独断場

私たちが駅に求める役割や機能は時代と共にうつりかわる。これは当然であるが、同時にその駅に見出される価値も変化していく。この奈良駅はその狭間で揺れているようである。
設計のいきさつは本編に述べたとおりだが、当時の日本は外貨獲得のため外国人観光客の誘致が急務であり、観光施設などには彼らを意識したデザインが鉄道省国際観光課主導で施された、という事情もあった。このあたりは同様に多くの外国人が来訪した観光地を控え、奈良駅の約25年前に造られた日光駅(1910:大正元年)や、奈良駅とほぼ同時期に竣工しながら、あくまでもその機能性を追及し不要な装飾を省略した御茶の水駅(1934:昭和7年)との対照性に興味深いものを感じる。
以上の点から、奈良駅のデザインはそのまま「“観光都市・奈良”のシンボル」という重要な役割を担っていたが、現在、鉄道玄関口としての比重は“ライバル”の近鉄奈良駅のほうが大きく、この役割は既に終わったといってよいと思う。
そのような状況下での駅舎解体問題である。
解体の理由は「奈良駅付近立体交差事業」、つまるところ再開発にとって駅舎が邪魔だということなのだろう。もう十分お役目は果たしたから、と。
確かに「玄関口」としての役割は終わった。だが、それが全てなのか。
この奈良駅舎は戦前期日本建築の特徴、すなわち和風様式を西洋近代建築の技術で表現した「近代和風」の典型として、現在に残る重要な建築物とみなされている。つまり竣工以来約70年を経て奈良駅は建築史においても一つの“証人”となり、新たな価値を獲得したのである。
私は「事業」の詳細はわからない。しかし、この駅舎を核とした再開発や街づくりも可能ではないだろうか。「立体交差には不向き」だから解体だというならばその判断は安直に過ぎる。
もしどうしても解体して新たな駅舎を造るならば、間違いなく今の駅舎を遥かに越える物が出来るのだ、という確信と覚悟を持って欲しい。
追記:2001年9月に一転、保存が決定した。おそらく、奈良駅と同様な状況下にある建物は駅舎に限らず多く存在するはずである。この国は中途半端に古いものを躊躇無く消し去ってしまう傾向が強い。この例が少なくとも鉄道世界において一つのモデルケースになればよいが。


