カンボジア日記

☆2006年3月17日から25日までカンボジアへ行って来ました。☆


カンボジアって?

周りをタイ・ベトナム・ラオスに囲まれた国。
アンコールワットとトンレサップ湖が有名。
ポル・ポト政権時代クメールルージュによって拷問が行なわれ、今でも彼らのトラウマとなっている。
また、地雷・不発弾問題が今尚深刻である。
首都はプノンペン。
アンコールワットがあるのは北部の町、シェムリアップ。






3月17日

チャンギ空港

早朝出発便のため夜中に空港へ。カンボジアへはシンガポール経由で。
シンガポールでの乗り継ぎ便はトランジット約2時間で便利な朝便があり、旅行会社でチケットを予約した時にはこの便は空席待ちだったので、空港で確認することに。
するとカウンターのお姉ちゃん曰く、取れていると。一緒に行った同僚2名、合計3名分取れていると。
何度も何度も確認した。さらに上司っぽい人にも確認し、彼女らは絶対取れていると豪語した…が、シンガポールでチケットを受け取る時には取れてないと言われた。
やっぱりね…だから何度も確認したのに…
結局9時間待って夕方の便に乗ることに。
唯一の救いはシンガポールのチャンギ空港はかなり大きく、お土産・免税店はもちろん無料インターネットや無料ゲームまであるので時間をつぶすには苦労しなかったことかな。


バイクは免許要らないらしい

17:30、カンボジア到着!!一度来てみたいと思っていたカンボジア。
まず印象に残ったのは、バイクの多さ、道が広いこと、露店でフランスパンを売っていること。
まずはホテルへ。空港から市内まで約20分。定額7ドル。ホテルはゴールデンゲートホテル(金門大酒店)。
チェックインし、シャワーを浴びて、私が所属している団体のカンボジア事務所の職員とホテル近くの「アモックカフェ」で夕食。
アモックとはカンボジアの料理で、魚のココナッツミルク煮(ちょっとカレー風味)。
その他いろんなカンボジア料理をいただいたが、タイ料理によく似ている。
タイ料理ほど辛くないので、とても食べやすい。



3月18日

クイティアオ

朝、朝食を求めてブラブラ。
東南アジアによくあるように小さな屋台が朝から営業している。
そのうちの1軒に入り、タイ料理にもある「クイティアオ(米の麺スープ)」を食す。
大陸国というのはやはり周辺国の影響を大きく受けていると思う。
カンボジアならタイ、ベトナム、中国そして植民地支配していたフランス。
よくよく考えると私が行ったことのある国は島国が多い。
日本に生まれ、サモア、ニュージーランド、スリランカ、フィジー、アメリカンサモア…。
それなりに周辺国の影響はあるが、(良い、悪いは別として)大陸国と島国では影響の度合いが大きく違っていると思った。







オリンピックマーケット

この日、まずはオリンピックスタジアムと、隣接するオリンピックマーケットへ。
カンボジアでオリンピック??開催された記憶もないし、開催される予定もない。
でもカンボジアの人たちはカンボジアでオリンピックをやりたい。夢見ている。
オリンピックマーケットには所狭しと、布、服、宝石を扱う店がひしめき合っている。
でも結局買ったのはサトウキビ(おやつ:茎の部分。ガジガジ噛む)とサトウキビジュース。







焼き物製作中

昼前、所属団体のカンボジア事務所を訪問。
いい忘れましたが、旅の目的は「カンボジアの地雷除去団体及び地雷原視察と所属団体のカンボジアでの活動視察」ですから!
で、カンボジアでは小型武器回収とそれに平行した農村開発(学校への井戸・トイレ建設、識字教育、灌漑用ダム建設、焼き物釜建設等)を行なっている。
ポル・ポト政権時代の内紛の影響で小型武器が広くカンボジア国内に流布している。
最近改正された国内の武器法では、所持しているだけで罰せられる。
しかし山奥の村の住民は知らなかったり、文字が読めなかったりなので、武器回収キャンペーンをして武器を集め、その見返り(?)として農村開発を行なう。
今回はその活動地の一つである、コンポンチュナンという所へ。プノンペンから車で2時間ほどの村。
ここでは乾季に水を工面するダム施設(というよりため池)や、焼き物用の釜(コンポンチュナンは焼き物の町)、学校の井戸、トイレを見学させてもらった。
ちなみにクメール語で「コンポン=港」「チュナン=鍋」だそうで、プノンペンは「プノン=丘」「ペン=ペン婦人(人の名前)」らしい。


美女軍団

コンポンチュナンから戻ってきて、晩御飯は「平壌冷麺」へ。
北朝鮮の美女軍団が給仕したり歌を歌ったり、踊りやバイオリン演奏を披露してくれる。
デジカメで動画を撮ったが、その映像はまさに「潜入!北朝鮮。知られざる表と裏!」みたいな映像になってた。
拉致されないかとドキドキしたが、普通の韓国料理屋なのでプノンペンにきたら行ってみるといいかも。オススメ。
日本につれて帰ったらいい商売になる!と思ったのは私だけ??







3月19日

トゥールスレン

日曜日だから仕方ない。みんな休みやもん。観光するしかない。
というわけで、クイティアオとコンデンスミルク入りアイスコーヒーの朝食を終え、「トゥールスレン博物館」へ。
ここはポル・ポト政権時代、約2万人が収容されクメールルージュによって拷問が行なわれた収容所を、現在は博物館として一般公開しているところ。
元々は高校(中学校だったか?)で、教室を拷問部屋に使ったり、仕切りをつけて独房に使ったり、とにかく非人道的なことが行なわれた。
そして当時の様子や収容された人たちの写真、使っていた拷問道具が展示してある。
生き残ったのはたったの6人だけだったそうです。
霊感強い人や敏感な人は行かないほうがいいかも…
私は全然そういうのないけれど、あまりの息苦しさに写真1枚しか取れなかった(しかも遠影)。


トンレサップ川沿い

気分一点ロシアンマーケットと呼ばれるマーケットでお買い物。
ここにも布、服、違法コピーのDVD、仏教関連グッズ、民芸品などが溢れており、とりあえずクメール織の布をなんとなく数枚購入。
それから「地雷危険Tシャツ」と「不発弾危険Tシャツ」を購入。
カンボジアはそういうのも観光資源にしてる。たくましいやね。
そういえば、「旅の指差し会話帳」にも「このへんに地雷はありますか?」なんて例文があったなぁ。
その他にも、職業欄にNGO職員というのがあったり、生活用品欄にコンドームがあったり…まあ、そんな感じの国なんだな。
それからトンレサップ川沿いのFCCというカフェで昼食。



カンボジア王宮

午後は王宮へ。
タイの王宮とさほど変わらないが、やっぱり壮大だ。
これでもかーって感じの金ぴかの装飾と彫刻が美しい。
ただ猛暑の中歩き回ってへとへとで、のどからからの時に、ちょうどいいタイミングでジュースを売っているおばちゃんを発見。
そりゃ買っちゃうよ。すごいよ、おばちゃん。商売上手。
夜は今回一緒に地雷原を回るメンバー達と合流、顔合わせ。
実は今回の視察は、地雷除去機を作っている某日本企業をTBSが取材するのに同行させてもらうことになっている。
放送は4月23日(日)夕方18:30からの「夢の扉」で。お楽しみに。(2週にわたるかもという話もしていたがどうなったんだろう?)



3月20日

CMAC本部

朝、同行メンバーと共にCMAC本部へ。
CMACとはCambodian Mine Action Center(カンボジア地雷除去センター)の略称で、カンボジアの国が持っている地雷除去団体である。
地雷除去員からオフィスワーカーまで含めると2400名の大所帯で、金属探知機、地雷探知犬、植生・地雷除去機などを統合して使っている、とにかく大きな組織。
なので、海外からの援助もばんばん入っている。もちろん日本からも。
しかしながらカンボジアの地雷・不発弾問題は深刻で、活動開始から12年経っているが、全て完了するのにはさらに十数年必要だと言っていた。
今でも年間800〜900人が地雷・不発弾の被害にあっている。(ちなみにスリランカは15人[2005年])
午前中はテレビの取材中心だったため、我々スリランカからの地雷組は午後から別にアポをとって、よりテクニカルな話し合いをすることに。
小さな団体が大きな組織をまねるのは難しいが、学ぶことは多々あったと思う。


メコン川の水上生活

話し合いを終え時間があったので、メコン川クルーズをすることに。
トンレサップ川の船乗り場から乗船し、メコン川との合流地点を通ってメコン川へ。ぐるっと回って戻ってくる30分ほどのクルージング。
プノンペンの華やかな街並みとは対照的に対岸には水上生活者の家々が。
プノンペンだけを見ているととても途上国とは思えないが、こうしてプノンペンからちょっと目を移すとまだまだ富がうまく分散されていないことがうかがえる。






3月21日

作業レーンに立つCMACの除去員

朝6:30、一路バッタンバンへ向けて出発。
昼頃到着し、昼食を終え早速地雷原へ。
街の中心から車で約1時間半ほど山奥へ入った所に地雷原が。
重機でジャングルを切り開き、その後金属探知機で人間が探査。
スリランカとは地雷原のマーキングや重機の使い方に違いがあって少し分かりづらい所もあったが、やはりキャリアの違いか、重機と探知機をうまく使っている様子だった。
テレビクルーは早速撮影してた。
この日はほとんど移動に時間をとられてしまい、一箇所しか地雷原を見ることができなかった。





3月22日

地雷原にすむ家族

この日も6:30にバッタンバンから少し離れた地雷原を見に行く。
まず一つ目の地雷原は昨日と同じく重機と探知機を使った地雷原。
昨日の所よりはマーキングが分かりやすかった。
一行はさらに山奥に。
ここではなんと地雷原の中で生活している人たちが。
彼らは危ないことは分かっていても、そこしか住む所がないとか。
地雷除去に関わる者なら国際基準を順守しなければならない。
そこへ入っていって話を聞くことはできない。こちらに出てきてもらって話を聞くしかなく、「いつも通っている道を通ってね。」とは言ったものの現場には緊張感が走る。
その村は、よく見ると結構足を失った人がいる。被害者が出てもまだ地雷原に住まなければならない現実。
そして小さな子供も多く、一日も早い除去が必要だと感じた。


3月23日

テレビ撮影中

地雷原視察3日目。
この日も早朝から 移動。次の目的地はシェムリアップ。アンコールワットで有名な観光地。
もちろん我々に観光している時間はなく到着後昼食をとってすぐ移動。
それにしてもテレビクルーはここ3日間ずっとカメラをまわしてる。
30分番組を作るのにこんなに時間がかかって、炎天下で暑い中、ほんとにお疲れ様です。聞くに勝るハードワーク。






3月24日

地雷犬のデモンストレーション(ショートリード)

取材の様子をずっと見ているわけにも行かないので、我々スリランカ地雷組はこの日別行動をすることに。
目的地はコンボンチュナンにあるCMACのトレーニングセンター。
このトレーニングセンターでは金属探知機を使った地雷除去のトレーニングだけではなく、地雷犬の訓練もしている。
地雷犬は通称MDD(Mine Detection Dog)と呼ばれ、火薬の臭いで地雷を探知する。
地雷犬を操る人はハンドラーと呼ばれ、CMACでは女性のハンドラーが多い。
彼女達はこのトレーニングセンターで犬達と同じ部屋で寝起きして、訓練している。
到着した時には既に訓練終了していたけど、ボスニアで地雷犬の訓練をしていると言う人物が好意でデモンストレーションをしてくれた。
リードの長さによってロングリードとショートリードの2通りの探知方法がある。
とてもしっかり訓練されていた。すごいよワンちゃん。あんた達もえらい!
夕方プノンペンに戻って来た。
この日所属団体カンボジア事務所でインターンをしていた人の送別会に参加。
カンボジア事務所現地職員達と楽しいひと時を過ごした。


3月25日

セントラルマーケット

カンボジア最終日。
午前中はセントラルマーケットをぶらぶら。
昼からCMACと一緒に不発弾処理をしている日本のNGOであるJMAS(Japan Mine Action Service)の人達と昼食をとりながら会談。
皆さん元自衛隊だそうで、結構お年を召された方々なのにたくましい限りです。
そうこうしているうちにあっという間に飛行場へ行く時間に。
カンボジア滞在中ずっと車を運転してくれた運転手に別れを告げ、帰スリランカ。
今度来るときは絶対アンコールワットいくどー!




写真集

村の子供

小学校の井戸

バイクタクシー

不発弾

発見された地雷

地雷犬(ロングリード)