



四日歩いて、ようやく朝の一番電車でなくても良いところまで近くなった。そこで一電車遅らせて、6時11分の普通電車に乗る。9時28分藤沢駅着の予定が二、三分早く着いた。先日の帰り道を思い出しながらたどって、藤沢橋まで戻る。藤沢橋には橋柱に藤の花がデザインされている。(右写真)
藤の花は藤沢のシンボルフラワーなのだと思う。東海道では藤枝でも市の花になっている。まだ藤の花の季節だから今日もどこかで藤の花を見ることになろう。
本堂前右手の花の終わったつつじの中に、彫りが深く日本人離れした顔の一遍上人像が合掌しながら前へ歩みだす姿勢で立っていた。“遊行”を修行のメインとした一遍上人らしい姿であった。
元の道(国道467号線)に戻って東海道歩きを始める。街道右側に一軒蔵造りの商家(左写真)があった。紙を商っているようだ。 “蔵造りの商家” は防火対策のために店そのものを蔵造りにしてしまったもので、かって “小江戸” と呼ばれる川越の町でたくさん見た。
源義経ゆかりの白旗神社に寄り道すべく、700メートルほど西へ進んだ白旗の交差点を右折し、300メートルほど進んで、10時26分、白旗神社に着いた。白旗は源氏の旗印、一方赤旗は平家の旗印、だから、小学校の運動会の紅白の鉢巻や大晦日の “紅白歌合戦” のルーツは源平の戦いにあるという。余談はさて置き、白旗神社本殿石段下の左側に「源義経公鎮霊碑」があった。
本殿から右手へ降りた社務所のそばに藤棚が二つあり、白い藤の方が「義経藤」(奉納 小室一郎)(左写真)と命名され、いま満開であった。一方、藤色の方は「辨慶藤」と命名され、花期はすでに終わっていた。「辨慶藤」の前に芭蕉の句碑が建っていた。 「草臥(くたびれ)て宿かる比(ころ)や藤の花」 社務所前には白旗神社に伝わる “湯立神楽” の説明板があった。
街中をひたすら西へ進む。10分ほど進んだ左側、石垣の上に双体の道祖神が祀られてあった。「おしゃれ地蔵」とは変った命名である。双体とも顔が薄いピンクに塗られている。
国道1号線を200メートルほど進むと、松並木が始まった。その最初に「一里塚跡」の標柱があった。(右写真)
「二ツ家稲荷神社」前には石柱の柵の中に庚申供養塔(左写真)があった。石碑に「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿がレリーフになっていた。
松並木の国道1号線を藤沢市から茅ヶ崎市に入る。そして、途中、円柱状の石碑の「明治天皇御小休所址」を見て、1キロメートルほど進んで、12時32分、浄土真宗上正寺に着いた。
茅ヶ崎駅に近い元町の真中、その名も「一里塚交差点」の東南角に「茅ヶ崎一里塚」の片方が残っている。(左写真)こんな街中に良くぞ残ったと声を掛けたくなる。
茅ヶ崎の街中を通り過ぎ、道は大きく右へ回り北西に向かう。まもなく千川に架かる鳥井戸橋を渡る。橋の向うに鶴嶺八幡宮の赤い鳥居が見える。橋を渡った左側の橋詰に、「南湖の左富士」の石碑(右写真)があった。ここから南側の地域を「南湖」という。
右手を鳥居を潜って真っ直ぐ北へ向かうと鶴嶺八幡宮に到るが、1キロメートルほどの寄り道になるので、先へ進む。14時25分、相模川の支流の小出川に出る。小出川を渡る手前の左側、少し下った木立の中に「旧相模川の橋脚」(左写真)が池の中に残されていた。池の中には睡蓮がびっしり葉を浮かべて、花が咲けばさぞ見事であろうと思った。
小出川を渡り、高架を横切る湘南バイパスを潜り、相模川の手前で平塚市に入るが、その少し手前の道端に、双体の道祖神と“道祖神”ときざんだ石柱が赤い屋根の中に納まっていた。(右写真)
東海道に戻って300メートル進むと、右側に平塚市民センターがある。開放になった中庭に入ると、「平塚の里」歌碑と、切り石を枡状に彫り出した井戸枠があった。(左写真)
その先すぐの右側に公園があって、入口の緑地内に「平塚宿見附の蹟」の石碑があった。(左下写真) “これより西、平塚宿” という平塚宿入口の「江戸方見附」である。
「西組問屋場跡」から広い通りを左へ分けて、東海道は前方に高麗(こま)山の見える真っ直ぐの道を進む。しかし、我々は「平塚」地名由来の塚に寄り道する。「西組問屋場跡」の角を標識に導かれて右折し、200メートル進んだ突き当たりの要法寺、その左隣の公園に「平塚」がある。(左写真) 一段高い玉垣で囲われた塚に「平塚の碑」と刻まれた石柱が立っていた。
公園左側道路を隔てた奥に「鏡山お初」の墓がある。大変な烈女であるらしい。
東海道に戻ってお椀を伏せたような高麗山に向かって歩く。通りに平塚宿と書いた幟が点々と出されている。(左写真) 写真に収めようと幡を伸ばしていると、東海道を歩く夫婦が追いついてきて、二、三、言葉を交わした。夫婦者の東海道歩きに出会うのは今日二組目であった。一組目は茅ヶ崎の手前で逢い、どんどん先へ追い越して行った。
国道1号線に合流してすぐ先に、「平塚宿京方見附之跡」の木柱が立った緑地帯があった。この木柱は最頂部に小さな屋根を載せた姿まで、広重の「東海道五十三次の内 平塚」で高麗山とともに描かれている京方見附の標柱そっくりに造られている。これより大磯町に入った。

化粧坂の交差点で国道一号線を左へ分けて、東海道は真っ直ぐに緑の並木の中の坂道、 “化粧坂(けわいざか)” に入っていく。並木の途中左側に化粧井戸(けわいいど)の標識があり、井戸があった。(左写真)




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