光景に、驚きと戸惑いを覚えたが、そこではごく通常の儀式として行われているようであった。右がヒンドゥー教の「パシュパティナート寺院」。死の一歩手前を迎えた人は、こちらでここの「バグマティ川」の水を口に浸される。もし、息を吹き返すようなことがあればそれは奇跡として扱われ、残念にも亡くなられることになれば、この寺院で必要なお祈りがささげられるという。その後、先ほどの火葬場に行き、骨まで全て灰になってバグマティ川に流される。この川がこの先「ガンジス河」に続いていることを考えれば、それほど不思議なことではないであろう。限りなくインドに近いネパールがそこにあった。


パシュパティナートの不思議な光景に軽いショックを受けた私たちが、最後に訪れたのが「ボダナート」である。ここは、チベット仏教の主要な巡礼地とされ、訪れては祈願をささげる人が後を絶たない。場所はパシュパティナートより、やや北に位置し市内からは7kmほどに位置する。カトマンドゥ初日に行ったスワヤンブナートが丘の上にあったのに対し、こちらは街中に突然としてその巨大な場所を確保していることが最大の違いである。建物と建物で挟まれた路地に入ると、すぐさま奥の方にその目玉のストゥーパ(仏塔)が姿を見せる。路地を進んでいくとやがて円形の広場があり、その中央にストゥーパ(写真左)があるといったところである。このストゥーパは、こと目玉があることにだけ着目すれば、スワヤンブナートのそれと似ているようではあるが、規模も含めて全体から受ける迫力は比較にならない程である。ボダナートのストゥーパは、それ自体が曼荼羅(マンダラ)構造を持っているとされ、地面に近い方から、「地」を意味する4層の台座、「水」の半円球のドーム、「火」の四方向きの目玉が書かれた部分と13層の尖塔、「風」の丸い傘の部分、「空」の先頭の小尖塔で構成され ている。これらが宇宙を構成する5大エネルギーであるという。そのエネルギーを浴びるように、多くの巡礼者達がドームの周りを右回りに歩いている。歩きながら、ドーム最下層の土台に取り付けられた数百個の「マニ車」を祈りと共に手で回していくのである。マニ車はチベット教の巡礼地でよく見かける、横に回転する構造を持った円筒である。私たちも巡礼者の真似をして、いくつかのマニ車を回してみた。しかし、遥か遠く厳しい道のりを経て、チベットからやってきた人々の祈りの境地には、決して近づくものではなかった。そして、ストゥーパ中段まで登った私たちは改めてその周辺を見渡した(写真右)。すると、チベット教の祈りを捧げる人々の姿が目に入った。3段階に分けた手順で、うつ伏せになる行為をひたすら繰り返しているのである。先ごろヒットした映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」でも見られた光景だ。「ダライ・ラマ」もこの地を訪れたのであろうか。


これは、ボダナート周辺にあった「チベット難民キャンプ」の中の集会所。定期的にこのような集会を開いているという。大勢のチベット人(当然ネパール人とは顔立ちが違う)がいて、まるで別の国に来たようであった。現在では、難民キャンプという呼び方は似つかわしくなく、ほとんど移住地といってよいだろう。


左の写真はネパール最後の夜の食事。街中のレストランで食べたが、たいへんおいしかった。ホテルの食事は日本人用に味付けされているともいうが、一般の食事も大丈夫。ネパールを訪れた際には、ぜひチャレンジを。右はカトマンドゥ市内で見た私のホームページ・モンゴル編。画面左の文字は、ネパール語...とは真っ赤なうそ。文字化けである。各国語対応の必要性を痛感!ここは、FAXやE-MAILサービスを扱うお店で、カトマンドゥ市内にいくつも存在する。宗教と貧困が特徴のこの国にあって、たいへん不思議な存在である。しかし、それだけ情報通信産業が世界規模で広がっていることを示すものであり、特にインターネットで情報を流す場合には、常に全世界を意識する必要があることを実感した。この店では、インターネット接続時間1分当たり15ルピーで、今回は90ルピー払った。日本円の価値に直して数円程度であった。