今日までのお客さま
WELCOME TO MY HOMEPAGE

Acta Cultura
By Charlie
ご覧下さっている皆さまへ

新しく分館を作ることといたしました 

本館が手狭になったことと 

内容が雑然として収拾がつかなくなった為です

今回は内容を創作一本 つまりフィクション(嘘っぽいお話!)に

しぼります 本当らしい?お話は従来の本館で


蒼い珊瑚礁



WELCOME

いらっしゃいませ



CONTRE LA GUERRE POUR LA PAIX

平和の為に 戦争反対






本業の文化財保存学を話題の中心におき,国際交流・連帯と世界平和に
ついて考えていく,ささやかな内容のHPです.
Icon 氏名/ニックネーム
杉下龍一郎/椙下枯野(すぎした・からの・・・ カレノと読まないでください)/チャーリー小杉 
Icon 職業/会社名/学校名
敦煌研究院・東京芸術大学 
Icon 役職/学年
名誉教授 
Icon 誕生日
昭和癸酉年 獅子座 さぼてんの日 
Icon 性別
♂ 
Icon 出身地/出身校
東京教育大学付属高等学校
学習院大学・東京教育大学大学院
理学博士 
Icon 住まい
武蔵野のはずれ とめの里 
Icon 趣味
私は無趣味です 多趣味ともいいます とにかく雑駁・軽薄なんだから ただしゴルフ・パチンコ・マージャンはやらない  だから大橋巨泉が大嫌い それから都知事グループみたいなヨット,サーフィン,テニスもやらない つまりヒネクレているのさ  
Icon 特技
エッセイスト(自称)
文化財コンサルタント
旅行ナビゲーター 
Icon 好きなもの、嫌いなもの
長野県知事 好き 理由は見ての通り 東京都知事 嫌い その理由は 11月11日づけ朝日新聞夕刊の報道通り前日10日のTVで「超法規的」に北朝鮮を攻撃することを提唱 粗雑な論理での無責任きわまりないデマゴーグ こういう人物を新党結成にかつぐ無節操かつ愚かな手合いがこれほど多数 政界に 経済界に 言論界に そうして芸能界にいるとは 






はじめに

新しくホームページを立ち上げることといたしました. わたくしのいつもの悪い癖で,いささか変な名前をつけました.

Acta Cultura ラテン語のつもりです. 文化週報とでも 申しましょうか. 私の本業,文化財保存学にはじまって,

国際交流,国際貢献,ひいては世界の平和(今まさしく語るべき 最重要事です)についての私の考えを述べてみたい. この

ホームページの目的です. もうひとつ,別名,別目的の ホームページを既に開設してあります.

Maison Conservia めぞんこんせるびあ  http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/5406

旅と食文化,少年スポーツを題材としております. 実はかなり 不真面目なもので,内容は雑駁,

軽佻浮華,それなりに評価されている とは思いますけれど. 今回の新企画は,かなり趣を変えてみました.

少々固く,ちょっと真面目です. 実は,わたくし複雑な性格です.  自慢にはなりませんがね,循環気質なのです. 

以前は躁鬱気質 だと思っていました. しかし,どうも違うみたい. いろいろな性格, 気質傾向が循環して現れます. 

少年時代からそうでした. ある時は ドンキホーテみたいな気質,

ある時はドン・ファン的(これがいちばん望みですけれど),そうしてまた, ハムレットみたい. そのステージごとに,

私への評価も変わるし, 私自身の言動も変化します. こうした私の一面が露わにになって,この

ホームページが出来ました. ただ,この循環気質,いつ別の ステージに移るのか、

自分でも判らないのです. 突然,feeling low

何もしたくなくなるし,憂鬱になってくる. 「あいつは燥鬱病なんだ」 よく皆に言われました. 自分では「僕は鬱なんだ」なんて言いませんよ.

「守護してくれる お狐サンがどっかへ行っちゃった」と言うことに しています.民族学者の梅棹忠夫先生も

僕と同じ様な性格らしく,やはり狐を出してくるらしい. このこと,まんざら根拠がないわけではないので,


僕の親友トヨカワ・コンチャン

実は我がファミリーは東三河の出自でして,
豊川稲荷のお膝元です.

祖父は有力檀家だったのです. ついでに,(こういう風にすぐ

脱線するのが私の悪いところ)豊川稲荷はお寺です. 曹洞宗円福山妙厳寺といい,

港区赤坂のは,これの東京別院,例の大岡越前が三河から勧請したもの.

 だから檀家なの. 伏見稲荷や笠間稲荷は神社なのですがね. つまりあたくし,

お稲荷さんを信仰(?)しているのさ. アブラゲも,いなり寿しも大好きですよ. ここで,

また思い出してしまった. 最近のTVのプロデューサーやディレクター, まことに無知なもので,

 先日のなんとかいった番組で,麗々しく豊川稲荷神社とやっていた.

真面目にやる筈なのに,またいつものようになってしまいました. 困ったなあ.






采菊東籬下      陶淵明

悠然見南山

山気日夕佳

飛鳥相與還



独楽吟      橘曙覧

たのしみは 艸のいほりの筵敷き ひとり心を静めをるとき

たのしみは 空暖かにうち晴れし 春秋の日に 出でありくとき

たのしみは 人も訪い来ず事もなく 心を入れて 書を見るとき

たのしみは 妻子むつまじく打ち集ひ 頭ならべて ものをくふ時

たのしみは 乏しきままに人集め 酒のめ ものを食へという時

たのしみは 銭なくなりて わびをるに 人の来たりて 銭くれる時

たのしみは そぞろ読みゆく 書の中に 我とひとしき 人をみし時



休道詩      廣瀬淡窓



休道他郷多苦辛

同胞有友自相親

柴扉暁出霜如雪

君汲川流我拾薪





CONTENTS

OPINIONS

・・・ブッシュ・ドクトリン批判

事実の徹底的追求を

POEMS

自由詩稿

和解唐詩選



ESSAYS

保存科学への招待

世相短評

             
タマちゃん拉致未遂

マニフェスト

民主・自由合同

所沢ダイオキシン

e-mailのRE

トリビアの泉

スポーツジャーナリズム批判




読書ノート

             おさかなパラダイス

              チャーリーシリーズへのあとがき

             石に泳ぐ魚

思い出チャーリー

その2

番外編

その3

その4

その5

あとがき

チャーリー昔語り

昔語りその2

昔語りその3

     ROMANCES or NOVELS

自伝

その1

その2

それからのチャーリー

その2

その3

その4

再びそれからのチャーリーに戻る

小杉チャーリーの学校生活(続編)

その1

その2

その3

学校生活前編に戻る

LINKS


OPINIONS

世相短評



以前にくらべると、新聞を読む機会が増えている。 まあ、暇なんだね。 僕はスポーツ紙は読まない。

 何故だかわかります? スポーツが嫌いなわけじゃないんですよ。 特にボクシングは好きですねえ。

 高校ボクシング、かくれファンなの。 自分もちょっと経験があるせいなんですけどね。ただね、スポーツ記者、

芸能記者連中の発想の貧困さ、事大的な言動その他、記事文章の下品さ、生理的に悪寒を催すし、自分自身が堕落するようで、

特に最近のジャーナリストたち、なかでも野球ジャーナリストはひどいと思う。まあ無理もないので、

有名選手の追っかけ、お追従・・・・ただのパパラッチだものねえ。 そうじゃない人は沢山いたんだ。

 なかでも、ボクシングジャーナリスト、故人だけれども、郡司信夫さん、平沢雪村さん、

立派な人たちだった。 本当にボクシング、それからボクサーが好きだったんだろう。

それで、 自戒の意味をこめて積極的に購読を絶っているのである。 いつも読んでいるのは、これは祖父の代からで、

つまり100年以上、アサヒがサンサン、オハヨーサンなんですな。 これでさえ、スポーツ欄はあまりよくない。 

僕の気質、性向分かったでしょ。 もっとはっきり言いますとね、サンケイとヨミウリが嫌いなのよ。 さて、毎日いろいろなことが報道されています。

 そのたびに、何か思うわけです。 たいていは思っただけ、口に出すわけでもなく、書くわけでもない。 

でも、やはりこれは言うべきではないか。 だんだんそう思いはじめました。

 誰も本気にしないけれど、僕かなりシャイなのです。 それでも、この年になると、あまり怖くなくなってきた。 やはり言おう、発言しよう。

 これから、あたくしの個人的意見をお目にかけます。 短いものです、勝手なゴマメのハギシリです。

 さあ、どうなりますことやら。

タマちゃん拉致未遂

3月11日早朝、横浜市帷子川にいついている、アゴヒゲアザラシのタマちゃんが、

突然網で捕獲されようとした。 網をかいくぐって逃れ事は未遂に終わった

のであるが、これは「タマちゃんの事を想う会」を名乗るグループの仕業である。 アメリカから

捕獲の専門家を招き、捕獲成功後は、空輸によって北海道へ輸送、ここで外洋へ放流する計画であったらしい。

 私の感想だけれども、よくもまあ、これほど愚かな人たちが集まったものだ。 この頃の嘆かわしい風潮であるけれども、

自分の気持ちがすめば、結果がどうあろうと一切斟酌しない・・・困ったものですねえ。

 当人たちはいろいろ言っているのだろうが、煎じ詰めれば、まことに単純そのもの、「タマちゃんは皆とはぐれ、

迷子になって可哀想、早く仲間のアザラシと一緒にしてあげましょう」なんじゃないか。

 アゴヒゲアザラシがオホーツク海辺に常に生息し、たまたま海流に乗って我が国に漂着したであろう事は疑いもない。

 その後の騒動はすでに先刻ご承知の通りで、ニシ・タマオくんと命名して、住民票まがいのものまで発行しているのは、あまりにも悪ふざけがすぎる。

 しかし、これに対立する「タマちゃんを守る会」なるものも、その程度は似たり寄ったり、愚かといおうか、

我が国は平和だねえ、といおうか、一触即発のイラク情勢からみるならば、まったく、太平の惰眠を貪る我が同胞たち、嗚呼。

さて、ここまで書いたところで、いつもの通り筆が止まってしまった。

 今日は5月18日、もう2ヶ月経ってしまった。 つくづく自分にアイソが尽きるわけだけれども、

でもこれでよかったんだ。 こういう事とは想像もできなかったんだ。 何か黒幕が存在することは、はじめから推測できる。

 しかし、白装束とはねえ。 私が思っていましたのは、大衆スポーツ誌の介在である。 つまり、特ダネのねつ造であって、

新聞社がお膳立てし、一部始終を独占取材、最後にオホーツク沿岸なんかで、タマちゃんを海に放り込み、

すなわち「タマちゃん故郷に帰る」なんて特集記事。 ありそうなんですよ。 今までにも何回かあった。 ところが、そうじゃなかった。 

 書き続けなくてよかったなあ。 もうちょっと注意深く観察すればよかったんだ。 今にして思うと、

例の「想う会」の代表を名乗る人物、見るからに怪しい。 一見穏和で優しそうに見える。 よくいるのです、

こういう様子のお方。 私はずっと文化財関係の大学人だった。

 こういう立場にいますとね、いろいろな不可解なお客が訪ねて来ます。 お宝の鑑定だとか、売買の仲介だとか、

すべて断りましたけれどね。 なかにはユスリまがいの匂いがする時もある。 彼らに共通するのは、

穏やかそうな態度が突然一変して、暴言を吐いたり、粗暴な行動をとったりする。 今回の場合もまさしくそうだったでしょ。

 まあ、慣れてくると、顔を見ただけで予想できるのです。 



マニフェスト

ひとつの妖怪が日本全国を徘徊している。 マニフェストという妖怪が。

マルクス・エンゲルスの共産党宣言の冒頭から借用した。

Manifest der Kommunistischen Partei、 Manifesto of Communist Party(1848)

は、もう半世紀も前になるが、僕の高校生時代、早熟かつ生意気で反抗的な

左翼少年にとっての聖典だった。 名門進学校の生徒だったのに、

いや、だからかもしれないが、 僕は極端?に左傾した。 高校の嫌われ者の

クラブ、社研のキャップだったんだ。 60年安保前後、皇居前にも行ったし、

警視庁前で足を骨折しそうになったっけ。 でも、僕は臆病だから、 最終

局面では逃げてしまった。 到底革命家にはなれないんだ。

さて、最近「マニフェスト」が横行している。 僕なんかには、「宣言」という語感が

染みついているから、どうも違和感がある。 manifest は明らかに個人ないし団体

がその意志を明確に表現することの筈だから、今回の小泉内閣の用語は実に

おかしい。 どうも「宣言」ではなく「行動基準」か「未来目標」の意味で使って

いるのだろうか。 以前から言われていることだが、わざわざ意味もなくカタカナ

を使用するのには用心してかからなければならない。 今回もそのようだ。

出だしは勇ましかったが、この内閣、つまるところなんの成果もあげられなかった。

それでもなお、支持率は40%代、僕にはこの高支持率?が全く分からない。

マニフェストはいい知恵だった。 なにも分からぬまま、妖怪は一人歩きし、

支持率が上昇するのじゃないかな。

民主・自由合同

前から予想されていたことだけれども、 民主党と自由

党との合同が成立しそうである。 例によって

少数党の動きには、識者と称する手合いが訳知り顔に喋々するものだが、今回も同様だ。

 曰く、節操が無い、水と油だ、 もともと合同にあたっては対等であるべきで、

一方に吸収されるように入り込むとは・・・などなど。

 しかしねえ、本当にそうなんだろうか。 実は私は自由党に一定の好意を持っている。

 これを言うと、いつものキミと随分違うなあ となるのだが、

 事は私的感情でもあるし、また十分に理性的でもあるのだ。

 まず、自由党の幹事長 藤井裕久さん、高校の先輩でね、

1年上、彼野球部で名キャッチャーだった。 今でもその能力は衰えず、

政治家が始球式にかりだされる際には、

藤井さんが特訓をするのだそうですよ。 私の出身校、

進学名門校でね、あたしゃあ落ちこぼれですがね、とにかく、

上下関係、先輩後輩のマナーがうるさい。 

もちろん、先輩にもいろいろあり、尊敬できる先輩、

駄目な先輩、愚かな先輩・・・・・

なんでもありです。 同じ野球部でも、さらに数年上の大先輩、

あの人は駄目だったなあ。 見かけ倒しもいいところだった。

 あたしも不良でどうしようもなかったけれどね。

藤井さんとは別につき合いは無かったのだけれど、

同窓会なんか出会えば、それなりに挨拶するし、話もする。

2年前にある会場で会ってしまって、会話のお相手、別れ際の先輩の捨てぜりふ

 「ああ、今日は久しぶりに頭が教養高くなったよ」 あーあ。

それでこんな事だけで自由党を

評価するのではないので、小沢投手だけれども、剛腕といわれ、

あまり評判がよろしくないけれども、実は私の仲間内では、どういう仲間かというと、

同じ教師商売、しかも理科系、そういう連中、まあ多分、

新聞は朝日新聞、ゴルフとマージャンはしない、 性格的にはおとなしそうな奴ら、

本気にしないだろうけれど、私もそうなんだよ。 

この仲間内で、小沢一郎氏の評価が高いのです。 

特に最近のように、カドが取れてきて、好感が持てる。 

安定感、信頼感があるのです。

今回の合同話で一番奇異に感じるのは、あの剛腕小沢党首が

何の条件も付けなかったらしいことである。

今までを見れば、ありそうもない。 もちろん、一兵卒として働くなんて、

誰も信じないだろうけれど。 ひとつ、

自分の経験から思い出したことがある。 

私は以前ある教育研究機関に属していた。 派閥抗争のひどいところで、

主流はかなり横暴だった。 弱小派閥はどうすることもできない。

 その弱小派閥は、思考転換を図った。 つまり、自分たちがそちらの方に

入り込んでしまおう。 この言葉の通りに事が運ばれた。

 彼らは主流派の手先になったのである。 ほぼ10年以上、

彼らの権力は持続したので、こういうやり方もあるんですよ。 節操が無いとか

情けないとみんな言ったけど、つまるところ彼らのいいように、

やりたい放題に学内政治は行われたわけである。 小沢氏なら、

事はもっと激烈でしょう。 換言すれば、

管さんはいいようにされて、結局乗っ取られてしまう。 

僕はそれでもいいと思うわけだ。

最後に一言、私が所属した機関はね、上野公園にあるんです。



所沢ダイオキシン

所沢の農家がテレビ朝日に対して起こした民事訴訟が、

これまでの原告敗訴の決定を最高裁が破棄し、高裁に差し戻したとの

報道がなされている。 お決まりの論評がいくつも現れた。

世の識者と称する連中の的外れしかも紋切り型のものである。 

曰く、事の当否は別として言論の自由、「知る権利」が侵害されそうである。

 事実は事実として、報道のあり方に誤りがあった。 等々 しかし筆者の見るところ、

 事は報道された事実そのものに問題があるのであって、テレビ報道の当否に論究することは問題のすり替えである。 

朝日新聞の社説では、「報道以前に一度でもスタッフが直接に当事者の研究所に取材していれば

問題は起きなかった・・・・・」 しかし、これは不正確な意見である。 筆者は巨大ジャーナリズムのなかでは、

朝日新聞をもっとも信頼している。 ところが、その朝日新聞がこんな事を書くようでは。

 たとえ、直接の取材があったとしても、先方は虚偽の説明をくりかえし、

事態には変わりがなかったと思われる。 一応の事実は、

つまり一般に理解されている事実は、ある民間研究所に分析を依頼した結果が、

高濃度のダイオキシンを検出したこと、対象サンプルは

「葉っぱもの」であること。 しかるに受け手のニュースステーションの久米キャスターは、

「葉っぱもの」を「野菜」と言い換え、視聴者に誤解を与えたこと。 実は「葉っぱもの」は煎茶であったこと。

 等々である。 筆者は所沢に在住している。 だから、このニュースには初めから注目していた。

 番組も見ている。 だから言うのだけれど、上記の事実は、それ自体虚偽である。

 番組の中で、環境問題の専門家だという、環境総合研究所なる

民間研究所の所長と称する胡乱な人物が現れた。 こう書くと、人を風采、

人品骨柄で判断してはいけない。 とたちまち批判される。

 しかしねえ、筆者のように大学教師を30年以上やってきて、しかも、自分自身、

自然科学者のはしくれに並ぶ者にとって、一目相手を見れば、

大体は分かるものです。 すぐ思った。 この人物は駄目だ。 多分、インチキだ。

 学者爺いのカンなんですよ。 人物は見ればわかります。 それから、

研究室、実験室にちょっと入ってみれば、ここではちゃんと仕事をやっているか、

いないか、すぐわかるものです。 具体的に少々お話しましょう。

 まず、「葉っぱもの」という単語、これは何のことだろう。 

ひとまずは、ホウレンソウやキャベツを連想させる。 

だから、久米キャスターは野菜と表現してしまった。 今まで、筆者は「葉っぱもの」なる言い方を、

したこともないし、聞いたこともない。 思うに、誤解させるために、

故意に使用されたのではないか。

もちろん、所沢とか隣接する狭山に居住していれば、ははあ、これは茶のことだな、

簡単に理解できる。 しかし、そうでない人々だと・・・・・・・ それに、なんで「葉っぱもの」などと

わざわざ言わなければならないのか。 科学的なデータについて語るとき、

当然、対象物について性格な表現が必要である。 学術論文の場合なら、学名併記(ラテン語!)が求められる。

 これが常識である。 まことに唾棄すべき行為としか言いようがない。 だから筆者は胡乱だと言ったのだ。

 それから次、つまるところ煎茶だったのだ という事になったのだが、これがまたおかしいので、

もちろん茶は茶の木の生葉から作るわけで、葉を摘み選別、乾燥、そうして製茶の工程に入る。

 製品はどう見ても「葉っぱ」ではない。 ちりちりになった、「お茶っぱ」である。 

英語では tea leaves  だから「葉っぱ」なのだが、これは強弁にすぎない。

 「葉っぱもの」などと言うはずはないだろう。 さらにけしからんのは、分析データ。 

もともとデータは濃度表示で、サンプル1グラムあたり〜マイクログラムとか〜ピコグラムとかで表現する。 

これの意味するところは、食物を例えば100グラム摂取したら〜マイクログラムの毒物が体内に入るという目安なのである。

 だから、「葉っぱもの」のキャベツを100グラム食べたならどうなるか といった結果になる筈ではありませんか。

 だから、喫茶の場合、茶葉から滲出した液体中のダイオキシンについて語るならば、

このデータは殆ど意味をなさない。 それなのに、かの胡乱な某氏、

強引な計算で体内に摂取されるダイオキシン量をはじき出し、極めて大きな値を持ち出して

 「だから、完全にアウトです」とぬけぬけと言い放った。 久米キャスターが

信じ込むのも当たり前です。 だけど、

お茶を生のままむしゃむしゃかじりますか? こういうインチキがまかり通ったうえの

あの騒ぎなのである。 極めて不思議なことは、マスコミは責任をとらされ、

謝罪もしなければならなかった。 ところが、研究所は、免責されてしまい、

今回の裁判でも、当事者にはなっていない。  ウラに何があるのだろう。



プロ野球選手に人権は無いのか



実は僕は野球は嫌いだ 日本人としてはレアなケースになる

スポーツゼンパンが嫌いなわけではなく、例えばボクシング

特に少年ボクシングを密かに愛好している その反面、少年野球

これが厭なんですよ  いや、こういう話をするつもりで カキコミ

を始めたんじゃない。 この主題はいつか他所でやるとして、今日の 話は

阪神星野監督引退のニュース 随分急なことで、私もいささか 驚いたのだけれど、

今ここで腹立たしくてしょうがないのは、 これに 対する 

各人あるいはマスコミの対応であった。 どうも このニュース プレスリリースではなく、

リークだったようだが、理由は監督の病気 なんでしょう。

 ところが、誰ひとり病状を心配するでもなく、やれ驚いただの、吃驚したのだの、

これで来年は・・・ だの これほどまでに野球ファン

なるものが、愚かな連中とは思わなかった。 私は医者でないので、

正確な論評はできないのだが、どうみても健康がかなり悪化しており、

致命的な結果も考えられる。 ベンチでよく居眠りするんだってね、

しかも、大イビキで、かなり前から。 発表されたところによると、 高血圧が持病とのこと。

 考えられるのは、一時的に、軽微な脳出血 が繰り返されているのじゃないか。

  よくあるんですよ。 それなのに、 あいつらファンなる人種、

ただ自分たちが楽しめればいいらしい。 似たことが前にもあって、

3年前の9/11同時多発テロ、これは恐ろしい事だった。 あの時スポーツ記者たちは、

あいつらは、大リーグのプレーオフ、日本人選手の活躍が見られない、

あるいは記録達成がおくれる、 これしか頭に無かった。 だから、私、スポーツ記者連中、

大嫌い なのだ。 実は大新聞のOBには知り合いが多い。 よく飲み会などで 気がつくのだけれど、

 彼ら、国際部だとか政治部だとか、あるいは 社会部の大記者たち、

話がスポーツ記者とか芸能記者に及ぶと (なに 私が故意に話を振るわけ)

実に微妙な空気が流れる。 ね、私の話お分かりでしょう?



e-mailのRE

ここ数日話題を呼んでいるのは、e-mailでのタイトルで、返信の場合、当初のメールの

タイトルがそのまま残り、RE・・・・・・のようになる現象のことである。 これはもちろん

消せるので、そうする人もあるらしいが、まあたいていはそのまま放置されている。

 どうもこれが嫌いな向きもあり、二三日前の朝のニュースショーとりあげられていた。 すぐに反響があって、

よく言ってくれた大賛成だ等という賛同がでているようである。

  また、このREの意味だけれども、response、reply, return の略だとか 諸説紛々 プロバイダーの広報でも、いろいろな事を言って、

つまるところよくわからないらしい。 筆者が驚いたのは、この場合、誰一人として辞書をひいていないことである。

 実は、REは 普通の英和辞書ならどれにでも記載があって、何の疑いもない。 REは、〜の件、〜に関し、〜について を意味する立派な英単語、前置詞です。 

語源はラテン語 薄っぺらな略語ではない。 それなのに、誰も気がつかないとは・・・・  筆者は前から知っていました。  さらに詳しく辞書を調べれば、

多分(俗) (商) となっている筈だ。 商業英語でよく用いらtるのです。 今日の我が国のビジネス文書でも決まり文句があるように、

ある種のビジネス英文では その表題としてRE:・・・・・・・・・のようによくなっていた。 だから、

相手から来たメールに返信するのに、どれへの返事かを確定するために、REがつけられたのです。

 やれ、目障りだの、やれ失礼だの、こういう事言う人、どういう人たちなんだろうね。

 もしも 今日は というタイトルのメール来たとして、RE今日は で ああ あのメールへの返事なんだなと分かる。

 しかし、 今日は で また今日は そうして もう一度 今日は ・・・・・・・・・・・・・山彦の木霊じゃあるまいし。



トリビアの泉



テレビ人気番組のひとつ。 実は僕も喜んで見ている。

 たしかにムダ知識というものは愉快なもので、僕自体、その方の達人(?)

と思われているはずだ。 現在のところ、 本当の達人は、まあ、永六輔さんだろうね。

 彼の放送番組を聞いていて、思い当たること多々あり、連帯感、親近感を覚えることしばしばである。

 ところが、昨夜の放映を見て気がついた。 あれ、これおかしいんじゃないか。 相当に嘘っぽいし、

ヤラセないしデマ流しのような気がしてきた。 それはですね、その第一、

毎回テーマ別に難易度を選択することになる。 そのひとつ、東京大学の学生正答率8%、 すごく低い。

 その問題はつまるところ、マニフェストを答えさせる。 東大生が92%まで知らなかったなんて、

まったく信じられない。 その理由をいいますとね、僕らだと、マニフェストといえば、共産党宣言のことである。

 いかにマルクス主義が退潮しているとはいえ、 Manifesuto des Komunistische Partei

(このドイツ語違ってたかな?) 誰知らぬ者のない歴史的事実、

小泉とか管とかの埒を超えているのです。 それなのに、たった8%・・・・・・・・・・ 無駄な、どうでもいい、珍妙な

単語として笑い者にしようという意図が見え見えだった。 さらに、いかにも珍しい話題らしく見せつけるため、

古いイタリア語なんだけどとのコメントまでついていた。 ご冗談でしょう、今となっては立派な英語です。

 辞書をひけばすぐに出てくるし、そんなに珍妙な単語ではない。  それから、もうひとつ、”タイ航空には、

ファーストクラスの上に、お坊さんクラスがある” まさしくへえーですねえ。 事実は事実らしい。 しかし、

これもかなりおかしかった。 処理を誤ると、国際問題にも発展しかねない。 お坊さんが二人、最優先で搭乗してくる。 

他の俗人乗客は待っているだけ。 席も最前列、周囲は空席のまま、機内食はお坊さんだけ先に食べている。 タイは仏教国で、

僧侶に対する尊崇は極めて高く、何事も最優先、これは本当です。

しかし、これを投稿した人物、それに取材陣、どう見ても半可通だ。 ただの知ったかぶり。

  というのは、以下の理由による。

タイ仏教は戒律が厳しい。 だから僧侶に特権があり、尊崇されているともいえる。 

僧侶は金を払って生活することを許されない。 もちろん、建前であって、

抜け道はいくらでもあるらしいけれど。 国内では、バスでも列車でも僧侶は無料、座席も優先される。 

それで飛行機なのだけれど、筆者は実態を知りません。 だいたい、お坊さんが飛行機に乗っているのを見たことがない。

でもそれで、お坊さんが搭乗していたとして、チケットはどうなのだろう。 無料は無理だろう。 

それでチケット購入となるのだけれど、お坊さんはカウンターで金を出して購入することはありえない。 

戒律上、金を持っていないし、さわれないのが原則なのだから。 この場合、付き添いの俗人がすべてをするわけだ。 

それから、機内食の問題、タイ仏教では、 肉、魚、酒等々の禁止は無い。 だから、イスラムよりも制限はゆるい。 

ただ、僧侶は金を払っての、さらには自炊しての飲食はありえないので、 俗人からの喜捨(タンブンという)による、

だから有料の機内食( つまり、チケット代に含まれているから)が食べられるかどうか。 大問題ですよ。  

まだまだ問題があって、件のお坊さん二人の体格、太りすぎている。 とにかく、僧侶は一日一食、午前中だけ、

それに喜捨によるから、食品を選べない。 その為、タイのお坊さんは一般に痩せていてスマート。

 あんなにぶくぶくした、憎々しいお坊さんがいるものか。 もしかしたら、ニセもの? 前にも何回か日本のマスコミには前科がある。

 しかし、タイではニセ坊主は重罪になる。 だから、かなり考えにくい。

 それはともあれ、 少なくともあの放映はタイ国民を激怒させるおそれがある。 タイ政府から抗議が来るかもしれない。







スポーツジャーナリズム批判

批判といってもたいしたことではない。 よってくるポリシーだとか、

 指導体制といったような大げさな話をするのではない。 

単に言葉使いというか、用語というか、その程度のことだ。 

しかし、これ、もしかして相当大事なことかもしれない。

僕は、もともとスポーツ紙は読まない。 一般紙のスポーツ欄も・・・・・・・まあ読まない。 

理由はいろいろあるが、まず第一にくだらないから。 第二には、

そこで出てくるどうしようもない語法、それからレトリック。 多分、

知らず知らずのうちに影響されて、同様の話し方、書き方、

それに考え方になるのを恐れているから。 今朝の朝刊を見て、

驚きましたねえ。 ああ、朝日新聞がここまで堕落するとは。 スポーツ欄に大見出しで、

快神撃 大窮地  まあ はっきり言えば 何のことかまるで分からない。 推測するところ、

阪神が快進撃して 大映が窮地に陥った ということなんだろう。 

たしかに、世の中、こういう書き方が旨いんだ と誇る手合いが存在することは確かです。

 しかし、僕はそうは思わない。 少なくとも下品だし、ちっとも面白いとは感じられない。

 それに、何故こうした意味不明瞭な表現に拘らなければいけないのかまったく分からない。

 最近世間にはびこっている駄洒落や親爺ギャグの類なのだろうか。

これもまた僕にはわからないのだが、面白くもなんともないこうした表現をしないと

高級じゃないといった偏見があるようである。 講演などでも、取って付けたような

駄洒落を連発するだけの講演がよくある。 結婚披露宴のスピーチでもありますねえ。

ひとつも感心しないし、第一、言って居る本人、駄洒落で必死になって、

本題はまったくお留守なんてことがよくある。 芸能関係でもそうで、

毎週土曜日朝のTV番組に出演している神田某くん、駄洒落の連発以外

なにもやっていない。 よくあれで高額のギャラが貰えるものだ。 

思うに、僕みたいのは例外異端で、あっちの方が正常なんだろう。 

たしかにスポーツ紙を見ている人は多いし、TV番組の視聴率も下がっていないのだから。

なお、これは近い将来発表しようと思っているスポーツエッセーの予告編です





ブッシュドクトリン批判

 我々はなぜ声をあげないのか


  世界は溶けかかっている. 言葉をかえて言えば,我々人類が搭乗している

宇宙船地球号は失速寸前となっている. 宇宙船の墜落により,この地上で

営々と育まれてきた人類の文明は消滅の危機にさらされているのではないか.

こうした破局が,無思慮なアメリカの一政治家,そうして彼の愚かな追随者

の暴挙によって,まさに現実になろうとしている. どうして我々は座視する

ばかりなのか. どうして批判し,反対し,掣肘しないのか. 古代地中海

世界において, 世界の中心はローマ帝国であった. Pax Romana 力は,

統制は,規範は,善は,すべては大ローマを意味していた。 すべての道は

ローマに通ず. 街道を通じてすべての provincia はローマに従属した.

今日,全世界は Pax Americana をスタンダードとしてアメリカに従属

している. 国連加盟諸国は,英国も,フランスも,ドイツも,さてはロシアに

至るまで,古代ローマの属州プロビンキアのように アメリカに従属している.

我国がどのような状態であるかは,もはや言う言葉を知らない.いまや

グローバリゼーションの名のもとに, 製法,品質,用途,あるいは政策

その他 すべてがアメリカ風の規格化が進行している. Globalization

ではなく,Americanization なのである. 1945年以来,60年近く

の間,我々には戦争の実体験はない. これは,近代日本にとって,初めて

の体験である. 1868年(つまり明治元年)から,我々は常に,ほぼ

10年おきに大規模な戦争を経験してきた. 1877年の西南戦争(これは

日本のcivil warである)1894年の日清戦争,1904年の日露戦争,

そうして1916年には第1次世界大戦. 我国は好戦国家だったのだ.

こうした風潮は以後延々と続く対中国との戦争(我々は上海,満州,支那

事変と称していたけれど)そうして,太平洋戦争として,1945年の

我国の対連合国(つまり英米なのだが)への降伏でようやく終了する.

以後我々は平和であった. 実は他国の交戦を援助して,いわゆる特需に

よって多くの経済的利益を得るのであるけれども,自ら武器をとって

戦闘に参加することはなかった. 危機管理は苦手である. 他との

軋轢は,できることならば金銭で解決したい. 我国の国是(?)である.

これはいささか恥ずかしい態度ではあるけれども,とにもかくにも,

他人に直接攻撃を加え,血を流させることはなかったのであるから,

むしろ誇っていいことなのかもしれない. 我国にも依然好戦的な人は

沢山いて,彼ら軍国主義者たちにとっては,現状はいかにも許しがたい

ことらしく,何かといえば,それ「平和ぼけ」と憎々しげにわめきちらす.

しかし,これ違うんじゃないか. 私思いますに「平和ぼけ」では毛頭なく,

「アメリカぼけ」が正しいのだろう. 今日,多くの人達にとって,西洋人は

即アメリカ人であって,ドイツ人でもなければ,フランス人でもなく,ましてや

デンマーク人ではない.・・・・・・・・

こうした展開でエッセーを書き始めた。 米英軍のイラク侵攻の直前である。 

しかし書き続けることが出来なかった。 これは私の怠惰と非力にもよるけれど、あまりにも

情勢が複雑で、日一日と状況が変わり、今日書いたことが明日には反古ともなりかねず、

感性した文章が作れそうもなかったからである。 事態はイラク政権の崩壊と、新秩序への道程ともなっていて、

実は私には到底ついて行けず、自らの不明を嘆くのみなのである。 それからもう一つ、本当の理由はね、

怖かったんだ。 袋だたきにされるかもしれない。 アメリカの特殊工作員に殺されたら

どうしよう。 現在我が国では対イラク戦への批判は許されていないのが本当のところです。

勿論、僕はそんなにエライ人間じゃない。 狙われる筈はないのだけれど、それでも、世間様から

爪弾きにされたらどうしよう・・・とは密かに怖れているのです。  しかし、しかしだ、黙っていていいのか、

発言をしなくていいのか。 未来のために、僕の息子や娘のため、そうして孫達のために

(まだ一人もいないのだけれど)言うべきことは勇気を出して発言しよう。 僕は今きめたのです。 (続く)



ジョージ ブッシュというまれに見る愚かな政治家を大統領と

いただくアメリカ合衆国が極めて不幸であるのみならず、 全

世界的にも来るべき災厄を招くだろう暗い未来を予

測させる点で、歴史的不幸が近い将来に起こりそう

である。 実はアメリカは、賢明でない大統領を何人も選挙の結果生んできた。

 ところが、今日のようにPax Americana アメリカ一国支配、一極集中という未曾有の

時代が来てしまっている。 つまり、アメリカの不幸は全世界の不幸である。

 大統領は、愚かなだけではなく、妄想家でもあるらしい。

 もっとも愚かな人物は、自分の愚かさに気がつかず、

逆に賢いと夢想することである。 彼の愚かさは、

あるいはスタッフの愚なのかもしれないが、自分がアメリカ史上、

最大、最強の大統領であると信じ切っていること、あるいは、

最大、最強たらんとしていること につきる。 

これまでの偉大な大統領たち、ワシントン、ジェファーソン、リンカーン、

ウイルソン、そうして、F.ルーズベルト。 皆偉大であった。

 当時のアメリカは、世界は幸せであった。

 それなのに、現大統領は、自分もそうであり、あるいは、

それ以上と信じ込んでいる。 ウイルソン大統領は、

自らは失敗はしたけれども、国際連盟を創った。 ルーズベルトは

国際連合を創った。 そうして、当代のブッシュ大統領は、

国際連合をぶち壊そうとしている。 そうして、アメリカによる、アメリカのための世界、

まさしく、上記の彼らを凌駕する、史上最強のアメリカ大統領! 嗚呼。

 筆者はアメリカを実は信じている。 とにかく復元力があるのだ。 

合衆国憲法の力強さ、正しさ、いつかは、必ず愚か者は排除される。

 すでに、次回の選挙で現大統領は再選されないだろうとの有力な予測がある。

 アメリカの、ある意味での素朴なフェイル・セイフが動き出しているのだ。 未来は明るい?

そうありたい、そうなって欲しい。 だがいくつかの危険がある。

多くの優秀ならざる、不誠実な政治家のやることは只ひとつ、戦争を始めること。

 あいつらの、常套手段だ。 すでに、イラクで似たことが起きている。

 次は、イラン? それとも北朝鮮?

やりそうですねえ。 すでに開戦の口実は着々として・・・・・・ さらに危険な事がある。

 核兵器の使用。 一部のアメリカ軍人、政治家たちは、

核兵器を使用したくてしようがない。 この使用によって、

アメリカの世界支配計画は完璧なものになる。 これは何も今に始まったことではない。 

1950年代初頭、米ソ冷戦の始まりにあたり、日本を占領していた

極東米軍を中心として、核兵器、当時はつまり原子爆弾であるけれども、

これによるソ連攻撃を本格的に検討していた筈である。 

日本を発進したアメリカ戦略空軍は、沖縄に確実に貯蔵していたであろう

核兵器を搭載して北上、シベリアに侵入、

ここに存在するコンビナート群を標的として、東西に一列、数発を投下する。

 これでスターリンは確実に手をあげる。 世界にとって幸せだったことは、

当時のトルーマン大統領は、ブッシュよりはるかに賢明であった。

 強烈な反共主義者であったにもかかわらずである。 

さらに、ソ連が核実験に成功してしまう。 これで、この危険な計画は頓挫する。

 危機はさらに続いた。 朝鮮戦争の末期近く、中国の軍事干渉によって、

 韓国ないし在韓米軍は深刻な危機に直面する。 ここでまた、

核兵器の使用が計画された。 大統領の承認なしに。 驚愕したトルーマンは、

バークレー副大統領を東京に急派し、マッカーサーを牽制する。

 しかし、マッカーサーとその幕僚は翻意しなかったらしい。

 事はマッカーサーの解任で収拾された。 現代史の一裏面である。

恐ろしい事には、コントロールすべき大統領自身が、

もしかしたら、核兵器使用を大真面目で考えているのではないか ということ。

唯一の被爆国の国民であるのにも拘わらず、

我々はどうも核兵器問題に鈍感であるような気がする。 毎年8月9日に広島に集まっても、

ただ「原爆許すまじ」と唄っているだけなのではないか。 

それから千羽鶴を折って。 当然、ブッシュの無謀な計画を監視し、

反対していくこと、ここにつきる筈ではないか。



   事実の徹底的追求を

  イラク文化財の大量破壊について

怒りを覚えるより前に言葉もなく呆然とする光景であった。 崩れる壁に天井、 

ガラスが砕けすべてが失われた展示品、被害は数十万点にのぼると報道されている。

 戦乱時に多くの文化財が失われるのは今に始まったことではない。

 しかし、これほどの被害が短時日のうちに生まれたのはまさに前代未聞であろう。 

暴徒が建物に乱入し、高価な物品を持ち去っていく。 戦争でなくても、暴動でもクーデターでも何遍となく

起こったことである。 しかし今回惹起したことは、単なるぼうとではなく、組織された集団による計画的犯行であろうことが

容易に想像される。 報道された映像から、壮麗な大統領宮殿が無惨に破壊されているのを我々は

目の当たりにできた。 度重なる空爆それに戦車の突入、 大規模戦力による攻撃が被害を生んだ。

 それと同程度の破壊が国立中央博物館に加えられたのであろう。 たかだか棍棒や小銃を持った

無統制な民衆による襲撃とは到底思えない。 国際的な極悪人ときめつけられているサダム・フセインの

圧制下にあっても博物館は安全に管理され収蔵品は保護されていたように見える。 

だが、民主主義の大義?のもとに敢行された筈の「イラクの自由作戦」により、

米軍進駐下の首都において完全に破壊されている事実は、まさしく歴史の皮肉としか言いようがない。

 米軍の戦車の1台でもあれば被害は未然に防げたとのコメントがあった。 しかし、

このコメンテーターの善意は信じたいが、これは明らかに虚偽である。 襲撃はそんなに小規模なものではない。

 むしろ、戦車砲が博物館に向けられていたのではないかとの疑惑はどうしても残る。 

ジャーナリズムの責任も重大だと思う。 首都陥落後、多くの映像が流された。 

嬉々として高価な家具を運び出す民衆、あるいは食料品を略奪する民衆、 

あたかも独裁者の打倒を喜び、本音を露わにした無辜の人民の決起であるかのように。 しかし、

人類史上まれに見るこの暴挙は誰も報道しなかった。 場所はまさしく

人類文明発祥の地のひとつ、ティグリス、ユーフラテス両河にはさまれたメソポタミアである。

 開戦以来常におそれられていた遺跡の運命についての各国の反応はあまりにも鈍かった。

 ユネスコの対応も遅かった。 さらに、ユネスコ事務局長の選出に当たり

(本当のことをいいますとね、半分は冗談なのだけれど、僕も候補の一人だったのだ)

全力を傾注したであろう日本国政府も、何もしなかった。 

バスラから北上する英米軍がバグダッドに到達するまでの数週間、もしもイラク文化財を狙う不逞の集団、

つまり文化財マフィアが存在したとすれば、襲撃への準備には時間は十分だったろう。

 その一端は我が国にも届いているものと思われる。 全世界に喧伝されている盗難文化財の宝庫という

汚名がさらに増大することを私は憂慮している。 対イラク開戦につき、われわれは何事もなしえなかった。

 せめてこれから、何かを始めよう。 われわれにできることを。まだ時間はあるのだ。





POEMS

自由詩稿


はじめに

僕は根っからの詩人ではない。 むしろ散文をもっぱらと

していた。 ところが、あるきっかけで、詩人を名乗る

仕儀となった。 無名にして凡庸な老詩人小杉茶利、 でも、

やってみたかった。  考えてみると、少年時代から詩については

かなり興味があった。 高校生のころ、僕は文科系の

勉強が好きで、これはかなり自信があった。

 では理科系は? あまり芳しくない。 特に国語の先生には

可愛がられた記憶がある。 今でも覚えている。

 最長老の和田邦五郎先生、通称和田パン・・・・多分、

邦の字は中国語ではパンと呼ぶのだとか

なんとか言ったのだろう。 それで・・・・すごく偉い先生だったみたい。

 国文典の大家で、当時の東京高等師範学校の教授でも

あったらしい。 この先生の授業実にユニークなもので、

教科書など一切使わない。 毎時間自作の

ガリ版刷りを配って、しかも、内容はすべて

近代和歌、斎藤茂吉、北原白秋、岡麓、伊藤左千夫、

折口信夫、 ついには明治天皇まで。

今だったら到底文部省が許さないだろうけれど。  この先生から

僕は和歌の道に眼をひらかれた。 とにかく怖い先生なのだが、

どういうわけか僕は信用があって怒られたことがない。

 次は、尾関先生(お名前の方忘れてしまった。) やはり別教材、

まず奥の細道、教科書なんかに載っていないから、

岩田九郎著の注釈本、注釈があるから良いかというと、

決してそうではないので、その難しいこと。 著者の岩田九郎先生は

当時の最高権威、だから、これが終わったと思ったら、

今度は漢文、孟子を読むことになり、これも本屋に行って

自分で買ってくる。 友達は皆、参考書を持って来たが、

僕は物好きだから、神保町まで出かけて行って、

ここは今でもあるはずだが、中国書専門の山本書店、

ここで買ったのだけれど 現物は四書集注、

これはシショシュッチュウと読むんだ、知ってました? 

番頭さんが珍しがって、「坊っちゃんは高校生? これを読むとはえらい。 

よろしい 300円だけれど、100円におまけします」 

そこまではよかったのだが、これが上海版というやつで、

商務印書館発行、返り点など何も無い。 

それがどういうわけか僕読めたのね。 

尾関先生「おい小杉、よく上海版が読めるなあ えらいもんだ」

 こうしてまた、僕の評価があがる。 

でも漢文を専攻する気は一切無かったんだ。

 校内雑誌に「雪」と題する立派(?)な漢作文を投稿して

採用になったことがある。 高1の時だ。 とにかく早熟なんだ。

それからもうひとつ、研究論文を気取って

「詩の形式美について」なる一大長編、これも採用。 

わかるでしょう、だから詩の分かる文学少年だったのよ。

 その所為で、僕は高2の時、校内雑誌の編集委員に選ばれた。

 何をしたか、殆ど忘れてしまったが、今でも覚えているのは、

後述のエムケン先生の記事、何遍なおしても印刷屋から

返ってくるゲラ、エノケンになっていたこと。 それで、もう一人の先生、

その宮崎健三先生、通称エムケン(エノケンじゃないですよ)

・・・・・・・つまりMケンなので、サインをよくMけんとかいていたから。

 この宮崎先生は詩人だった。 実は誰も知らなかった。

 若い頃中原中也と同人を組んでいたらしい。 

別に詩に関する特別講義はなかったのだけれど、

どこかに雰囲気があって、それで、

僕などもポエジーというものを感じ取ったのだろう。 

とにかく、僕が卒業した高校、良い意味での超エリート教育としか

言いようがない。 僕はひどく反抗的な生徒で、言うことなんか

聞きもしなかったが、 でも僕が今日あるのは、

先生たちのおかげと思うこのごろなのだ。



その1

それでは、私の拙作をこれから。



死の島・・・・・・・・哀悼詩



我は知らず

幽冥の境 死者の島を

日はささず 薄暮の中

しずまりかえる白き家

迎える人もなく

小舟は島に近づく

はや逝くか 愛しき者

背に悼みの声を聞き

疾く来たれ はらからよ

行く手に歓びの声を受け

我は行く 死の島へ 永遠の眠りの地へと



葡萄美酒夜光杯・・・・・・涼洲詞より



佳い酒だ 見事な味と香り 杯に映える深い色

俺は酔ったよ おい 琵琶を持ってこい

  なに 馬から落ちそうだ?  砂の上で寝てはいかん?

なんてことをいう いとしいお前  大丈夫だよ

俺は大唐帝国の軍人だ

皇帝陛下のおんために

故郷を遠く離れて 蛮族どもと戦っているこの俺だ

覚悟はできているんだ



哲学の道



夜を徹しての思索のあと

眠られぬままに

仮の住まい法然院の方丈を出る

九鬼周造を慕っての京住まい

浴衣に草履履き

人通りもない疎水沿いの道

昧爽の冷気の中

ただひたすら寸心居士を想いながら

我想う故に我あり コギト エルゴ スム

また古都の一日が明ける





旅路



吾がいのちすでに亡く

ただひとり淋しく

川辺を歩む

白き装束 巡礼衣に手甲脚絆

送る者なく

迎える者またなし

過ぎゆきし現世の想い

未だ忘れがたく

若き日の思い出

ほろ苦く また甘き

諒闇のかなた

彼岸の闇を恐れながら 悔やみつつ

歩みもおそく されど ためらいもなく

亡き人の国へと

吾がいのち すでに亡し







誄(な)き詩(うた)



かむな月 霜降りの時 

我が背の君の喪(もが)りの日に

落葉松(からまつ)の林の奥 枯れ落ち葉の降る下

荼毘(だび)のほのほ

はや逝くか 愛(いと)しの君

あわれなるこの身

神あがりませ 幸(さ)きくませ

幽(かす)かなる煙りとともに

かの人は 妣(はは)が国へ還える









和解唐詩選





少年行             李白



           五陵年少金市東

銀鞍白馬度春風

落花踏尽遊何処

笑入胡姫酒肆中

長安の春 町の北からやって来た若者が

白馬に銀の鞍を置いて・・・この洒落者が

花の散る都大路を  外人ホステスのいる酒場へと

さあ 今宵もいっちょう騒ごうぜ



出塞          王之渙 

黄河遠上白雲間

一片弧城万仞山

羌笛何須怨楊柳

春光不度玉門関

黄河は遠く流れて その末は見えない

荒涼とした所だ 見えるのは山と小さな城だけ

春だというのに 蛮族の笛の音が 淋しく寒々と響く

はるか彼方 玉門関は辺境の地 さぞ淋しかろう



おほからのくにのうたびと うたいつぎしからうたのかずかず

 かけまくもかしこき すめろぎのくに おほやまとのくにことばに

 うつしかえ くにびとのこころねをあきらけく くにうたのごとくに

 かきしるすことこそ あらまほしけれ



送元二使安西             王維



渭城朝雨潤軽塵

客舎青青柳色新

勧君更盡一杯酒

西出陽関無故人



いよいよお別れだ 愛する甥の元二よ

今朝は雨もよう 塵も流れて 宿の壁も 街路樹の柳も美しい

さあ もう一杯飲んでくれ 別れの酒だ

お前の行く西の辺地 陽関より外には 蛮族ばかり

友人も わしのような親族も 誰もいないのだよ

達者でな さようなら





楓橋夜泊       張継



月落烏鳴霜満天    科挙の試験に落ちて ここまで戻って来た

           淋しい蘇州の暗い夜 夜烏が鳴く寒い深夜

  江楓漁火對愁眠    俺を馬鹿にしているのか それとも慰めているのか

           眠られぬ夜 船から眺める楓橋それに漁り火

姑蘇城外寒山寺    泊まっている俺の船 寒山寺はすぐ傍だ

           名高い寺の構えも 今の俺には冷たく静まりかえって

夜半鐘声到客船    夜半の鐘楼から聞こえてくる鐘の音

           故郷に逃げ帰る失意の俺を 送るかのように



ESSAYS

保存科学への招待

これは私の本業とする或る小さい学問分野について、皆さんにその一端を紹介

しようとする小文です。 いわゆるマイナーな中間領域、つまり Zwischenlehre

の一つです。 わざわざドイツ語で書くなんて、まさしく私の卑小さを露わにするようなものですが、

 どうもやはり、ぴったりする訳語が無い、つまりそれほど小さな無力な領域なのだなと、ご理解ください。

 実は、この言葉は日本で創出されたのです。 似た意味を持つものとして、英語ではconservation science

というのがありますが、直訳すれば文字通り保存科学となり、英ー日の訳語関係があるようにもみえますが、

事実は1950年頃、我が国の専門家の一人が考え出した物なのです。こうした挿話からも分かるように、保存科学はその歴史も浅く、

関係者の少ないので、つまり古手は私が一番と(そう思っているのですがね)いうくらい、どうしても、

なんだか卑屈になるような気もして・・・・  私は30年あまりこの分野で過ごしました。 たいした事もできないうちに退職する羽目になり、

古巣は今でも残っていますが、あっというまに変質してしまって、すでに有名無実、「こんな筈では」と

後悔と焦燥のみが残りました。 でも、まだまだ・・・・ 少しづつだけれど、また、発信を始めたいと思っています。 

この小文が、その手始めです。 まず、私のもっとも尊敬する大先輩のエッセーをお目にかけましょう。

 ポーランドの女流保存科学者 ハンナ・ジェドルジェフスカ先生は、ヨーロッパ特に東ヨーロッパ諸国でもっとも尊敬されている先生です。

 DrHanna ですが、通常 Mama Hanna つまりGrandmother of Conservation として

皆が親しみと敬意を持って呼ばれています。まだお元気だろうか。 大変なご高齢で、

2年前まではご健在なことが分かっているのだけれど。 はじめてお目にかかったのは15年以前、

すでに80歳を超えていらっしゃった。 1986年の10月、私はロンドンの大英博物館で開催された、

ある小さい学会に出席していました。 文化財保存の専門家養成に関する研究会です。 日本からは私ひとり、

当時、私は我が国でのこの分野唯一の教育機関、東京芸術大学大学院保存科学講座の教授でしたから、

それなりの責任があります。 参加者は多くはヨーロッパの人、アメリカからは比較的に少数、当然英国人が大多数でしたけれど。

 もうひとつ特徴的だったことは、東欧圏の学者がかなり参加していたのにもかかわらず、ソ連からの出席が皆無に等しかった。

 東ドイツ、ハンガリー、ポーランド、チェコスロバキア、などなどは来ていました。 

 これまで、私は、そうした人々とはあまりつきあいがなかった。 でも、この時以来知人が増えたのです。


ハンガリー大草原にて 馬小屋の中での懇親パーティー
中央は主催者のエリ・イシュトバン博士 考古学者
チャーリーもハンナ先生といっしょにどこかにいる


 学会出席のメリットのひとつです。 その際の私の得た最大の収穫は、このハンナ先生とお知り合いになれたこと。 

私は驚愕しました。 こんな方がまだいらしたのか。 全然知らなかった。 有名な大英博物館の前庭の左側、研究棟の2階の会議室で会議は開かれました。

 参加者の中には、もちろん知り合いもたくさんいます。 しかし、前列、座長席の近くに座った老婦人学者、知らない人だ。

 けれども、その発言の的確さ、穏当さ、そうして、それが深い知識と思索に裏打ちされた、だれからも信頼される見識、

本当に私は驚いたのです。 後で知りました。 Granma とよばれているんだって。 そうでしょう、当然です。

 高齢のお婆ちゃま、驚きの次に、私は心からの尊敬の念を抱いたのです。 あと10年、先生がお若かったら、

日本にお呼びして講義をして頂いたものを。 私には、そのくらいの権限があったのです。 でも、おそかった。

 その後、何回も各地の学会で再会することができました。 でも、だんだんと機会はすくなくなり、今日、音信は途絶えています。

 ポーランドの、それから隣国のハンガリーやチェコの学者と会うたびに、私は先生の消息を訊ねています。 最後の情報は2年前、

先生はまだご存命だというものでした。 86年の学会の際、先生は短い回想録(英文)をホテルで書かれ、配布されています。

 口頭ですが、私は先生から日本語訳の公開の許可を頂いています。 これから皆さんに私の拙訳をご覧にいれます。 本邦初公開となるでしょう。

THIRTY SIX YEARS OF A SCIENTIST IN CONSERVATION

Hanna Jedrzejewska London October 1968

杉下龍一郎訳   

1950年のある日、私は首都ワルシャワに於ける美術アカデミーで、

保存科学を専攻する学生達に、化学を主とする自然科学の教育を行うようとの勧告を受けた。 これは私にとって、

大変興味深いことであったので、私はただちに受諾した。 授業計画は2年間、週4時間を各クラスに行うのである。 大きな仕事である。

 この時、私は保存について何も知らなかった。 私はただワルシャワ大学に於いて、無機化学、

物理化学、分析化学に関する研究と教育に長い経験があっただけであった。 であるから、教育を与えるかたわら、

私自身を教育することをはじめなければならなかったのである。 参考書類を熟読するのが、まず初めの勉学であった。

 それと平行して、常に学生と接触することを心がけ、実験室内に自分用の小さい実験台を設け、

ここに探求されるべき物体を置き、これを分析した。 学生はこの私の作業をそばで見学するのである。(続く)





読書ノート

                    書評 おさかなパラダイス

   吉田浩著

   全日出版  ¥860

画期的な大ベストセラーとなりつつある,「日本村100人の仲間たち」の

著者の新著である. 著者は多彩な執筆,編集活動を展開しているが,今回は

そ の本領である童話の形式での魚類ないし魚食文化全般にわたる著書となっ

た. 童話形式つまり子供むけの本書ではあるが,その内容は子供だまし

では一切なく,深い洞察と暖かい愛情に満ちた好著といえよう. われわ

れ日本人は周囲を海に囲まれた島国に生活しているのも一因であるが,世

界有数の魚食民族である. ところが,そうであるにもかかわらず,魚類

についての知識はそれほど高くはない. また,食生活の内容もむしろ貧弱である.

最近,食べ放題と称する愚劣な企画がよく見うけられるが, そこで供されるのは

多くの場合蟹に限られる. さらに,四方の海から水揚げされる,つまり,

近海魚あるいは地魚よりも むしろ遠く海外から輸入された外来魚に,その嗜好が傾斜してさえいる.

 本書で述べられている,魚に関連することわざや慣用句も,今となって

は死語であったり,理解不能であったりするのが現状ではないか.アラ探

し,鱈腹,出鱈目,ニベもない,イナセ 等々 われわれの持つ伝統的な

話し言葉,書き言葉も,急速に忘れ去られていく.

メルルーサやブラックタイガー,それにキングサーモンでは・・・

飽食の民我が同胞は,グルメを誇ってもイワシの弱し,カツオの勝つ男と

洒落る間はないのではないか. 世にグルメ指南の駄書は多いが,それらはすべて

珍奇かつ高額の魚類を食通と称する唾棄すべき輩が得意然と下品に食する情景の

連続でしかない.本書は魚類の知識が満載されているが,

それだけではなく,今日の生活文化への深い考察をも含んでいる. 特筆

すべきことは,全編に流れる生き物への愛情,我が風土への郷愁であろう.

 評者はいささかの面識はあるが,親しいお付き合いはない. しかし,

評者は思う,著者吉田氏は,こころの優しい人柄なのではないか. また,

日夜多忙な編集活動のうちにありながら,どこかゆとりのある,ある種の

遊び心を垣間見させる筆使いを感じさせる. 前著同様,多くの読者に

愛され,共感のうちに多くの部数が世に流布することを信ずるものである.



創作チャーリー・シリーズへのあとがき

   年齢不詳・実態不明のメル友レディーへのオフレコ・メールの形で

?????さま

さてさて あいかわらずオフレコ

メールです  (-_-;) _(._.)_

年齢不詳かあ 僕もそういうところあるなあ

むしろ そうあるようにって 構えているのかも

多重人格(?)なんですよ 見かけは 優しく

おだやかに だけど ほんとうは・・・・本性を

あらわすと えらく攻撃的になる

攻撃的なのは Charlie’s Column に出ます

そうでもないチャランポランのは 雑記帖に

一番 こころの底にある 深層心理は つまり

美少年ボクシングは 創作・小説に

趣味の旅や食のは国際交流に

本業のは 文化財なんとやらに


長野県の話はですねえ もともと 田中知事には

共感を覚えていました ペログリだとか なんとなく

クリスタルだとかは 嫌いなんだ だけど 彼が

時々発表する エッセー 随想 時事評論 高く

評価していたんです あの人を甘くみちゃいけないよ

ちょっと二重人格でね 逆に石原都知事のことは

まったく評価していません 大嫌いなんだ

無能だし あの大言壮語癖には辟易させられます

それに周囲の取り巻き連にいいように操縦されすぎる

最近の北朝鮮への先制攻撃発言は論外としても,東京に

カジノを作れだとか,小笠原諸島は東洋のガラパゴスだとか

世迷いごととしか言いようがない.絶望的です.

田中氏は独断的で ブレーンもなく 孤立無援のように

見られています しかし 隠れブレーン 隠れシンパ

がいっぱいいるのです  僕もそうだけれど 友人にもいます 彼ら彼女らは よくある

政治ゴロ えせ正義派 薄汚い取り巻きではありません

都知事の周辺にはゴロゴロしていますがね 東京都庁では

今 恐怖政治がしかれています しかも マスコミの一部

タレント などなど 見境無く次期首班にかつごうと

つまり実現したら 甘い汁を吸おうと虎視眈々

あははは とうとう またもや 僕本性を現わしちゃった

ここが 石原と田中の最大の差なんですよ

それで友人の話ですが 実は 僕の小説もどきのモデルです

本人には無断でね バレたらぶんなぐられるかな あいつの方が

強いからね  貴女がもしも読んでくれたとしたら Yくんというのが

出てくるでしょ 架空の友人ですけどね 本当はYくんではなくて

Mくんなんです 小説「稚いグローブ」の第2部の中です 親友で

最後に大喧嘩して 僕チャーリーはぶったおされる 完全KO!

書いてあるとおり 僕はなにをしても彼には かなわなかった

成績はすごいし かわいいし それに僕より強い

ボクシングはフィクションです しかしね こういう事があったの

僕らの高校 毎年 奇妙な行事があった 男子が全員運動場に集まって

みんなで公認の殴り合いをやるのです 棒倒し敢闘会と称していましたがね

棒なんかどうでもいいんですよ 今もやってるのかなあ 進学校です お坊ちゃん学校です

どこか みんな抑圧されている 偏差値教育の話じゃなくて これなら

どこにでもあるけれど  いつも いい子でなきゃいけない

真面目で勉強好きの少年でなきゃいけない 過重な期待に 皆

押しつぶされそうになっている それを我慢して・・・我慢して とうとう

つまりキレて 爆発する 突然 仲のいい二人が理由も無く鼻血まみれの凄まじい殴り合い

をはじめたり 急に真っ青になって眼を吊り上げ拳を握って教師にくってかかったり

だからガス抜きのために誰かが考え出したのでしょうね

僕もやったんだろう, 好きそうだって? それがやらなかったんです. 別の方法でガス抜きしてた.

 社研のキャップだったんです. 代々木系ですよ. 権力に反抗していたわけさ. 

それで,ストレスが中和されていたのです. プロボクサーにこっそりボクシング習っていたしね.

さてそれで,棒倒しだけれども, 実は僕は逃げちゃった 敵が突進してきたら その瞬間 パッと

横にどいちゃう 闘牛の要領です みんな知らないのだけれど

なにしろボクシングの心得があるから 手を出したらマズイ 実は

ほかにもボクシングやってたのがいて 彼 本当に相手を

ノックアウトしてしまった だから言わないこっちゃない

あのとき Mくんすごかったな あんなことやりそうも

なかったんだけど 美少年の彼 どろどろになって

  血を流して ウエアーもボロボロ 若い野獣のように

うなりうめきながら帰ってきた 多分 彼とやったら

僕は負けてたでしょう. それから (長くなってごめんなさい)

Yくん 彼も実在します 実はね 彼はいいうちの子 旧華族

公爵閣下の息子です  もしかしたら 判っちゃったかな

Yのつく公爵家はそうはありません  彼もかわいかった

ちょっと白い歯をむき出す癖があったけど 僕は丸顔

かれは卵形  どういうわけか 学習院じゃないんですよ

たしか私大の経済を出て ゲーム機器メーカーの研究開発

部長していたと思ったけれど その後会ってないから わかりません

というわけです  長文御免     チャーリー













思い出チャーリー
 

  僕の少年ボクサー時代







少年ボクサー チャーリー





みなさんお気づきでしょう、僕は少年ボクシングに格別の思い入れが

あって、少年時代特に高校生のころだけれど、幼稚なボクシング体験があり、

その記憶が僕の深層心理に刷り込まれていて、今でも密かに強く愛好している。

 もう随分前のことだ。 今では誰もこの事実を知らない。

 強敵に滅多打ちにされて鼻柱を青黒く腫らしたり、瞼を半潰れにしたり、

口の中を切って鮮血が凄まじく溢れ出したり、もちろん、鼻血を激しく吹いて、足下に血痕が点々と、



いろいろあったけれども、年月とともに、 傷は完治して

僕の容貌からはボクサーらしさは何も痕跡が無くなっている。

と思っていたら、よくよく鏡を見ると、傷跡があった。 眉間の下あたり、右の眉毛のちょっと上、小さくへこんだ傷跡、

つまり眼窩のあたり、バッティングで出来たんだ。 僕、もともと足が利かない。 

だから、頭を下げて前進し敵にむしゃぶりついての接近戦インファイト、ファイタータイプだった。

 このごろでは、すぐに、注意、警告、失格になってしまう。 でも、以前は皆よくやっていた。

血まみれの組み討ち、あえぎ、うめきながら、顔面へのフック攻撃、そうしてボディー狙い。

当然、負傷しやすい、僕みたいのでさえも。 おぼろげな記憶だけれども、 そうして額をぶつけたんだ。

 鼻は変形させないですんだ(らしい)。 実は左眼の下、

頬骨の辺にちょっと薄く茶色いあざがあって、これは初陣の試合で、 強打を浴びて

打っ倒され、キャンバスに頭から突っ込み顔面を擦りむいた傷で、

青年時代まで残り、かなり 目立ったのだけれど、今はきれいに消えてしまっている。

 とはいうものの、今の僕には、顔にちょっとした傷がある。 上唇の上あたり、

赤みを帯びたケロイドが残っていて、かなり見苦しい。 僕の少年ボクサーの

前歴を知った人たちは「さては、なるほど・・・」と思うわけだけれど、これは

ボクシングとは関係無いんですよ。 ずっと後で、実は深酒のあげく、酔っぱらって転び、

舗道に顔を激突させて出来た傷跡です。  しかし僕も年をとった。 少年ボクサーの面影など、

どこにもありやしない。 大学生あたりからスポーツはまるでやらなかった。 勉強一途?

 これは嘘です。 もともと生まれつきはむしろ虚弱だったんだ。 それでも、

一応は人並みに鍛錬して健康なスポーツ少年になった。 そうして、よせばいいのに、ボクシング。

 自分では気が付かなかったが、強烈なパンチのダメージは大きかったみたい。

 ノックアウトも食らっているしね。 足があまり効かない方だったし、年齢を重ねるとともに

僕は歩行がちょっと不自由になった。 少年時代の古傷が復活してしまったんだ。 電車の中などで、

よく席を譲ってもらう始末。ややケロイドが できやすい体質だから、

眉や目尻を切ったりしていれば痕が残った筈なのだが、

幸いそういう負傷はしなかったんだ。 僕の在籍していた高校はサッカーが

盛んだった。 当時は蹴球と言っていたが、部員でなくてもかなりやらされる機会が

あり、正課の体育でも、まあたいていはグラウンドを走り回ることになっていた。

 今日ではルールで芝生が張られていて、だからスライディングなど年中だが、

僕らの頃はただの地面、小石がジャリジャリ、だから膝小僧をすりむいて

真っ赤に血が滲む。 僕もよくやられて、その傷跡がケロイドになり、

これは今でも左膝とか肩先に痕になっているくらいだ。 さて、それでボクシングだけれども、

いろいろなスポーツ種目の中でも、 かなり特殊な性格を持っているように思う。 世界最古のスポーツなんて

言って、数千年以前、エーゲ海文明のころにすでに存在したのだから、




エーゲ海文明期の少年ボクサー
サントリニ島アクロティリ遺跡出土の壁画より


それなりに誇り高いものの筈なのだが、どうも世間一般の評価はむしろ

冷たい。 あんなもの、不良のやるものだ等々、あまり好意的じゃない。

 まあ、僕は本当に不良だったから、進学名門高にいたのに、ある事情から

グレてしまって、だからボクシングには違和感がないし、 父親は兎に角として、

母親は花柳界出身だからやはり好意的だったのだ。  実は、僕、途中で立ち直りましてね、

まあまっとうな(?)職業につけたし、 だから、少年ボクサーだったんだなどと口走ると、

たいていは驚くし、 そんなの嘘だなんて言われてしまう。 でも本当のことなんですよ。

 でもやっぱり、つい前歴を隠すことは年中だった。 意外なことですが、

有名人でも実は少年時代、アマチュアボクサーだった人はいるのです。 

もと通産官僚で、経済小説や社会小説を発表して、ついには非議員閣僚にまで

なったある名士、彼は大阪府堺市の出身で、高校時代モスキート級で

府の一位だった。 つまり、S・T氏、これはペンネームで、 だから出身地の堺が入っています。 

本名はI・Kくん、お金持ちの うちの子なんだ。 強かったかどうかは分からない。

 なにしろ、 モスキートはいつでも、どこでも、人数が少ないんでね。 

それにハングリー ではなかったんでしょう。  彼とやったことはありません。 

僕の高校、ボクシング部が無かったし、しょうがないので、町のジムに通ってた。

 連盟から選手手帳がもらえないから、

公式戦への出場資格が無いわけ。 本当の体重はフライ級だったんだ。

 執筆の都合でモスキートにして ありましたけれどね。 なんで僕が彼の本名知っているかというとね、

僕は中国によく出張していました。 ある時奥地の蘭州という所で、 彼と行き会った。 

あるミッションを率いてこれから敦煌へ行くところ。  僕は逆に敦煌から戻って来たところ。

 敦煌は僕のフィールドなんです。  ホテルのフロントでチェックインの手続き、中国ではいちいち

パスポートをださなければならない。 ふたり並んでチェックイン、 彼のパスポートが見えちゃったんだ。

 べつに覗き込んだわけでは ないのですがね。 へえ彼I・Kというんだ。 

ちょっと気になった。 というのは、 僕の戸籍上の本名は龍一郎です。 

そうして彼のは小太郎、だから。その時、 あれれ僕がボクシングやってた頃、

モスキートでこういう子いたっけなあ。 こういう名前はかなり珍しい。 そうか彼なのか。

 その晩ホテルで宴会になって、知り合いになったのだけれど、 別にボクシングの話はしなかった。

 だって彼も慌てるかもしれないし、僕だって旧悪暴露になったら 困るしね。 

実はこの僕が入っていたミッション、大学時代ボクシング部員だったのがいて。

その後彼は出世(?)して経企庁長官かなにかになり、 そうなると本名を名乗らなければならず、

だから上記のことは 内緒ではなくなった。 目出度し、目出度しです。





その2

僕が本格的にボクシングを始めたのは高校生になってから、年齢的には

16か17から、ちょっと遅い方だ。 実は、中学生のころにもきっかけはあったので、

うちにはいつもプロボクサーなんかが出入りしていた。 そのうちのひとり、 

たしかヨコヤマさんというのが、これは本当のプロボクサーで、ウエルター級、

新人王にもなっているし、短い間だけれど、全日本のチャンピオンにもなっている。

 彼はうちの居候で、だから僕も遠慮が無く、ふつうの家庭の子なら一生知

らないですむような事でもじきに覚えてしまった。 もともと僕は見かけほど(?)

真面目じゃない。 勉強も嫌いだし、特にいけなかったのは、これは誰の責任でもなく、

自分自身が悪いのだが、僕あまり生まれがよくない。 私生児だったんだ。 つまり

父親は立派な人なのだけれど、事情があって、僕が生まれた時、まだ結婚していなかった。

 母親が父不詳で届けるほかなかった。 のちに正式に結婚して、つまるところ、

僕は正式の長男となったのだけれど、こうした出生の秘密はいつまでも尾を引くもので、結果として僕はグレた。

 ちょっとした不良だったんだ。 ナイフを鞄に忍ばせていたり、喧嘩をしたり、学校をサボッタり 家のカネを持ち出したり。

 
不良中学生チャーリー
肥後守で敵と渡り合う


誰の責任でもない。 僕自身が一番悪いのだけれどね。 ヨコヤマさんもはっきり言えば

いっぱしの不良だった。 僕はナイフまでだけれど、彼はピストル持っていたからね。 

父親が見つけてとりあげちゃった。 ピストルは、当時の進駐軍兵士(つまりアメリカ兵士)の手を通して簡単に手に入った。 

これがヤクザやグレン隊の手に渡ったんだ。 当然、警察の取り締まりは厳しい。 それで、ウラワザが流行った。 ヨコヤマさんのもそうだった。 銃口に鉛を詰めてしまう。

 とたんに、凶器・銃器はタダの金属製ブツに変わってしまう。 やり方は簡単だ。 炭火をカンカンおこし、

そこで、釣具屋で売っている魚釣り用の鉛のおもりを溶かして銃口に注ぎ込む。 実に簡単なことなんだ。

 いざ使おうという際には、銃身を炭火であぶれば、鉛はたちまち溶け出してしまう。 この話をつい口がすべって、

ママにしてしまった。 大失敗だ。「あら、チャーリー、いろんな事よく知ってるのね」ママはハッとして

「チャーリー!何でこんな事しってるの? まさか、アナタも持ってるのじゃないでしょうね!」

「うん、そのお、あのお」危ない、危ない。おかげで、部屋中検査されちゃった。

こんなワルがなんでウチにいられたのだろう。 それに大事な長男の僕を彼の

傍に置いてよかったんだろうか。 彼ちょっと変わっていたんだ。

 どこかに見所があったのでしょうね。 プロボクサーとしては、まあ変わり種でしたね。

 16歳ぐらいでライセンスをとってプロデビュー、そのころはバンタム級、

かなり可愛い少年ボクサーだったみたい。 18歳で新人王になった。 

体重は上がってフェザー級だった。 当時の新人王の試合は、特別なルールが

ありました。 ラウンド数は無制限、勝敗は判定で決めず、ノックアウトと

レフェリーストップ・ドクターストップだけ。 つまり倒れるまでやらせるわけさ。 

まだ幼顔が残っていたりする少年ボクサーの死に物狂いの殴り合い、そうして、力尽きてキャンバスに倒れ込む少年、

当然血まみれ、まあよくもこんな恐ろしいルールがまかり通ったものです。 日本の

プロボクシング業界、時々かなり乱暴な事をしたのです。 他にもあって、

とにかくKO率を増やそうと、ナックル部が薄くできている特別仕様のグローブ、

つまり衝撃が強くて殴り倒されやすいメキシコ流のを採用した事があります。 

多分、そのせいなんだ。 ヨコヤマさんが棄権負けのつもりで、わざと倒れちゃって

試合終了に持っていく悪い癖を覚えたのは。 でも、僕にとってはいい人だったんだ。 

実は彼、少年時代には暴力団の準構成員だった。 池袋に大きな組織が3つほどあって、

これは今でもあるけれど、そのうちのひとつ、若頭格の怖い怖い兄弟がいて、

それに贔屓にして貰っていたらしい。 名前も知っているけど、言いませんよ。 

後年、彼はさらに体重が増え、二十代後半にはウエルター級、ここで

全日本チャンピオンになった。 リングに登場する時には連中に貰ったガウンを羽織って

出てくる。 背中にはちゃんと代紋がついていたっけ。 でもあまり深入り

しなかった。 そうして上手に足を洗い、ウチに転がり込んだんだ。 意外なくらいに

お行儀がよく、常識があって、本なんかも随分読んでいた。 一時お寺に

預けられていたことがあって、そこで修行したのだろう。 いくらか英語も

出来たんだ。 さらに変わっていたのは、写真のポーズ、普通ボクサーの写真は、

高校生ボクサーでさえもが、カメラを向けられると、両手を、グローブを嵌めていても、

バンテージだけでも、素手でさえも、一様に胸の前でかまえて

ファイティングポーズになる。 ところが、ヨコヤマさんは、

グローブをつけたまま腕組みをしていた。 変わってるなぁ。 そうしてつまるところ、僕はボクシングを始めることになった。

 喧嘩に強くなりたかったんだ。 動機は不純です。 初めはうちの庭で初歩的なトレーニング、ジョギングに縄跳び。

 それからシャドーボクシング、だんだん面白くなってきて、彼の所属するジムに入り込んで、

本格的なトレーニング、いつのまにか高校生になっていた。 こんな不良だったのに、

僕は中高一貫の名門校の生徒を続けることができた。 赤坂で評判の美人芸者の息子だから、

まあそれなりに可愛い少年で、しかも頭も良かったみたい。 あんな不良じゃなかったら,それにもっと勉強好きだったら、

ずっとましな人間になったのだろうけれど、これも運命なんだろうなあ。 ボクシングはなかなか敷居が高いスポーツだ。

 まず不良だと言われやすいし、それに、とにかく試合でも、練習でも、生まれて初めてさんざんに殴られるわけだ。

 すごく怖い。 そりゃあ他のスポーツでも、先輩や監督に殴られることはある。 だけど、

ボクシングは初めにとりあえず殴られる。 もちろん殴り返すけれどね。 しかし、実際に始めてみると、思ったほどではない。

 殴られれば痛いし、怪我もする。 実は普通考えられているほど、事故は多くないし、危険でもない。

 アマチュアスポーツの指導者たち役員たちがもっとも怖れるのは補助金の打ち切り削減、ひいては団体の解散だろう。

 つまり、おじさんたちの死活問題なんだ。 この原因となるのは、まず、死亡事故、大きく報道されるし、

世の指弾を浴びてしまう。 ボクシングはそう思われるのだけれど、本当のところ、事故率、死亡率はむしろ低いので、

バレーボールとか、フットボールとかの方がずっと高い。 サッカーのヘディングが極めて危険なのは周知の事実だけれど、

これは社会的な力関係の問題で完全に隠蔽されているのが現状なのだ。

好例は女子バレーボール、‘東洋の魔女’がもてはやされた時代、

流行っていた技は回転レシーブです。 これは極めて危険なテクニックで、

しくじると脊髄を痛め、最悪のケースでは死亡につながります。 

この事故ほど隠蔽されたものは他にはない。 最近は殆ど見かけませんね。

 これは有効な技でない為ではなく。 事故が多すぎたからです。

さて、本題の少年ボクサーですが、愛好者は多いものです。 専用のサイトも

ありますからね。 例えば、Gloved Boy's Square 僕も偶然見つけて昔の経験、感

覚が甦ってきた。 つまり、焼けぼっくいに火がついたわけ。 上記のサイトは、

禁断の果実グローブ姿の美少年というのですから、これも一つの傾向で実は僕は好きです。

 自分が本当に美少年だったかどうかは別として、こういう趣味は昔からあるし、

責められるべきものとは僕は思わない。 古代オリンピックでも、ボクシング、

レスリングとパンクラティオンには少年の部があり、古代人には美少年趣味が公認されていた事からみても、

どうしてもあるイメージが生まれてきますね。 さて、我が国、美少年趣味は確かに存在しました。戦国武将が寵愛した児小姓たち、

平安貴族の稚児の美少年、そうして寺院の寺小姓、実例はいくらでもあります。 ただこれが美少年ボクサーとなると・・・

我が国では、ボクサーの実イメージは、むしろ無惨に破壊された容貌(?)の持ち主に近いから、

つまり、故人のタコ八郎みたいな耳が半分ちぎれちゃった奇怪な容貌とか、鼻が無惨にひしゃげ潰れたボクサー特有のあれだとかになる。

僕が世話になった元全日本ウエルター級チャンピオンのヨコヤマさんなんか

、そんなに顔が変形してはいなくて、むしろキレイな方だったけれど、それでも変な

ことはあったので、彼がタバコを吸うと煙が鼻から出ずに耳から出てきていた。

 そういうのを見ていながら、ボクシングをやろうと思ったんだから、僕も物好きだったね。

 滅多にはいないけれど、美少年ボクサーの雄姿いいものですよ。 僕もあそこまでいけばよかったのですがねえ。

 僕、弱すぎたんだ。 体格は悪い方、いくら鍛えても逆三角の闘士型の体型にならない。 色白でやや胴長、胸板は薄く、

肩幅も貧弱だった。 体質で鼻血を出しやすい。 すぐに血まみれになる。 白い肌を染める一筋の鮮血

なんて昔の錦絵に描かれた手負いの若武者みたいで素敵だけれど、実際はそんなものじゃなくて、

口から血が噴き出して割れたザクロの実みたいだし、唇はタラコ状になって、

鼻から頬から赤く血糊がこびりつき、赤鬼みたいですごく見苦しい。

血が止まっても、乾いた血痕が鼻の中に溜まり、指を突っ込むとジャリジャリする。

 とにかく鼻血はよく出したなあ。 出血で鼻がつまり、呼吸ができなくなる。

 

苦しくて口があいてしまい、そこをまた打たれて口を切り、血と唾液とでグチャグチャのマウスピースを吐き出し、

惨めな表情の僕。 ユニフォームも胸のあたり血糊がべったり、、それからトランクスのウエストラインなんかが朱に染まってしまいます。

それで、このノックアウトだけれども、ボクシングの試合でもっともスリリング

かつエキサイティングな場面のわけだ。 観客はこれを待ち望んでいるし、実現すれば拍手喝采、

大変な騒ぎになる。 ウオーー 「でかしたぞ!」だけどねえ、僕なんて思うわけよ、



ノックアウトされる身にもなってみろってんだ。 ただ殴られてもノックアウトにはなりません。 顔が痛いだけ。

 一番効くのは顎から斜め上に突き上げるやつ。 それから、コメカミつまりテンプルを横殴りに、

さらにはボディーブロー、これやられるとね、身体が言うことをきかなくなる。 

痛いよりも何もクラクラとノックダウン。 立たなきゃいけないと分かってるんだ。 応援の叱咤もあるしね。

 「小杉、立てー、ガンバレ、ファイト!」 だけど、そんなこと言ったって。 とにかく動けないんだから。

 僕も何遍かやられているけれどね。 でもね、これ、やられてみないと分からないよ。 それから、相手をやっつけた時、

つまり、倒した時、これも分からないんじゃないかな。 気持ちのいいものですよ。 最終回の決着、もう体力の限界、

フラフラになりながら、最後の力をふりしぼっての打ち合い、リング中央に仁王立ちになって、パンチの応酬。 

もうガードなんてありゃあしない。 ただひたすら、敵への打撃のみ。 血と汗が飛び、周囲からのすごい歓声。

ワッショイ、ワッショイのかけ声もかかる。 両者の死闘、とうとう僕が打ち勝った。 あいつの鼻から血の塊がドクリと、

そうして血にまみれたマウスピースが吹っ飛ぶ。 渾身の止めの一撃、アッパーぎみの右ストレート、

きれいに決まって、敵はのけぞり、そのまま腰からキャンバスに沈む。 やった!。・・・・・でも、

こんな事滅多に起きるものじゃない。 それに、倒すより、倒されることの方が多かったんだ。

 やった時はいいけれども、やられた時は悲惨だぜ。 すぐには立てない事もある。 リングの中で仰向けに寝かされて、

まるめたタオルかなんかを枕にして、グローブをはずされ、口の中のマウスピースをもぎ取られ、

シューズの紐をゆるめられる。 最後に股に手をつっこまれ、プロテクターカップを引きずり出される。

 意識があれば、だんだん惨めな気分になってくる。  ああ、やられちゃった。



 負けたんだな。 リングドクターが検診するけれど、まあ、たいていは問題はない。 このへんで、相手のあいつ、

つまり、オレを倒した奴がやってくる。 「やあ、どうも、 ね、キミ大丈夫?」

大丈夫な筈ないだろ。 でも、強い奴だったなあ。 とうてい敵わないや。 

一瞬、脳震盪を起こして倒れたわけだ。 でも、これは数分で回復する。 

後の試合や練習には差し支えないらしい。

僕らのころに比べると、最近の子は以前ほど血を出さなくなったみたいだ。 理由はよく分からない。

 とにかく僕は本当によく出血したし、当時のレフェリーは選手が血だらけになっても、試合を止めなかった。

さらに、ボクシング試合でもっともスリリングなノックアウトシーンでも、

きちんと10カウント数えられれば試合終了敗戦が当然だけれども、

今日では、死亡・傷害事故回避のため、1回のダウンでも、選手が立ち上がり

よろめきながらのファイティングポーズだと、即座のKO宣告となるし、倒れなくても、

強打を浴びて大きくぐらつけば、またこれは表情で分かるので、眼をとろんとさせ、ダメージが大きいと

判定されれば、やはりノックアウトとなる。 以前は、つまり僕らのころはそうじゃなかった。

 1ラウンドに3回も倒され、当の少年選手のファイトはすごく、その度にフラフラと

立ち上がってグローブをかまえ、試合が続行されたのを見た覚えがある。 

僕はそんな目に遭ったことはないけれどね。 1回のノックダウンで、もう立てなかった。

 敢闘精神といえば聞こえがいいけれど、野蛮だったんだろうね。 KOやTKOではなく、

打倒と技倒と言っていました。 文字通り殴り倒されるわけです。 ボクシングはもちろん拳闘です。

 試合場のなんとなく陰惨な雰囲気を言い得て妙ですね。 KOが減ったのは、 以前より選手が逞しくなったのだろうか。

 それとも、用具が改良されたせいだろうか。 たしかに、グローブやヘッドギアーなどデザインは随分変わっています。

ルールもいろいろ改正されていて、出血が激しい場合、RSCが宣告されるのが今の決まりのはずです。

 他にも恥ずかしい事はいくらでもしているので、これはプロボクサーでも未経験の4回戦ボーイがやってしまうのだけど、

殴り合っている最中に失禁しちゃう、つまりお漏らし、実は僕もこの失敗があるので、

相手が強すぎてロープ際に追いつめられ、ボカボカぶん殴られてグロッキーになり、立っているのがやっと、

ここでやっちゃった。 サポーターの下が変に暖かくぬらぬらになって、

トランクスに染み出してくる。 当然野次られるし、恥ずかしいものです。 試合が終わってから、

当然負けて帰って来た控え室でトランクスを脱ぎ捨て、カップもはずすと股間から尿臭がプーンとあがってくる。

もうコリゴリでした。 不思議なもので、やってしまうと、相手選手もトランクスの股のあたり、

なんとなく染みになっていたりして、連れションみたい。 まだあった、試合中は危険防止のため、

プロテクターカップを着けるのがルールになっています。 ローブローを食らって局部を潰されると大変なことになるから。

 これは今でも同じで、よくデザインされたノーファウルカップを使うけれど、

以前は旧式で、金属製のカップを急所にあて、上からサポーターで押さえていました。 これずれやすいし、

気をつけないと外れてしまう。 カップを布で巻いたり、テープを付けたり、いろいろ工夫するのだけれど、

僕なんか腰回りが小さいから激しい運動の最中、股からはみ出したり、ガタンと落ちたりする。 また野次られる。

 「おーい坊や、おしめが出てきたぞ」「わははは・・・・」 僕もやってしまった。

 最近の製品はよく出来ていて、サポーターのトラップにポケットがあり、ここに挟み込むようなのや、

はじめからカップが縫いつけてあるものもあります。 これならば大丈夫。

試合は殆ど経験がありません。 ジムでの試合形式のスパーリングばかり。 ここでもよく血を出したり、

眼の下を腫らして絆創膏を貼って家に帰ったりしていました。 よくもまあ、

ボクシングを両親が禁止しなかったものだ。 多分、ちょっと不良っぽかった僕の操行監督のために、



ジムの会長さんやコーチを頼っていたのだろう。 世評と異なり、案外真面目な人が多いのです。 有名だったのは、日東拳の益戸会長、

若い頃銀座で鳴らした不良少年の大ボス、一度会ったことがあるけれど、すでに老成していてキチンと背広を着た

温厚そうな老紳士に見えたけれど、その目つきの凄いこと、好々爺になってなんて評した人がいたけれど、なんのなんのああいう目つき、

他には例の船舶振興会の笹川良一さんがそうだった。 念願のノーベル平和賞はとうとう来なかったけれど。

 怖い人だったらしいが、常識を心得た人でした。 学者や研究者に高額な補助金をよく出していました。

 その贈呈式の際、多くの場合、スポンサーは壇上の椅子にふんぞりかえって、

いばりちらしている。 しかし、笹川サンは違った。 直立不動で立ったまま、 すごく礼儀正しかった。

晩年には、足を悪くして、車椅子だったから、立ってはいませんでしたが。

 それで益戸会長、ジム経営の傍ら、不良青少年の善導に努めたのだそうで、‘不良少年の神様’なんだって。

でもとにかく、試合がやりたかった。 実は僕の通っていた高校にはボクシング部がありませんでした。

 僕と同じように個人的にジムでトレーニングしていたのはいましたが、例えば同級生のT,彼は太り気味で体重があった。

 フェザーかライトだったのかな、つきあいが無かったから、よく知りません。 相談して部を創れば良かったんだけれど、

僕は怠け者なんでね、他にも練習生にはなっていなかったのだろうけれど、殴り合いの好きな奴は何人もいて、

よく、素手で教室の隅などでやっていた。 ある時、本当にラッキーパンチが当たって、壮絶なノックダウン、

あいつ卒業してから防衛大学校に進み、海上自衛隊の幹部になったっけ。 たしか、潜水艦乗りだった。

高校生の場合、現在では公式戦出場のためには、相当やかましい規制があります。

 まず、在学校で公認の部員であること、トレーニングを開始してから1年以上であること、

試合の際にも事前の健康管理を厳密に行うこと。 以前は体重測定と問診だけだったけれど、

最近は血圧測定、腱反射、心電図、それに当然に問診、いろいろやることになっています。







僕らのころは、おおらかというか、呑気というか、殆ど何もない。 ルールにも抜け道があって、

高校生は連盟に学校から登録してライセンスを貰い、選手手帳を持っていなければならない。 

この持参を忘れて失格になる子が時々いるくらいです。 これの抜け道がアマチュアの社会人大会への参加です。

一般ルールでは、15歳から出場できました。 中学卒で働きながらボクシングをやっている人も

いるわけだからです。 本当は就職している事を証明しなければいけないのですが、以前はそこがいい加減でした。




それで、何回か試合の経験があるのです。 アマチュア選手権とか、クラブ対抗とか。

 3回ぐらいやったかな。 でも全然勝てなかった。 もともと、これは無謀な事なんです。

 まず、試合時間、高校は2分3ラウンドだけれど、大人なみの3分3ラウンド、これはきついですよ。

 高校でも、高校選抜だけはどういうわけか、2分4ラウンドになっていますけれどね。 それから体重区分もモスキートが無くて、

一番軽いのがジュニアフライ、いまのライトフライぐらい。 僕はフライ級だったから問題は無かったけれど。

 それから使用グローブは10オンス、当時の高校ルールでは14オンス。 小さくて固い。

 ヘッドギアーも使わなかった。 これじゃあ殺されちゃ うよ。 でも、どうしてもやりたかったんです。



番外編

不良少年チャーリーから少年ボクサーチャーリーへの道筋


深夜の果たし合い

僕の覚醒期、更生期はなかなか来なかった。 半端な不良少年の行為はずっと

続いたんだ。  そりゃあ幼少期からの、たまりにたまったトラウマの結果だもの。 いくら親を

悲しませても、叱りつけられても、そう簡単に反省する筈はない。 でも、僕も馬鹿だったなあ。

 今じゃほんとうに後悔しているんだよ。 だけど、あの頃はね。 転機は突然やって来たんだ。

 ある冬の一日、中2、14歳だった。 まだガキなのにいっぱしのワルぶって、左肩にこっそりイレズミまでして、

他の不良どもと張り合っていた。 年上の不良グループ、こいつらは本当にワルだったけれど、

急に声をかけてきて、「おいチビ、だいぶトッポイ事やってるらしいな」「うるせえや・・・」

「おぼっちゃん学校のオマエがなあ」「どうだ、番を張ってるA中のシンジ知ってるだろう」「・・・」

「いっちょうゴロまかねえか、マジのタイマンをよ、あいつオマエのことぶっころすって言ってるし、オマエなんかメじゃないってよ」

「オレよか強いって? 冗談じゃねえや よしやってやる!」シンジとは前からどつきあっていた。

 この野郎。 僕は簡単にひっかかってしまった。 あいつら、跡継ぎの子分が欲しくて

僕らをワナにかけ、けしかけたんだ。 シンジも同様だったろう。 あいつほんとうは気の小さいやつなんだ。

 果たし合いは2日後にきまった。 もうあとにはひけない。 親には黙って家を出た。 肌寒い夜、神社の境内、本殿の裏手、

電灯がひとつだけ、地面を薄暗く照らしている。 天水桶の陰で裸になり、6尺の晒しで股間をしめこみ、

残りを下腹部から胸までキリキリと巻き上げる。 渡された短刀を腰にブチこみ、額には向こう鉢巻。 肩に学生服の上着をかけ、

裸足でシンジと向き合う。 胴震いがとまらない。 シンジもガタガタ震えている。 胸が触れ合うくらいにつめより、

睨み合った。 お互いに激しい息づかい、あいつの少年らしい体臭がにおった。 立会人のワルが「おい、二人ともいいか、

もう一度聞く、本当にやるのか?」シンジが低く呻くように「やる」「オ、オレも」「よし、そうか、じゃ思う存分やれ。

 男の果たし合いだ、どちらかが倒れるまで、卑怯なことはするなよ。 さ、握手して」

手を握りあい、20メートルほど離れて向き合う。 怖い、逃げ出したい、だけどやるっきゃない。

 今まで肥後の守で渡り合ったことはあるけど、こんな大きな短刀なんて。 「う、う〜、う〜」低く呻きながら、

歯をむき出して睨み合う。 同時に短刀の鞘を払い、両手で握りしめる。 立会人がポンと手をたたいた。

「それ、やれ!」「うお〜〜〜」シンジが喚きながら突進してくる。 白刃をふりかざして。

 迎え撃つ僕。「があっ」接近したあいつに目掛けて短刀をふりまわす。 チャリン・・手に衝撃を感じ、火花が散った。

 肉体がすれ違い、また向き合う。 「ハア ハア ハア」肩で息をしながら身構える二人。

 じりじりと右回りに、相手の隙をうかがう。 「やあっ」僕が仕掛けた。 シンジが飛び下がる。 また睨み合い。

 股のあたりがおかしい。 なま暖かくじっとりとした感じ。 シンジの股間も、締め込みのふくらみに染みが出ている。

 極度の緊張で失禁してしまったんだ。 突然シンジが飛びかかって来た。 体当たりを食らわされ、腰を落とす。

 振り下ろされる刃、左肩を切り裂かれた。 「ぎゃあっ」焼け火箸を当てられたようだった。 かまえていた左手が

ダラリと肩から下がる。 血が流れた。「うう、野郎やったな」 利かなくなった左手を離し、

右手に持ち替えた短刀を突き上げる。 かさにかかってきたあいつの脇腹に突き刺さる。「わあっ〜」

シンジは悲鳴をあげ仰向けに倒れる。 血にまみれのたうち回る二人。 シンジはなおも僕の左肩を突きに突く。

 薄れていく意識の中、僕の反撃、あいつの脇腹を何度も抉った。 だんだん意識が遠のいていった。



立ち直り

 気がつくと、僕は病院のベッドに寝かされていた。 包帯でグルグル巻きにされて、両親が覗きこんでいる。

 ママは取り乱し泣くだけ、パパは悲痛な顔をして「なんてことをしたんだ、この馬鹿ものが」「だって、男と男の決闘だよ、何もいうなよ」

「まだわからんのか、相手の子は重傷なんだぞ」「むこうのお母さんの悲しみを考えてみろ」シンジは隣室に寝かされているらしい。

 女の泣き声が聞こえてきた。 傷が痛い、「痛いよ、痛いよ」「お前にはいい薬だ、じっくり反省しろ」例のワルたちは皆逃げてしまった。

 短刀も持って帰ってしまったらしい。 119番通報はしてくれたみたいだな。 

連中、まさか僕らがあんな壮絶な死闘を演じるとは思ってもみなかったんだ。 ママがベッドのそばに来て

「チャーリー大丈夫? 可哀想に・・・」また泣くママ。 急に涙があふれてきた。「ママ、ごめんなさい、オレ悪かった、赦してええ。

 これからはもっと真面目になります、いい子になるからさあ」 僕は号泣した。 僕はなんて馬鹿だったんだ。

 自分の生まれの秘密を知ったからって、それが何なのさ。 いい学校に入れてもらって、なに不自由なくさせて貰っていたのに。

 この親不孝のオレ。 僕は心から後悔していた。 僕はなかなか寝付けなかった。 傷の痛みもあるけれど、シンジが死んだらどうしよう。

 僕は人殺しになるのか。 僕はあいつの脇腹を何遍もえぐった。 たしかに手応えがあった。 隣室からはシンジの泣き声が聞こえてきている。

 あいつだって本当のワルじゃないんだ。 僕らは1週間で退院できた。 シンジも命に別状はなかった。

 実は二人ともたいしたことなかったんだ。 お医者さんが不良中学生の僕たちに思いしらせるため、

大げさなことを言っていたらしい。 中学生の僕らの未熟な腕前では、とうてい致命傷なんてあたえられないんだ。

 ただのカスリ傷に過ぎない。  警察の少年係もやってきたけど、僕のパパがうまく処理してくれた。

 なにしろ弁護士なんでね。 学校にも内緒にできるといいなって思ったんだけど、これはだめだった。

 まず教員室、それから校長室、こっぴどく叱られた。 以前なら

反抗したところだが、しおらしく反省し謝罪したんだ。 演技じゃないんだぜ。

そうして最後に、クラスメート全員の前で、担任立ち会いで、土下座してみんなに謝った。 涙を流して。

 全員が拍手して立ち上がり駆け寄った。「小杉!よく言ってくれた、偉いぞ」

「またみんな一緒になかよくやっていこうよ」「オレたち友達じゃないか」

目をうるませている奴もいた。 担任も眼を赤くして満足そうにうなずいている。

 こうして、僕の不良少年時代は終わった。 受けた刀傷も癒え、肩に残ったケロイドも、ちょうどイレズミのところで、

つまるところ恥ずかしい図柄が消えてしまい、普通の少年の肢体に戻った。 

もうひとつ、シンジとの組み討ちで左の脇の下を刃がちょっと切り裂いて、やはり傷跡になったが、高1になった頃、

人並みに脇毛が生え始め、これもどうにか隠れた。

シンジとは行き会わなかった。 あいつも更正したらしく、悪い噂も聞こえてこない。 だんだん、徐々にだけれど、普通の少年らしく、

中3,高1 と進むことが出来た。 クラスメートも皆親切にしてくれるし、僕も以前の記憶を忘れつつあった。 本当は忘れちゃいけないのだけれどね。



 ただ、僕の持って生まれた欠点は、なかなか消えない。 勉強嫌いの遊び好き、それにオシャレ好き、

こればかりはどうしようもなかった。 イレズミの代わりに、ネックレスをしたり、腕輪をはめたり、

詰め襟の制服の下に、見えないのをいいことに、いつも着飾っていた。 それから、汗で蒸れた若い身体から発散する体臭を気にして、

毎朝シャワーを浴び、オーデコロンを振って登校する。これは僕ばかりじゃなく、他にも何人もいたんだよ。

 両親は困ったと思っていたのだろうけれど、不良グループに入るのよりは・・・と黙認したんだな。 シンジとは、ボクシング会場でいっぺん出合ったことがある。

 「おい、久しぶりだな、ボクシング始めたのか」「ああ」「オレもさ、どうだ、今度スパーやらねえか、実戦形式でよ、フライ級だろ」

「・・・」「オマエとの決着まだついていねえよな。 一発で沈めてやるぜ」「なにを、オマエこそ、1回ももたせねえで、眠らしてやっからな」「あははは・・・」

笑って分かれた。 あいつコワモテで有名なT高校の制服を着て、襟にボクシング部員のバッジをつけていやがる。 ひどく強そうだ。でも、 そうした機会はなかなか来なかった。

再戦の機会は突然やってきた。 僕が高2の秋のことだ。 あいつはT高校の

ボクシング部員らしいけれど、僕の高校にはボクシング部はない。 つまり、

公式戦には出場資格がないんだ。 T高校は名門校で、あそこの部員はかなり強い。 全国レベルなんだ。

 僕はしかたなく町のジムで練習しているだけだから、あいつと対戦することはありえない。 だから、

シンジと闘ってみたいけれど、そういう機会な無いのだろう。 そう思って日にちが経っていったんだ。 ところがある日、

ジムの会長さんに声をかけられた。 「おい、小杉、よく練習しているな。 どうだ、試合をやる気ないか?」

「そりゃありますけど、オレ資格が無いから。 アマ連盟の選手手帳持っていないっすよ」「大丈夫なんだよ、 今度ジム同士の親善で、

対抗試合をやることになった。 オマエ出場しろ。 会長命令だ。 フライ級だったな。」「えーっ?」

 「期日は来月の5日だ、がんばれよ!」 その時は気が付かなかった。 まさかシンジとやることになるなんて。 会長さんも、

コーチも事情を全然知らない。 ただ、よその有力ジムの少年練習生のひとりを選んだだけなんだ。 あいつ、

部活でやっているだけかと思ったら、自分で志願してTKジムに出入りしていたらしい。 そうなんだ、僕と闘うために。

 あいつ執念深いなあ。 当日になった。 試合開始は午後からだけど、午前10時に計量、それから検診。

 みんな揃って相手のジムに行く。 討ち入り、殴り込みだ。 いつもなら、ジム通いにも、制服を着て行くのだけれど、

 今日はわざと私服、スタジャンを羽織った。 背中にはKOKUMIN BOXINGの縫い取り。 大きなジムだ。 シンジの姿が目にはいった。

 僕を睨みつけている。 ヤル気十分、殺気さえ感じる。 よーし、やったるぞ! 裸になり、

パンツだけで秤にあがる。「計量結果、小杉クン、52.4キロ フライ級!」 シンジも同様に、

「中山クン、52.6キロ フライ級!」 これで決まった、いよいよ決戦だ。 試合まであと3時間、

ジャージを着て身体を動かす、だんだん汗ばんでくる。 外へ出てジョギング、気分が高揚してくる。

 12時になった。 ルールの説明を聞く。 実は驚いた。 アマチュアの試合なのに、まるでプロ流。



決戦前 

ランニングシャツにトランクスが普通なのに、上半身裸体でトランクスだけ、ヘッドギアーはつけない。

 グローブも8オンス、小さくて堅い。 しかも、試合時間は3分3ラウンド。 いよいよだ。 ジャージを脱ぎ、

身支度をした。更衣室を借りて素っ裸になり、まずサポーターとカップをつけ、その上にトランクスをはく。

 いつものように深紅の白線入り  相手のシンジは濃紫のトランクス、サイドとウエストには赤色のラインだ。 シューズを履き、



拳にバンテージを巻いた。 会場の隅のベンチに座り出番を待つ。 胃が痛い、心臓も早鐘を打つよう。

 僕は第2試合、第1試合のライトフライが始まった。 出場選手は親友のMくん、同じ17歳の高校生だ。

 相手は社会人の選手、経験豊富な強打者、Mくん勇敢に向かって行ったが、キャリアの差、

体力の差はどうしようもなく、1ラウンド終了間近、連打を顔面に浴びて崩れ、そのままカウントアウト、

よろめきながら唇を噛みしめてリングを降りた。 さあ僕の番だ、「小杉、頼むぞ」

Mくんが苦しそうに声をかける。 僕はグローブの手をあげて応える。 ロープをくぐりコーナーに、

マウスピースを口に含む。選手紹介のコール 「本日の第2試合、赤コーナー中山くんTKジム フライウエイト」

「青コーナー小杉くん国民ジム 同じくフライウエイト」レフェリーが二人を呼び寄せる。 リング中央、

 息づかいを感じるほどに詰め寄って睨み合う。 型どおりの注意、互いにグローブを合わせて試合前の挨拶。

 シンジの脇の下から脇毛が黒く見え、腋臭を感じた。 よく鍛えている、大胸筋が盛り上がり、

二の腕の力こぶもすごい。 圧倒されそうだ。 なにくそ、僕だって運動神経いいんだ、負けるものか。

 彼の左脇腹に傷跡が見える。 僕も左肩にケロイド、以前の死闘の状況が頭をよぎる。 ゴングが鳴った、さあ闘うぞ。

 両者互いにグローブをぐるぐるまわしながら、左回りに相手の隙をうかがう。 バッ、シンジのパンチが飛んできた。

 右ストレートが顎に命中、しかし後が続かない、単発だ。 僕はジャブで応酬、あいつが姿勢を崩す。

 「効いた、効いた」そこへまた右フックを一発。「小杉、効いてるぞ フォロー!」

シンジがマウスピースを剥いてニヤッと笑う。 これ、余裕じゃないんだ、こいつ苦しい筈だ。 



パンチをたたみかけようとした、しかし、右を飛ばしたところに、クロスカウンター、頭がのけぞり、思わずタタラを踏む。

「よーし!」歓声があがった。 必死で苦痛をこらえ、体勢を立て直しグローブを構える。 そこへ容赦のないシンジの攻撃、

ワンツー、スリーフォー! マウスピースが口から飛び出す。 血の混じった唾液がしぶきをあげる。

 夢中でクリンチ、両者組み合ったままでの押し合い。 身体がロープをこすり、特有の音がひびいた。

 「ブレーク!」レフェリーが引き離そうとするが、組み付いたまま、リング内をよろめく。 3分は長い、

もうへたへた。 カーン、ようやくゴング、よたよたとコーナーに戻り倒れ込む。 パッと顔に水が振られ、

足を前に伸ばし、深呼吸、タオルで顔面を拭かれる。 タオルが赤く染まった。 鼻血が出たんだな。

 左目の下が腫れぼったい。 ワセリンが塗りたくられる。 それから、綿棒にワセリンをつけ、鼻腔の中の出血の手当。

 たちまち1分経過、戦闘再開だ。 ゴングと同時にシンジが襲いかかってくる。 中間距離からのストレート攻撃。 何発も食らった。

 血が飛び散り、僕の顔面は真っ赤となった。

 

少年の死闘

「中山、行けー!!」「フィニッシュ!」またクリンチ、

僕の血があいつの胸、そうして肩を赤く染める。 彼も鼻血を吹き、互いに自らの血と相手からの返り血で凄まじい姿となった。

 観客は異常に興奮し、ワッシヨイ、ワッシヨイのかけ声が。 かなりの劣勢だが、どうにか耐えて踏みとどまる。

 いよいよラストラウンド、シンジはグローブを打ち合わせて闘志マンマン。 倒しにかかりそうだ。 「小杉、ラスト3分だけだ。 こらえろよ。 むしゃぶりついていけ!」

「ハ、ハイ」 あいつが突進してくる。 僕も負けずに突撃、バシッ、肉体がぶつかり合い、激しく打ち合う倒すか倒されるか、若い拳が乱れ飛び、「ウグ、ウグ、ウグ・・・・」「あう、あう、あう・・・」

両者の呻き、喘ぎ、「ボ、ボ、ボ・・・プ、プ、プ」グローブが二少年の肉体を痛めつける。 あと1分、

シンジのボディーブローが脇腹にめりこんだ。 「うふー」苦しい、夢中で組み付く。 効いた、上体が前のめりに、

顔面がシンジの胸をこすりながら、鼻血が赤く筋をひいて、僕の身体が沈んでいく。 目の前にあいつのシューズが、

これも血に染まって、シューズの爪先に鼻と口とを押しつけるように、僕はうずくまった。 ボクシングシューズ特有の

蒸れた皮の異臭がちょっと匂った。「ダウン、・・・・ワン、ツー、スリー、フォー・・・・」

グローブを突き立て、上体を起こそうとする。 腰を浮かせたが、横転した。 2回、3回・・・・・意識はあった。 

「小杉、立てーっ ファイト!」しかし、力尽きた。 「ナイン、テン、ノックアウト!」レフェリーが両手を振り、ゴングが連打される。

 終わった、糞、畜生! 僕は力無くキャンバスに横たわり、シンジを見上げる。 あいつは両腕を高くあげてガッツポーズ。

 盛大な拍手が沸き起こった。 セコンドが飛び込んできて敗者の僕を助け起こす。  千鳥足でコーナーに戻り、膝を突いて円椅子を抱きかかえるようにへたり込む。

 うがい用の瓶入りの水が頭から振りかけられ、僕は力無く椅子に座らされた。 首筋がもまれ、氷嚢を頭に押しつけられた。

 瞳孔を調べられ次に腱反射。 マウスピースがもぎ取られ、グローブも外される。 シューズの紐がゆるめられたところで、

シンジがコーナーに寄ってきた。 バンテージを巻いたままの手で肩を軽くたたき、ニッと笑った。 僕は笑いかえし、手を出して握手した。

 急にこみ上げるものがあり、僕は椅子から立ち上がり、シンジと抱き合った。 あいつの汗の匂いと体臭、それに熱い息。



激闘の果て 悔しい敗戦 しかし

 僕らは頬ずりしあった、嗚咽しながら。 終わったんだ。 僕の負けだ。 悔しいけれど、腹立たしくはない。

 周囲から拍手が起きた。 呼吸が整い、整理運動をすませてから、シャワールームに行った。

 血だらけのトランクスを脱ぎ、汗まみれのサポーターもはずして、素っ裸になった。 温水が出る。 気持ちよく浴びていると、

シンジが入ってきた。 あいつも素っ裸だ。 「おい、オマエ大丈夫か?」「ああ、オマエ強いなあ、オレの完全な負けだよ」

「あはは、そうだろ、オマエ練習不足だぜ」「うん、そうなんだ、部活じゃないしね」

「そうだよな、オマエんとこ、公認の部がないもんな とにかく、もっと鍛えろよ」「うん、そうする」「練習、週に何回だい?」「3回」

「そりゃ少ないよ せめて5回はやらないと」「分かっているんだけどね なにしろ、ウチ受験校だから

 なかなか時間が取れなくて」「オマエ、お坊ちゃんだからな」しゃべりながら、シンジの身体をじっくり観察した。

 いい身体してるなあ、それにもう大人の体格じゃないか。 平気でぶらぶらさせている陰部、

黒々ゴワゴワと生えそろった陰毛、そこからはみ出しているたくましいペニス、チクワみたいに太く、色素が赤黒く沈着し、

表皮が剥けてまくれ上がり、亀頭が露出している。   こいつ異性を知っているんじゃないかな。

 僕の陰部はまだまだ、細く小さいし、発毛もたいしたことはない。 温水をかけているうちに、僕は妙な感覚に襲われた。



ラストシーン

 シンジも同じらしい。 「オイ」シンジがいきなり僕の腕をつかんだ。 ぐっと僕の身体をひきよせる。 僕らは、また抱き合った。

 17歳の全裸の少年二人、シャワーは流れっぱなし、「もう終わったんだ、これから、恨みっこ無しだぜ」

「もちろんさ」 なにも変な意味じゃないんだ。こうして生まれた友情、白刃をふりかざしての命のやりとり、そうして、

血しぶきをあげてのボクシングの遺恨試合、その挙げ句の友情だもの、大事にしなきゃ。

 何日か経った後、会長さんが手招きした。 「おい小杉、オマエたちの試合な、知らなかったんだよ。 遺恨試合だとはなあ。

 知っていたらやらせなかったんだが。」「黙っていてすみません、 でも、もういいんっす。 吹っ切れました。

 あいつもオレも、サバサバしています」「そうか、じゃ なにも聞くまい」「・・・・」

「しかし、なんだな。 ありゃあ凄かったな。 滅多にないことだ。 オマエらの年頃で、あれほどやるとはなあ。

 業者間で評判になっているんだよ」 「そうですか?」 「まあ、これからも、しっかりやんな」「ハイ!」

 「それでだな、オマエ、プロになる気はないのか? 新人王狙えるぜ」「でも」「そうだな、オマエはいい家の子で、お坊ちゃんだからな。

 でも、その気になったら、いつでも言ってくれ、応援するよ」驚いちゃった。 嬉しいけど、そうはいかないよ。

(この項終わり)







その3

僕がボクシングにのめりこんで行くのには、もうひとつのきっかけがありました。



 なかよし二人↓チャーリーとフミアキ


あれは僕が高校1年15歳の時、もうじき16歳になろうとする初夏のことです。

僕は突然、決闘を申し込まれた。 挑んできたのは、水泳部のコバヤシ、クラスが

違うからつきあいもないし、何が気に障ったのだろう。 とにかく僕を殴ると

いう。 放課後に裏山に呼び出された。 裏山といっても、小高い山がある

わけじゃなく、校舎は崖の上に建っていて、ダラダラのゆるい崖、下の街まで下りて

行ける。 ところどころ平地や窪みがある。 教師に見つからないから、

たいていここで悪いことをする。 あそこが決闘場、僕はびっくりした。 そうして

怖くなった。 実は僕らのF高校、部活を重視していて、生徒は皆、運動部か

文化部かどちらかに所属していなければならない。 僕は文化部、社研だった。 

部活の費用だけれど、部費だけでは足りないので、補助に頼っている。 父母会

からの援助、生徒会費からの分、学校からは殆ど無い。 毎年補助金の取り合いで

たいてい喧嘩になる。 生徒会はいつも大荒れ、当然のことなのだけれど、

運動部がその大半を使ってしまう。 それが文化部側は不満だった。 僕を含め、

文化部の連中の方が、文章もうまいし、弁もたつ。 言い合いになれば、まあ

たいていは運動部の奴は言い負かされる。 僕の場合もそうだったんだ。 僕の書いた

ある文章が彼の気に障ったんだ。 コバヤシ、あいつは根が単純な奴で、

真っ黒な四角い顔、筋肉質で逞しい。 あいつと闘うなんて。 僕は何年も殴り合いなんてした

ことはないんだ。 そりゃあ中学生のころ、つまり僕がグレてたころ、喧嘩はしたさ。 でもいつも、

ナイフを持ち出しての斬り合い、番長とやったこともある。 だけど、

素手での殴り合いなんか、まるで経験がない。逃げちゃおうかな。 だけど、明日もあるし、それに、

健康な少年としての面子もある。 卑怯なことはしたくない。 僕は覚悟を決め、

裏山へ向かった。 あいつ、先に来て待ちかまえている。 「おい、逃げないで

来たな。感心だ。  なんだよ震えてるじゃないか。 怖いんだろう。

勘弁してやろうか」「やだ!」「へ、いい度胸だな、覚悟しろよ」帽子と鞄を置き、

シャツだけになって、制服を放り投げ、靴も脱いで素足になった。 拳を握りしめ、

睨み合う。 拳の構え方なんて知りゃあしない。 左を伸ばし、右を顎の前に、

いきなりコバヤシのパンチが飛んできた。 ぐあっ・・・のけぞる僕、「ううっ」

必死で苦痛をこらえ、下から突き上げての反撃。 当たった。 あいつがぐらつく。

 しかし、すぐに態勢をたてなおし、ストレートが僕の顔面を襲う。 鼻に命中し、

血がほとばしった。 痛い「糞〜ッ」体当たりを食らわせて、2発、3発 あいつの鼻からも、鮮血が一筋。

 このころになると、騒ぎを聞きつけて、みんな集まってくる。 ニコニコして嬉しそうに「おい喧嘩か?」

「誰がやってるんだよ」「あれ、小杉か」「あいつがやるなんて珍しいな」「小杉頑張れ、

負けるな」「おいコバヤシ、なんで小杉なんかに手こずってるんだよ、

打っ倒してやれ」無責任な歓声と野次・・・・勝負はなかなかつかなかった。 

何遍も倒された。 そのたびにふらふらと起きあがる。 オレ、こんなに耐久力あったのか。

それに闘志も。 予想外の僕の健闘に、はじめ歓声をあげていた連中も次第に

静かになり、押し黙って僕らの死闘を見守るだけ。 体力の違いはどうしようもなく、

僕は徐々に弱っていった。 そうして最後の決着、コバヤシの渾身の

とどめの一撃、大振りのフックが僕の顎に、うわっ〜腰から崩れて地面にへたり込む。

口からは血の混じったよだれが垂れ、そのまま前のめりに、顔から地面に突っ込む。

 しかし、意識はまだあった。 ぐらつきながら、また立ち上がろうとする。 糞〜まだ闘える、

ふらっと敵に突進しようとする僕、そこで抱き留められた。 他の奴が彼を羽交い締めにする。

 「おい、もうやめろ」「血だらけじゃないか、二人ともよくやったよ」「小杉、オマエの負けだよ」

「はなせ〜」「もう駄目だったら、死んじまうぞ」誰かがコバヤシの手を挙げた。 

それを下から口惜しそうに見上げる僕。苦しそうに息をはずませながら、「オレ負けたけど、

あやまらないぞ!」あいつが苦笑して「いいよ、分かったよ、オマエ根性あるなあ。

 オレ見直したよ。 悪かったな、仲直りしようや」二人は握手した。 拍手が起こった。

 二人は抱き合うようにして水場に行き、顔を洗った。 土だらけのズボンをはたき、

血だらけのシャツはそのまま、上着を着て靴を履き、校門を出た。 池袋から電車で目白まで。

 1駅だけだけれど、ぼくの顔の傷に注がれる乗客の好奇な視線。 いやだなあ。 

知らないオジサンが声をかけてきて、「キミどうしたの? すごい傷じゃないか」

「何でもないんです、ただの喧嘩です」「うーん喧嘩か、エライ!

男の子はそうじゃなきゃいかん」このオジサン酔っぱらってるんだ。家に帰るとママが悲鳴をあげた。

 「まあ、チャーリーどうしたの、何があったの?」「うん、喧嘩しちゃった」「この子ったら、

どうして男の子はこうなんでしょう」「外科のシマムラ先生に行ってらっしゃい。」

「やだよ、みっともない、だいじょぶだよ」それ以上は言わなかった。 次の日、朝起きると、

顔がやけに腫れぼったい。 洗面所で鏡を見る。 こりゃ酷いや。 眼の下は青黒く腫れあがり、

上唇は赤くまくれ上がっている。 眼帯で眼の傷を隠し、唇と鼻柱には絆創膏を貼って、勇ましいというか、痛々しいというか。

 居候ボクサーのヨコヤマさんが、「坊ちゃん、どうしました? うーん、よしオレが手当をしてやるよ。」

眼帯をはずされて、腫れた所に卵の白身を塗りつけ、その上から卵の殻を貼り付け、そうして再び眼帯で押さえた。

 パパが「ヨコヤマくん、それで直るのかね」「ハイ、ボクサーは皆こうします。1日で直りますよ」

「しかし、何だな、もっと喧嘩の仕方をしこまなくちゃな」ママが「ヨコヤマさん!!」

「いやそうでした、スミマセン」 手当をしてもらっているあいだ、僕はヨコヤマさんに聞いた。

 「ねえ、僕でもボクシングやれる?」「お、チャーくんやりたいのか。 よし、教えてやるよ」

 登校して教室に入ると、「小杉〜かっこいいぞ!」「オマエが決闘であそこまでやるとはなあ」

「るっせー、ただの喧嘩だよ」昼休みに職員室に呼び出された。 あいつも同様だ。 二人並んでお説教を聞く。

「オマエたち、何をやったんだ、顔に傷までこしらえて、ウチは不良学校じゃないんだぞ」

「オ、オレたち、真っ当な果たし合いです。卑怯なことはしてません」「僕も同様です、正々堂々とやって

負けたけれど、後悔はしていません」「まあオマエたち、真面目な生徒だからな。

 それで仲直りしたのか」「ハイ」「じゃあ、まあよし、もう二度とするなよ」

無罪放免で職員室を出た。 出たところで、コバヤシの奴、拳でぐっと僕の脇腹を押し、ニヤッとウインクした。 僕は笑い返した。

初めての喧嘩の殴り合い、すごく痛かったし、とにかくTKOなんだから。 

だけど、悪い思い出じゃない。 それに、この事が僕にとっての一つの転機になったんだ。

 実はそれまでの僕、体育にはあまり身を入れなかった。 サボッてばかりいた。 僕は足がおそい。

 フットワークに難点がある。 それで、あまり楽しくもないし、体育は適当にお茶を濁していたんだ。

 愉快さが分かっていなかったんだね。 ところが、偶然みたいな事だけれど、

コバヤシとの殴り合いで、僕は肉体のぶつかり合いの快感を知ってしまった。 やってみりゃあなんてこたあない。

 スポーツの一面、汗を流し、息をはずませ、身体を痛めつける。 この快感と満足感、たまらないよ。

 それに、血を流しながらの殴り合い。 鼻を覆い、口から吹き出す血潮、自分も流し、相手にも出血させる、

思っただけでもわくわくする。 体育実技も積極的に参加するようになった。 昔から蹴球が盛んだ。

 よし、蹴球やってやろう。 ママにねだってジャージを買ってもらい、短パンとシューズも揃えた。

 パンツの下にスパッツを履き、ストッキングとシューズ。 皆が呆れて「おい小杉、態度変えたな」

「うん、よろしくね」 中学からやっている本職の部員には

到底敵わないけれど、正課の体育実技には皆の後ろからボールを蹴り廻った。 珍しがって皆親切に教えてくれる。

 「つま先で蹴っちゃだめだよ、ちょっと足を上げて指の付け根を使うんだ」「サイドにはね、足の横を使って」

「ヘディングの時はね、上から落ちて来るボールを見ながら、

見てないとボールが脳天に当たって危ないぜ」だんだん旨くなってきた。 こうなると連中容赦しない。

 裏ワザを使ってくる。 体当たりに足払い、反則なんだけれど、これをチョコッとやらかす。

 こんなにタチの悪い奴らとは知らなかった。 卑怯だぞ、何がスポーツマンシップだよ。

 もっと酷いのは、ファウルを装って、脛や腹を蹴り上げる。そうして「ゴメンネ」 やられるともの凄く痛く苦しい。

 それから、これとは逆に、蹴られた時には、大げさに倒れて七転八倒、地面にうずくまったりして。 演技みたいだな。

 まあそういうわけだけれども、これも経験だった。 体当たりで倒されて、その上に堅い大きい体がのしかかってくる。 

押しつぶされて汗臭いジャージの匂いやあいつの腋臭、それに、パンツ越しの股の異臭、十分に嗅がされた。

 腹がたったけれど、だんだん、ああした匂い、それに肉体への痛み、いい気持になった。

 怪我も随分した。 転んで膝を擦りむく、赤く血が滲む。 一度は肘を骨折した。

 だけど、やめる気はなかった。 徐徐に体力がついて来るのが自分でも分かる。 

入浴の時、裸で鏡の前に立ち、身体を調べてみる。 まだまだだなあ。 

三角筋は発達してきたけれど、大胸筋はまだ、それに腹筋が全然駄目だ。 腋毛が黒くはみ出している。

 腋に鼻を近づけてみた。 甘酸っぱいような若い僕の体臭、それに汗の匂い、もう若者の身体なんだ。

素っ裸の僕を自分で撫でまわした。 ついでに下腹部をまさぐる。 しなやかな白い肌、黒々と生えそろった陰毛。オレってナルシストの変態かなあ。

 でも、オレ可愛いな。 美人芸者の息子、やはり美少年なんだ。 小ぶりの格好いい鼻、

このあいだはここから血が噴き出して。 汚れを知らない唇、これもあの時は無惨に腫れあがったっけ。

 でも、もう大丈夫だ。 僕の妄想はどんどん膨れていった。 美少年ボクサーの血しぶきをあげての凄まじい死闘。

 ああボクシングやりたいな。 個人格闘技の世界はもうすぐそこだった。



その4

この時の僕 ロープぎわに追いつめられ 相手選手の猛攻連打の前に
 為す術無くグロッキー 苦痛をこらえながらの惨めなスタンディングダウン
 顔を腫らし鼻血にまみれて ぐらつきながら 半ば失神状態で棒立ち

ついに力尽きてうずくまるように沈む、もう立てない


 僕の初試合は高校2年の秋、アマチュア選手権の東京都予選、会場は

当時小石川の理工学部キャンパスにあった中央大学ボクシング部の

合宿兼道場、狭くて薄暗く晴の舞台とは到底言える所じゃなかった。

 予算不足らしく、こんな会場しか使えない。 観客席も用意できなくて、

窓越しに皆外からのぞいている。 たかが僕の試合だもの、仕方がないよ。 

初陣だけど、何しろ急ごしらえの選手なんだから、用具も服装も揃っていない。 僕は

まだ練習着しか持っていなかった。 高校生部員なら、校名入りのユニフォームが

着れるのだけれど、部員じゃないから、自前のを探さなければならない。 

ジムの練習生で僕と体つきが同じ子のを借りた。 緋色の上下、白い線が

ウエストとサイドに入っている。 すごく派手だなあ。 これで弱かったらみっともない。

 道場の隅で、素っ裸になって、まずサポーターを着ける。サポーターは

ヨコヤマさんのお古を貰った。 いまはそうでもないけど、前はすごく高かった。 

高校生なんかにはなかなか手が出ず皆で使いまわすことが多かったんだ。 他人

の陰部に当てたものを、また使うのは、あまり気持ちのいいものじゃない。 

僕のは前から貰ってあって、きれいに洗ってある。 新品のサポーターは糊がき

いていて、ペニスにじかに当たると堅くて痛い。 僕のように洗いざらしだと、

柔らかくしっくり股間にきまる。 サイズが合わなかった。 ヨコヤマさんは

ウエルター級、僕はフライ級。 ゆるゆるだ。 効かないし、カップを入れた時

ずれないかなあ。 カップに布をぐるぐる巻いて調節した。 サポーターも、

肌に直接ではなく、ランニングシャツの裾で下腹部を包み、その上からサポーターをはく。

 これで大丈夫だ。 ユニフォームは派手な色だけれど、洗濯してないと

見えて、かなり汗臭かった。 いやだなあ、だけど、かえって持ち主の先輩少年の

強い体臭につつまれて、ボクサーらしい気分になってくる。 ハイソックスを

履き、次はリングシューズ。 僕は持っていない。 これもヨコヤマさんが、

「オレのを使えよ」と言ってくれたけど、いくら何でも大きすぎる。 

仕方なく、新調した。 すごく高い。 合成皮革の白っぽい練習用シューズ。 

実は、僕は練習用には白のバスケシューズを使っていた。 ルール上は問題はない。

 踵の無い平底なら、ランニングシューズでも、室内履きでもかまわない。 ただ、

バスケシューズは底に滑り止めの加工がしてあるから、ボクシングのフットワークにはちょっと不便だ。

 それに試合では、初心者ぽくって体裁が悪い。 だから、無理して買ったんだ。 もちろんオネダリだけれどね。

 ボクシングシューズは、プロ選手なら本皮の上等なものだけれど、僕らでは、合成皮革かナイロンメッシュ製、

通気性が悪くて蒸れやすい。 すぐに中のソックスや足が臭くなってくる。 水虫にもなりやすい。最後に

両手にバンテージを巻き、これで準備完了。 スポーツタオルを肩にかけ、ベンチに

座って出番を待つ。 胃が痛い。 心臓の鼓動も早鐘のよう、逃げ出したく

なった。 役員がグローブを持って来る。 グローブを嵌め、紐で縛り、その上から

ビニールテープを巻き付ける。 「次、小杉くん」呼び出された、さあいよいよだ。

 ステップを上がり、ロープをくぐってリングの中に入る。 円椅子に

座らせられ、ビール瓶に入った水でうがい、バケツに吐き出す。 水で濡らされた

マウスピースが口に押し込まれる。 向こうのコーナーの相手選手が見えた。 

僕と同じ少年選手、あれ随分ちっちゃいな。 ほんとにフライ級かな。 

顔色は浅黒く、眼が大きい。 まだ、あどけなさを残した顔つきだ。 15くらいかな。

 空色の上下に本式に紺色の試合用ボクシングシューズ、グローブを打ち合わせ

て闘志満々だ。 レフェリーに呼ばれてリング中央で向き合う。 グローブを

合わせて挨拶、コーナーにもどって睨み合う。 ゴングが鳴った。 さあ行くぞ、

顔を引き締めリング中央に飛び出し、グローブを回しながら隙をうかがう。

 少年ボクサー同士の一騎打ち, 若い肉体の激突する肉弾戦だ。 敵のあいつ、

低い姿勢からジャブを2,3発、僕の顔面へ。 当たらない。 僕もジャブで応戦、さらに

フックを何発か。 あいつもやはりフック攻撃。 両者の殴り合い。 打ち合いは

スパーリングで何回も経験している。 顔面にもボディーにも、だけど、

さすがに実戦だ、パンチはずっと強い。 ばしっばしっ・・・ぽ、ぽ、ぽ・・・グローブが

肉体に当たる鈍い特有の音、痛い・・・だけど耐えられないほどじゃない。 苦痛を

こらえて打ち合う。 プロボクサーなら、いろいろと秘術を尽くして有効打を





血まみれの接近戦 凄まじい敵の連打に耐えて

繰り出すのだけれど、僕ら少年ボクサーじゃあ、特に僕みたいな未熟者では、

いいパンチはなかなか出せない。 ただがむしゃらにグローブを振り回すだけ。 夢中で

フックを横殴りに、左右のほっぺた、それに頬骨に打撃が集中する。 打撃がそれて

鼻をかすめると、鮮紅色の鼻血がほとばしる。 鼻中隔の粘膜に血管が集中しているから、

ここから出血しやすい。 セコンドの処置も、ワセリンを塗った綿棒を突っ込んで

ここの傷口の手当をするんだ。 僕はしょっちゅうやられた。 少年選手は鼻血を出しやすい。 

練習や試合を重ねると出なくなるけど、それでも、強打の連続でプロや大学生選手でも出血することがある。

 ただ、衝撃で鼻腔内の粘膜から流れ出す、粘りけのある漿液と混じって、ねっとりと

鼻のまわりを覆い、色も黄色みがかってくる。連続パンチでガンガン

やられてくらっとする。 しかし、倒れることはない。 パンチがテンプルに入ると、

これは効く、衝撃が小脳や間脳に達すると、運動神経がやられて、

足が痺れ、意識が薄れて上体が前のめりに、ノックダウンだ。

 でもなかなかそうはいかない。 ストレートやアッパーがジョーやチンに命中すればやはり

同じ様に倒せるけれど、僕らでは難しい。 ボディーブローはなおさらのことだ。 

高校生を含め、ボディーブローが正確に打てる少年ボクサーはまあいない。 

脇腹からレバーやキドニー、真っ向からストマック、命中すれば、一発で相手を沈められる。

 そうでなくても、確実にに弱らせられるんだ。 だけどね、そう簡単にはいかないよ。 

向こうだって動いているのだから。 今日の相手は小柄だから、僕は上から打ち下ろすようにパンチを浴びせる。

 あいつは潜り込むようにして接近してくる。 「うぐ、うぐ、く、く」「ふう、ふう・・・うぉ、うぉ」

互いにあえぎ、呻きながらの組み討ちクリンチワーク。 あいつの汗に濡れたマシュルームカットの頭が僕の

顔の下に。 汗の匂いがむっと上がってくる。 小麦色の清冽な肌、青臭い若い体臭。 

あと30! 声がかかる。 ながいながい時間経過。 両者ロープにもたれかかりながらの必死の攻防だ。 ゴングが鳴った。

 セコンドが飛び込んで来て、懸命の手当とアドバイス。 「小杉、いいぞ」「はあ・・・はあ・・・・」

「コーチ、ボクもう駄目です」「何いうんだ、初陣だろ、すごい大健闘だよ」「相手の方がキャリアがありそうだ、

落ち着いて行け」「ハ、ハイ」第2ラウンド、僕のラッキーパンチが当たった。 

突進してくる敵の左のジョーめがけて右ストレート、カウンターになった。 相手はグラッと腰を落とす。

ガタン、大きな音がした。 やったと思った、だけど、あいつ歯を食いしばって跳ね起きてくる。

 レフェリーのカウント、・・・6,7,8・・・ 戦闘再開、反撃する彼がすごい形相で

マウスピースを白くむき出しながら殴りかかってくる。大振りの左、ジョーをしゃくられた。 バランスを崩し、

横倒しに。 半身がロープの外にまで吹っ飛ばされた。 しまった、歓声があがり、あいつはガッツポーズ。

 糞〜 必死で態勢を立て直そうとふらつきながらのファイティングポーズ、

スタンディングダウンの8カウント、たたみかけてくるあいつの強打、ビシビシとパンチが

顔面を襲い、鼻血が吹き出す。 形勢逆転だ。 血が足下に落ち、白っぽいリングシューズを

朱に染める。 激しい出血、鼻の下には血糊が溜まって呼吸が出来ない。 無意識で鼻をグローブで押さえ、

ふっと手鼻をかむ。 血の混じった青洟の固まりがキャンバスに飛ぶ。 観客から失笑が起き、

レフェリーが注意。 容赦ないあいつの連打、 たまらず僕は膝をついて2度目のダウン、どうにか立ち上がるが、目の前は真っ白、

意識が朦朧としてくる。 ロープに追いつめられた。 さらに打たれる。血にまみれて

棒立ちになったところに相手の猛攻。 フックの連打、頭が左右に揺れ、僕はグロッキー、


チャーリー対フミアキの死闘
飛び散る血と汗 一打必倒
右フックの強打が顔面をヒット
たまらず のけぞる僕



打撃に耐えきれず、ちょっと失禁しちゃった。 

つまり、チビッたんだ。 セコンドがタオルを投げ込んだ。

 僕はそのままギブアップ、棄権負け。 相手の少年が躍り上がり、

僕はセコンドに支えられながら、千鳥足でコーナーへ。

 頭から水をかけられ、濡れタオルで顔を拭かれる。

 タオルが真っ赤になった。 血と唾液まみれの

マウスピースがもぎ取られ、グローブも

はずされ、シューズの紐がゆるめられる。 

氷嚢を頭に押し当てながら、リングを降りた。 

足がもつれ、ステップを滑り落ちてしまった。

みなニコニコして 「小杉くん、ご苦労さん、よくやった」涙があふれてくる。

タオルに顔を押しあて泣く僕。「駄目だあ、負けちゃったあ」口惜しい、

年下のあんなチビに倒されるなんて。 

「いいんだよ、よくやったって、あいつが強すぎたんだよ、ナイスファイトだぜ」タオルで鼻を押さえながら、

ヨコヤマさんの肩につかまって立つ。 しゃがみ込みたい。 黒く染みの出たトランクスが引き下ろされる。 

尿臭がプーンとあがってくる。 「ははは、お漏らしか。 初めのうちは皆そうだよ。 

まあ気にするな」「おい、よく股洗っておけよ、小便臭いぞ」サポーターも、サポーターで

押さえたランニングシャツの裾も、チビったオシッコでグチャグチャ、湿っぽくなった

カップをはずされ、ここでようやくベンチに腰をおろし回復を待つ。

 鼻血も止まり、呼吸が整ってから、 タオルと着替えを持って別棟のシャワー室へ行った。

彼の傍を通り過ぎた。 あの子はトランクスだけ脱ぎ捨て、サポーター姿のまま整理運動をしている。



汗ばんではいるけれど、 僕と違って乾いた股間、腰がキュっと締まり、

爽やかな少年の下半身、畜生!オレこいつにかなわないみたいだな

裸になってシャワーを浴びた。 血と汗でベトベトになった髪を洗っていると、あの子が入って来た。

 思わず、ちょっと構えた。 彼も素っ裸だ。 「あ、さっきは有り難うございました、キミ大丈夫?」

女の子みたいに細い声だ。 「ああ、どうも、ね、キミ強いなあ。 ボク到底敵わないよ」



「そんなことないけど、今日の試合がはじめてなんじゃない?」「うん」「オレ3度目だから」

「キミいくつ?」「オレ16,キミ17歳でしょ」「そう、高2」「ね、キミ鼻弱いんだね」あれ、

随分馴れ馴れしい奴だなあ。チビッたこと言われたらどうしよう。「うん、鼻血出しやすいんだ」

「オレも前は随分出したけど、このごろは出なくなった」 傷ひとつ無いきれいな顔だ。

 小振りの格好いい鼻、小鼻は薄く、ぴらぴらと柔らかそう。 打たれ強くなってるな。

 ボクサーは顔を打たれると、鼻の軟骨が砕けてグニャグニャになる。 上から押すと

ぺしゃんこになるくらいだ。 僕だって大分危ない。 並んでシャワーを浴びながら、

彼の身体を観察する。 よく鍛えてるなあ、ユニフォームを着ている時にはわからなかったけど、

小麦色の逞しい肉体、胸の大胸筋が盛り上がり、腰は締まって、よく発達した腹筋が格好いい。

 局所のペニスはまだ可愛く、黒い茂みもまだまだだけれどね。 こりゃあ敵わないや。

 僕の方が背が高いけれど、胸板の薄いやせっぽち、上腕の二頭筋もたいして盛り上がらない。

こいつ顔もきれいだ、傷痕も無いし、肌もツルツル、薄髭なんて生えてない。

 僕は口のまわりに産毛がもしゃもしゃだけど。 脇毛もまだ生えてないんだな、子供だなあ、

僕はすでに脇の下に黒々と萌え出している。 こいつ子供っぽいけど実力は凄いや。 身体を拭いて、

制服に着替えた。 彼は私服で、スポーツシャツの上にスタジャンを羽織っている。

 「あ、F高なんだ。 すごいなあ、秀才なんだなあ」苦笑するほかなかった。

F高だってね、いろいろあるのさ。 オレそんなに出来ない方じゃないけど、とにかく

操行不良だしね。「オレ、都立の日本橋、定時制」「じゃ、昼間働いているの?」

「ウチ、ラーメン屋なの。 昼間は店の手伝いして、夕方から学校とジム」「偉いなあ、オレなんか遊んでいるだけだもん」

いつのまにか、僕から俺に変わっちゃった。「だけど、結構忙しいよ。 食器洗ったり、お給仕したり、会計やったり。

そうだ、 今度ウチに食べに来ない?。 サービスするからさ」 「そうだね」飲食店の子のせいだろう。

あどけない風貌に似合わず、如才なく、感じがいい。 話がはずんでいると、会長さんが通りかかり、

「お、仲良くしゃべってるな。気が合いそうじゃないか」よく言うよ。

オレめちゃめちゃにやられちゃったんだぜ。「クラブどこ?」「鶯谷の日東拳」

「わあ すごいなあ 益戸会長のとこだろ? おっかないんだって?」「うん、すごく怖い、だけどいい人だよ」

「オレ国民だけど、そんなことないなあ」こいつ、いい奴らしいな。メタメタにやられたけれど、

仲良くなれそうな気がした。





その5

彼と仲良くなったのは自然だった。 といっても、家も学校も互いに離れて

いるから、それに、全日制と定時制、通学時間も違う、あまり行き来は出来ず、まあ

だいたいは試合会場で会うぐらい、でも、彼のお店へ遊びに行ったことはある。

 場所は浅草橋、チャンピオンというラーメン屋さん。 問屋街の中で、

随分繁盛しているみたい。 彼、フミアキくんというんだ。 じきに、フミくん、

チャーくんと呼び合うようになった。 それに、オレ、オマエ。 店名入りの赤いTシャツを着て、

甲斐甲斐しく働いている。 ちゃんと代金を取ってくれるから、かえって行きやすい。 

店主のお父さんは、元プロボクサーだったらしい。 「父ちゃん、友達の小杉くん、

この間試合やったんだ、オレ勝ったんだぜ」 「やあ兄ちゃん、うちの坊主の

友達かい。 こいつ、あまり人付き合いがよくなくてね、ゆっくりしてってよ。」

きさくなオジサンだ。  下町の家庭に出入りするのは初めてだった。 ラーメン屋さんの調理場をのぞくのは

面白かった。 彼、サービスだけじゃなく、調理も手伝っている。 そうか、ラーメンってこうやって作るのか。

野菜切るのうまいなあ。へえ、ネギやタマネギこうするときれいにこまかくきれるんだ。

 フミアキくんの日常も新鮮な驚きだった。 ある時、京橋公会堂でのプロボクシングを観戦した帰り、彼に誘われて、

僕はもんじゃ焼きをはじめて食べた。 驚いちゃった。 だけど、フミアキくんはもっと驚いたらしい。

 僕がもんじゃ焼きを知らなかったんで。 彼もオジさんも、僕みたいな山の手の少年の生態には興味があったらしい。

僕は逆に下町に憧れがあったんだ。 前にも言ったけど、僕、初めから山の手族なのではない。

 僕が生まれた時、麻布の町はずれ、暗いジメっとした寂しい家で物心がついたんだ。 僕は生い立ちが複雑だって言ったでしょ。

 一応住宅地だけれど、すぐそばは職人さんの地域、頭は角刈り、肌にはイレズミ、

ダボシャツに腹巻き姿でみんな歩いている。 だから、そんなに違和感はないんだ。

 こうして何ヶ月かが経過した。 下町っ子に友達がいる進学校のお坊ちゃんボクサーの毎日。

彼とグローブを合わせたのは、あの時だけだった。もう一度やって、

今度こそ勝ちたかったんだけどな。 でも、別々の相手だけれど、

もう1回、試合の機会があった。 年が明けてから、早春のクラブ対抗、

各ジムの会長さんが相談して、費用を出し合い、アマチュア連盟と交渉しての新企画、お金があるから、

会場も後楽園ホールが使える。 フミアキくんの日東拳も、僕らの国民体育も参加したんだ。

面白い企画だったのだけれど、長続きしなかった。 たった1年だけで終わってしまった。 理由はいろいろあったらしい。

 先ずお金の問題。 全額ジム側の負担で、連盟は何の援助もしなかったらしい。 ある会長さん、

「二度とやりたくない」って怒鳴ったそうだ。それに、プロとアマの考え方の違い。 大体ルールが違うのに

誰も注意を払わなかったんだ。 アマチュアボクシングのルール、何遍も改訂されている。 理由もはっきりしない事も多いので、

なかなか浸透しない。 アマの試合では、ランニングシャツを着ることになっているけれど、

プロのように上半身裸体でトランクスだけでいいと思っていた会長さんもいたくらいだ。

 それから、これは今でもそうだけれど、プロ選手は試合前に髭を剃らず、試合中もそのままの事が多い。

 カミソリが当たると、どうしても皮膚に小さな傷が出来る。 ここを打たれると負傷する率が高くなるからだろう。

 以前はアマチュアでもそうで、高校生でも口のまわりは薄髭がぼうぼう、かなりむさい感じです。 実は僕もそうでした。

 でも、現今のルールでは顎髭、無精髭は禁止、だから高校生選手は試合当日、顔をきれいに剃って、

少年らしい若々しい風貌でリングに上がっている。 ユニフォームも、以前のルールでは白色禁止、上下白色で現れて、

咄嗟の役員の判断で、トランクスだけ誰かが脱いで貸してやったなんて椿事もある。 理由は多分、

出血してユニフォームを汚すのを嫌ったから。 だけど、黄色や空色、グレーなどは認められていたようだ。

 同じようなことになるんですけれどね。 最近は廃部になったらしいけれど、例えば、中大杉並のユニフォームはグレーだった。

 ある時の高校選手権、かなり可愛い端正な女顔の少年だったが、健闘むなしく判定負け、

かなり出血して顔面も、ユニフォームも血に染まったのを見た記憶があります。 このルール今は無い。

 先日のインターハイを観戦したけれど、かなりの数の高校が白色のユニフォームを使っていました。

 さて、クラブ対抗が続かなかった一番の理由は、ジム相互のレベルがかんりバラツイていて、

本当の対抗にならなかった為じゃないか。 それから、ジムの練習生の実力にも相当格差があった筈です。

 僕やフミアキくんのような未熟な少年もいれば、プロ選手のスパーリング相手となるような強豪もいる。

 つまりマッチメーキングが難しいわけ。 壮絶なノックアウトになって失神し、そのまま担架で退場なんてシーンもあったっけ。

 そうはいうものの、後で後悔するのだけれど、初めのうちはみんな乗り気でした。ジム名の入ったユニフォームを新調し、

試合前には皆で円陣を組んでファイトのエール、応援旗まで作っちゃって。まるで高校の対校試合みたい。

 僕らのは、紺色のシャツに白地でKOKUMINのロゴ、トランクスも白のウエストラインとサイドライン、

金かかったなあ。 組み合わせの都合で、フミアキくんとは対戦しませんでした。 ほんとうは雪辱の一戦やりたかったんだ。

 でも、返り討ちにあったかもしれないな。 とにかく彼は強い、それに凄まじい闘志、

彼の所属する日東拳の伝統で、どんなに痛めつけられても、タオルは投げられない。 

倒れるまで闘わせる。 降参なんかしないんだ。 とりわけすごかったのは、ランク入りもしていたプロボクサー、ライト級のコサカ選手。

 とにかくリング内で一歩も退かない。 魚河岸の出身だそうで、髪を刈り上げにして、

見るからに魚屋さんといった風貌、築地の仲買さん達が贔屓にしていた。 リングに上がると、

グローブを胸の前にかまえ、頭をややうつむき加減、前進また前進、フットワークなんか

何も無し、ただ歩いているみたいで、打たれても打たれても血まみれで出て行くファイターだった。

 倒れたことなんか無かったんじゃないかな。 リングを降りると、ファイターの

感じは影をひそめ、顔には微笑を浮かべ、温厚そうな人だった。 僕がついていたヨコヤマさんとは

大違いだった。 彼は死んじゃったし、もう時効だろうから

言いますがね、ヨコヤマさんにはひとつ悪いところがあった。 すぐに試合を投げちゃう。

 面倒くさくなると、わざとダウンして負けてしまいます。 それがまた、うまいんで、一度に寝てしまうと

バレるから、何度か立ち上がる。 そりゃあ何も打撃を受けてないのだから、平気で立てるわけ。

 並のお客さんはだまされて、立ち上がるたびに拍手喝采、「ガンバレ〜」なんて。 

僕はひそかに嘲笑していました。 とにかくインチキなんで、立つ時もわざとよろめいたりして、

それから負けて(?)控え室に戻ると、傷なんか無いのに、目尻に絆創膏を貼ったりしていた。

 僕なんかが手伝うわけです。 こういう人についていたんだから、僕が大成するわけないでしょ。

当然だけれど、所属ジムの会長さんも知っていた。 困ったもんです。 益戸会長だったら、

たちまち破門なんだろうけれど、ウチの中村会長は出来た(?)人で、とうにあきらめていたみたい。

それで試合だけれども、実は二人とも負けちゃった。 しかも、なかよくノックアウト負け。

 対戦相手と実力に差がありすぎたんだ。 まず僕の方、1回も持たなかった。 試合開始から2分ほど経ったころ、

相手選手のアッパー気味のストレートが目前に。 チンに命中してそのまま仰向けに倒れ、

後頭部をキャンバスにぶっつけて大の字になったらしい。 完全ノックアウトです。 意識は無かった。 気がつくと、

僕はリングから担ぎ出され、まるめたタオルを枕にして、床に寝かされていた。 口からマウスピースがもぎ取られ、

トランクスの中にコーチが手を入れてファウルカップを引きづり出す。 

グローブがはずされ、シューズの紐がゆるめられる。ノックアウトされると、

フアーッとして気持ちがいいもんだとよく言うけれど、実は何にもわからなかったんだ。

 暗いもやが少しづつ晴れて、大勢の顔が覗き込んでいる。

 フミアキくんも心配そうな顔をして。 起きあがろうとしたけど、「あ、動いちゃいかん、寝たままでいろ」白衣を着た

リングドクターがペンライトで僕の瞳孔を照らす。 「キミ、この指何本に見える?」

「さ、三本」「うん、じゃ、私の指を見て」ドクターの指が左右に動き、それを追う僕の目。

「大丈夫だな、じゃ起きあがって」抱き起こされて両手を前に出し、指を1本づつ動かす。 それから首筋を調べられ、

最後に腱反射。「だいぶやられたね。よく頑張った。入院する必要はない、3日間休みなさい」

「あ、それから、向こう3ヶ月試合禁止だよ、練習もだ」汗まみれのユニフォームのままで、

大きいスポーツタオルを羽織り、氷嚢を頭にあてて、ヨコヤマさんが付き添ってタクシーで家に帰った。 

用具や着替えをつめこんだボストンバッグを仲間の練習生が抱えている。 ママは驚き取り乱した。

パパはヨコヤマさんをこっぴどく叱りつけた。 ヨコヤマさんは、

大きな体を縮め一言もない。 すぐに寝室に連れ込まれ、ユニフォームやサポーター、

それにソックスを脱がされ、全裸になって熱い蒸しタオルで全身を拭かれる。 

僕は17歳、もう成長した身体だ。 両親にだって裸を、特に下半身を見せたことないのにさ。

 パジャマに着替え、ベッドに寝かされた。 そのまま眠りにつく。 夜中に眼が醒めた。

 すごい頭痛、吐き気もする。 ノックアウトの後、苦しくなるってこの事だな。 「うう〜、うう〜」苦しい、

暗闇の中で僕はうめき声をあげた。 眠ったのか、気を失ったのか、次に気が付いたのは朝だった。 

よろめきながらトイレに行った。 オシッコがいやに黄色かった。 食欲は全然無い。 

オカユを食べて、またベッドに入る。 まだ頭痛は続いている。 大丈夫だとは思ったけれど、

学校を3日休んだ。 理由は嘘をついたんだ。 だって学校にボクシングのことバレルとまずいからね。 

幸い傷は負っていない。 鼻血も出さなかった。 凄まじい打倒負けだったけれど、パンチが正確で、急所を強襲したんだな。

 フミアキ君の試合は1週間後だった。 場所は同じボクシングホール。 相手クラブは帝拳ジム、

人材豊富で強豪揃い、優勝候補の筆頭だ。 第1試合、フライ級。 相手は逞しい身体をした青年、

フミアキくんもよく鍛えたいい身体をしているけれど、こいつに比べたら、ただの子供だ。 でも、

フミアキくん勇敢に向かっていく。 しかし、実力は段違い、ワンツーの連打でたちまちぐらつく。

 そうして右ストレートをジョーに受け無念のダウン。 よろめきながら立ち上がり、さらにむしゃぶりついていく。

 すごいファイトだ。 この回に2度、そうして次の2ラウンドにも2度、合計手痛いダウンを4度、

鼻からも一筋の血潮が、しかし、彼ひるまない。 倒されても倒されても、ふらふらと幽鬼のように立ち上がってくる。

 有名な日東拳の、倒れてのち止むの敢闘精神そのままの少年ボクサー魂の発露だ。 彼がこんな根性持ちとは知らなかった。

 立ち上がるたびに観客からの惜しみない拍手。 「坊やがんばれ!」 しかし、ついに最後が来た。 左脇腹へのフックの強襲、

レバーに突き刺さった。 フミアキくんは横倒しに倒れ、苦悶してキャンバス上をのたうちまわる。

 白目を剥いて口からはマウスピースを吐いて。 立ち上がろうと、四つんばいになるが、力尽きて崩れ、

そのままカウントアウト、もうピクリとも動けない。 レフェリーが勝者の手をあげ、

 担架を呼んだ。 担ぎ出されるフミアキくん。  観衆から大きな拍手が湧いた。 

壮絶な打倒シーンだったけれど、大丈夫だったらしい。 救急車に乗せられることはなかった。 でもすぐに家に帰って行った。

 2日後、心配になったので、彼の家に行ってみた。 店の二階が住居になっている。 「オジさん、フミくんどうですか?」

「おお、見舞いかい?坊主は二階で寝ているよ」二階の彼の自室にあげてもらった。 彼の部屋に入るの、

これが初めてだ。四畳半の畳敷き、布団を敷いて寝ている。 顔は無惨に腫れ上がり、

可愛いお口も赤黒く変形している。 坊や顔に似ず、一人前に男臭さが部屋に満ちている。

 試合以来入浴してないんだな。 彼の家浴室が無くて銭湯の筈だ。 下町では普通のことだ。

 寝間着からは逞しい小麦色の肉体がのぞく。 下履きは柄物のボクサーパンツ。 僕とは随分違うなあ。

 僕はベッドだし、着ているのはパジャマだし、下履きも色物のスキャンティー、 赤とか紫とか、好みなんだよね。 「おい、大丈夫か?」

「ああ、有り難う、もう平気だよ」「こんなにやられちゃって、頑張り過ぎだよ。 なんで、立っちゃったんだよ」

彼むっとしたみたいで、「試合が捨てられるかよ。オレたち、ボクサーだろ。 倒れ伏すまでやるのが・・・・」

しまった、怒らせちゃった。 慌てて話題を変えた。 部屋を見回した。 座り机に本箱。 簿記の教科書とか商業数学、

商店経営、食品学総論 等々 随分違うんだなあ。 珠算検定一級の免状が壁に掛かっている。 あ、ソロバンも出来るんだ。

 「ね、これからもボクシング続ける?」「うーん、そうだなあ、オレはやる気なんだけど、父ちゃんがね」

「止めろって?」「ああ、父ちゃんボクサーあがりだろ、だかろノックアウトのこと、よく判ってて、

ダメージ心配しているんだ」「オレもなんだ」実は昨日リングドクターの先生に呼び出された。 駿河台の日大病院、

いつもはここの先生なんだ。 学生時代にはボクシング部員だったらしい。 いろいろ検査をされて、

「えーっと、秋に棄権負けで今度はKOか、秋の試合ではダウンしたかい?」「ハイ、二度です。

 それから三度目にロープダウン寸前になって、そこでタオルでした」「なるほどね、それじゃ実質TKOだな、

あのね、くやしいだろうけれど、キミもう無理だよ」「半年にノックアウト二度だとね、

ルールで試合禁止だ」「でも・・・・」「もうやめたまえ、練習も

よくしているし、真面目な子だそうだけれど、キミの身体ではボクシングは過激すぎる」

悔し涙があふれて来た。 その前に両親の前に座らせられ、やはりボクシング止めろって言われたんだ。

 薄暗くなった部屋の中で、僕らは黙って座り込んでいた。 フミアキくん覚悟を決めているんだな。

 彼は僕よりずっと強い、体力もあるし、それに本気でボクシングに打ち込んでいるのに。 自分の受けたダメージ、

自分の力の限界判っているんだ。 それにひきかえ、僕なんて・・・・だいたい動機が不純なんだ。

 あんな名門校に行っているのに、不良のまねばかりして。 「オレ、父ちゃんの跡継がなきゃいけないんだよ。

 成績なんてどうでもいいんだ。」「・・・・」「オマエとは違ってね、いい高校行ってて、大学入って・・・」

僕の悲鳴「そんな事もう言わないで!」「ゴメン」・・・・・・「ねえ、これからも仲良くしてくれる?」

「チャーくん」「フミくん」フミアキくんは上半身を寝床から起こした。 二人は眼をうるませ、肩を抱き合った。



あとがき

僕らの少年ボクサーとしての一幕は終わりを告げることとなった。 僕は17歳、

フミアキ君は16歳、まだまだの年頃だけれど、これで終わりだ。 僕は初めから

あまり本気じゃなかったからしょうがないが、彼は本気でアマチュアボクサーを

目指していた筈だ。 強かったし、ファイトも旺盛、練習熱心で未来は明るかったのに。

 この前の手痛いノックアウト負けがいけなかったんだ。 それに、家の経済的な事情もあったみたいだ。

 気の毒だなあ。 あまり言うと彼怒りそうだからなにも言わなかったけれどね。 試合は完全にあきらめたけれど、

練習は続けていた。 フミアキくんも同じだ。 試合の観戦もやめなかった。 帰りがけのもんじゃ焼き、おでんにヤキトリ、。

 楽しかった。 だけど、フミアキくん、僕がいつも詰め襟の制服のままで

いるのが気になっていたみたい。 「おい、なんで私服で来ないんだよ」 「だって、規則だもん」

ウチの高校、変な校則があった。 「生徒は、外出の際常に制服着用のこと」だから、映画館でも、喫茶店でも、

平気で入っちゃう。 時々、事情を知らない警察の少年係だとか、高校教師会の補導委員に捕まってしまう。 悪くすると学生証を取り上げられ通報される。

 でも、かまわないんだ。 呼び出されて叱られる。 「なあ、あまり目立つことするなよ」

「・・・・・・」「ときに、映画は何を見たんだい?」「あ、あの、長谷川一夫の小判鮫」「呆れた奴だ、どうせならもっと気の利いたのを見ろよ」

3年になると、受験が迫って来る。 ボクシングどころじゃなかった。 それまでの怠けがたたって、僕はとうとう一浪の羽目になった。

 でも、なんとか努力して、次の年には入学できた。 この大学にはボクシング部が無かったし、だんだん疎遠になった。

 フミアキくんは高校でやめるのかと思ったら、勉強して、私大の夜間部に入学した。 彼、努力家なんだ。

 でも、夜間部だと大学スポーツは無理で、僕と同様、ボクサー生活は続かなかった。 

僕らの交友関係はずっと続いた。 これは今でも続いている。 大学卒業後、僕は大学院に進み、

大学教授になった。 彼は、ラーメン屋のオヤジさんになるのかと思ったら、店をどんどん大きくして、今では中華料理のチェーン店の経営者に納まっている。

 やっぱりフミアキくん凄いや。 本拠は江東楽天地、それから、浅草とか、深川とか。 会社の名前が恐ろしい。 酔拳チェーン、よくいうよ、

ジャッキーチェンじゃあるまいし。 あいつ酒飲みなんだ。 随分はやくから、高校生の時分から

(これ、僕も同じだけれどね)飲んでいて、いつもお店の酒をクスネて、

こっそり飲んでいたわけさ。 使ってよといつも言うから、時々利用している。 

大学のコンパ、送別会、同窓会。だけどあいつひどいんだ。 全然安くしてくれない。 

このごうつくばり! 楽天地に店をだす時、あそこのオーナーが高校の大先輩だから、オレが紹介してやったのを

忘れたのかよ。彼はあいかわらず背が低い。 恰幅がよくなって社長然としている。

 昔の少年ボクサーの面影はない。 前歴は誰にも言っていないみたい。 これは僕も同じだ。 

 とにかくボクシングの実技からは完全に手を引き、つきあいもなくなった。 しかし、嫌いになったわけじゃない。 

観戦もよくするし、資料を集めたり、歴史を調べたり。 デスクワークはお手の物なんだ。

 今でも、知識と観察力、他人に負けるとは思っていない。 

スポーツライターになろうかなと一時は思ったけれど、大学の仕事が忙しくて。 弟子の奴ら本当の事を知ったらさぞ驚くだろうな。

 なにしろ温厚柔和な学者タイプの先生で通っているんだから。 考えてみると、学生を怒鳴りつけた事いっぺんもない。

 あ、そうだ。 僕の名前、小杉茶利、本名じゃありませんよ。





チャーリー昔語り


僕がボクシングに初めて首を突っ込んだのは中学2年生のころ、ずっと大昔だ。

 あれからもう半世紀も経っている。 これで僕の年齢がわかりますね。

 爺さんなんですよ。 小杉チャーリーが僕の名前だから、つまり杉爺、でも塩爺よりは

ずっと若いんだぜ。 日本ではボクシングはあまり勢力がない。 マイナースポーツです。

 近代ボクシングの発祥の地は英国だけれども、現在では米国で隆盛を極めており、


米国で生まれたと思いこんでいる人たちも大勢いる。 実はボクシングが日本に

伝わったのは多分米国からだから、そう思うのも無理はないし、特に我が国で

盛んになるのは1945年以降で、米軍による占領以後のことだ。 つまり僕の少年時代で、

それからの何十年かボクシングに触れながら育ってきました。 こういうとボクサーとして活躍し、


引退後も斯界で影響力を持っていたようにとれるだろうけれど、どうしてどうして、そんな事はないので、

ただ単に好きだっただけ、アマチュア選手でちょっとはグローブをはめてリングに上がったことはあるけれども、


信じられないくらいに弱かったので、勝ったことあったかなあ。 連戦連敗、

判定負けならまだいい方、一度ダウンすれば、もう立ち上がれず哀れノックアウト

負けでした。 ただ、性格的に物事を調べるのが好きで、それで知識はある方です。 

惨めなRSC負け 口惜しいなあ
実は物覚えはいい方、記憶の杉チャンと言ったら仲間内で有名だった。 この頃の事だと、

皆さんご存じでない事も多いだろうし、古い事は忘れがちでしょう。 これまで見聞きし経験した事を、

あちこちで小説仕立てで書いてきましたが、何しろ創作の部分が多く、つまり嘘なんで、もう少し本当らしくしたいのです。

 古い話ですが、だからこそ、インチキがバレないと安心してカキコミさせて頂きます。 と言ってもね、

あまりやられちゃった話の連続では、我ながら恥ずかしい、それで、少しはましな少年ボクサーらしく、

やや脚色した部分もあります。 昔語りその2

さて、いくら僕でも、あまり古い話は知りません。 学生のクラブは1920年代に

(つまり大正年間ですが)創設されたのが最初だといいますが、 たしか昭和21年だったと思うけれども、

のちに大学ボクシング連盟に発展する「学生拳闘連盟」が発足します。 ひどく怖く聞こえますね。 あの頃は拳闘というのが普通で、

ボクサーも拳闘家だった。 その次の年、全国中等学校ボクシング大会が開催されます。 たしか12月、

会場は東京駿河台の中央大学の大講義室、いつもは教授が立つところに仮設リングが組んでありました。この時が僕の観戦の初めです。

 考えてみると僕は随分マセていたようです。 当時のルールでは、競技年齢は15歳以上、つまり中学生の3年生以上でした。

 当時の学制では中等学校5年だから、今のルールに換算すると、中3,高1、高2となります。 まだ長髪の習慣はなく、

皆丸坊主で、服装は今日と変わりはなく、ランニングシャツにトランクス、ただ、今のルールだと、

トランクスは腿を半分まで覆わなければいけないとしているから、股下が15cmになっているけれど、当時はもっと短かったと覚えています。

 ヘッドギアーは未だ使用していません。 素顔のままで打ち合ったのです。 この辺が少年ボクシングの初めなのでしょうけれど、

それよりちょっと前に、ベビーボクシングと称して12,3歳の少年たちの試合が、木挽町にあった銀座ボクシングホールでありました。

なにしろ戦後の窮乏期のことだから、設備は劣悪だったけれど、日本ではじめての常設ホール

だったのだそうです。 ボクシングジャーナリズムの草分けの一人、故郡司信夫さんの肝いりで出来たので、

会場の一隅には郡司さんの事務所がありました。 

試合の無い日は練習場を兼ねていて、日本最初の世界チャンピオン、

白井義男さんもここで練習していて、例のカーン博士は、ここで白井さんを発見したのです。

それで、このベビーボクシング、 プロなみの興行だったようで、主催していたのは

横浜にジムを持っていた河合さんという人、チョビ髭を鼻下にたくわえたちょっとハイカラな感じのオジサン、

つまりハマっ子なんでしょうね。 多分、今もあるオーキッドカワイジムの先々代だろうと思います。 

この方の息子さんが慶大ボクシング部で鳴らした河合哲郎(?)さんでしょう。

 この時の出場選手、皆リングネームがついていて、これが面白いんで、有名な世界チャンピオンをもじっている。

 例えば、ジャッキー・デンプシー、キット・チョコレート、それにスモール・タニー。 ベビーだけでは足りなくて、

大人のプロ選手のが幾試合かついていました。 全部4回戦だったけれど。 実は、僕がのちにボクシングの手ほどきを受けるヨコヤマさん、

当時の名前はロバート・モリヤマでしたけれど、出場していました。 とにかく彼とは長いご縁なんですねえ。 

彼は派手好きで、当時の喜劇映画、「エノケンの拳闘王」というのに出演しています。 チョイ役です。 他には、もっと有名で強い、

堀口選手、ピストン堀口の実弟が出演しました。これが最初だと思うと、まだ先があるので、これは実見してなく、話を聞いただけですが、

有名な喜劇役者だった故三木のり平サン、少年ボクサーだったんだって。 初めは三越の少年音楽隊にいたのだそうですが、その次にボクサーになったらしい、

アマではなくプロなんでしょう。 「あのランニングシャツを着てやるのじゃなく、上半身裸で・・・」と言っているから。

しかし、のり平サンはえらく鼻の大きな人だから、

 あそこに強打のパンチが命中したらどうなったんだろうね。

この頃の僕、もちろん試合に出たりはしない。、ただ見ているだけ。

 回数的にはプロのほうが多かった。 今と違って、後楽園ホールみたいなちゃんとした

会場があるわけじゃなく、皆借り物です。  ピストン堀口対槍の笹崎の大一番は、

両国の国技館で行われ満員の盛況だったそうです。 僕も行きたかったのだけれど、なにしろ入場料が高すぎて。

以前には日比谷公会堂が使われていました。 僕が未だ母親の胎内にいたころ、

両親が観戦に出かけていった。 話によると、たちまちのうちに片方の選手(誰だか分からない)

鼻を打たれて血だらけとなり、父親が胎教に悪いと気がついてすぐに出てしまった。 

なら初めから見に行かなければいいものを。 もう手おくれだったんですよ。 つまり僕はボクシング好きになっちゃった。

 さて、小規模の興行は、京橋公会堂がよく使われていました。 銀座ボクシングホールは長続きしなかったのです。

 区役所のたしか4階で、わりに見やすい会場でした。 それから、三田とか錦糸町とか、小さなホールがいくつも出来たけれど、

 どれも設備が悪く、いつのまにか無くなってしまいました。 なお、三田のホールでは、東京都高校リーグ

というのが行われています。 出場高は、國學院、工学院、早稲田、日大(多分三高)法政二高、高輪高などなど。

 なんとなく、陰惨な雰囲気があったものです。 こぎれいで健全な感じがするようになるのは、後楽園ホールが出来てから。

 その前身が後楽園バレーコート。 野外です。 同様に田園コロシアムもよく使われていました。 

高校ボクシングは昭和20年代前半に始まりますが、27年、28年あたりは特に盛んでした。 会場はこの田園コロシアムです。 

一番の欠点は野外だから、雨が降ると具合が悪い。 大学生の試合で雨足が強くなり、それでも試合途中だったので、

選手がシューズを脱いで裸足でやっているのを見た記憶があります。 多分滑りやすかったのでしょう。 こういう盛況も数年で終わり、

それからは大学ボクシング部の道場を使うようになりました。 たとえば、明大とか中大とか。


壮絶なノックダウン 鼻血がキャンバスにしたたり落ち 
血と唾液でヌラヌラのマウスピースもころがっている もう立てない


観客が中に入れなくてまた、空調が無いからその暑いこと。 最近もあまり条件は良くなくて、

東京だと、高校の体育館とかが利用されているようです。



  昔語りその3<BR>

昔語りまだまだ続きます。 だけれども、あたくしチャーリー随分変なこと

いっぱい知っているでしょう。どうしてなんだろうねえ。 たしかに、いろんな人を

知っていました。つきあいがあった人もいるけれど、ただ単に傍にいて、

その行動を見ていたので、比較的に現状感のあるお話ができるのでしょうね。 

わりに観察眼はいいのです。 ただ、これは気をつけないと、怪しい奴と思われるだけ、

いつもキョロキョロ見回しているから。 さてそれで、会長さんやボクサーのことはいくらか書いたから、

今度は他の関係者、大体はオジサンですけれどね。 まず、一番大事なのはレフェリー。

 一番有名だったのは、協会の審判長でもあった、林国治さん。 小柄な人だったけれども、

リングに立つとすごい安定感があった。 若いころは軽量級のプロボクサーだったそうです。

 ファイターで壮絶な試合を何遍もしたそうです。 もちろん美男子じゃない。 でも実にそれらしく見えたのでしょうね。

 よくボクシング映画にレフェリーとして出演していました。 あまり知られていないけれど、

この人にはもう一面があって、政治家の秘書をしていたのです。 昭和20年代の有力政治家、

東洋経済新報を主催し、自由主義経済のリーダー格だった故石橋湛山代議士の秘書を長年務めていたらしい。

 ただの用心棒?ではなくて、ちゃんと職務をこなしていたのです。 実は、皆さん誤解しているのだけれども、

プロボクシングの関係者、それほど裕福じゃなくて、副業を別に持っていることが多いのです。

 プロボクサーでもそうで、ピストン堀口に並ぶ名選手で、今も有力な笹崎ジムの創始者、

笹崎さんも、若い頃は八百屋さんをやっていたそうですよ。 林さんは数年前に90歳の長寿を全うされて

亡くなりました。 同じ年、ボクシング記者として名高い郡司信夫さんも、やはり90歳で逝去されています。

 ボクシング関係者は長命の方が多いようです。 もちろん、短命な人もかなりいます。 

僕が世話になったヨコヤマさんもそうで、40代で死んでしまった。 間違いなく酒の飲み過ぎです。 

名ボクサーがけつまずくのは、もう決まっていて、暴力団に関係してしまうか、後は酒と女、とにかくヨコヤマさんだって、

一度にトリスウイスキーなんか1本開けていたからね。 実は、女の方でもいろいろあって・・・・。 プロボクサーの引退後、

一番うまくいっているのは、自分でジムを持って会長になること。 もちろん金がかかる。

 スポンサーが金を出してもいいのだけれど、得てして、その金が不浄の金だったりして、挫折することになるのです。

 大丈夫なのは自分の親にだしてもらう。 お父さんが中小企業の経営者だったりするとうまく行くのですね。

 そういう人は何人もいます。 この点では、ボクシングはハングリースポーツではありません。 次には、

勉強してライセンスをとり、レフェリーになること。 羽後さんなんかそうだったなあ。 ああ、それから、

名前を忘れてしまったけれど、フライ級のランカーだった某選手(ゴメンナサイ)あの人も面白いんで、

現役中、JR山手線の運転士だったか、車掌かだったんだ。 引退後レフェリーになっています。

 と言っても、レフェリーが全部ボクサーあがりだったわけではなく。 素人?だった人もいましたね。

 林レフェリーの次席くらいの格だった石渡戸レフェリー、ちょっと神経質そうな人だった。

 試合中すぐ選手に注意をするんです。 ヨコヤマさんは嫌っていて、あの審判だと勝てないなんて言っていたっけ。

 噂では美校出身ということになっていた。 私、最近まである「美校」の教師をしていたので、

卒業名簿など繰ってみたことがありますが、名前は出てきませんでした。 ウチの学校にも短期間だけれども、ボクシング部があったこともあります。

 すぐ潰れてしまったようです。 長続きしたのは、相撲部と空手部。ウチの学生、もちろん例外もあるけれど、

身体をつかうのはすきでも、頭を使うのは嫌いな奴がよくいて。 実は、あたくし、

その空手部の

顧問教官を仰せつかっていました。 やはり格闘技だ。 なに、誰でもいいので、

コンパのスポンサー要員なんです。 ボクシング部が残っていたら危なかった。

顧問教官の人選ですが、

これは殆どいい加減なやり方なので、大体誰でも面倒な事はいだから、

なかなか決まらない。 それで、私みたいな全然勢力のないおとなしそうな奴にまわってくるのです。

 本当はオレの前歴が分かっていたら、そうなる筈は無いのだけれど、なにしろ、足を洗ってから猫を被っていますのでね。

 空手部の他に、漫画研究会。 あーあ。 もうひとりレフェリーを思い出しました。

 遠山甲さん。 実は彼、私の同窓です。 学年も違うし、学部も異なっているから、つきあいはなかったけれども。

 ウチの大学にはボクシング部はありませんでした。 彼はボクシングが好きで創りたかった。

 先輩の三島由紀夫の影響かもしれない。 でも許可がとうとう出なくて、かれは某ジムに入り込んだ。選手になる程の気は無かったのか、

セコンドをいつもやっていました。 かなり男前だったので、レフェリーとしても人気があったのだけれど、

何かスキャンダルに巻き込まれてボクシング界を去ります。 その後の消息はわかりません。



読書ノート 石に泳ぐ魚

***学兄

拝啓 

本日の朝日新聞の記事によりますと 柳美里の

石に泳ぐ魚 が訂正版として刊行されるとのこと

ですが 私は極めて不愉快です 新潮社はこれほどまでに堕落したところなのですかねえ

 もちろん著者自身もよくないので,いま朝日新聞夕刊で連載中の小説のひどさを見れば 

彼女の程度がわかるわけですが あれ駄作もいいところだと思っています

この作品の前に連載された,浅田次郎:椿山課長の七日間 が極めて良質だったから,

特に目立つのだろうけれど, 実は わたくし当事者の女性をよく知っております

あの腫瘍はひどいもので,とうてい正視できるものではありません.

感情的に同情しているのではないのですよ. ことは出版の

自由だとか 芸術作品がどうとか 知る権利 などといった 次元の問題ではないのです

判決では 正確には引用できませんが 個人がどのような損害を受け傷ついたかを審理し

文学作品としてどのようなものであれ 公刊することは許されないとしたもので 芸術とか

良心の自由といった問題には一切踏み込んでいません ましてや猥褻とか公序良俗とか

とは関係していないのです ところが多くの識者(?)は これはいつものことですが

現実には目をつぶり 空虚な芸術論争,文化論争にすりかえてしまった. 私は彼らを

(いや あえて申しますが あいつらを)識者とは全く考えません  無識者です

 多分 一審,二審の 裁判官は原告を見ているはずです 最高裁は事実審理はしませんが

 調査官が事前の 調査はします どの場合にも 被告に不利な心証を持ったでしょうね

被告は 本人の受けた心理的トラウマと原告の身体的なトラウマとを拮抗させた弁解を

試みたわけですが 冗談にもほどがある 最高裁の判決について 朝日新聞は

社説だったかコラムだったかで取り上げていましたが 原告に好意的な穏当なものでした

 行間から私は 記者が直接取材しているのを読み取りました

新潮社の系列週刊誌「週刊新潮」は「週刊文春」とならび,朝日新聞に対し異常なほどの敵意

を持っています. 私はその理由を知っておりますが,さらに敵意は増幅されるでしょう.

私は今回の再版計画にいきどおりを感じ反対します そうして出版を強行しようとする

新潮社に強く抗議します  君達にはひとかけらの良心も無いのか この売文業者ども

・・・・すみません つい感情的になって 

まだ問題があります このメールを書くにあたり 世論の動向をつかみたかったので

柳美里ファンBBSというのを初めて覗いてみました  驚きましたねえ その程度

の低さ わたくし二度と見る気はない  あれはファンBBSではありませんね

バッシングBBSです しかもかなり程度の低い. 大部分は柳美里さんへの強烈な

攻撃です これに極少数の支持者があります  どちらにしても劣悪としかいいようが

ない 例えば 彼女に対する攻撃・・・・大きなことをいうなら 韓国へ帰って

からにしろ
・・・・今までなんべんも聞いた,あきあきする,しかも生理的悪寒さえ

感じるいつもの悪罵 まだありますよ 親がつけてくれた ヤナギミサトという

立派(?)な名前があるのに なんで傲慢にもユ・ミリーなんて名乗るのだ 母国へ帰ってから 名乗れ
・・・・

嗚呼 これほどまでに我が同胞は狭量かつ愚かなのか  極めて

悲しい,かつ恥ずかしいことだけれども,我々には抜きがたい差別感 すなわち

嫌韓,侮韓,排韓の意識がある. これが露わになって突出したのではないでしょうか.

今回の拉致問題でも,もちろん北朝鮮の行為は国家犯罪と呼んでもいいくらいの

不埒かつ見っとも無い行為であるけれども,我々の意識内の嫌鮮,悔鮮,排鮮観が事態をいっそう

複雑にしているのは間違いはない.

ところが著者本人へではなく,その周囲つまり出版元その他への批判は驚くべく

少ない  新潮社が韓国資本でないから? 私も物かきのはしくれとして思うのですが

 原稿をいくら書いても 活字にならないかぎり誰の目にもふれないし,

注目もされない  だから著者と 出版社とは一心同体,運命共同体なのです  

出版社に,あるいはもう少し 対象をせばめて編集者には 当然大きな責任があるのです  はじめに編集側

が企画をたて,著者がその意をたいして執筆をしていく, その例はいくらでも あります

  また,著者のオリジナルであっても,編集者の恣意的な干渉によって 著者の意図が

捻じ曲げられていく, こうした悲喜劇はどこでも見られます.

特に最近,編集者には妙な偏向があって、 自分達の思いこみ,換言すれば

思いあがりによって,良心的な著者の執筆を掣肘する・・・・誰か言っていましたね

編集ファッショだって, こういう目にあうと腹もたつし,憂鬱にもなる.

  さらに付け加えるならば,柳さんは芥川賞受賞者ですね,対象となったのは

この作品ではありません. しかし賞選考にあたっては,当然以前の作品にも

目がむけられます. ここでひとつの問題が提起される. 無関係だと平然として

いるけれども,あるいはひたかくしにしているけれども,選考委員の文士たちは,

はたしてこの作品をどのように考えたのか. 芥川賞作家として賞賛し,次作

を待望したのではないだろうか. 裁判係争中は,全く知らん顔,判決確定後は

口を拭って「言論の自由」だとか「作家の良心」だとか「知る権利」だとかわめきちらす.

これが今日の,文学者,作家,文化人,それからそれから・・・・・・・

我々には未来はあるのでしょうか

                           敬具

                            椙下枯野



 微視の旅行記

あまり誉められることではないのだろうが,どうも生まれつき,どうでもいいよ

うなつまらない事,あるいは小さな事が気になるほうである.  もともとはだ

らしのない性質で,怠けものだし,そのうちなんとかなるさ と大事を放置し,

後で泣きを見ることも多く,そこからは想像もできないような性格なのだが,や

はりどこか変に神経質で, どうも世間を狭くしている.お洒落好きのくせに,

 服装にはだらしがなく,自分の居室も散らかし放題である.  ところが妙な

もので,講義をしようと教室に入ると,教卓が曲がっているのが実にいやで,

ちょっとなおす. これが私の講義開始のセレモニーとなるのだ.

 学問上の考察,議論でもそういう類が多い. 論文などもいいかげんで,細

かい事実はぼやかして逃げ,論旨自体もひどく屈折し,すぐに脱線する. だから

チャーリー先生なので, あまり世間様に有益な論文はなく,まあどうでもいい

雑学の開陳に終始してしまう. この小文もそうした傾向があり,内心忸怩たる

ものがあるが,思いつきとはいえ,それなりの自負もあるので,ここに皆さんの

寛恕を乞いながら書きはじめることとする.

 マルクス主義歴史家,故服部之総先生に名随筆集「黒船前後」がある. 述べ

られていることは,まあチャーリーの言うところの「まあどうでもいい」系統の

話で,たとえば,先生の師匠筋にあたるのだろうけれど,ながく東京帝国大学文

学部に君臨した「イノテツ」大先生の大ボケの愚論「生殖器感動論」について,

あるいは,就航と同時にたちまち無用の長物と化した当時世界最大,英国の外輪

汽帆船(!) グレートイースタン号(19000トン)の話とか,福翁自伝の

嘘とか,むしろ趣味に属するような内容の好エッセーが多い. このために世の

流れが変わるとか, これを読むことにより,目のウロコが落ちるとかいった類

の重大事ではなく,軽い話の連続だが,とにかく面白い.

 壮大な世界観を学べるわけでもないし,悠久の歴史の流れを体得できるわけで

もないから,みずからの学問の大勢を左右するもではない. だから.こういう

わき道は害こそあれ,なんの益もないと排斥するクソ真面目な先生も多いのだが,

私はそうは思わない. プレハーノフの「歴史における個人の役割」

でも感じるのだが,少なくとも,たとえちょっとした小さな事実でも,それが明らかに間違っていたら,

大筋には関係ないとしても,淋しいではないか. もしかしたら,そうした微小の過誤が

積み重なり,大きな,決定的な誤りにまで発展したら, どうなるだろう.最終章は,

微視の史学と題された,著者の花王石鹸社史編集時代の回顧録であるが, 

ここに微視の知識の存在理由がある. 旅行記は過誤を犯しやすい. 読者はそれ

を経験しておらず,誤りを見い出しにくいから. それに,信じられないかもし

れないが,旅行記は,実際に旅行を体験しなくても,なんとか捏造できるもので

ある. 適当なガイドブックと写真集(あるいは絵ハガキ類) これを参照すれ

ば実に容易である.  以前,高田保というエッセイストがいた. 肺結核に犯

された病身な人で海外旅行はしたことがない. しかし,ガイドブックと写真で

パリの市街に精通し,実際に訪れた人よりも,詳しく,正確に語ったという. 

私は前から気が付いていたが,最近,三島由紀夫が同様の事を書いているのを

知った.  ただ,このように容易なのだけれど,逆にインチキが露見するのも容易なの

である.なにしろ現場があるのだから,ちょっとした油断で,記述の嘘が現実にそ

こを訪れた人の観察により見破られてしまうのである. 「ナンデモミテヤロウ」

と銘打ったベストセラー書があったが,これはたしかに大切なことではあるけ

れども,同時に「イッテミナクチャダメダ」とも言えるのである.

チャーリー小旅行



【スコットランドとイングランド北部で】

私チャーリー・コスギは,もともとは理工系の出で,化学薬品だとか,

放射能だとかをいじって来たのだが,ある時よんどころない事情から,

美術系の学校の教師になる羽目となり,これが運命の分かれ目で,

とうとうチャーリーおじさんになってしまったのである.こうした

職業上,いつのまにか美術工芸にも関心をもつようになり,絵を描く

ことなど全然できないのに,いっぱし芸術について語ったりもする.



 我が国では,西洋の油絵というと,それはすべて印象派になり,

立場が変わると逆に極めて前衛的な創作がもてはやされる. 考えて

みると随分窮屈なものである. まだまだいくらでも芸術のジャンルは

存在するのに,どうしてかくも偏った嗜好にのみ集中するのだろうか.

 ここで我が国における西洋画の始まりについて考えてみたい. 

この起源はほぼ幕末にあるので,当時の若い画家の中に新しく流入して

来た洋風の絵画技法に興味を持ち,勉学を開始した者がいたのである.

 よく知られているのは,平賀源内で,この異才は洋風の油絵にも手を

出していた. 彼の業績が後年の洋風画家たちに影響を及ぼしたとは

考えにくいが, ひとつの道標としての記録ではある.

 幕末にあっては,幕府創設の蕃所調所,開成校,さらには維新後の

工部美術学校,東京美術学校(のちに東京芸術大学美術学部)へと

我が国の美術教育研究は発展して行くが,その前駆として,幕藩体制下,

諸藩の開明藩主のもと,佐賀鍋島藩,秋田佐竹藩等の藩士の中から若い

洋風画家が出現している. その中の逸材として,鍋島藩の百武兼行

(1842〜1884)をあげなければならない. 主君鍋島直大は,

明治政府に仕え,外交官としてヨーロッパ諸国に滞在するが,百武は

その随員として渡欧,公務の傍ら西洋絵画技法を学ぶ. 前述の平賀源内

や国沢新九郎などの先駆者にあっては,制作は手本の模写の色彩が

強いけれど,百武は実際の写生に励み,ここに近代的洋画技法の基礎が

完成されて行くのである. 彼の経歴からみて,作品はヨーロッパ諸国

での風景画が多い.

 代表作として,「羅馬の古城」がある. やや暗い色彩で,崖上の

石造りの廃城が描かれている. この作品の題名については,以前から

疑問があった.  第一,どう見ても羅馬すなわちローマの地形ではない.

 また城の形式もローマ所在のものとは思えない. 私の若い友人のO君は,

こうした近代洋画史に強い興味を持つていた. 彼は私の旅行計画を聞き,

当該古城は百武が英国滞在中,イングランド中部のバーナード城を写生

したものに相違なく,その証拠が欲しいと言い出した. チャーリーも

物好きだから,じゃあそうしようという事になり, 今回の目的地

スコットランドのエジンバラから,一日をさいて,出かけてみたのである.

 エジンバラで科学史と科学哲学の国際学会があり,ここで講演をするのだが,

実におおげさな学会で,会期が1週間以上,行事も多い. 例のレセプション

とかエクスカーションとか,なかなか愉快なものだが,現地に行くまで

細かいスケジュールが判らず,いったい,いつ私は講演するんだろう.

 登録してはじめて判明したのは,私の出番は最終日,1週間も後のことだ.

 興味の無い題目も沢山あるから退屈な日々にもなるし,ホテル代も大変だった.

 しかし,行事の多いのはいい事である.有名なミリタリータトゥー

 つまり軍隊の分列行進 の切符をくれたり,宴会で,これも有名な,

伝統料理ハギスの儀式を見せてくれたり,いろいろある. 政府主催の

レセプションがあり,スコットランド大臣(つまり女王名代の総督)閣下が

ホストで,女王陛下の命によりと書かれた立派な招待状を持って,

何の気なしに行ったら,セクレタリーがしかつめらしく,日本からの

チャーリーコスギ教授であると紹介し,閣下はまことに旧知の如く,

(なに全然知らないんですよ)親しげに握手を賜わった. どういうわけ

だか,先代の春風亭柳橋そっくりで,スコットランド伝統のキルトを着し,

私びっくりしました.次に大臣夫人を紹介され,また握手を賜わったが,

驚きましたね. 手を差し伸べられたのはいいのだけれど,その高貴な

手がスット上に,私の口近くにまで来てしまった. 手にキスするんだな

とは思ったが,流石のチャーリーもこればかりは出来ず,不得要領に

終わったお粗末でした  後で物慣れた人に聞いたら.それはやはり

敢然と実行すべきであると言われました.

 こうした,快適な,有意義な(?)経験に比べ,バーナード城は

全然つまらないが,約束だから,ある朝,早起きをして日帰りの旅に出た.

 わりに面倒な場所で,まず,英国国鉄でエジンバラから南へ

200キロほど,つまりロンドンの方向へ戻って行く. いつもの通り

車内はすいている. 快適な2時間の旅である. この路線は一番の

幹線なのだけれど,日本のように混雑することはない. ツイード河を

越えると,スコットランドからイングランドに入ったことになるが,

別にゲートがあるわけではなく,国境のフェンスもないが,建て前は

別の国家である. ほとんど気が付くことはないが,第一に,これまで

至る所で見かけた青地に斜め十字のスコットランド国旗,

聖アンドリュース旗が見えなくなる. また,スコットランド紙幣も

見当たらず,使い勝手も悪くなる. 法的には平等に使用できるのだが,

イングランドではなんとなくいやがられる.

 2時間ほどの乗車でダーリントン着,ここは1825年9月,

スティブンソンがはじめて蒸気機関車ロコモーション号をストックトン

まで走らせた所である. この5年後にはリバプール〜マンチェスター間で

営業運行が開始されており,イギリス近代産業の幕開けであった.

 駅舎は典型的なレンガ造りのイギリススタイル,ここを出て,

西に数百メートル歩くと大きなバスターミナルがあり,ここから

路線バスで1時間,やっと目的地に到着した.なんということもない

田舎町である.町名は Barnard Castle で城の名称そのまま, 

ここはイギリスだから,キャッスルではなくカースルとなる.

 英語も難しいもので,アメリカ式の発音だと通じないことがある.

 ここは,バーナードというお城だから,キャッスルでも判ってくれる

けれど,ダーリントンに着く手前,Newcastle upon Tyne という大きな

港町があるが,これを ニューカースル でなく ニューキャッスル

 なんて言うとまあ判ってもらえない. これ言いそうですよねえ.

 バスを降りて標識に従って少々歩くと,あった. 百武の写生画と

同じ風景が目の前にあった. 川が流れ,その対岸,崖の上に古城が

建っている. やはりこれなんだ.百武兼行が滞英したのは,

1870年代だろうから,鉄道網はすでに全国に広がっている.

 ロンドンの地下鉄も,1863年にメトロポリタン線が営業開始,

1884年にはサークル線が全通しているのだから,百武は当然

こうした交通手段を駆使して,各地を不便なく旅行し,制作を

続けたにちがいない. 城の下に空き地があり,ちょうど百武の

作品と同じ構図で写真を撮ることができる. ここに画架を立てて

城を見上げ,写生を行ったと推定される  夕方にはエジンバラに

戻った. 些細な調査旅行だけれど,ひとつの知見を得たことになる.

 帰国してからO君に写真を渡した. 彼がどのように論文を

まとめたかは聞いていない..



Romances or Novels





墜落死した少年イカルスを悼む ハーバート・ドレイパー作(1896)




  自伝

ある性格破綻者の一生

眠られぬ夜のために

チャーリー・コスギの手記----ある私小説

自分で言うのはおかしいが、僕は異常な人間だ。 明らかに

狂っている。 明記するのを憚るけれど、つまりキの字なのだ。

どうしてこうなってしまったのだろう。 考えてみると、

それなりの理由があって、家系を辿ってみると、そうした例は

いくつもある。 運命は甘受するほかはない。 露悪的に、

自虐的に言っているのではないのだ。 一応は人畜無害の

生活を送っている筈なので、衝撃的かもしれないけれど、

一個の人間の心の軌跡として、ここに記すこととする  執筆するにあたって

下敷きにしたのは、まず、ヒルティー:眠られぬ夜のために 

芥川龍之介:ある阿呆の一生 魯迅:狂人日記、内容じゃない、題名だけだ。 内容はとてもとても。

 さて、書き始めようとした時、頭に浮かんだのはこうしたタイトルだった。

 あとは憑かれたように、あるいは熱にうなされたよう僕は書き続ける。



その1

人生の終わりを予想するような年齢に達して、不思議なもので、

自分の生い立ち、少年時代への追慕は高まるばかり、人生の

総決算を予期しているのだろう。

僕の一生は失敗と挫折の連続だった。 僕は愚かだった。 後悔

している。 しかし、もう取り返しはつかない。 運命を悟り、

静かに、誰をも恨むこともなく、世を呪うこともなく、来るべき

死を迎えよう。 覚悟は出来ている? いや、まだだ。 まだ死に

たくはない。 しかし、準備だけはしておかなければ。

僕の思い出、他人に洩らしても仕方のないものだけれども、心に

秘めて、つまり、墓場にまで持って行く・・・・そんなのは嫌だ。

やはり明らかにしよう。 これは遺書めいているけれど、なにも

そんなに大仰なものではない。 ひとつの自己顕示なのだ。

若い頃、未来は明るかった。 健康だし、それなりに才能もあり、

結果として、いい地位にも就けた。 嬉しかった、得意にもなった。



でも、そこまでだった。 もちろん、これは自分が一番悪いのだが、

失敗に続く失敗、挫折、職を失いかけたこともある。 とにかく、

僕に対するバッシングは酷かった。 そうして、それを跳ね返す

腕力も気力も僕にはなかった。 つまり、泣き寝入り・・・なさけない。



僕は国立大学の教授に就任した。 しかも、文化財分野での日本の

中心的存在である大学院講座の教授に。誰でもがなれるわけではない。

羨望もあったろう。 妬み、嫉み、やっかみもあったろう。

気を付けなければならないことは分かっていたんだ。 ところが、

僕はここで油断し、手を抜いた。 そうして、敵の容赦ない攻撃、

防戦できなかった。 孤立無援、誰も助けてくれない。 当たり前だ。

あわれな僕は酒におぼれ逃避した。 酒浸りの毎日だった。 朝、通勤の途中でもう我慢ができない。

 池袋駅のホーム下のステーションタバーン、朝からやっている。 ここで英国風のビターを一杯。

 研究室を抜け出して蕎麦屋で酒を飲む。 夜は当然行き着けの飲み屋へ。 神経を病んだ。 それから自宅に

ひき こもったり、あるいは行方定めぬ無計画な旅行。 僕の評価は下がる

大学の正門まで来て、そこから引き返したこともある。

一方、とうとう、我慢しきれず定年前に大学をやめた。

 もちろん、誰も誉めてくれない。無責任、敵前逃亡、罵詈雑言が

身に降り注ぎ、僕の信用は地に落ちた。 名誉教授にもなれそうに

なかったが、1年おくれでどうにか称号は貰えた。 僕が受け取りを

拒否するんじゃないかと周囲がおそれたが、そんな事はしない。

弟子たちが日比谷公園の中の松本楼で記念会を開いてくれた。 予想外に

人が集まった。 九州など遠方から来てくれた子もいる。

  嬉しかった。 僕にも言い分はあるのだけれど、とにかく

僕は間が悪くできている。数年前に、僕はある学会の会長に

推された。 文化財保存修復学会、会員数700あまり、この分野

での有力学会。 前身の小さな研究会を発展させて僕が創った。

その研究会の会長だったから、自然に横滑りで会長になったわけだ。

僕は第一人者のつもりだった。 当時ライバルはいなかったので

(そう思えたので)この体制は当分続く筈だった。 しかし、

そうはいかなかった。 世の中そんなに甘くはない。 一種の

クーデターが起こって、僕は会長職を追われた。 苦難はなおも続く。

平会員で1年ほど経った。 僕は侮辱を受けた。 我慢すれば

いいものを、僕は激怒して退会してしまった。 これは短慮としか

言いようがない。 その直後、僕は吃驚したのだけれど、もうひとつ

別の学会があって、日本文化財科学会というが、ここで次期会長に

という内報があった。 残念ながら、保存修復の方でトラブルの末の

退会直後だから、いかにもマズイと思えたので僕はこの話を断った。

こうした珍談、悲喜劇はなおもなおも・・・僕の後任会長となったある先生、

次回の会長選挙であっけなく落選してしまった。 クーデターの結果生まれた

新会長なのだから、もともと基盤が弱かったのだろう。 さらに、

驚くべき事が起こってしまった。 急遽選任された次期会長、

僕より 年長だけれどもこの彼、就任から1〜2ヶ月で、

急死、本当の話です。 別に僕が呪ったわけじゃないのだけどね。

僕の復活の好機だった。 会員のままでいれば・・・・・しかし、

これは不可能だった。 返り咲きの機会は永遠に消滅した。

(続く)



その2

僕は狂っている。 見かけではそう見えないかもしれないけれど、

確実にゆっくりと僕の病状は悪化している。 もともと下地はあったのだ。

 僕の血の中には狂気の遺伝子は明らかに存在している。 これがいつ

顕在化するか、地雷を抱えているようなものだ。 兆候はいくつもあった。

 今考えてみると、中学生のころ、つまり思春期のころ、思い当たることはいくつかある。

 もっと早く気がつくべきだったんだ。 だが自分でも、 周囲でも、

それが成長期の関門のひとつ、反抗期が強烈に来たのだとしか

思わなかった。 あの子はグレたんだ、 ある事情で不良少年の仲間入りをしたんだ・・・・

としか思わなかったんだ。 でも、事はもっと重大だったのだ。 少年というのは残酷なものだ。

 自分をも、他人をも、痛烈に傷つけて何とも思いやしない。 僕はやった。 やられもした。

 無意味な闘争心、ああ戦いたいな。 殴り合いたいな。 実際にやらなくても抱く妄想。

 心がうずく。 そうして局部が恥ずかしく反応する。 よく絵を描いた。 昔の武者絵の真似をして。

 抜刀した前髪だち、白面の少年武士、肩先を切られて血を流しながら、

美しい顔を苦痛にゆがめて。 着流しの裾が乱れ、下腹部の下帯が白くのぞく。 

別の光景では、乱戦の中、死に物狂いで敵と斬り結ぶ小姓の若武者。 甲冑は血に染まり、

まさに討ち死に寸前の断末魔。 さらに、猛々しい髭武者に組み伏せられた少年、

鉢巻をした前髪の額を押さえつけられ、その首を掻き切ろうと

喉笛を狙う鎧通し、かわいい口をくいしばり、白い歯をむいて、唇には鮮血がにじむ。 死を覚悟しての悲壮な表情。 

鉛筆書きに色をつける、顔つきはいつのまにか自分自身に。 

就寝時ふとんの中でもだえる僕、最後はたまらず射精してしまう僕。 隠すのが大変だった。 

 妄想はだんだんリアルになって行く。 今の僕、

戦国時代の若武者ではなく、現代に生きる中学生の僕。 

野球少年じゃなかった。 好きなのは格闘技、それも相撲や柔道ではなく、

ボクシングにレスリング。 これらは比較的に入り込みにくいスポーツだ。

 練習場も少ない。 自然、庭の片隅でのシャドーのまねごと、それに、やはり絵を描いた。

色白の美少年ボクサー、深紅のユニフォームを着け、グローブを嵌めて、

鼻血を流しながらファイティングポーズをとる。 そうして無念のノックダウン、

肌を覆う大粒の汗、悔しげな、苦しげな表情で敵を見上げている光景。

 夢はなかなか実現しなかった。 ところが、機会は突然やってきたのだ。

このことについては、また次の機会にか書くとにしよう。



                        
それからのチャーリー

    チャーリーとマサルの青春続編






仲良しだった先輩練習生木内マサルくんと喧嘩分かれしてから随分年月が経った. あれ

はオレが高一の時だった. 今オレはQ高校三年17歳,もう2年も経ったん


チャーリーとマサル

だ. いろいろなことがあった. マサルくんとの夢のような交友の毎日,そう

して恐ろしい破局,年上のマサルくんと仲たがいした挙句の血しぶきをあげての激しい殴り合い,鼻血

にまみれ傷つけあって,最後にオレは打倒された. その後の悲しい別れ,昨日

のことのように覚えている. そりゃあマサルくんも悪いけれど,オレが一番い

けなかったんだ. マサルくんとの少年愛,密会して,いっしょに抱き合い,倒



錯した性行為,めくるめくような絶頂感・・・・・すごかったなあ. でも,悲

劇的な恐ろしい終末. 当たり前のことなのだけれど,マサルくんに異性

関係ができてしまった. 18歳の若者だもの,自然なことなんだ. なのに, 愚か

なオレはそれが許せなかった. 彼をこっそりつけて行き,現場で二人に詰め寄

った. オレから挑んだ死に物狂いの決闘,そうして彼の足下に倒れ伏すオレ. 

我に返ったマサルくんがオレを助け起こす. 二人は抱き合って号泣した. 

「チャー,しっかりしろ,許してくれ」 「もういいんだ,お兄ちゃん,これでオレ

気がすんだ. もう会うのやめようね,幸せになってね.」 これで終わりだ. 

最後にしっかり抱き合い,唇を合わせ,黙って二人は分かれた. 少年同士の

あの時の戦い,マサルくんのパンチは凄かった. 石のように固いベアナックル

の打撃,あの痛みは今でも覚えている.2歳年上の先輩ボクサーのマサルくんが

相手だもの,オレがかなう筈はないんだ. でも,やらなきゃならない. 倒れ

るまでやってやる. 男の子の意地だ. 凄まじい怒りの表情,マサルくんの拳が

オレの顔面を襲う. 上唇が裂け鮮血と肉がとびちる,眼の下が青黒く腫れ

あがった. 苦しい. だけど これでいいんだ.オレたちの関係の結末の儀式だ. 

流れる血潮が過去を洗い流す. 忘れよう. しかしその前に,殴られながらオレの頭の中を過去の

記憶が通り過ぎた. 少年同士の同性愛. たしかにマサルくんはオレに好意を持っていた.

 しかし,はじめに仕掛けたのはオレの方なんだ. 誰にも明かさなかったし,もちろん親も

気がついていない. でも,あの時以来,オレの意識の中に淫靡な同性愛の性癖

が隠されていたのだ. あれはオレが中2の時だった.



封印された中学生チャーリーの思い出

僕はQ中学2年14歳になったばかり,バスケットボール部員だ. 体格は小さい方,バスケむ

きじゃあない,だけどウチは受験校で他のスポーツ名門校のように,全国から有

望選手を集めたりはしないから,それほど大きい奴がいることもなく,まあ何と

かなっている. 運動神経はいい方なんだ. それに,ユニフォームが素敵だ

し,屋内競技だから,日焼けもしないですむ.男の子だもの,女の子にも好かれたい

じゃないか. 僕は色白で丸顔,眼はパッチリ、高くはないけれど、

小振りで格好のいい鼻、口元も可愛らしい。 髪は長めの

マッシュルームカットにしている。 顔にはいくらか自信があるんだ. 身体にぴっ

ちりの紺色のランニングシャツ,肉体が締まって見える. 胸には校名がローマ

字で入っている. 胸と背には選手番号,格好いいでしょ.それに白のパンツ,

股下は短く腰をピッチリと覆っている.だから脚が長く見えるんだ. パンツの

下にはサポーターをつける. 大事なところがはみ出すといけないし,それに

バスケは動きが激しいから,サポーターは必需品なんだ. 正式には,ジョックス

トラップって言うんだってさ. つまりjockstrap 局部の収納部だよね. 

サポーターの中のpenis(オチンチンのことさ)がこんもりと格好良く盛り上

がって,少年らしい姿だ. どうも女子の視線が局部の方に集まっているような気が

する. 考え過ぎかなあ. 今は夏休み中,合宿練習の最中だ. 長野県蓼科に

ある合宿所での集団生活,早朝,午前,午後とハードトレーニングが続く.ラン

ニング10周,100回ジャンプ,100本シュート,それからそれから・・・・・僕ら

の学校は中高一貫教育で,部活練習も高校生と合同でやることが多い. 合宿練習

なら,なおさらのことだ.体力が段違いの高校生の先輩との合同練習,ヘトヘト

になる. 本当のことをいうと,僕は格闘技の系統の種目の方が好きなんだ. 

レスリングだとかボクシングだとか. だけど,中学校では柔道と剣道しか

ない. 武道はあまり好きじゃない. 入学したころ,柔道部の先輩に随分勧誘された.

 こんなにチビなのに. 「おい小杉,柔道やれよ,面白いぞ.俺いつも講道館

に行っているんだ. 明日の午後講道館の2階へ来いよ,見学させてやる. 

いいな,きっとだぞ」 だけど,僕は行かなかった.だって,柔道着ってかっこ

悪いし,臭そうだもの.それに,なんか先輩みたいにガニマタになりそうだし,

先輩足を挫いたらしく,足を引きずってて,僕ふるえあがったんだ. あとで,

ひどく嫌味をいわれちゃった. 実はバスケットボールも見かけよりずっと

ハードだ. 暑い日の午後,風通しの悪い体育館で,流汗淋漓の練習. 汗が鼻の頭

から,顎先から,足下にポタポタとしたたり落ちる. 板張りの床が水を撒いた

ように湿っている. 口の中はカラカラ,足もいうことをきかない,

重い石が縛り付けてあるみたい. 足を引きずりながらの懸命のフットワーク,

苦しい,倒れそう.食塩を舐めながら,闘志を奮い起こし

て走り,跳躍し,ボールを投げる.体育館に充満するお互いの汗の匂い,

蒸れたシューズのゴム臭い匂い,激しいい息遣い.毎日夢

中で練習に励んだ. 僕は背が低い,ゴールポスト下での競り合い,それにマン

ツーマンのディフェンスには不利だ.だから,ゾーンディフェンスとミドル

シュートを特に叩きこまれる. 汗が滝のように流れ,その汗が乾いてユニフォームにも,

素肌にも塩が白く噴き出してくる. 惨めな姿の僕,そこへ容赦無くボールが飛ん

でくる. 先輩の叱咤激励 「小杉,どうした,ファイト!」

「コスギ〜声出せ!頑張れ!」「タァ〜・・・グァ〜」悲鳴のような絶叫「なんだこれくらい

で!死ね!」 何遍も殴られた.先輩の拳固の痛さ・・・・ようやく練習終了,

気が遠くなってバタっと倒れる.胃液がこみあげ,四つん這いになって嘔吐する

僕,最後にはバケツの冷水が頭から. そのまま倒れ伏す僕. でもまだ休め

ない. よろめきながらやっとのことで起ちあがり, 汗で濡れてビチャビチャの床

の雑巾がけ,僕たち下級生の仕事だ. それから僕が吐き出した汚物も片付け

なきゃ.フラフラとシャワールームへ向かう. 履いているバスケシューズの中

にも汗がたまってぐちゃぐちゃ,ジャボジャボになっている. シューズを脱ぐ

と蒸れた臭気が上がって来る. シャツとパンツを脱ぎ捨てサポーターもはずす.

 すごい匂い. 臭いなあ. 全裸でシャワーを浴びる. 冷水しか出ないけ

れど,ほてった身体には気持ち良い. 股間や脇の下を入念に洗う.サポーターの

下は不潔になりやすい. 匂いもひどいし,痒くもなる. 生え揃ってきた黒い

茂み,清潔にしていないとケジラミがついたり,インキンタムシになっ

たりする. すごく痒くなるんだよ. 僕らバスケ部員は薄手のパンツとサポーターだけだ

から,そうでもないのだけれど,野球部やフェンシング部だと,部員はいつも厚

手のユニフォームの重ね着だから,全身が蒸れちゃって,これは大変だ. 野球

部の奴なんか,炎天下のグラウンドで,よく中に手を突っ込んで掻き毟ってい

るみたい. 冷水シャワーで身体が冷え,生き返った. 体を拭い,乾かす. 自

分の身体を調べてみた. まだ筋肉の付きは不充分だ. 僕はまだ14歳,体格に

は幼なさが残る. 腋毛は生えてないし,下の毛もまだチョロチョロ. 発毛し

たのは半年ほど前,13歳の時だ. もう平気になったけれど,初めは恥ずかし

かった. みんなで大風呂に入るとき,タオルを下腹部にピッタリあてて,その

まま浴槽にそっと入る. 同級生の奴みんなそうだった. こんなになったの,自

分だけだと思っちゃうんだ. だけど,みんな同じなんだよね. なんとなく安心

する. 洗濯物を洗濯機に放り込む. 塩を吹いたシャツ,汗染みで薄黒く変色

したパンツ,すごい匂いのサポーター. シューズは逆さにしてそのまま乾かす.

 洗濯も下級生の仕事だ. 2日おきに当番がまわってくる. 運動部だから,

先輩後輩の序列はきびしい. 上級生には絶対服従. 挨拶も怠ると大変だ. 

上級生には 〜さん 僕ら下級生は呼びつけにされる. はやく高校生になり

たいなあ. 全員分の山の様な洗濯物,臭いなあ,息がつまりそう. 洗うのは

機械があるから,たいしたことはない. でも,以前は手洗いだったから,これは

難行苦行だ. 今でよかったよ. 汚れが落ちてないと,ひっぱだかれる. 冗

談だけれどね,拳固と書いて〈センパイ〉ってルビをふるんだってさ. 

あーあ. 洗いと濯ぎは楽だけれど,その後の棹乾しは大変なんだ. 手間もかかるし,

持ち主を確かめるのも難しい. シャツなんかは裾に名前が書いてあるけれど、

サポーターには何も書いてないことが多い. 陰部にじかにはくものだから,間

違えるとひどく叱られる. 仕方がないから,ブランドとか,使い古しの程度だと

か,形で覚えるほかはない. いろんなのがあり,先輩によって好みも違う

みたい. H先輩はおしゃれで,下着にも凝っているんだ. サポーターも色つ

き,しかも紫色で僕らみたいの標準型じゃなく,スキャンティー型. みんなに見せつけて

いる. 「おいH,もう分かったよお前の,そんなに見せつけるない」 「あはは

は,どうだ,うらやましいか」 「まさか」 僕にお鉢がまわってきて 「おい小杉,

お前もはいてみたいだろう」 「・・・・」白のスキャンティー式の人もいる

し,股下の長いスパッツの人もいる. 一番変わっていたのは,高1のYさん. 

どういうつもりか,白い晒しをフンドシのように巻いている. 奇人なんだ. 

どうでもいいけどね,あんな長いの扱いが大変なんだ. 練習は過酷だし,雑

用もあるし,逃げ出してウチに帰りたくなる. 僕だけじゃなく,みんなそう

らしい. ホームシックで,夜ベッドの中でシクシクすすり上げているのもいる. 

だけど男の子の面子がある. 弱みは見せたくない.  苦しい生活だけれど,

本当のところ僕気に入ってるんだ. 日一日と技量があがり,逞しくなっていく

気がする. それに,あまり余裕はないけれど,暇な時には大好きな昆虫採集

もやれる. このあたりは蝶類の宝庫だ. 捕虫網やドーラン,それに展翅板も

持って来ている. 小学生のころからの僕の趣味なんだ. おもにシジミチョウ

類をねらっている. みんな練習のあいまに,何かいろいろとやっている. 

蓼科は都会から離れているから空がきれいだ. 夜には満天の星,天文好きの子は,

わざわざ天体望遠鏡持参で来ているし,植物採集の子もいる. 

折角来たのだもの,バスケ練習だけじゃもったいないよ. 2週間の合宿期間もどんどん過ぎて,もう

半分経った.  だけど,だけど,この時とんでもない事が起きたんだ. 

まさか,こんな事が・・・・・ そうして平凡なスポーツ少年の僕,中学2年生の

僕,小杉チャーリーはすごい変身,若い僕の未来を左右してしまうような大事件に巻

き込まれてしまうんだ. それはね・・・・・.

            その2

ある日の午後のことだ. 夕食前の自由時間に,僕は昆虫採集に出かけた. 1時

間くらい林の中を走り回る. かなりの収穫だった. 練習でヘトヘトの筈な

のに、好きなことは平気でやれるから可笑しいや. 整理はあとにして,汗に

なったので,シャワー室へ行ったんだ. 誰もいない. ひとりで,勝手にシャ

ワーを浴びる. いい気持ちでジャージャー水を身体にかけていると,誰か

入ってきた. 先輩のNさんだ. 何処か行っていたのかな. 不思議とも何とも思

わなかった. Nさんも裸になって,シャワーを使いはじめた. 突然だった,背

後にまわったNさんが僕の肩をつかんだ. ギョッとする僕,殴られるのかな,

なにか悪い事したかしら. 裸だったから挨拶しなかったけど, Nさんの熱い

息が首筋にかかる. 「おい小杉,お前,本当に可愛いな,俺,好きになったよ.

いい事しようや」僕は羽交い締めにされた. 振り払って逃げようとした. バ

シーン,ビンタが飛んできた,クラクラっとする,そこへまた一発,たまらず

フロアにうずくまる僕,「先輩,な、なにをするんですか・・・・」「いいから言

う事をきけ!」「や,やめて,先輩!」Nさんの大きな,重い身体が背中からの

しかかってくる. 僕はうつ伏せになってフロアに押しつけられた. 混乱しな

がら,だんだん事態が飲みこめてきた. Nさんに僕は襲われているんだ. 合

宿では,昔からよくあったって聞いてはいたけれど、まさか僕がこんな目にあう

なんて,もちろん抵抗したさ,だけど,Nさんは大きいし,力も強い,それに運

動部の先輩と後輩だもの,最後はおとなしくしているほかはなかったんだ. 

「小杉,いい子だな,すぐにいい気持ちにしてやるぜ」「先輩〜勘弁して」先輩

が胸を僕の背中に密着させる. 大きなpenisが僕のお尻に,そうしてanus

(分かるだろ)にその先端が・・・・・出て来た粘液がanusに擦りつけられる. 

先輩の指がなでまわし, anusの中に入っていく. 痛かった,暴れ回る僕. 

でも跳ね返せない. 2本の指が内部をかきまわす. 指が抜けた,ほっとする. 

しかし,まだ終わりじゃなかったんだ. それから,もっと悪いことが. Nさんの(さん付けでいう

ことないね,あいつでいいんだ,Nの奴の)大きなpenisが突っ込まれる. 物



凄い痛さ,僕は悲鳴をあげた.「痛い,痛いよ,助けて〜」だけど先輩はやめない.

 太いpenisが激しく動く. プチュ,プチュ そうして,とうとう,

「う,う,うう〜」Nのうめき声,再び僕の悲鳴.「あ,あ,ああ〜」

Nのpenisが痙攣し,粘液がanusの中に溢れた. ひとときの静寂,

あいつの荒い呼吸,僕は気息奄奄として横たわるだけ. 先輩がpenisを引きぬき,身を起こした. 

「おい小杉,坊や,どうだった? いい気持ちだったろう.お前も好きそうだな」

 「・・・・・」 「また可愛がってやるからな,誰にも言うなよ」 シャワーで下腹

部を洗うと,彼は服を着てでていった. 後に残った僕,フロアーにうつ伏せ

になったまま,僕は声を殺して泣いた. 酷いよ、酷いよ. よろよろ,のろの

ろと起ちあがり,シャワーを浴びなおした. 腰が抜けるようだ。 白い粘液がanusからピッピっと滴

り落ちた. 先輩の精液なんだ. 股間を必死で洗う.穢れた局部,不潔な陰部

を一生懸命に清めた. 衣服を着け, 冷水で泣きはらした顔を冷やし,部屋に

戻った. カイコ棚ベッドのある6人部屋. 自習机もある. 仲良しのYくん

が戻って来ている.  彼は植物好きだ. 机に向かって野草のスケッチをして

いる. 僕の顔をみとがめ,「あれ,キミどうしたの? 泣いただろう.先輩に怒られた

のかい? よほど酷くやられたんだな. キミちっちゃいからなあ. あんなに真面目に練

習しているのにさ. でも,まあ我慢しろよ」 胸がいっぱいになった. 

こいつ,いい奴だなあ. でもオマエ誤解しているよ,そんな事じゃないんだってば. もっ

と酷いことなんだ. 涙が溢れてくる. ベッドに顔を埋め,嗚咽する僕. Yくんは傍に寄り,

背中をギュっと抱いてくれた. 「なあ小杉,しっかりしろよ」 「Yくん!」 Yくん

の体臭がちょっと匂った. 先輩のような,いやらしい身体の臭さじゃなく,

穢れを知らない,初々しい,すがすがしい少年の香り. 思わず僕は彼に抱きつい

て,泣きながら頬ずりした. 彼はこばまなかった. Yくんの目もうるんでいる.

 でも,Yくんに本当のことなんか言えないよ. いくら

親友だって. 両親にだって言えない. これを知ったら,驚くだろうな. ママはきっ

と泣き出す,そうしてパパは,きっと激怒する. パパが怒り出すと凄いんだ.

 きっと最後まで追い詰める. 校長室にまで乗り込むだろう. N先輩は多分助からない. 

校長先生だって,ただじゃすまない. 学校中の大騒動になるんじゃないかな. そうなったら,

僕だって学校にはいられなくなる. そんなのいやだ. 仕方がない. 口惜しいけど黙っていよう. Yくんに寄

り添われながら,僕は心に決めた. 一晩経って,少しは気が落ち着いた. 練

習再開,いつも以上に身体を痛めつけ,汗を流した. 先輩は知らん顔している.

 何事もなかった. 僕は少しづつ心の痛みを癒しかけていた. 

ところが,その次の日,まだ終わってはいなかったんだ.

(続く)



  <>       その3その3

2日が経った. 何も起こらなかった. 先輩も知らん顔している. 

ただ,彼の視線が僕をいつも注視しているみたいで. 練習中に

僕が汗まみれでよろめきながら必死でボールに飛びついている時など,

ねっとりと僕の全身をなめまわす. そうしてサポーターで押さえている局部,

可愛く盛り上がっている股間に視線がじっと注がれているみたい.

 僕は平静を装い,眼をそらす. 忘れよう,気にしないで. 何も起きる

わけじゃない,そばに寄らなければいいんだ. 気をつけてはいた.

 なるたけ,Yくんと一緒にいるようにする. おしゃべりしたり,

彼の植物標本スケッチ覗いたり,僕の昆虫標本見せたり,だんだん

気持ちは癒されたんだ. 僕は厭なことを忘れかけていた. しかし・・・・・・ 

  夕食前のひととき,僕は標本の整理をしていた. Yくんは採集に出かけている.

 林の中を駆け回って採集した蝶をドーランから出して1頭づつ防腐用の

フォルマリンを注射し,虫ピンで展翅板に固定し,羽をひろげ,紙テープで

そっと押さえて乾燥させる. うまく処理できている. 乾いた蝶を標本用の

ドイツ箱に移し、ラベルをつける. すべてを忘れ作業に熱中していた.

 誰か入ってきた. Yくんが帰ってきたのかな. 振り向くこともなく,

 ラベル貼りを続けた. 背後に誰かが立っている. 強い汗の匂い 

はっとした. Yくんじゃない. 振り向くと,あいつだ!. 薄ら笑いを

浮かべて. 2日前の屈辱,不潔な精液にまみれた感触,頭の中に

渦巻く記憶,怒りが突き上げた. 思わず空の展翅板を掴み先輩に

殴りかかった. バシッ,首筋に当たり,破片が飛び散る. 

あいつの顔から笑みが消えた. 「小杉,貴様・・・やる気か!」

 「・・・う,う,う〜・・・」 「ふふ,来いよ」 くるっと背を向け出ていく彼,

後を追う僕,ジャージを着たあいつの背中,広い肩幅,背も高い. 

見るからに強そうだ.びんたを張られた痛みを思い出した.

僕はTシャツに短パン,スニーカーを履いて屋外に出た.

 裏手の林の中,古い物置がある. その陰に廻ると,

あいつは立ち止まった. 睨み合う二人,「逃げないでついて来たな,

なんだ震えてるじゃないか,怖いんだろ」「・・・・・」 「マジで俺とやる気かよ,

土下座してあやまれ!そうしたら許してやるぜ」 「いやだ!」 もう,

後にはひけない. 僕だって男の子だ,死に物狂いでやってやる!

 拳を握り締め歯を剥き出し,身構える僕. 「へ,いい度胸だな,

覚悟しろよ」 突然パンチが飛んできた.コメカミに当たり,グラッとする.

「糞っ〜」 僕の反撃,体当たりをくらわし歯を食いしばってボデーブローを何発も.

 突き放されて,また殴られる. 鼻血が飛んだ. ひるまずにさらに

殴りかかる. 激しい打ち合い,でもとうとう. 腹への一撃で

僕はたまらず膝から前に崩れた.「あう・・・う,う・・・」 胃液が突き上げ

意識が遠のいた. うめきながら突っ伏す僕をあいつが抱き起こし,

物置の中に引きずりこむ. もう戦えない,完全に戦意を喪失した僕を,

あいつは古いマットの上に座らせる. 「おい,お前,悪かったな」

 意外に優しい声だった.「手向かうからだよ,ごめんな」 「・・・畜生・・・糞〜・・・」

 「俺,お前が好きなんだよ,そう怒るな」 いきなり,彼の唇が近づいて,

僕の血と唾液にまみれた唇を吸った. もう抵抗できなかった.

 そうして,短パンとブリーフとが引きずり下ろされ,露出したpenisが掴まれる.

 「やめて〜っ」 「おとなしくしろ!」 あいつは僕のpenisをしごきながら

自分のを露出し,僕の口の中に押し込んでくる. 目の前の大きな,

そうして汚らしい棒状の海綿体のかたまり,そうして先輩の睾丸,

厭な匂いがした. 先端から透明な粘液が僕の口元に滴り落ちる,

喉にまで突っ込まれた.「う,う,ぐ,ぐ・・・・」 生臭い精液が口に溢れた.

そうして,同時に僕のpenisも反応して白い粘液が宙に・・・・口惜しく,

恥ずかしさで身悶えする僕. 死んでしまいたい. 後悔の念が頭をよぎった.

 今日は僕の方から仕掛けたんだ。 逃げればよかったんだ,

あるいは謝ってしまえば・・・・ そんな事はできない. 僕だって1人の

健康なスポーツ少年だ. プライドもある. 倒れるまで戦う覚悟

だったんじゃないか. 降参なんてするわけにはいかない. でも,

やっぱり口惜しい. 虚脱状態で倒れたままの僕.先輩は黙って出て行った.

 取り残された僕は声を殺して泣いた. 僕はのろのろと起きあがり, 

よろめきながら部屋へ戻った. さいわい誰にも会わなかった。 

Yくんは帰っていた. それからもうひとり,同室のSくん.
 
6人部屋だけれど,3人だけ. 僕の顔を見て,2人とも顔色を変えて

起ち上がる. 「おい小杉! どうしたんだ,またやられたのか?」

 「ああ・・・」 「酷い事しやがるなあ」 僕はそのままベッドへ倒れこむ.

 Sくんが洗面所へ走り,ぬれタオルを絞って顔の血を拭いてくれる.

 Yくんが顔の傷を消毒し,青く腫れた鼻柱と切れた唇にバンドエイドを

貼ってくれた. 血に染まったTシャツと短パンを脱がされ

新しいのに着替えた. 「こんなにやられちゃって,オマエ抵抗したのか?」

 「・・うん・・」 「そうだろうな,キミ女顔でおとなしそうだけど,いざとなれば

気が強いし、勇敢にやるもんな」 「でも,かなわなかった」 「そりゃ,上級生じゃなあ,

 いったい誰にやられたんだよ」 「・・・・・あの,N・・・」 「あいつか, 畜生!

 オレたちがいればなあ」 Sくんがシャツと短パンを抱えて洗濯場に

持って行こうとする.「今のうちに洗濯機に放り込んでおけば何とかなるよ」

 Sくん明日は洗濯当番なんだ. Sくんがはっとした顔になる.

 そうしてYくんに目配せ. 「おい小杉,オマエまさか」 僕の下着,

それに僕の身体,沁みついた精液の青臭い匂い.「オマエ,やられたのか」

 「・・・うん・・・」 「そうだったのか、可哀想に」 「オレ,口惜しいよ」 僕は嗚咽した.

 「小杉!」 二人は僕に抱きついた,そうして泣いた. 「オレ,

バスケ部やめる・・・・」 「駄目だよ,そんな事言っちゃ」 「そうだよ,

それじゃ負けたことになるぜ」 「そうだ!戦えよ, オレたち応援する」

 「小杉,これから絶対オレたちの傍離れるなよ」 「そうだ!

必ずオマエを守ってやる」 「ありがとう・・・・だけど・・・」 チャイムが鳴った.

 夕食の時間だ. しかし,僕は食堂に行く気がしなかった.「オマエ,

寝ているか?」 「あとで何か持って来てやるよ」 「そうだ,部屋に

鍵かけておいた方がいい」 薄暗くなってきた. 僕はベッドの中で眼をつぶった.

気がつくと暗くなっていた。 YくんとSくん、まだ帰って来ていない。

 身体じゅうが痛い、ほっぺたが腫れているみたい。 濡れタオルを

押し当てて冷やした。 二人が帰って来る。 お茶とフルーツ、それに

ビスケットと板チョコ、口の中が切れていて、染みて痛い。 少しづつ口に入れた。

「ね、夕食なんだった?」「カレーだよ、うまかったぜ」「そーかー、だけど、オレ口の中きれてるから、痛くて食べれないよ」 

笑ったつもりだけれど、顔がひきつっただけだ。 それから夜おそくまで、僕らは話し合った。 純真な少年3人、いくら話しても

いい知恵は 浮かばなかった。 Sくんは部長先生に直訴しようという。 

YくんはNを殴りつけようという。 Yくんは体格がいい、背も高くて僕より頭ひとつ 出ている。

 力も強く、一騎打ちで先輩とやれば、きっと互角に渡り合える。 「小杉、キミじゃ駄目だ、

きっとやられちゃう、オレがやる。 あいつ、どうしてくれよう。 ぶったおしてやる!」

だけど、僕は・・・・すべてを話した。 両親のこと、

そうして事が明るみに出れば僕も ただじゃすまない。 学校をやめたくない、友達を失いたくない。

 彼らも納得した。 そうして寝ることにした。 SくんとYくん、どこからか古バットと竹刀を

探して来て、 ベッドの下に隠した。   


その4

翌日は合宿の最終日だった。 練習は午前中だけ、午後は合宿所の大掃除、僕ら

下級生は用事が多くて大変だ。 夕方までかかった。 そうして打ち上げコンパ。

 庭に出てキャンプファイアー、いつも楽しみにしているのだけれど、なにし

ろこの間からの事があるから、なんとなく気が重い。 たき火のまわりに車座に

なって、飲んだり食ったり、歌を唄ったり、YくんとSくん僕の隣にピッタリ

座って離れない。 そうして先輩と目が合うとすごい表情で睨みつける。 彼の方

が弱々しく目をそらす。 本当はあいつ気が小さいんだ。 哀れに思った。 

だけど、2人に怒られちゃった。 「オマエひとがいいなあ」「100パーセント

向こうが悪いんだぜ」僕たちは早めに引き上げ、荷物をまとめた。 Yくんはス

ケッチブックに植物標本の紙ばさみ、Sくんは小型の天体望遠鏡、僕は捕虫網に

ドイツ箱、みんな大荷物だ。翌朝合宿所を出発、バスで茅野駅まで山を下り、

中央線の特急で東京に向かう。 他の子とは離れて3人いっしょに座席に座った。 

Sくんがキオスクでお菓子や飲み物を買い込み、3人気楽におしゃべりをしなが

ら、途中、上野原を通過、ここは有名な昆虫採集のメッカ、いつも沢山のマニア

たちがうろついている。 はじめの予定では、途中下車するつもりだったけ

れど、今はそんな気になれない。 はやく家へ帰りたかった。 2時間ほどで新宿

に到着。 ここで2人と分かれた。 「じゃ、さよなら ほんとに有り難う」

「なに言ってるんだよ、オレたち友達じゃないか」「おい小杉、元気出せよ」「新学期、

必ず来いよ」「うん」「オレたちがついてるからな」「なんでも言えよ」

「・・・・・」帰宅すると、ママが僕の顔の傷を見て、「まあチャーリー、

どうしたの?」「うん・・・喧嘩しちゃった」「駄目ねえ、気をつけなさい」

「ハイ」 ママは何も気がついていない。 ほっとした。

こうして中学2年、13歳の僕の夏は終わった。 忘れることのできない、心の傷を負って、

これからどうなるんだろう。 例の先輩は高2だから、あと1年は顔をあわさなければならない。 また襲われたらどうしよう。

 YくんとSくん、僕を守ってくれると言ったし、本当にそうしてくれると思う。 でも、僕だって男だ、

友達の陰にかくれて、逃げ回るなんて、そんな恥ずかしいことできやしない。 闘わなければ、

自分を守らなければ、だけど、とうていかないそうにない。 僕は未来を恐れながら新学期を待った。

合宿が終了すると、いよいよ夏期休暇だ。 約1ヶ月の休み、でも遊んでばかりは

いられない。 課題の自由研究も仕上げなければいけないし、他の宿題もある。

 自由研究は採集した蝶の標本を提出することにして、英語の宿題は、1冊の

本から単語を抜き書きし、自分だけの辞書を作ることにした。 小学生の妹の

詩里の宿題も手伝ってやらなければならない。 相当忙しいよ。 詩里は勉強嫌い

なんだ。 「お兄ちゃん教えてー」「うるさいなあ、自分でやれよ」「だってえ、

分からないもん」こうして夏休みは過ぎていった。

(この項終わり 中学2年の思い出を永久に封印)



再びそれからのチャーリーに戻る

新学期がはじまった。 オレはバスケ部員のまま。 内心はいやだったんだ

けれど。YくんとSくん、ふたりのアドバイスもあったし、あいつら本当にいいやつだ。

 本気でオレに加勢するつもりらしい。 オレも覚悟をきめたんだ。

 平気でいよう、また何かあったら死に物狂いで闘ってやる。・・・でも、何も

起こらなかった。 先輩は移り気だった。 いつのまにか、次の犠牲者を見つけた

らしい。 体育館の用具庫があやしいな。 あそこに可愛い下級生を引きずりこ

んで、ああ腹がたつ。 でも、どうしようもない。 卑怯かもしれないけれど、

騒ぎ立てて前のことが露わになったら。 犠牲者が誰だかわからないが、自己

責任だよ、オマエ、がんばれ、しっかりやれよ。 親友二人に言われたのと同じ

ような事を心の中でつぶやいた。 平穏な日々が続いた。 オレは以前のような

明るい健康なスポーツ少年に戻りつつあった。 しかし、オレは気がついていなかっ

た・・・・心の奥の傷、潜在的なトラウマにいつのまにか侵されているのを。

 思い出は封印してしまった。 だからオレの意識には浮かんでこない。 

でも、封印されたものは消去されたのではなく、否定されてもいないんだ。 

強制されたものではあるけれど、少年の同性愛、念者と若衆、この潜在意識はいつまでも

オレの心の中に残ったんだ。 倒錯した性行為、凄く痛かったし不潔感もある。

 だけどあの一瞬の感覚、心の中に残る記憶として、突然甦って来る。

 あの先輩はいやだ。 思い出したくもない。 しかし、対象が違うと・・・・

YくんとSくん、仲良しの二人、雄々しく逞しいYくん、

胸にも腕にも筋肉が盛り上がって、そうしてスラリとした長身で美少年のSくん、

色白ですごく可愛い、頬骨のあたりにちょっとニキビがでているけど、

実はあいつらオレみたいなチビとは体格が違う。 背も高いし、身体の匂いも違う。

オレなんか子供っぽい青臭い体臭だけれども、彼らからは若者らしい

強い腋臭が薫る。それからシャワーを一緒に浴びた時に気がついたのだけれど、

身体が出来ている。 逞しいし、下腹部の陰毛も黒々とよく生えそろって。 オレみたいな幼稚

な身体じゃない。 猛練習の日々、特にYくんはレギュラー扱いだから、断然

シゴかれる。 力尽きて倒れたYくんを抱き起こして介抱した時、彼の汗の匂い、

それに蒸れたシューズの特有の異臭、鼻をうつ臭気を嗅ぐと、オレは急に妙な

感覚に襲われる。 そうして股間のサポーターで押さえたpenisがむくむくと

固く大きくなってくる。 ああオレは何を考えているんだ。 彼らは気がついていない。 

汗まみれの二人の肉体、汗染みで変色したバスケパンツ、そうして股間の

ふくらみを見ると、また妄想が湧き上がってくる。 Yくんの、Sくんの股に口と鼻を

押しつけたい。 オレ変態かなあ。 毎日が苦しかった。 忘れよう、忘れようとオレだって努力したんだ。 勉強にも打ち込んだ。

 趣味も増やした。 昆虫採集以外に天体観測も始めた。 天体望遠鏡を買って貰って、

Sくんの手ほどきで。 でも駄目だった。 親切なSくんは、ベランダに出した望遠鏡の

操作を教えてくれる。 視野の決め方、倍率の調整、そうして自転による対象の補正、

二人で身体をくっつけあって望遠鏡を操作する。 Sくんの強い体臭と爽やかな口臭を感じると・・・またオレは

妙な感情に襲われるんだ。 一度だけだけれど、夢中でSくんに抱きつき頬ずりしてしまった。

 からくも感情を抑えて唇は近づけなかった。 彼びっくりしたらしい。 こんな事しちゃいけないんだ。

 お兄さんみたいな親友二人の肢体を忘れようと、女の子のことを考えることにした。 健康な男の子だもの、

おかしくも何ともない。 クラスメートの中のマセた奴が、少年用の変な雑誌を持っている。

 それを借りていつもみんなで回し読みをしている。 ひどい題だったなあ。

 性交とか精通だとか、たくましく立ち上がったpenisの大きな写真や、

精液で濡れた局部なんかが写っているんだ。 家へ持って帰って個室でこっそり見た。 手がいつのまにか

股間にのびてpenisをまさぐる。 透明な粘液が漏れだして下着をベタベタに汚す、

驚いてお風呂場に雑誌を持ち込んで全裸のオレと見比べることにした。 大失敗だったなあ。

 十分に堪能(?)してから身体を拭いてパジャマを着て二階にあがったんだ。 雑誌を脱衣場に忘れたままでさ。 

オレ馬鹿だよなあ。 次の朝ママがそれを見つけて悲鳴をあげ失神寸前になったらしい。 うんと怒られた。

 だけど、少年の生理と心理、不思議とは思わなかったようだな。 事はうやむやになり、オレの苦痛は未解決のまま。

 とうとうオレは決心した。 親友の二人、離れるのはつらいけれど、距離を置こう。 中3の終わり、高校進学の時期に

オレはバスケ部をやめた。 そうしてボクシング部に入部したんだ。とにかく、

身体を痛めつけたかったんだ。 殴り殴られ、肉体的な苦痛で

倒錯したセックスの淫靡な快感を洗い流す、少年特有の生理と心理、オレは格闘技で性感を昇華しようとした。 

それからね、例のあいつ、N先輩、彼は卒業したけれども、どこか進学先を

探し出して殴り倒してやる。 今度は負けないぞ。 タチ悪いなあ、オレってさ。 それにさ、執念深い、 うふふふ。

  YくんもSくんもすごく残念がったけれども、オレが女顔に似合わず個人格闘技が好きなこと知っていたから不思議だとは思わなかったらしい。

 オレたちの友情はその後も続いたからね。 ウチの部全然強くない。 練習量は少ないし、部員も多くない。

 校内ではマイナーな方。 それで物足りないので、掛け持ちで町のジムに通うことにした。

 パパはいい顔をしなかったが、ママが賛成してくれた。 パパにママなんて恥ずかしいくらいおかしいや。

 だけどね長いあいだの習慣でね、オヤジにオフクロって言ってみたいんだけどね。 それでそのパパだけれど、

弁護士だからいろんな方面に知り合いがある。 暴力団関係にもいるらしい。 銀座警察っていうのなんかだ。いやだなあ。

 決まったら気の早いもので、すぐにボクシングジムの会長さんと話をつけてしまった。

 入門の初日、両親がついてきた。 ジムの人みんな驚いたらしい。 あーあ。 ここでマサルくんとめぐりあった。 いろいろな事があった。

 高2で16歳、オレはジムをやめて部活に専念している。 マサルくんはC級ライセンスをとって

プロデビューしている。 優勝はできなかったけれど、新人王戦でもいいところまで行った。 またマサルくんに会いたいなあ。

 でも前のことがあるからな。 彼は責任を感じているらしいけど、そうじゃないんだよ。 オレのせいなんだ。

 オレの秘められた性向が原因なんだよ。 誘惑したのはこっちなんだ。

 (続く)



New Page小杉チャーリーの学校生活(続編)

その1

オレとヨシコとの関係はずっと続いた。 そりゃあ喧嘩もしたし、行き会っても

目をそらし、口をきかなかったこともある。 だけどね、いつもじきに仲直りして

オレはほっとした。 ほんとにあいつはいい子だ。 かわいいし、気だてもすごく

優しい。 できたら、結婚したいなあ。 オレ、本当に思ったんだ。 抱き合って

キスをして、 たがいにお互いの身体に触れ合い、まさぐる。 オレの急所は

たちまち勃起し、粘液が先端 からにじみ出す。 ヨシコだってそうだ。 

興奮し、あえぎ、身もだえしてオレを求めてくる。 オレだって望むところだ。

 だけどね、限界を超えることはなかった。 我慢だ。

健康で純真な少年のオレ。 極限で踏みとどまり、清く分かれる。 当然のことさ。

だけどね、家に帰ってから、夕食を食べ、課題を済ましてから就寝。 暗い寝室の中

ベッドの上でオレは身もだえた。 ペニスを揉み、それをベッドのシーツに押しつけて

腰を 激しく動かす。 ペニスは怒張し、先端からは精液が迸り出す。 「ああー、あー」 

「ううー」 オレは意味もなくあえぎ、うめく。

 眼前にヨシコの裸身を妄想しながら、オレは一気に射精して果てる。

New Page 朝になった。 昨夜の醜態を思い出し、いくばくかの後悔を感じながら

身体を調べてみる。 汚したかなあ。

やっぱり、股間はぬらぬらと湿っぽく、青臭い精液の異臭が上がってくる。

 陰毛にも何かこびりついて、ブリーフも染みが出てバリバリになっている。

ああやっちゃった。 あわててシャワーを浴び、下ばきもはきかえて、

汚れたブリーフは洗濯機へ放り込み、何喰わぬ顔で朝食。  制服を着ていつもの通り家を出た。

こんな毎日だった。 誰にも、親にも言えない秘密、自慰行為は続く。 時には夢精にもなる。

朝起きてはっとする。 「いけね」 誰知るまいと思っていたけれど、母親はとうに気付いていたらしい。

 

若いオレの身体から発散する汗の匂いに混じって、やはり精液が匂ったんだろうな。

でもオレ止める気はなかった。 あの気持ちの良さ、たまらないよ。

困ったこともあった。 若いオレの身体は異性を求めている。 ヨシコと向き合った時、

自然にオレのペニスは勃起し、先端が濡れてくる。 健康な17歳の少年だ、当然なことなんだ。 だけどね、下腹部が盛り上がり、ズボンの上からも分かるようになると、オレは困惑した。 

原因は当のヨシコなのだけれど、やはり彼女が気付いたら・・・・

どうやって隠そう。 いやらしいエッチな奴だと思われたら。 いいことを思いついた。

 練習用のサポーターをブリーフの上に付けて、それからズボンをはく。

 これで大丈夫だ。 ペニスは固くなるけれど、サポーターで押さえられて盛り上がることはない。

 もちろんブリーフは汚れるけれどね。 ただ、どうしても漏れだした

少量の精液の匂いが股から立ちのぼる。

 サポーターの所為でトイレでの排尿が難しい。

 女性を愛するのにも苦労があるものだよ。



その2

いつのまにかオレは高3になっていた。 17歳の後半、もうじき

18歳になる。 だんだん大人が近づいてくる。 ヨシコも同様だ。

オレたちのつきあいも大人びてきた。 酒を飲んだりたばこを

吸ったりはしないけれど、デートで二人で入る店も、高校生らしい

セルフサービスのコーヒー店から、豪華な調度品の揃った

喫茶店に変わっている。 小遣いが足らなくていつも困ってた。

二人とも体格も体質も、いつのまにか成長して、オレは背こそ低いが、

筋骨たくましい青年の体躯に、彼女もいよいよ女らしく、身体の匂いも

変わってきたなあ。 オレなんか特にそうで、成人の強い体臭、

脇毛が黒々と生え揃ってはみ出し、髭も濃くなってきた。

ヨシコはヨシコで、男心をそそる甘美な香り、なんていい匂いなんだろう。

あいつ、脇毛をこまめに剃っている。 前はチョロチョロ剃り残していたのに。

抱き合った時に分かるんだ。 オレも、だんだん大胆になって、ただのキス

だけじゃなく 彼女の胸元に顔を埋めたり、 鼻を脇の下に押しつけて彼女の

匂いを嗅いだりする。 もう一人前の男女関係だ。 でも、セックスはしなかったぜ。

大学入試も近い。 オレは国立を狙っている。 ヨシコは私大のつもりらしい。

お互い大学生になるまでは、あるいは成人式が来るまでは清い身体でいよう。

夏休みが近づいた。 大学受験まであと7ヶ月、ぐずぐずしちゃ

いられない。 実はオレまだ部活を続けている。 ボクシング部

の主将なんだ。 去年の夏休みの直前7月からの主将、任期

1年だから、もうちょっとの辛抱だ。 オレ軽量級だろ。 体重は

少しずつ上がって52キロ、フライ級だ。 1年のころはモスキート

だったから、1年ごとに3キロ強、ウエートがひとつづつ、どこまで

行くかなあ。 軽量級の主将なんて、柄にもないし、それにオレ

目立つことは嫌いだから嫌だって断ったんだけれど、コーチに

おどかされて仕方なく、おかげで他のクラスメートみたいに補習

にも通えないし、ちょっと慌てている。 でもボクシングは好きだし、

夏休み前のインターハイで好い成績も取りたい。 全国は無理

でも、東京都予選ではいい所まで、本当はベスト4を狙ってい

るんだ。 体重が上がるとともにパンチ力もついてきた。 得意

の右フックで、何人かをキャンバスに這わせている。 軽量級の

ホープ、強打者なんて言われて・・・・でも、強打者は打たれ

弱いってよく言うだろ。 たしかにオレ、倒すけれども倒されも

している。 13戦して8勝5敗、そのうちKO勝3,KO負2 

惨憺たるものさ。 でも、これが評判になって、倒すか倒されるか、

白面の若武者の流血の奮戦なんてスポーツ紙に書かれたこともある。

大学体育会からのスカウトも来た。 「キミ、頑張れよ。 ベスト4

に残れたらウチへ来い。」「推薦で楽勝だ、奨学金も取れるよ」

やなこった。 大学でまでこんな苦しいことやるなんて。 それに

両親が許す筈がない。 都選手権がオレの最後の試合になる

その3

初戦の相手は、アサノ高校のハヤシくん、

前からの顔見知りだけれど、まだ彼とグローブを会わせたことはない。 

実力は未知数だ。オレたちと同じ進学校、毎年T大に25名くらい

入っているらしい。 多分、練習時間は少ないだろう。 なんとなく秀才面

してやがる。 スラッとした体格、細面、格好いい高い鼻、

ほっそりした足には生え始めたすね毛が薄く、脇毛も生えてるな、

女の子みたいにかわいい口を小さくひきしめ闘志に充ち満ちた表情。

 こいつ鼻弱いんじゃないかな。 きっとボクサータイプだ。 オレは

ファイターだけれどね。 前進また前進、頭を押しつけて のインファイト、

消耗戦が得意なんだ。 試合開始、 こいつ

案に相違して、ウイービングしながら接近してくる。

そうなのか、ファイターだな、来るなら来い。 やってやる。

至近距離で待ちかまえ、出鼻に短いストレート。 命中して

鮮血がパッと飛んだ。 ちょっとひるむあいつ、そこへ 容赦なくフック攻撃。

 たちまち顔面血まみれ、苦しそうに マウスピースを白くむき出して、

顔を押しつけてくる。荒々しい息づかい、強い口臭、 突き放して、

体勢が崩れたところに、さらにフック攻撃。 敵はグロッキーだ。 

しかし凄いファイトだ。 身体が 斜めになりながらも、

フックで反撃してくる。 オレの 胸元も敵の返り血に染まる。

勇敢に戦うあいつ、しかし 徐々に弱ってきた。 とどめの一撃、

右をジョーから 突き上げ、膝をガクッさせてキャンバスに沈む。

やった!ノックアウトだ。 彼は長身をながながと伸ばし、 ぴくりとも動かない。

 顔をキャンバスにつけたまま、 鼻血が小さな流れを作っている。

 相手のセコンドと いっしょに抱き起こしてやり、コーナーにまで支えて 行く。

 勝った、ベスト16入りだ。

準々決勝、ここで勝てばベストフォーに進出できる。対戦する

相手、名門のC商業の子、何人もがチャンピオンに

なっている。 強豪だ。 とにかく、あいつらは強い。

恵まれた体力、凄まじい闘志、前半の劣勢を跳ね返し、

必ずKOで敵を討ち取る、彼ら伝統のお家芸だ。

対照的な二人、色白で長髪、女顔で端正な容貌のオレ、

浅黒く丸刈りのあいつ、むしろ番長タイプだ。 オレは

濃紫のシャツに濃紺のトランクス、ウェストとサイドの

ラインは白、あいつは茶色の上下、朱色のラインだ。

互いの胸の校章の縫い取りや校名の白抜き文字が、

母校の名誉をかけた一戦の緊張感を際だたせる。

リングに上がり、コーナーで向き合った。 マウスピース

を口に含み、リング中央でグローブをあわせて挨拶、

ニッとかすかに笑い、口からマウスピースが 白くこぼれる。

レフェリーの注意を聞く。 胸が触れ合うくらいに詰め寄り

拳を握りしめにらみ合う。 用具の革の匂い、汗ばんだ体臭、

それに若い腋臭、 少年ボクサー特有の臭気がただよう。

 互いの荒い息づかい、

「おーいお坊ちゃんだよ、可愛がってやんな・・・・・」「ははは、

野次られていますね」「そうですね、なにしろ進学校の生徒

ですからね」「真面目そうな子ですねえ」「可愛らしいし、

見るからに、おとなしそうなんですがね、いざ試合となり

ますとね、旺盛な闘志で血まみれの接近戦をよくやるん

ですよ」「そうなんですか、強打のファイター同士、KOシーン

必至ですね」「期待できますね、成績も大変いいそうですよ」

ゴングとともに試合開始。 バスッ、バスッ 重いパンチが

顔面に、そうしてボディーに命中、鮮血と汗のしぶきが散る、

倒しあいになった。 3ラウンド中にオレが2回、あいつは1回

の強烈なノックダウン。 その度に歯を食いしばってよろめきながら立ち上がる。

 観客から拍手がわき起こる。 そうしてラストラウンド、C商業伝統の凄まじいラッシュ、

死に物狂いで反撃するオレ、しかしコーナーに追いつめられ

連打を浴びる。 ついに力尽きた、腰から沈みそのままうずくまる。

 タオルが投げ込まれた。 無念の棄権負け。 

セコンドが飛び込んできて、 オレを抱き起こす。 

敵の選手が一緒にオレに付き添って、 血を滴らせながら。 

コーナーで二人は抱き合った。 「有り難うございました!」

肩をたたき合ってのさわやかなエール、拍手がわいた。

セコンドに支えられながらリングを降りた。

スポーツタオルを羽織って客席の間を歩く。マバラな拍手、

ヨシコが目をうるませ、口を押さえている。 目があった。 

ニヤッと笑おうとした、しかし、顔が異様にひきつっただけ、

眼の下を赤く腫らし、鼻柱を青黒く無惨に変形させて、敗戦

ボクサーの典型的な顔面、ヨシコが眼をそらせた。 黙って

通り過ぎ、控え室へ。 ベンチに力無く座る。 一気に汗が

吹き出してきた。 頭がクラクラする。 頭痛と吐き気、

ノックアウト後のお決まりの症状だ。 頭に氷嚢が

当てられ、首筋を揉まれる。汗まみれの

ユニフォームを脱がされ、カップをはずす。 

押さえていたサポーターとバンテージを取る。 両方とも汗で

グチャグチャ。 異臭が匂う。 全裸の身体を冷たいタオルで

拭き、うつぶせになって全身マッサージ。 なんとなく眠気を

感じた。 不思議に股間に性感を感じ、オレのペニスが



恥ずかしく勃起した。 トレーナーがフフッと笑い、背中を

ポンと叩く。 「おい小杉、倒されても元気あるな!」 「・・・・」

元気づけてるつもりなんだ。 だけど、だんだん悔しくなってくる。

眼に涙があふれた。 ああ負けちゃった。 高校生活最後の

試合、棄権負けギブアップの惨敗。 チキショーくやしいなあ。

部長先生とコーチがやって来た。 「小杉、よくやった、凄い

試合だったな。」「ご苦労さん、主将の責任も果たしたし、

下級生の面倒もよく見ていたな」「センセー、すみません、オレ

くやしい、残念です」「おい泣くなよ、胸を張って行け、キミは

義務を立派に果たしたんだ。」「いい記念になるぞ。」

2年生のT,同じフライ級だが、今回は出場していない。

「小杉さん、しっかり、大丈夫ですか。 でも、好い試合だったなあ」

「すまない、オレ恥ずかしいよ」「そんなことないですよ、オレも見習わ

なくっちゃ。 きっとカタキをとりますからね」「ふふふ、まあ頼むぜ」

「ハイ!」 打撲の傷跡にヨーチンを塗り、変色した鼻柱に

ガーゼと絆創膏、瞼に眼帯をかけた。

酷い顔だよ、女子学生が眼をそむける。コソコソと家に帰った。


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2002年10月18日 08時58分51秒


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