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不慮の事故
美奈は、自分自身では“子どもの頃は、おてんばだった”といった。おてんばであったかどうかは別として、運動神経のいいスポーツウーマンであったことは間違いない。というのも、高校生の時には弓道で高校総体九州大会に出場。玉川学園大学文学部に進学してからは、少林寺拳法に所属し二段を取得。全国大会出場の経験もある。専攻していた英語の勉強に加えて、新たにチャレンジしたスポーツでも成果を得るなど、充実した学生生活を楽しんでいた。
ところが、大学3年生の6月、栃木県内でハイキング中に滑落。10カ月の入院生活を送ることになった。
「病室のベッドの上で何時も“退院したら思いっきりペダルを踏んで自転車で北米大陸を横断しよう”と夢を描いていたんです。ところが、担当の医師からは、下肢機能全廃と宣告されました。その衝撃は、一瞬にして奈落の底に突き落とされた感じ。泣いて泣いて泣き通す日が続きました」
あれほど夢見ていたペダルを踏み、自分の力で北米大陸を横断する旅は不可能なのだ。自分の足で歩き回る事も不可能なのだ。自分の未来から全ての可能性が、失われてしまったという不安。そんな思いに陥るたびにやり場のない悲しみが、美奈に襲いかかる。
とりわけ、夜中になると可能性を失った未来への不安と孤独感が増幅された。看護婦に暴言を吐いたり、枕を投げて当たり散らして泣いてもみた。しかし、悲しみは癒えない。看護婦の同情や親切に甘え、夜中に泣き叫びベッドごとナースステーションの前に運んでもらい、一晩中話し相手になってもらうわがままも続けていた。
脚力を腕力にかえた出会い
そんな時、長崎県庁に勤める父・金助(当時48歳、宮崎さんが入院していた当時のこと)が、仕事の合間をみて宇都宮の病院まで見舞いに来た。
「父が、飛行機の中で目に留まったという新聞記事を持って来てくれました」
一つの記事が、美奈の目は、ある一つの記事に釘付けになった。その記事は、宮崎と同じく事故による骨髄損傷で車イス生活を送っている北海道の宮下高(当時42歳、宮崎さんが入院していた当時のこと)が、三輪手こぎの車イスでカナダ横断に成功したことを知らせていた。
「宮下さんの記事を読んだ瞬間に“脚力(自転車)の旅を、腕力(車イス)の旅にすればいいんだ”と閃いたんです。目の前がパッと開けたような気持ちになって、生きる目標が見つかったような安堵感を覚えました」
母・知(当時46歳、宮崎さんが入院していた当時のこと)は、勤めていた中学校の英語教師の職を辞めて、美奈の看病に専念。病院の近くのビジネスホテルから、病室へと通って励ましつづけていた時のことであった。
美奈は、体力が回復して車イスで移動できるようになると、早速、病院から宮下に電話をかけた。宮下の謙虚な電話の声に嬉しくて、ますます生きる目標が明らかになったと喜ぶ美奈。宮下から届いた手紙のアドバイスを何度も何度も繰り返して読んで、退院した
ら車イスで宮下と同じようにカナダを横断する決意を強くした。
その後、宮下から旅の様子を記録したビデオが届いた。見ると、 「宮下さんの旅は、後ろからキャンピングカーが伴走していました。車イスのメカニック、マッサージ士、看護婦、栄養士、調理士といったスタッフを10数名抱えての旅でした。車イスも走行用と生活用の2台を持ち込んでいました。あまりにもお金が掛かり過ぎて、そういう旅は美奈にさせてあげられないと、私は感じていました」
と母・知は当時を振り返る。
思いがけない協力者の登場
そんな時に、美奈が大学2年生の時にカナダで知り合った板東誠一(当時26歳、宮崎さんが入院していた当時のこと)が病院に駆けつけてくれた。
憧れの地であった赤毛のアンの島であるカナダのプリンスエドワード島を友達と2人で旅行している時に、美奈は雨に濡れながらペダルを踏む板東とすれ違ったことがある。偶然、美奈たちが泊まっている民宿に野宿をあきらめたサイクリストも同宿することになった。そのサイクリストが坂東だった。西の端のバンクーバーから東の端のプリンスエドワード島まで、七八〇〇キロを自転車で走ってきたと、美奈たちに語る板東。大平原の中での暴風体験、熊との遭遇など。板東が旅で体験した数々の出来事は、けっしてバスや飛行機の旅行では体験できない事ばかり。美奈たちは驚いた。そして、自らの力で移動する旅への憧れは、ますます強くなった。
「板東さんとの再会が、こんな形で訪れるなんて思いもよりませんでした。早速、板東さんに『何時か、板東さんのように自転車で北米大陸を横断したいと考えていたけれど、これからは車イスの生活になるので、車イスで挑戦してみたい。脚力の旅を腕力の旅に代えても自分の力で旅をして、自分の人生を自分で拓く可能性と目標をつかみたい』と話してみました。板東さんは、とても興味を持ってくれた上に『その時には自転車で伴走してもいい』と、その場で約束してくれました」
さらに板東は、自らの体験やサイクリストの情報を考慮して、地形が比較的平らで熊などの獰猛な動物と遭う危険の少ないオーストラリアの方が走破しやすい、というアドバイスも加えてくれた。
カナダを横断した経験のある板東が自転車で伴走してくれるならば“鬼に金棒”と勇気づけられ、美奈の夢は広大なオーストラリア大陸をも凌ぐほどに広がった。
嬉しくて、早速、母・知に、板東が自転車で伴走してくれると約束してくれたこと。カナダよりもオーストラリアの方が、危険も少なく地形的にも走破しやすい。気候も温暖で人も優しいというアドバイスを受けたことを伝えた。ついに夢が見つかったし、実現できる。そう思うと、おっとりしている美奈が、このときばかりは早口になった。
「宮下さんは、絶対に伴走車が必要だという意見でした。例え、板東さんが自転車で伴走してくれるとしても、いざという時のために車は必要と思いました。だから、車イスの美奈と自転車の板東さんだけで、オーストラリアを横断するなんて無謀としか思えず、私は反対しました。自分が車を運転して、後ろからついて行くのならいい」
と、母・知は“自分が二人の後から車で伴走する”ことを条件とした。
つづき
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