| 見えない鎖 ・・奴隷としてのパチンコ |
(「パチンコの断章」から)
依存症になったり、より症状が深刻なパチ中毒になって・・・ 金銭的にも精神的にも、相当苦しんでる(苦しんだ)んだよね。
でもその一方で、こういう人たちこそが、真性ギャンブル・パチ業界のますますの発展、繁栄に尽力しちゃったってことも、
社会に10万人の人間がいたとすると、そのうちの下位数%は間違いなく劣等種であり、生存競争が激しい場合は当然淘汰され、消えていく運命なのだが、その劣等種の割合をことさらに拡大することもなかろう。
ほとんどの客は負けまくっても不思議と また来るんですよ。 まあ、さすがに1ヶ月搾り取ったときはちょっと客が離れましたが、
2,3日高設定をまぜるだけで、また客は戻ってきちゃうんですよね。 ここだけの話、奴隷みたいなもんです。
パチンコで勝った負けたっつったって、 結局は、防犯カメラに映ってる画像で客見てる三国人経営者らが、
その掌で、客転がして、出すか出さぬかやってるってことだけだ。
こんなイカサマまがいのギャンブルに貴賎注ぎ込んで、
一喜一憂してんのは、真性バカのすることだろ。
こんな記事を発見 何匹かで飼育したサルのうち、群れのリーダーより下っ端ざるのほうがコカイン依存に
なりやすいという実験。 パチンコ依存も同じか。。。。 社会の底辺にいる人間ほど依存しやすいかも。。。
たまに来る当たりでドーパミンを脳に与える。 うまいシステムだ。
例えは悪いが、店内一列に並んだその情けない様は、飼育されてる家畜そのものじゃないか。。。
パチンコ業界の連中はその依存性を利用して、 あなたをパチンコ漬けにしているよ。
借金をしてまでパチンコを続けるようなヤツはマジで救いがない。
パチンコ生活は所詮財産没収+弱性ガス室での禁固刑だが、不思議なのは当人は娯楽だと信じて疑わないで毎日のように訪れる。真実を知るのが嫌なのかも
しれないが。 いつの時代も奴隷はその事実に気づかないだけ。
覚醒剤と同じ。ひ弱な精神の持ち主の堕落した心の隙間に忍び込んで、心も体も ボロボロになるまで吸い尽くされ、抜け殻になって使い物にならなくなったら捨て られる…
元はと言えば、ストレス解消にでもなれば・・・と軽い気持ちで始めたパチが、 いつの間にか、想像を絶する大きなストレスを与える凶器と化してしまい、
遊んでいるつもりが気づけばパチ屋の奴隷に成り下がっていた。
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▼依存という鎖
奴隷というのは必ずしも鎖で繋がれている必要はない。なんらかの見えない鎖によって搾取し続けられれば、その人は奴隷である。パチンコのように、依存性がみえない鎖の役割を果たし、パチンカーがその依存性に縛られて金を運び続ける構造は奴隷搾取そのものだろう。
一部のパチンカーは借金をしてパチンコをする。これはパチンコ依存のなせる技で、普通の判断力のもとでは起こりえない。これによって、パチンコ店に金を運ぶだけではなく、サラ金にも高金利を払い続ける二重の鎖が出来上がる。
余談になるが、ピラミッドを建設する際、古代エジプトでは麻薬が使われたという。麻薬の快楽をエサにして奴隷を酷使したのである。現在の日本では、脳内麻薬の快楽で釣ることによって、パチンコで金を使い続ける奴隷にしているわけだ。
▼奴隷の管理
千人の奴隷がいたとする。この奴隷を効率的に働かせることは簡単である。一番よく働いた奴隷を自由にすると宣言すればよい。千人の奴隷は、その一人になるために精一杯働くことになる。
実際は、全員で逃げるか反乱を起こせば、より多くの奴隷が自由を得ることができたとしても、奴隷たちにそういう気概はない。ただ、ご主人様の言葉を信じ、自由のご褒美をもらうという微かな希望にすがる。他者依存が性根まで染みついてしまうと、それ以外の判断ができなくなるのだ。
これはパチンコ店で毎日起きていることである。「勝てる」という妄想をパチンコ店は与える。そして、ごく一部の人間には慈悲深く「当たり」を与える。これによって、トータルでは大負けになるにも関わらず、金を運ぶ奴隷として客をコントロールできるのである。
▼奴隷はいかにして真の奴隷になるか
興味深いのは、パチンコ店に金を運び続け搾取され続けているパチンカーが、自分の意志でやっているつもりだという点である。
奴隷の状態から抜け出たいなら、当然鎖を外すべきだ。しかし、あるタイプの奴隷というのは、自ら望んで奴隷をやっていると思いこむことで、強制されていないから自分は奴隷ではないと考えるのである。人が事実を指摘しても、言葉による正当化で自分を欺く。
しかも、そういう行為はほとんど無意識に行われ、自分で自分を欺いていることすら気が付いていない。これによって、真の奴隷が完成する。パチンコ依存者一般の姿である。
▼奴隷の視野
自分が置かれている構造がよく見える人にとっては、自分を欺くのは困難である。いくら自分を誤魔化そうとしても、パチンコによって自分が単なる奴隷になってしまっている事実が見えすぎるために、もはや奴隷でいることができない。
しかし、物事を考えるうえでの視野が狭い人というのは、そういった構造がまったく見えず、今日はパチンコで勝った負けたといった次元でしかものを考えない。自分が踊らされている事実に気付かないし、それを指摘されてもピンとこないのである。
現在の奴隷は、物理的には誰一人繋がれていない。ただ、視野がせまく思慮の浅い人間が自らの心に鎖を繋ぎ、そこから自由になれないのだ。
▼奴隷の復讐
パチンコ奴隷がどのように自分の怒りを表現しているのかを見れば、彼らの思慮の浅さは明らかである。
たとえば、彼らはパチンコ店のガラスを割ったり、汚物をばらまいたり、店員に嫌がらせをしたりする。しかし言うまでもなく、パチンコ店で働いている人間というのは、たいていわずかな給料で働かされているサラリーマンとアルバイトに過ぎない。
あるいは、負けた腹いせに家族、友人に八つ当たりをする。誰かに怒りをぶつけないと気が済まないのだろうが、周りの人をあたかも敵であるかのように扱い、自分にとって最も大切な人を徐々に失っていくのである。
さらに、パチンコで搾取された怒りを自分に向けるケースもある。自己嫌悪に陥ったり、自暴自棄になったりする。しかし、結局のところ、自分を罰せられる対象と罰する対象に分けて、一方では自己憐憫、他方では自己優越を感じているに過ぎないという。その証拠に、自分に怒りを向けた人間が建設的な方向に歩むことはなく、結局同じ事を繰り返しているのであって、それがなぜかといえば、自己憐憫と自己優越で快楽を得ているからである。
▼奴隷の発想
パチンコによって被害をうけた人間たちがパチンコを称揚していると知ったら、多くの人は驚くに違いない。しかし、それは現実に起きていることなのである。
パチンコで多くを失った依存者の中には、人にパチンコの危険を訴えるどころか、逆にパチンコの面白さを宣伝する人がよくいる。なぜといって、パチンコに依存して悲惨な目にあった事実を否認し、自分の現状を肯定するためには、他人も自分と同様の立場に引きずり込まなくてはならないのである。
注意したいのは、そういう人は悪意からやっているのではない点だ。憎んでいる誰かを悲惨な目に遭わせてやろうとして、わざわざパチンコを薦めているのではない。どんな大切な人にたいしても、甘言を労して自分と同じパチンコ依存にさせようとするのだ。
これは、奴隷という立場に陥った人が最後に逃げ込む典型的な発想なのである。あたかも仲間を増やそうとする自縛霊のようなものだ。一言でいうなら、たとえその人がいい人だったとしてもパチンコ奴隷なら近づかない方がよい、ということになる。
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