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フランスあじさい紀行 

 

日本→パリ→ディエップ泊  7月10日及び7月11日()

7月の酷暑の日本を抜け出し12時間のフライトの後、パリはシャルル・ドゴール・エトワール空港へ我々7人は降り立った。長袖でも少し肌寒い。飛行機を降りて直ぐにパリの街には目もくれず、マイクロバスで移動開始!黄金色に輝く麦畑、何処までも拡がるトウモロコシ畑、農業国フランスを実感しながらもノルマンディへひた走る。一般道を走るそのスピードたるや120150キロ!美しい風景を堪能する間もないほどに…ハンドルを握るドライバー氏をしっかりと見つめる。彼は「毎日のことさ」と、涼しい顔でニヤリ。やがて街並みに入るとアイビーゼラニューム、サフィニアのハンギング、手入れの行き届いた庭には、ブルーやピンクのアジサイ。さあ、フランスアジサイ紀行の始まりである。

まずは古城のある港町ディエップ 午後8時30分到着。未だ日は高く、港には数多くのヨットが浮かび、ルイ14世頃の石造りの建物が並ぶ静かな佇まいの街である。そこで待ち受けていたのは、美味しいリンゴ酒とムール貝、そしてMご夫妻の満面の笑顔。約1年ぶりの再会を喜ぶ。

翌朝 Mr. M.氏の案内で石灰岩の海食崖の景勝地を通り【プリンセス・ストーザの庭園】に着く。180フランの入園料。Mr. M.氏とプリンセスは親交があり、無料にして頂いた。ただ残念な事に撮影禁止であった。

プリンセスに手土産にと用意していたギボウシ《サガエ》、椿苗を贈る。偶然にもプリンセスと一緒にいた女性が、アメリカギボウシ協会の会長であった。散策道は全て手入れの行き届いた芝生で、緑のカーペットの上を歩く。11.000種の珍しい植物が広大な園内を埋め尽くしている。アジサイコレクションの品種こそ少ないが、美しく咲き誇る姿に目を見張る。その中の2つの品種が疑問を抱かせる。

1つ目は 《HChinensis Var JaponicaMont Aso”》

阿蘇山で発見されたらしいことは推測がつくが、HChinensis Var Japonicaとはいったいどういうことだろう? この謎は旅の終盤に明らかとなる。

2つ目は 《HSerrataUmbellata》。私の所有する《Umbellata》は《HScandens》の仲間で中国産。葉は細長く装飾花はクリーム、両性花は黄色で香りがある。日本の山アジサイに似たこれとは全く異なる。韓国にある《Sansukuku》(韓国語でSanは山、Sukukuはアジサイ)は、日本の山アジサイに似ているが陸続きの中国にもこの花型のアジサイが存在するのであろうか?そうだとするとアジサイ紀行の旅は、まだまだ果てしない。ノリウツギが多く植えてある。また小高い丘に姫アジサイの群落が咲き誇っていた。プリンセスの庭園を後にして、シャムロック協会の歓迎昼食会にお招きいただいた。

午後【マーク・ブラウン邸のお庭】訪問。野草を自然のままに活用した、野放図でいながらの美しい庭園で、年間2~3万人の入園者があるらしい。ざわざわと風に囁く野草に安らぎを得る。ここでは時がゆっくりと流れる。

                   ディエップ泊 7月12日()

 さあ、今日はいよいよMrs. M.コレクションに臨む。Mrs. M.氏が来日の度に、日本アジサイ協会会長及び筆者が進呈した株が目立つ。しかし彼女自身が採取した物の数にも圧倒される。12ヘクタールの土地に2ヘクタール原種園芸種1200種が植栽され年代別国別・育種者別になっている。近く4ヘクタールに増設される予定だそうだ。また樹林の中には《山アジサイ》《玉アジサイ》《ラセイタ玉アジサイ》《エゾアジサイ》《アスペラ》等が植栽されている。以前Mrs. M.氏の話の中で、山本会長と筆者が疑問に思った日本で採取したという2種を見る。《伊豆半島の手まり花》と案内された。確かに手まり花だが未開花であった。更に天城山で採取した《エゾアジサイ》…?花、葉、茎どこから見ても《エゾアジサイ》…。同行S氏と二人、首を傾げるばかり。採取場所の記憶違いではないかと尋ねると、1993年には富士山麓と伊豆半島しか訪れておらず、K(K花菖蒲園園主)運転の天城山山中で発見との事。天城山調査に赴かねばならないだろう。

尚、特筆すべきはこの他にもMrs. M.氏が伊豆半島で採取したものに全く我々が知らないものが存在する。これについても調査する必要性があるだろう。

午後、Mr. M.氏の生家M邸を訪問。36ヘクタールの広大な敷地、12ヘクタールの庭園と1899年建築の美しい邸宅。凛とした美しい貴婦人が迎えてくださる。91歳のMr. M.氏の御母上であった。室内は贅を尽くした絵画・調度品に思わず息を呑む。庭園には様々なアジサイが見事に咲き誇り、なかんずく《プレジオサ》の美しさが目に眩しい。<原産地イコール適地ならず>を噛み締める。

庭園から海岸まで続く森の林縁は、M家自慢の石楠花パークである。樹高数メートルから10メートルもあるかと思われる大木、地を這うような小型種の大群落、それに加えて椿・山茶花。樹林を抜けると突然視界が広がり、曇天模様の空と、其れを映す海峡を臨む空間に出る。「かつて印象派のモネが好んで絵筆を滑らせた場所」と、偉観を誇るMr. M.氏。感銘も通り越してもはや驚愕である。有数の時を越えて守り継がれてきた景観に乾杯!帰路オタクサとロゼアの大株の群落があった。400年続く銀行家のM家の事である、これがシーボルトの持ち帰ったあのオタクサの子孫ではないかと、心膨らませる。またロゼアはここでは美しい青色で、姫アジサイそのものである。(ヨーロッパでは姫アジサイがピンクに咲くことが多くロゼアの名称で親しまれている。)更に芝生の中には一際目立つ大株、トウキョウ・デ・ライト。《ガクアジサイ》と《山アジサイ》の自然交配種であろうか?1899年マリエシーが日本より導入。3品種ともロベール氏の祖父が1903年に植え付けたものだそうだ。その崇高とも呼べる見事さに、雨の中暫し佇む。

ノルマンディ最後の夜(と言っても陽はいつまでも明るい)、アジサイ苗生産者D. B.(Mご夫妻のご紹介)を交え晩餐会。

         

ディエップ→ブルターニュ→カンペール泊 7月13()

当主が天皇陛下とご学友という【シャトウ・ド・B】(現地では虹の菜園と呼ばれている)に向かう。(もちろんMご夫妻のご紹介である。) B氏は日本語もたしなむ親日家。城内には樹齢200年以上と思われる、菩提樹の巨木並木が2.5キロ延々と続き、日本の野菜を生産する畑もある。パリの日本料理店に出荷されている。

ここでアジサイ紀行隊は二手に分かれる。Sさん親子と筆者はMr. M.氏運転の車でカンペールへ。ZさんWさん親子と家内はB氏自らの手料理をご馳走になった後車で送っていただき、列車でカンペールへと向かう。

道中【オートブルターニュパーク】見学。広大な園内で、池の近くに匍匐して枝を伸ばす椿。40年以上椿を追い求めてきた筆者が始めて目にする地を這う椿である。またまた幸運にもそこへ通りかかった園主とMr. M.氏は知人であり、一枝所望できた。アジサイの枝も共に頂いた。

午後9時30分ブルターニュのDr. G.邸に到着する。あたり一面がアジサイの花盛りを迎えているドクターの庭。スイスで育種された《ガクアジサイ》(テラシリーズ2種)と日本の品種がある。その中に坂本氏は《白富士》を発見!日本で発売されてまだ3年の品種がもうフランスに?実は筆者がMrs. M.氏に進呈したものの一つである事が判明。そして見事なまでの美しい花を咲かすドクターの子供たち(アジサイの交配種)。さすが科学者と感無量。そこへ現れたのがこの村の村長さん。花火の音に驚いた牛が集団遁走!!思えば巴里祭の前夜祭であった。村長さん、牛の事はしばし忘れたのか、珍客に酒宴のお誘いが!遁走中の牛たちに遠慮して辞退。

                   

カンペール泊 7月14日()

筆者の故郷伊豆大島の<波浮の港>を思わせる、青く美しい海を見下ろす高台に、Dご夫妻の庭園【Petitmanoia】がある。《ミセスクミコ》が見事に咲いている。同行S氏の作出と紹介、喚声と拍手が巻き起こる。ここにはアジサイ・椿・山茶花が混植され、その中に《エゾアジサイ》の交配種と思われる小型の手まり花が目に付く。品種名は未だなく、この日、庭園名の《Petitmania》に満場一致で採択された。またS氏と二人、山アジサイの品種鑑定を依頼される。《ラセイタ玉アジサイ》が大きく育っている。これは以前、Mrs. M.氏、O氏(当協会理事)、筆者で伊豆大島のアジサイ調査の折に採取したもので、株元から2~3メートル離れたところに、《アナベル》《柏葉》と同じようにランナーで小さな苗が次々に出てきている。この様な形は《ウズアジサイ》《石化八重》など日本の古品種や、更に《城ヶ島》《伊豆の葦》にも、2・3の《フラウ》にも見られる。何の変哲もないアジサイが目にとまる。HYodoganaである。ヨーロッパの知人たちから時々聞く名前であるが、筆者には何処にでも有るガクアジサイにしか見えない。

そしてDご夫妻の第二庭園へと向かう。ここは2年前より植栽をはじめ、D婦人の交配種が2列で2キロ続いていた…!唖然、呆然。ともかくスケールが違う。秋は山茶花、春は椿、そして初夏から晩秋まではアジサイが咲くので、冬以外は花が楽しめるようになっているそうだ。

午後、坂本さんと2人で再度DrG.の庭へ。Dr.の庭には《エゾアジサイ》《ヤハズアジサイ》。そしてMrs. M氏が伊豆半島で採取した手まり花が咲いていた!本アジサイ《オタクサ》より濃い青の花であった。

                        カンペール泊 7月15日()

【コンサーヴァトワー・ナショナル・ドゥ・プレスト】(国立絶滅危惧植物保存園)へ早朝から向かう。休園日を特別に開けて頂いた。「噴火のために絶滅の危惧ある三宅テマリの苗を託そう。」とMr. M.氏。また伊豆諸島の絶滅危惧植物《Clindrocline》を頂いた。M夫妻と筆者共通の友人である倉重さんが勤務する、新潟県立植物園に贈呈する事にしよう。

ヨーロッパ各地に年間30万鉢出荷する、アジサイ専門生産者P.G.氏訪問。昼食にご招待してくださる。5.5号鉢から20号の大鉢が大量に並ぶ。1番小さいもので18フラン(約360円)。《ノリウツギ》《山アジサイ》《ツルアジサイ》も多く生産され、《エゾホシノ》も来期より出荷される予定である。ヨーロッパでは山アジサイは可憐な花で開花が早く秋口また咲く事など、年々人気が上がっている。庭園に植え込む需要のため、全体に大雑把な作りである。この時期に切り込んだ鉢でも3週間で蕾がつくという。(気温25度~28度)

大西洋の青い海原に帆いっぱいに風を孕んだヨットが滑る。小さな岬の【ジャルダン・エキゾティック・ド・ロスコフ】へ車を走らせる。地元の有志による手作りの小さな熱帯植物園である。「日本人は初めて」と言う素朴な田舎町。人々の笑顔は優しい。

Dr. G.邸へまたまた向かう。東南アジア産のアジサイの中に香りのある一株があった。ドクターは椿も130種保持しているそうだ。椿の花が咲く頃にまた会いましょう。

夕刻、カンペールの街を散策。サン・コランタン大聖堂の祈りの灯火が、夕日に解けて拡がる。石造りの古い街並みに、ゆっくりと静かに流れる川面に、そして人々の心に、荘厳な鐘の音が共鳴する。

                 

カンペール→ブルターニュ→パリ泊7月16日()

海岸近くの【ジャルダン・ド・ロスピコ】訪問。途中の街並みはピンク、青、白と、アジサイが非常に多い。この地区のアジサイはドクター達有志が推奨して植栽されている。ピンクは《ジョセフバンクス》ブルーは《モンゴメリー》白は《ラナースホワイト・ルイムイエ》。【ジャルダン・ド・ロスピコ】は救急病院の医師だった若いご夫妻が転業し、100万ドルを投じた庭園。オープン間もないが、植物がよく生育しアジサイも多く見事に咲いている。農薬化学肥料は一切使わない方針。初めて訪れた日本人のために、入園料はまたまた免除して頂いた。

アジサイ、椿の生産農場を経てカンペール駅へと向かう。Mr. M.さんDrGご夫妻に心より感謝しながらTGV(フランスの新幹線)でパリへ!4時間の旅である。

パリ→ボゴ泊 7月17日()

坂本さん親子と座間さんは帰国の途へ。残る4人は椿の友Mr. R.氏に会うため、TGVでボゴヘ向け出発。車窓には出穂前のトウモロコシ畑が緑緑と続く。時折、黄金色に輝くひまわり畑が、空と風と緑の大地に彩りを添える。あまりに有名なワインの産地、ボルドーが近づくとトウモロコシ畑は一変して葡萄に変わる。ワインを愛してやまないフランス人は革命直後の12年間、9月後半からを葡萄月と呼んだそうである。芳醇なワインを味わう間もなく、列車は無常にもボルドーを直ぐに発車する。少しすると乾燥地帯のためだろうか?松の人工林がボゴまで脈脈と続く。

5時間の快適な旅も終わり、【TUBAKINOYAKATA】の主Mr. R.氏と彼の家へ。人は彼を椿馬鹿と呼ぶそうだ。フランスと日本の椿馬鹿は固く握手を交わす。一泊の予定も同好の士のアドバイスで三泊に延長。

ボゴ泊 7月18日(水)

ホテルを出て2時間、古城の中にあるJ.T.氏の農園を訪問。日本の植物が多くアジサイ、椿が大量に生産されている。ナントの本園では1200種の椿、山茶花が生産され、その中の136種は有効主であるというから驚きである!見上げると古城の城壁の上にはピンクのアジサイの大株が数箇所に。古くからあるので品種は不明という。ふと園内の花の終わったアジサイのラベルに目をやると、《HChinensis Var JaponicaMont Aso”》プリンセスの庭園で見たものと同じ品種名。J.T.氏によると、1977年彼の父上が日本に行き阿蘇山で種子を採って来て播いたものの1つだそうだ。HChinensis は間違いである。ヨーロッパでは未だにアジサイを中国原産だと思い込んでいる人が多いらしい。“プリンセスの謎”の一つは解明された。

街中に2、3の闘牛場が有り、スペイン国境が近い事をうかがわせる。家々から染み出してくる夕餉の煙も、街に遊ぶ子供の顔つきも、昨日までと異なった香りがする。

ボゴ泊 7月19日()

今日はスペイン国境近くのビアリッツの海岸。ルイ14世がスペイン王女と結婚式を挙げた【サン・ジャン・ド・ビエ・ド・ポール】見学に。ホテル近くの古城の中に、1850年にイギリスより導入し植えたというカメリア《アルテラフローラ》の巨木を見る。日本では150年くらいではこんな巨木にはならないと思う。

高級ホテルがずらりと並ぶ高台から、海水浴に興じる人々のいる海岸へ降りると、沖では数多くの岩礁を波が噛む。ビアリッツは海の難所なのだろう。赤く錆びた難破船の錨が、街のあちらこちらに淋しげに横たわっていた。今も風が強く、時折雨の降りつける荒天である。しかし海岸から見上げる急斜面には一面のアジサイ!我々アジサイ紀行の旅を締めくくるに相応しい、絶好の景観に息を呑む!アジサイの中に所々潮風に強いトベラの木が植栽されている。品種は《オタクサ》が多く不明のガクアジサイとピンクの(手まり咲(ジョセ)バンクス?)。そのうち一株は《オタクサ》から枝替わりで《ウズ》(ウズはフランスではアヤサと呼ばれている)が咲いている。各地で時々見かけたウズアジサイは日本からのものと思い込んでいたが、この株を見てヨーロッパ生まれではないかと疑問が湧いた。また日本アジサイ協会会長によると《ウズ》から《オタクサ》に先祖帰りするものは良く見かけるが(私の生家にもあるが)、逆は見たことがないとの事。そしてこのような環境でこれほどまでに見事なアジサイが咲く姿を、筆者は知らない。雨雑じりの波しぶきに、唇が塩辛い。雨足の強さに、フランスアジサイ紀行の旅、最後の絶景を後にする。

こうして我々のフランスアジサイ紀行旅は終わりを告げた。その後【TUBAKINOYAKATA】(椿の館)に招かれ美味しい夕食を頂き、アジサイ紀行の旅を終え、心置きなく椿の話で夜を過ごした。

パリのセーヌ川近くのずらりと並ぶ園芸店でも たくさんのアジサイ(《花火アジサイ》の7号鉢で1800円程度、日本の鉢物とは異なり庭植え用のため花は2、3輪しかついていない。)が売られているのを確認しつつ、21日シャルル・ドゴール・エトワール空港から機上の人となった。

フランスアジサイ紀行旅。この楽しく印象的な旅を支えてくださった(連れて行ってくれた?)多くの友人同好の士に、深く感謝を致します。また快く通訳を引き受けてくださったWさん、本当にありがとうございました。

後記 プリンセス、ストーザの疑問の《ウンベラータ》はMrs. M氏よりの情報によると《モーン・アソ》の一群との事。更に筆者の所有する《ウンベラータ》は関西テックのオギス先生により中国から導入されたものである事が判明しました。

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