No58
●トラピスト修道院(北海道)
 電話0138−75−2139

 北海道の函館に行ったとき寄りました。街から離れているせいか、観光客も
少なく、非常に厳かなまた清楚な雰囲気で気に入りました。
 入り口の並木道もすばらしく、穴場的な所です。
 ここで作られたトラピストバターは手に入れたい一品なのでは?
 また、男性だけですが、はがきで予約すると見学させていただけます。

 トラピスト修道院の入り口の説明文によると概ねつぎのような由来があるそ
うです。

          『トラピスト修道院の由来』
 正式名は、「灯台の聖母大修道院」。
 明治29年(1896年)フランスから数名の修道士たちが木造の修道院を
建てた、日本で最初の男子修道院だそうです。
 明治36年、木造の修道院は焼失しましたが、明治41年、現在の二階建
本館が、明治49年に聖堂が建てられたということです。

『トラピストの生活は、祈り、労働、読書(聖なる書物)で、その1日は、祈
りにより始まり祈りによって終わります。
 創立以来、畑の開拓、農耕、牧畜、酪農に力をいれ、ホルスタイン乳牛の輸
入をし、その普及は北海道の酪農振興に多大な貢献をいたしました。』
との内容が書かれておりました。
  
 したがって、ここで作られた製品は、さぞや純粋のものなのでしょうねえ。
No59
●旧函館区公会堂(北海道)

 北海道の観光が続きますが、今回の函館旅行最後に寄った、旧函館区公会
堂は、なるほど、函館のシンボルと言うだけあって、すばらしいものです。
 歴史的な文化財としての価値以上に芸術的鑑賞にも耐えうるものと思いま
す。函館に行ったことのない方にはお薦めのスポットですね。
 公会堂という名前で判断して、後回しにしてしまいましたが、じっくり
見たいところでした。部屋にも調度品が数多く残っており往時を想像するこ
とが出来ます。次に、入り口にある看板を書き取って来ましたので、参考に
してください。
----------------------------------------------------------------
 明治40年(1907年)8月の大火は函館区の約半数、9,000戸近く
を焼く失した。
 この大火で区民の集会所であった町会所も失ったため「公会堂建設協議会」
が組織され建設資金として区民の浄財を募ったが、大火後のため思うように
集まらなかった。
 当時、函館の豪商といわれた相馬哲平氏は自分の店舗などの多くを焼失した
にもかかわらず5万円の大金を寄付したため、これをもとに明治43年
(1910年)現在の公会堂が完成した。
 この建物は北海道の代表的な明治洋風建築で左右対称形になっており、2階
にはベランダを配しているほか屋根窓を置き、玄関、左右入り口のポーチの円
柱に柱頭飾りがあるなど特徴的な様式を表している。
 昭和49年5月、国の重要文化財に指定され、昭和57年約3年を費やして
修復された                      函館市
No61
●「函館」「北海道」の名前(北海道)

 函館は、元は「箱館」、北海道は、元は「蝦夷地」
 聞いたことあるなあ。でもいつからか知っていますか?
 明治時代かな?とは想像している方が多いと思いますが、ハッキリ書いて
おきましょう。
1869年(明治2年)は箱館戦争つまり五稜郭の榎本等旧幕府脱走軍が
降伏して、終結した年です。そして新政府は箱館に開拓使を置き、名前を
「函館」に改め、蝦夷地を「北海道」に改めたとのことです。

明治の開港当時の様子を旧函館区公会堂近くの旧イギリス領事館の中で
開港記念ホール空間立体映像で説明してありまして、なかなか面白
かったです。
No62・63
●上高地(アクセス編)(長野県)

 先週の日曜日に行って参りました。連載になりますがお許しを!
 上高地は、自然保護のため中の湯から上高地間がマイカー乗り入れ禁止で
 上高地旅館組合に確認したところ、マイカー禁止は通年とのことです。

バス利用の場合の便利なサイトがあります。

http://www.alpico.co.jp/access/route_k/index.html
ここから、時刻表を確認できますので、大変ありがたい。

 私は松本方面からなので沢渡に車を止めて入りました。
関西方面からは平湯温泉のあかんだな駐車場から入ることになりますね。

 松本や新島々行きのバスの場合?
帰りが心配な方は、前日予約券をもらっておくことが良いとのこと。

 但し、出発時間にそこにいないと予約券無しの人を乗せて、定員以上には
乗車出来ないそうですので、あとはタクシーということになりますね。
(上高地旅館組合に問い合わせたところ、いつも整理券等を出している
 訳ではないそうですので、混み合う時期に問い合わせてみる必要もありそう
 です。)


帰りが混雑時になるときは松本方面からでも平湯に停めた方がいいかもしれません
あのバス待ちの行列を見れば分かると思いますが
沢渡行きが1時間半待ちだったのに対し平湯行きは20分待ち(8月末)

(私は往復タクシーを利用したのですが、バスが非常に混むときはタクシーは
 ホントに有力な手段です。運転手さんの話ですと4:30までは
 タクシーも沢渡駐車場に入れないとのことでした。)

 私は、往復タクシーを使いましたが、4人で乗るならむしろ安いですね。
それに、帰りは、バスターミナルまで戻らなくても、タクシーの配送センター
に予め時間指定して途中で待っているという手もあります。

 私も上高地帝国ホテルに着いた時、食事が終わるころにホテル前まで
迎えに来てくれるよう予約しておきました。食事をして定刻ピッタリに
来ていただいたのには驚きました。

 上はスゴイ混みようなので、無理かもしれないと思っていたのですが、
驚きました。
 往きに利用したタクシーの運転手さんを指名したのですが、来れそうにない
ので、最寄りの人と連絡を取り合って、別の人を寄こして来てくれたようです。
No64
●上高地(大正池)(長野県)

 8/27上高地に行って参りました。5:00少し過ぎには大正池に到着!
朝靄につつまれた大正池は、本当にすばらしい絵になる風景でした。
 観光客も半数以上はカメラマンに早変わりで、あちらこちらでパチパチ
していました。
 次に看板の説明を掲載しておきましたが、大正池は、看板に書いてあると
おり、池が小さくなっているとのことで、同行の人達の話では、水量の多い
時の方が見応えがあるとのことでした。
 とは言っても朝靄のときは、水量に関係なくその幻想的な姿は、
実に感動的でした。私の腕では写真にその姿を収められないのが残念!
 みなさんも朝早く出かけていくことをお薦めします。

--------------------------------
 大正池は、大正4年(1915年)の焼岳の爆発によって梓川の流れが
せきとめられてできた池です。
 できた当時は湖面に立枯れの樹々が林立し、独特の景観をつくっていま
したが、年々梓川の上流や焼岳から流れこむ土砂のため浅く狭くなってき
ており、現在は下流の霞沢発電所への貯水池としてしゅんせつをはじめ堆
積する土砂を減らす試みが続けられています。(大正池周辺の看板より)
No66
●上高地(田代池)(長野県)
 上高地の入り口大正池から遊歩道を歩き出すと間もなく田代池になります。
 ちょっと道を外れるような感じのところにありますので、行き過ぎないよ
うに気をつけましょう。

 看板の解説をちょっと載せておきましょう
------------------------------------------------------------
この池は、正面に見える六百山や霞沢岳などから砂礫層を通って涌き
出てくる伏流水に養われています。
 池は、枯れた水草などが底に積もって少しずつ埋まり、長い年月を
かけて湿原になっていきます。
 昭和50年の大雨では大量の土砂が流れ込み、池の半分以上が埋まり
ました。
-----------------------------------------------------------

ここも早朝の景色がすばらしいですので、是非朝早く起きて見に行ってくだ
さいませ。
No67
●上高地(カッパ橋)(長野県)

 上高地バス停近くで、どうやらここが一番混んでいるところですね。
 カッパ橋で観光客が記念写真を撮る姿が多く、多いときは、橋を渡るのに
苦労するほどとか。
 晴れているとカッパ橋から前穂高岳がくっきりと眺められてすばらしい光景
です。私としては、少しだけ明神池方面に行ったところからの景色の方が
良いような気がしますがいかがでしょうかね?
河童橋では人物を入れた写真・少し先に行ったところでは三脚を立てての山の
写真を撮るような傾向に感じました。
 カッパ橋近くに上高地ビジターセンターがあり、上高地の歴史、動植物の
紹介、有料パンフもあって、散策前に知識を仕入れるのも良いかもしれませ
ん。開館時間は8時から17時 電話0263−95−2606
No68
●上高地(明神池)(長野県)

 河童橋から明神池までは徒歩で片道約1時間、森林浴を楽しみながら、
途中綺麗な透き通った水が流れていたりしていますので、道草をくいながら
また、自然の空気を胸一杯に吸いながらゆったりと歩いていってください。
 比較的平坦な道ですので、軽い散歩程度の気持ちで大丈夫です。
 明神池に入るのは有料です。これまた神秘的な美しさがあって、ここまで
歩いてきた甲斐があったなあと感じました。
 ここで書いておかなければならないのが、着いてすぐに目に飛びこんで来
た嘉門次小屋!イワナの塩焼きがとっても美味しそう。私達は別のとこ
ろで昼食の予定があったので、ここでは断念!
 食べている人達の様子を見ると「すっごくおいしい」とのこと!
食べれば良かったかなあ?とちょっと未練が残っています。
 明神池は紅葉の時期がとりわけ美しいということですが、私達が行った夏
でも十分美しかったですよ。
No69
●清里高原有料道路のヤマネブリッジ(山梨県)

 いつご紹介したか忘れてしまいましたが、山梨県の清里高原有料道路
についてです。平成10年6月22日に供用開始されましたが、この道には
そこに生息する動物の事を考えた様々な工夫を見ることができます。

道路の上に見えるヤマネのためのヤマネブリッジ、下を横切るけもの道
水の道など探してみてはいかがでしょう?

料金所近くの全長490mの八ヶ岳高原大橋は駐車場に車をとめて
歩いて見たい絶景の場所です。
下を流れる川俣川渓谷から110mの高さはぐらぐらしますが、回りの
雄大な景色には圧倒されるベストビューポイントではないでしょうか?

私は地元民ですが、この景色はお気に入りでML仲間にも時々紹介して
いるところです。
有料道路をただ走るだけでなく、この大橋は是非ご自分の足で歩いてみる
ことをお薦めします。

清里高原有料道路の全長は3.1km、清里地域の渋滞時には抜け道
でもありますので、機会がありましたら寄り道してみては?
No72・73・74
●中山道妻籠宿 1 (長野県)

 宿場は、敵の進入を防ぐ防塞としての役割を果たすよう、幕府によって
枡形に、すなわち直角に折り曲げて作られておりますが、ここの妻籠宿は
その様子が鮮明に残されている場所です。
 宿場全体を保存・復元してあり観光シーズンには混み合いますが、是非
訪れたい観光地の一つではないでしょうか。
 今回はその中の「妻籠郵便局と郵便資料館」に関する立て看板をご紹介
します。

-------------------------------------------------------------
「妻籠郵便局と郵便資料館」

 妻籠郵便局は明治6年3月妻籠駅郵便御用取扱所として開設されました。
 当時の取扱所は本陣本陣(現在の本陣跡)にありました。その後名称や
場所も変わりました。現在のところに移ったのは昭和54年1月です。
 この建物は重要伝統的建造物群保存地区町並の景観にあうように出梁造
りの形式を用いて造られています。
 郵便資料館はこの郵便局の中にあり、昭和60年7月に開館しました。
 ここには明治4年新式郵便制度創業時の服装を始め、時代の移り変わり
に伴う郵便関係の貴重な資料を展示してあります。
 自由にご覧ください。 昭和60年7月1日 妻籠郵便局長
-------------------------------------------------------------
(注)ところどころ文字の不鮮明のところがありましたので、実際と違う
   ところがあるかも知れませんが、ご容赦願います。

●中山道妻籠宿 2

 妻籠宿の保存事業が最初に行われたのが、寺下地区でありました。
 人が住み、生活を続けながら妻籠宿の保存運動があったからこそ
 現在の姿があるのでしょう。

 その様子が看板にありましたので、参考にしてください。
---------------------------------------------------------
 「寺下の町並み」
 妻籠宿は全国で初めての集落町並み保存に着手し、昭和43年より
寺下の町並みを中心に復元保存工事を始め、江戸時代の面影を残すこ
とができました。生活と保存を一体化させる運動を、住民と行政、学
者の三者一体で始めたところに妻籠宿の特徴があります。古い町並み
を保存することは、環境を守り、心を守り、歴史を生きたまま受け継
いでいくことです。このようにして一見無人家とも思われる家々でも、
人々はくらしているのです。
----------------------------------------------------------
 「寺下地区の復元保存工事」
 妻籠宿は全国でも初めての集落保存に着手し、長野県の明治百年記
念事業として、昭和43年から45年にかけて寺下地区を中心に26
戸の解体復元工事を実施した。これによって、江戸時代の面影をその
まま残すことができた。妻籠宿は、全国に注目されるに至り、51年
9月4日国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。(面積
12,454ヘクタール)現在この地区には、町の有形文化財に指定
されている上嵯峨屋、下嵯峨屋をはじめ、馬屋跡(現在地)を一般に
公開している。
----------------------------------------------------------
(注)ところどころ文字の不鮮明のところがありましたので、実際と違う
   ところがございましたら、ご容赦願います。

●中山道妻籠宿 3

 私達が今回妻籠宿を訪れたときは生憎の雨でしたが、10月下旬の観光
シーズンのため、道幅いっぱいの人だかりでした。
 しかしながら町の有形文化財に指定されている上嵯峨屋、下嵯峨屋周辺
は人通りが少ないので、余裕で見学することができますので、是非お土産
探しだけではなく宿場はずれの上嵯峨屋も行ってみてください。

それでは、上嵯峨屋・下嵯峨屋に関する看板がありましたのでここに
ご紹介します。
-------------------------------------------------------------

「有形文化財 上嵯峨屋」
 この建造物は44年の解体修復によって、江戸中期(18世紀中期)の
建物と推定される。
 建造当初の形式をよくとどめ庶民の旅籠(木賃宿)としての雰囲気をう
かがうことができる。

 昭和49年7月12日 南木曽町教育委員会

---------------------------------------------------------------

「有形文化財 下嵯峨屋」

 この下嵯峨屋は建造当初長屋であったものの一戸分を昭和43年に解体
復原したものである。
 妻籠宿における庶民の住居を代表する、片土間に並列二間取の形式をよ
くとどめている。
 昭和49年11月3日 南木曽町教育委員会

----------------------------------------------------------------
(注)実際の看板の文章どおり写したつもりですが、実際と違う
   ところがございましたら、ご容赦願います。