独断場

1980年代から1990年前半にかけて、地方自治体の役所、学校、さらには公衆トイレにまで特異なデザインを施した公共建築が相次いで登場した。デザインのパターンとしては過去の歴史的建築を借用したものや地元の名産品や民話の登場人物をかたどったものが多い。しかし、その実態は「無秩序なデフォルメ」というべきもので、例えば歴史的建築の美しさの基本となる要素を無視したり、みかんの産地では屋根にやたら大きな「みかんのハリボテ」がのせてあったり、ときにはおとぎ話に現れる「メルヘンのお城」を真似たものもある。このような傾向を 中川 理・京都工芸繊維大学助教授は「ディズニーランダゼイション」と名付けた。ディズニーランドのような閉じた空間で初めて成立するハズの「メルヘンのお城」等デフォルメされた建築が、なぜ一般社会に「流出」したのか。中川氏はその過程とバリエーションを、地方自治体が抱く思惑や期待を考察しつつ詳細に検討した。その成果は同氏の著書「偽装するニッポン 公共施設のディズニーランダゼイション」にまとめられている。

市川大門駅もこの「ディズニーランダゼイション」の流れにあるといえる。やや裾の広がったRC造の躯体にのせられた瓦屋根が、地元・市川大門町に開設された「大門碑林公園」に由来する(だろう)ことは[ST report]で触れた。しかし、身延線に乗って訪れた人がこの駅を見て「大門碑林公園」を想い起こすことはまず無いだろう。「ナゼ、こんなところに中国風の屋根が?」「あれは一体、ナニ?!」という感想が自然である。

屋根が発するメッセージは事情を知ると明快なのだが、そうでなければ永遠のなぞで終わる。単にメッセージが判りにくいだけならば、市川大門町の思惑が外れた、ということで済むことだ。が、私はこの「判りにくさ」が訪れる人々における心理的な障壁に成りはしないか、という不安を覚える。これは個人的体験であるが、私は駅舎の前に立ったときその規模の割には大きな威圧感を感じずに入られなかった。このとき私は「大門碑林公園」の事は何一つ知らず、屋根の意味が判らないまま、いぶかしげにそれをを注視し続けていたのだが、おそらく、建物を見上げていたことと、ナゼだろうと考えていたことでそういう心理状態になっていたのかもしれない。
この威圧感が私だけのことならば良いのだが、他の人々も同様に感じるようであれば、市川大門町の思惑外し、に留まらず駅本来の機能や役割からも外れかねない。中国風の瓦屋根を持つユニークな駅、と簡単に片付けたり面白おかしく扱える駅ではない。