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12月15日、メキシコを割と早く抜けて、今回訪れるのを楽しみにしていた国の1つ「グァテマラ」に入国する。
入国直前のところに橋がかかっていて、その調度真ん中がメキシコとの国境になっていた。そこで僕は通行人に
「国境を跨いだところの写真を撮ってくれ」と頼む。通行人は快く引き受けてくれた。写真を撮ってもらい無事
入国を済ませるとそれまで僕の後ろをくっついて来ていたウザイボッタくりの白タク野郎どもを振り切り、客待ち
していた「ちゃんとした」タクシーで最寄りの街へと向かう。この時、僕は「クリスマスも近いので一気にアンティグア
まで行って宿を確保しておこう!」と思っていたのだが、街から出るバスはあいにくケツァルテナンゴ(以下シェラ)
までのバスしかなかった。そこで僕は「とりあえずシェラまで行き、そこで乗り換えりゃいいか」と考え、
チケットを買いバスに乗った。ところがこのバス、とんでもないオンボロで途中で2度の故障と2度の乗り換えをして
通常シェラまで4時間で行くところを7時間もかかってしまう。この時、時刻はすでに夕方の6時をまわっていたのだが、
僕はどうしても一気にアンティグアまで行きたかったので運ちゃんに「アンティグア行きのバスはないか」と尋ねてみる。
しかし、返ってきた返事は無情にも「無い!」の一言。仕方なく今夜はシェラに泊まろうかとしばらく迷ったのだが、
少しでも前に進んでおきたかったし、幸いにもアティトラン湖畔の街「パナハッチェル」行きのバスがあったので、
ここから約2時間ほどのところにある「パナハッチェル」まで行くことに決めた。翌日、パナハッチェルから
アンティグア行きのバスに乗り、お昼前にアンティグアに到着。到着したのはちょうどメルカド(市場)の一角で、
バスを降りるとそこには色とりどりの鮮やかなウイピル(民族衣装)に身を包んだインディへナのおばチャン
たちが威勢のいい声を張り上げている。僕はそんなインディへナのおばチャンたちを横目に見ながら市場から徒歩3分
ぐらいのところにあるバックパッカー御用達の安宿「ポサダ・レフヒオ」へと向かった。 レフヒオに着き、
チェックインする際「クリスマスが近いから、きっと客が多いだろうな」と思っていたら以外にも
宿はガラガラでちょっと拍子抜けした。僕は3階の屋上の部屋をあてがわれた。案内された畳3畳ほどの広さの
部屋にはで人の形に窪んだ薄汚いベッドと椅子がひとつあるだけだった。
ここアンティグアは世界中からスペイン語を学びに来る人やその風光明媚な土地柄?で旅行者も多い観光地。
そこで僕もご多忙に漏れず?これからの中南米の長旅に備えてちょっとでもスペイン語
を覚えておくために学校に通うことにした。学校は地球の○○方にも載っている、日本人の片桐まことさん
(女優片桐はいりの弟さん)が経営する「アタバル」へと通う。僕は午前中4時間のコースをとりあえず
一週間受けることにした。僕の担当は「リディア」という女性の先生。教え方はう〜ん、
どうだったかな?とにかく、よく授業中に席を外すのが印象的な先生だった。
学校も終わり、年末近くなると僕の泊まっている屋上は旅行者(何故か全て日本人)南米から上がってきた高橋さん、
ライダーでカナダ〜アメリカ、そしてこれから中南米をバイクで走破するという原君、福岡の高校で世界史の先生をしていて、
冬休みを利用してやってきた福田君、僕と同じくこれから南米を目指す「歩・峰」カップル等、それに宿泊者じゃないのだが、
やはり旅行者で今はグァテマラ人の家にホームステイしてスペイン語を学んでいるという「ケン」君も良く遊びに来て賑やかになり、
待ちに待ったニューイヤーのカウントダウンはみんなで花火を買い込んでパルケ(公園)へと繰り出し、
世界中から集まった旅行者や地元の人たちと大花火大会で大いに盛り上がった。
年が明けて僕は6日までアンティグアにいた。それから、ふとアティトラン湖周辺の村へ行ってみようとと思い、
翌日パナハッチェルヘ向けて出発した。パナハッチェルはすでに有名な観光地で、土産物でも買わない限り面白みがなかったので
僕はボートで対岸のサンペドロ・ラ・ラグーナへと行ってみる。約1時間半でボートはサンペドロ・ラ・ラグーナへと到着。
ボートを降りて宿を決めてさっそく散歩がてらに村を探索するとそこは車なんか数えるくらいしか走ってなく、
まるで時間が止まったような錯覚さえ感じる素朴な村だった。僕はここを拠点に4日間、乗合トラックを利用して
その他の周辺の村のサンファン・ラ・ラグーナやサンパブロ・ラ・ラグーナへと訪れてみることにした。
双方の村はいづれもサンペドロ以上になにもない素朴な村だったが、僕はサンペドロより人々がフレンドリーで陽気な印象を受けた。
写真にある村の子供達はサンファン・ラ・ラグーナの子供達。彼らはとても人懐っこく、
見ず知らずの僕に笑顔で接してくれて、売り物のオレンジをただでくれたりしてとても親切にしてくれた。
5日目、僕はまたアンティグアへと戻ると、原君のバイクがまだあった。話を聞くと、
明日いよいよエルサルバドルに向けて南下するとのこと。歩・峰カップルはもうすでに旅立った後で
教師福田君はもう帰国の途についていた。残ったのは僕と高橋さんだけとなったが、
数日するとテンガロンハットを被ったジャグリングの名手のおやま君やスペイン語、
英語を上手に操る田野君等のまた新たな旅行者がやって来てレフヒオの屋上は再び賑やかなものとなった。
1月17日、宿の旅行者等5人で強盗が出るという噂の『十字架の丘』に、強盗に遭遇してもいいようにと
みんなそれぞれチェーンやらサバイバルナイフ等の武器を手にして登った。ちょっとは緊張していたのだが何事も無く丘に着くと、
そこからはアグア火山をバックにアンティグアの街並が広がっていて見事な眺めだった。
みんなはカメラを持ってきていて写真を撮っていたのだが、僕はなぜかカメラを持ってこなかったので
その景色を脳裏に焼き付ける。丘を降りると僕らはみんなでカフェマサラで日曜ランチの昼食を取った。
カフェマサラは日本食のレストラン。普段ここで食事するとそこそこ値が張るのだが日曜日のランチだけは安く食べられる
ということで、アンティグア滞在の日本人旅行者の間ではたいがいこの日曜日のランチを狙って行くケースが多かった。
その日の夜、僕はひとり夜空を見上げながら楽しかったアンティグアでの日々を回想していた。
この街にはもうかれこれ1ヶ月近くもいる。僕の気持ちの中ではそろそろ南下しようかなと思い始めていた・・・。
翌朝、僕は意を決してエルサルバドルへ向かうことにした。周囲のみんなは突然だったのでちょっとびっくりした
様子だったが、笑顔で見送ってくれた。
エルサルバドルまでは偶然にも大学生の達也君も今日出発するとのことだったので、
ふたりで行くことになった。TICAバスに乗り込み一路パンアメリカンハイウェイをエルサルバドルへと向かう。
車窓からは古都アンティグアの街並が徐々に消えていった・・・。
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