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7月の酷暑の日本を抜け出し12時間のフライトの後、パリはシャルル・ドゴール・エトワール空港へ我々7人は降り立った。長袖でも少し肌寒い。飛行機を降りて直ぐにパリの街には目もくれず、マイクロバスで移動開始!黄金色に輝く麦畑、何処までも拡がるトウモロコシ畑、農業国フランスを実感しながらもノルマンディへひた走る。一般道を走るそのスピードたるや120〜150キロ!美しい風景を堪能する間もないほどに…ハンドルを握るドライバー氏をしっかりと見つめる。彼は「毎日のことさ」と、涼しい顔でニヤリ。やがて街並みに入るとアイビーゼラニューム、サフィニアのハンギング、手入れの行き届いた庭には、ブルーやピンクのアジサイ。さあ、フランスアジサイ紀行の始まりである。
プリンセスに手土産にと用意していたギボウシ《サガエ》、椿苗を贈る。偶然にもプリンセスと一緒にいた女性が、アメリカギボウシ協会の会長であった。散策道は全て手入れの行き届いた芝生で、緑のカーペットの上を歩く。11.000種の珍しい植物が広大な園内を埋め尽くしている。アジサイコレクションの品種こそ少ないが、美しく咲き誇る姿に目を見張る。その中の2つの品種が疑問を抱かせる。
1つ目は 《H・Chinensis Var Japonica“Mont Aso”》
阿蘇山で発見されたらしいことは推測がつくが、H・Chinensis Var Japonicaとはいったいどういうことだろう? この謎は旅の終盤に明らかとなる。
2つ目は 《H・Serrata・Umbellata》。私の所有する《Umbellata》は《H・Scandens》の仲間で中国産。葉は細長く装飾花はクリーム、両性花は黄色で香りがある。日本の山アジサイに似たこれとは全く異なる。韓国にある《Sansukuku》(韓国語でSanは山、Sukukuはアジサイ)は、日本の山アジサイに似ているが陸続きの中国にもこの花型のアジサイが存在するのであろうか?そうだとするとアジサイ紀行の旅は、まだまだ果てしない。ノリウツギが多く植えてある。また小高い丘に姫アジサイの群落が咲き誇っていた。プリンセスの庭園を後にして、シャムロック協会の歓迎昼食会にお招きいただいた。
午後【マーク・ブラウン邸のお庭】訪問。野草を自然のままに活用した、野放図でいながらの美しい庭園で、年間2~3万人の入園者があるらしい。ざわざわと風に囁く野草に安らぎを得る。ここでは時がゆっくりと流れる。
さあ、今日はいよいよMrs. M.コレクションに臨む。Mrs. M.氏が来日の度に、日本アジサイ協会会長及び筆者が進呈した株が目立つ。しかし彼女自身が採取した物の数にも圧倒される。12ヘクタールの土地に2ヘクタール原種園芸種1200種が植栽され年代別国別・育種者別になっている。近く4ヘクタールに増設される予定だそうだ。また樹林の中には《山アジサイ》《玉アジサイ》《ラセイタ玉アジサイ》《エゾアジサイ》《アスペラ》等が植栽されている。以前Mrs. M.氏の話の中で、山本会長と筆者が疑問に思った日本で採取したという2種を見る。《伊豆半島の手まり花》と案内された。確かに手まり花だが未開花であった。更に天城山で採取した《エゾアジサイ》…?花、葉、茎どこから見ても《エゾアジサイ》…。同行S氏と二人、首を傾げるばかり。採取場所の記憶違いではないかと尋ねると、1993年には富士山麓と伊豆半島しか訪れておらず、K氏(K花菖蒲園園主)運転の天城山山中で発見との事。天城山調査に赴かねばならないだろう。
尚、特筆すべきはこの他にもMrs. M.氏が伊豆半島で採取したものに全く我々が知らないものが存在する。これについても調査する必要性があるだろう。
庭園から海岸まで続く森の林縁は、M家自慢の石楠花パークである。樹高数メートルから10メートルもあるかと思われる大木、地を這うような小型種の大群落、それに加えて椿・山茶花。樹林を抜けると突然視界が広がり、曇天模様の空と、其れを映す海峡を臨む空間に出る。「かつて印象派のモネが好んで絵筆を滑らせた場所」と、偉観を誇るMr. M.氏。感銘も通り越してもはや驚愕である。有数の時を越えて守り継がれてきた景観に乾杯!帰路オタクサとロゼアの大株の群落があった。400年続く銀行家のM家の事である、これがシーボルトの持ち帰ったあのオタクサの子孫ではないかと、心膨らませる。またロゼアはここでは美しい青色で、姫アジサイそのものである。(ヨーロッパでは姫アジサイがピンクに咲くことが多くロゼアの名称で親しまれている。)更に芝生の中には一際目立つ大株、トウキョウ・デ・ライト。《ガクアジサイ》と《山アジサイ》の自然交配種であろうか?1899年マリエシーが日本より導入。3品種ともロベール氏の祖父が1903年に植え付けたものだそうだ。その崇高とも呼べる見事さに、雨の中暫し佇む。
ディエップ→ブルターニュ→カンペール泊 7月13日(金)
当主が天皇陛下とご学友という【シャトウ・ド・B】(現地では虹の菜園と呼ばれている)に向かう。(もちろんMご夫妻のご紹介である。) B氏は日本語もたしなむ親日家。城内には樹齢200年以上と思われる、菩提樹の巨木並木が2.5キロ延々と続き、日本の野菜を生産する畑もある。パリの日本料理店に出荷されている。
ここでアジサイ紀行隊は二手に分かれる。Sさん親子と筆者はMr. M.氏運転の車でカンペールへ。ZさんWさん親子と家内はB氏自らの手料理をご馳走になった後車で送っていただき、列車でカンペールへと向かう。
筆者の故郷伊豆大島の<波浮の港>を思わせる、青く美しい海を見下ろす高台に、Dご夫妻の庭園【Petitmanoia】がある。《ミセスクミコ》が見事に咲いている。同行S氏の作出と紹介、喚声と拍手が巻き起こる。ここにはアジサイ・椿・山茶花が混植され、その中に《エゾアジサイ》の交配種と思われる小型の手まり花が目に付く。品種名は未だなく、この日、庭園名の《Petitmania》に満場一致で採択された。またS氏と二人、山アジサイの品種鑑定を依頼される。《ラセイタ玉アジサイ》が大きく育っている。これは以前、Mrs. M.氏、O氏(当協会理事)、筆者で伊豆大島のアジサイ調査の折に採取したもので、株元から2~3メートル離れたところに、《アナベル》《柏葉》と同じようにランナーで小さな苗が次々に出てきている。この様な形は《ウズアジサイ》《石化八重》など日本の古品種や、更に《城ヶ島》《伊豆の葦》にも、2・3の《フラウ》にも見られる。何の変哲もないアジサイが目にとまる。H・Yodoganaである。ヨーロッパの知人たちから時々聞く名前であるが、筆者には何処にでも有るガクアジサイにしか見えない。
そしてDご夫妻の第二庭園へと向かう。ここは2年前より植栽をはじめ、D婦人の交配種が2列で2キロ続いていた…!唖然、呆然。ともかくスケールが違う。秋は山茶花、春は椿、そして初夏から晩秋まではアジサイが咲くので、冬以外は花が楽しめるようになっているそうだ。
午後、坂本さんと2人で再度Dr.G.の庭へ。Dr.の庭には《エゾアジサイ》《ヤハズアジサイ》。そしてMrs. M氏が伊豆半島で採取した手まり花が咲いていた!本アジサイ《オタクサ》より濃い青の花であった。
【コンサーヴァトワー・ナショナル・ドゥ・プレスト】(国立絶滅危惧植物保存園)へ早朝から向かう。休園日を特別に開けて頂いた。「噴火のために絶滅の危惧ある三宅テマリの苗を託そう。」とMr. M.氏。また伊豆諸島の絶滅危惧植物《Clindrocline》を頂いた。M夫妻と筆者共通の友人である倉重さんが勤務する、新潟県立植物園に贈呈する事にしよう。
Dr. G.邸へまたまた向かう。東南アジア産のアジサイの中に香りのある一株があった。ドクターは椿も130種保持しているそうだ。椿の花が咲く頃にまた会いましょう。
カンペール→ブルターニュ→パリ泊7月16日(月)
海岸近くの【ジャルダン・ド・ロスピコ】訪問。途中の街並みはピンク、青、白と、アジサイが非常に多い。この地区のアジサイはドクター達有志が推奨して植栽されている。ピンクは《ジョセフバンクス》ブルーは《モンゴメリー》白は《ラナースホワイト・ルイムイエ》。【ジャルダン・ド・ロスピコ】は救急病院の医師だった若いご夫妻が転業し、100万ドルを投じた庭園。オープン間もないが、植物がよく生育しアジサイも多く見事に咲いている。農薬化学肥料は一切使わない方針。初めて訪れた日本人のために、入園料はまたまた免除して頂いた。
坂本さん親子と座間さんは帰国の途へ。残る4人は椿の友Mr. R.氏に会うため、TGVでボゴヘ向け出発。車窓には出穂前のトウモロコシ畑が緑緑と続く。時折、黄金色に輝くひまわり畑が、空と風と緑の大地に彩りを添える。あまりに有名なワインの産地、ボルドーが近づくとトウモロコシ畑は一変して葡萄に変わる。ワインを愛してやまないフランス人は革命直後の12年間、9月後半からを葡萄月と呼んだそうである。芳醇なワインを味わう間もなく、列車は無常にもボルドーを直ぐに発車する。少しすると乾燥地帯のためだろうか?松の人工林がボゴまで脈脈と続く。
ホテルを出て2時間、古城の中にあるJ.T.氏の農園を訪問。日本の植物が多くアジサイ、椿が大量に生産されている。ナントの本園では1200種の椿、山茶花が生産され、その中の136種は有効主であるというから驚きである!見上げると古城の城壁の上にはピンクのアジサイの大株が数箇所に。古くからあるので品種は不明という。ふと園内の花の終わったアジサイのラベルに目をやると、《H・Chinensis Var Japonica“Mont Aso”》プリンセスの庭園で見たものと同じ品種名。J.T.氏によると、1977年彼の父上が日本に行き阿蘇山で種子を採って来て播いたものの1つだそうだ。H・Chinensis は間違いである。ヨーロッパでは未だにアジサイを中国原産だと思い込んでいる人が多いらしい。“プリンセスの謎”の一つは解明された。
街中に2、3の闘牛場が有り、スペイン国境が近い事をうかがわせる。家々から染み出してくる夕餉の煙も、街に遊ぶ子供の顔つきも、昨日までと異なった香りがする。
今日はスペイン国境近くのビアリッツの海岸。ルイ14世がスペイン王女と結婚式を挙げた【サン・ジャン・ド・ビエ・ド・ポール】見学に。ホテル近くの古城の中に、1850年にイギリスより導入し植えたというカメリア《アルテラフローラ》の巨木を見る。日本では150年くらいではこんな巨木にはならないと思う。
パリのセーヌ川近くのずらりと並ぶ園芸店でも たくさんのアジサイ(《花火アジサイ》の7号鉢で1800円程度、日本の鉢物とは異なり庭植え用のため花は2、3輪しかついていない。)が売られているのを確認しつつ、21日シャルル・ドゴール・エトワール空港から機上の人となった。